一章 若返りの薬(2)
「大山脈に、魔族か……」
大きな暖炉が設えられた執務室で、豪勢な机に腰かけた男は険しい表情で呟いた。
男の名はケイロス。かつて魔族によって切り開かれた大山脈の山道――現在は
冒険者とは、魔族との戦争がはじまってしばらく経ったころに登場した職業で、もともとは国が集めた腕利きを魔界に侵入させ、敵情視察するのが目的だった。魔界と大山脈を探索しながら進路を開拓し、機会があれば敵の幹部の暗殺まで行う。
冒険者という職業――いつ頃から、そう呼ばれるようになったかは不明だが――が認知されるようになると、探索のついでに大山脈で資源を採取してきてほしいと頼む者たちが現れた。大山脈は人間界にも魔界にも属さない領域で、人を寄せつけない険しい地形に強暴な魔獣や魔物が跋扈し、魔法のような不可解な現象が起こる危険な土地だが、それゆえに貴重な資源が豊富に存在した。
そういったものを求める者たち――その大半は裕福な貴族や商人だが、彼らの援助によって設立されたのが冒険者ギルドだった。ギルドは寄せられた依頼を冒険者に斡旋し、その支援をする施設で、遠方から訪れた冒険者には宿舎を提供し生活の保護まで行うこともあった。
ケイロスは顔を上げ、暖炉の前に置かれたソファーに向かい合うように座った二人の男を見た。
「お前たちはこれをどう見る?」
同じく険しい表情をした二人はしばらく考え込み、ケイロスよりやや年嵩の男――ディノンが答えた。
「普通に考えて、ヴォスキエロ軍がまた動き出したってところだろうな」
ディノンの言葉に、もう一方の男――カシオが頷いた。
「僕も同じ考えです。ヴォスキエロ軍との最後の戦闘から二年が経過している。戦力を整えた彼らが、再び動き出しても不思議ではありません」
二人の考えにケイロスは頷いた。
人間族と魔族の戦争がはじまって百年が経った現在、ヴォスキエロ軍は二年ほど鳴りを潜めていた。
二年前、ヴォスキエロ軍はここにいるディノンとカシオの一党によって、政変以降最大の被害を受けた。
事の発端はギルドに寄せられた「吸血鬼の血を求む」という依頼。内容は額面通り吸血鬼の血を採取してほしいというものだが、実際は吸血鬼を倒して血を奪えというもので、当初この依頼を受ける者は誰もいなかった。
そんな中、ディノンとカシオの一党はこれを引き受け、岳裂き山道の途中、南へそれた間道の先に建てられた吸血鬼の住居――シュベート城に侵入し、そこの主である吸血鬼を激戦の末に殺害した。
このことが国に報じられると、ソルリアム軍を統括するイワン軍団長が詳細を聞きたいとディノンたちを訪ねて来た。聞くところによると、ディノンたちが倒した吸血鬼はヴォスキエロの諸侯の一人で、その住まいであるシュベート城は周辺の集落を管轄する地方行政府だったらしい。さらに、その城は魔界の南東部に位置し、ヴォスキエロに攻め込むための拠点に最適な土地だった。
イワン軍団長率いるソルリアム軍は、シュベート城攻略のためディノンたちに協力を求めた。これに応じたディノンたちはケイロス率いる冒険者およそ八百とともに、ソルリアム軍およそ五千を支援した。
首領を失った直後のシュベート軍は統率力を失い、この混乱に乗じてソルリアム兵と冒険者の混成軍はシュベート城を占拠。城を拠点に周辺の魔族の集落も支配下に置いた。
当然、ヴォスキエロ軍は黙っておらず、シュベート城奪還のため軍勢を送り込んだ。しかし、時期尚早。ヴォスキエロ軍は奪還を焦りすぎた。たいした準備もせずに軍を動かしてしまったのだ。
いっぽうソルリアム軍は敵が城を奪還してくることを見越して周到に準備をしていた。シュベート城攻略作戦の前に首都に本部を構えるフィオルーナ軍本隊に支援を要請し、敵の反撃に備えた。攻め込んできたヴォスキエロ軍を罠にかけ、多大な被害を与えて大勝した。
この戦い以降、ヴォスキエロ軍は目立った動きもないまま、二年間沈黙していた。
「先日、魔界に潜入していた冒険者から、大量の武器と馬が首都に流れているという報告があった。兵も集められ、その数は二、三万ほどだとか」
ケイロスの言葉に、ディノンとカシオの表情がさらに険しくなった。
「それじゃあ決起が近いかもしれねぇな」
だが、とディノンは顔をしかめた。その目には不審な色があった。
「どうかした?」
「ああ、いや。その洞窟で遭遇した魔族がちょっとおかしいと思ってな」
「おかしい?」
「普通、どんな些細な任務でも、一人か二人は仲間がついてるもんだろ。なにか不祥事があったときの対応と連絡のために。それなのに、奴はたった一人だった」
二人は納得したように唸った。
「たしかに、それはちょっと気になるな」
「仲間がいたことを見落としてただけかもしれねぇが」
ディノンはため息をついて白髪をかきむしった。
「斬る前に問い詰めるんだったな」
「仕方ないだろう。あの魔族、玉砕覚悟で君に斬りかかってきた。あの様子だと尋問しても口を割らなかっただろう」
カシオはそう言って励ますように笑った。ディノンは苦笑を返して頷いた。
「だが、いちおう気に留めておいたほうがいいだろう。それも含めてイワン軍団長に報告しておこう」
頼む、と言ったディノンを、ケイロスは複雑な表情で見つめた。
「話は変わるが、ディノン、例の件、気持ちは変わらんか?」
ディノンは、はっと瞬き、慌てたようにカシオを見た。
「例の件?」
首をかしげたカシオに視線を移して、ケイロスは眉をひそめた。
「なんだ、聞いてないのか?」
「なんの話ですか?」
「あー、いや、その……」
答えようとしたケイロスを遮るようにディノンは声を上げた。察したケイロスはディノンを鋭く睨んだ。
「お前……」
「なんだ、ディノン。なにを隠している」
カシオにも睨まれ、ディノンはため息をついてうなだれた。
「いやぁ……実は、俺、冒険者を引退することにしたんだ。もう局長には伝えて、手続きもしてもらった」
カシオは口を開けたまま、しばらくぽかんとしていた。やがて、目を見開くと、見る見るうちに険しい表情へと変わっていった。
「な、に……」
「黙ってて悪かった。言えば、お前は反対しただろ」
「あ、当たり前だ!」
激昂したカシオは立ち上がった。
「僕だけじゃない! ダインもルーシラもジュリも、君を止めた! なんで、僕たちに相談もなく……僕たちは、仲間だろ!」
「何度も相談しようとしたさ。――いや、違ぇな。言いだせなかった。すでにお前らには、俺の身体のことで迷惑をかけてたから」
カシオは詰まった。
見た目はカシオよりはるかに年上、父と子くらい年が離れているように見えるディノンだが、実際はカシオと同じ年。真っ白な髪ももともとは漆黒で、深いしわが刻まれた乾いた頬も、ほんの半年前までは若々しく張りがあった。
ところが今年のはじめごろから急激な老化がはじまった。病か呪いによるものだろうと見当はついているが、医術師や呪術師などに診てもらっても原因は分からず、症状は進行するばかり。日に日に老けていき、少しずつだが体力も衰えていった。
なにより衝撃的だったのは、幼いころから鍛錬を積んで磨き上げた剣技が衰えてきたことだ。まだ並の戦士より鋭利な大刀筋は描ける自信はあるが、その鋭さがいつ毀れるか分からないという恐怖が、ディノンの精神をさらにえぐっていた。
「これ以上、お前らに迷惑はかけたくねぇ――俺に、お前らの冒険の邪魔をさせないでくれ」
カシオは口を開きかけるが、なにも発することなく閉ざした。哀しそうな表情でうつむき、拳を握る。
「もう、どうにもならないのか?」
ディノンは頷いた。
「もう、十分手を尽くした。――尽くしてもらった」
この身体を治すと決めたとき、ディノンが頼んだわけでもないのにカシオたちはついてきてくれた。たとえ、ついてくるな、と言ってもカシオたちはディノンの旅に付き合い続けるだろう。しかし、それではカシオたちの冒険の妨げになってしまう。だからディノンは自ら身を引いて、カシオたちを開放することに決めた。
ディノンの思いを察したから、カシオもこれ以上、説得の言葉を口にしなかった。代わりに強い眼差しをディノンにむける。
「なら、君の悲願は、代わりに僕が果たす」
ディノンは苦笑を浮かべた。
「あんま気張るな。だが、ありがとう」
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