老いた男は稚に還り、終生を繰り返す~老衰の呪い+若返りの薬~

ゆめしょうたろう

序章 老衰する身体

序章 老衰する身体

 暗い洞窟の闇から、鋭利な黒い風が迫った。


 ディノンは太刀でその風を受け、はじき返した。火花が散って闇が一瞬照らされ、大きな鎌状の腕と漆黒の甲殻を認めた。ディノンの足もとには、この鎌腕によって先端が切断された松明が転がっている。


 ディノンは再び迫る黒い風を躱し、相手から距離を取った。


 幼いころから暗がりの中で戦う方法を育ての親である祖父に叩き込まれてきたディノンは、暗闇の中でも目が効いた。しかし洞窟の中は闇が深く、視覚で相手をとらえにくい。


「こいつは、ちょいと厄介だな」


 苦く呟きながらも、無精ひげを生やしたしわの濃い顔に、余裕の笑みを浮かべる。ぼさぼさの白髪を後ろに撫で上げ、深く息を吐いた。六十過ぎの男は、しかし、目元だけは険しく、闇にむけられた視線は射るように鋭い。


 太刀を構え直したとき闇の中でうごめくものがあり、空を切る音が耳に届いた。考えるより先に身体が動き、脇腹に迫った鎌腕をはじき上げた。重い手ごたえがあって火花が散った刹那、さらに別のほうからも鋭い気配が迫った。


 普通の人なら身を引いてこれを躱すだろうが、ディノンは逆に前に踏み込んだ。敵の攻撃が届く前に太刀を突き込む。すると敵は攻撃の手を止め、突き込まれた太刀を防いだ。


 ふっ、と敵を嘲笑う。防がれた太刀を、勢いに逆らって力任せに横に払った。鎌腕が逆にはじかれ、空間が生まれた。その空間にむかって返す刃で太刀を薙いだ。鈍い斬撃の音とともに黒い液体が飛び散る。


 耳障りな悲鳴を上げ、敵は狂ったように鎌腕を振りまわした。無数に迫る黒い風を、ディノンはギリギリのところで受け止め、躱していく。


「ディノン!」


 背後から声が響き、左手に松明、右手に剣を持った若者が現れた。剣を振るって鎌腕をはじき、すかさず松明を叩きつける。火の粉が散って一瞬だけ、ぱっと明るくなった。そこに鎧の音を響かせながら、槍を持った若者が突進した。低い声を上げて槍をひと突きする。


 二人の新手に驚いた敵は、槍が突き込まれるやいなや大きく後ろに飛んで距離を取った。


 ディノンは二人の若者を見て薄く笑う。


「おせぇぞ、お前ら」

「君が先行しすぎなんだ」


 呆れたような口調で返したのは剣を持った若者カシオ。ディノンと肩を並べる使い手だが、金髪で線が細く、いかにも真面目そうな顔立ちをしている。


 その隣で苦笑を浮かべるのはダイン。カシオよりひとまわり大きい偉丈夫で、その身体を板金の鎧が包み、大きな槍を携えている。無口だが、存在感のある男だ。


「ルーシラとジュリは?」

「いま来たわよ」


 とげのある声が聞こえて、ディノンは苦笑して振り返った。神官服をまとった二十過ぎの女と、とんがり帽子にローブをまとった二十にも満たない娘が、息を切らせながらこちらに駆け寄ってくる。二人は松明の代わりに先端が明るくなった長い杖を持っていた。


 ルーシラはごつごつとした岩を忌々し気に睨んだ。


「まったく、こんなところを……」


 神経質な声で言って、鋭い視線をディノンたちに移した。


「先を急ぎすぎ。ちょっとは私たちのことも考えなさいよね」

「だとさ」


 カシオとダインにむかって言ったディノンをルーシラは睨んだ。


「あんたに言ってんのよ!」


 ルーシラが振るった長杖を避け、ディノンは軽く両手を上げた。


「おおっと、相手を間違えるなよ。いまは、あいつが俺たちの敵だ」


 嘲るように言ってディノンは闇を示した。松明と杖の明かりが届かない闇の中に、不気味な気配がうごめいていた。


「ジュリ、あいつを照らせるか?」

「はい」


 頷いたジュリは長杖を掲げ口の中で呪文を唱えた。すると先端の光が杖から離れ、頭上に舞い上がった。光はどんどん強くなって周囲を明るく照らし、敵の正体が露になった。


 闇の中から姿を現したのは、巨大な虫の怪物だった。漆黒の甲殻に覆われた身体は見上げるほど大きく、上半身は鎌腕を持つカマキリ、下半身は無数の細い肢をもつムカデ、長い尾の先はサソリのような鉤が生えていた。細い顔には目がなく、長い触角と鋭い牙が生えていた。


 触角をせわしなく動かしていた怪物が動いた。こちらを威嚇するように鎌腕で地面を強く打ち、這うように迫って来た。カシオとダインが駆け出し、これを迎え撃った。


 その戦いを眺めながらディノンはルーシラにたずねた。


「どう見る?」


 ルーシラは敵を観察して答えた。


「目は無く、触角がかなり発達している。接触、気流、音、熱、匂いなんかで周囲を知覚してるわね。あれはけっこう厄介よ。視覚の代わりに、ほかの感覚が鋭くなってるから。身体を覆っている甲殻は見た目ほど硬くはなさそうだけど、鎌腕と尾の先の鉤は脅威ね。鉤のほうは毒があるかもしれないわ。それと鋭い牙が生えた顎。細い顔に見合わず、かなりの力があるわよ、あれ」

「足のほうはどうだ? すばしっこいか?」

「あの足だと、そこまで速くは走れないと思うわ。だからといって、遅いとも言い切れない」

「背中に翅みたいなのもあるな」


 怪物の上半身の背に生えた、薄い膜上の翅を見る。


「あるだけね。体格のわりに小さいし飛行はできないと思うわ。できても短距離を一直線に飛ぶくらいよ」


 ルーシラの洞察力は鋭い。初見の相手でも的確にその性質を見抜き、弱点を見つけていく。彼女の言葉を聞きながら何事か考えていたディノンは、ふとルーシラとジュリにたずねた。


「お前ら、ここまで来る間に、ほかの動物を見かけたか?」


 二人は顔を見合わせ、首を振った。


「言われてみれば気配も感じませんでしたね」


 ジュリが言って、ディノンは、なるほど、と呟いて笑った。


「じゃあ、ビンゴだ。あいつを討てば襲撃騒動は鎮まる」


 ひと月ほど前、突如この洞窟から魔獣や魔物が現れ近隣の村の畑を荒らし、家畜を襲った。魔獣や魔物は小物ばかりだったが、その後も頻繁に現れ、しかも徐々に数を増やし、村人はもちろん村の衛兵ですら手を焼いているという。そこでディノンたちに、この洞窟の調査が依頼された。


「どういうこと?」

「単純なことだ。このあたり一帯は小物の魔獣や魔物の生息地だ。あんな大物、俺たちの情報網には存在しねぇ。たぶん、ほかから移って来たんだろう。あれにビビって小物どもが外に逃げ出した。獲物もなく、飢えたために村の作物や家畜を襲った」

「なるほどな」


 戦闘しながらディノンの話を聞いていたカシオが、怪物から距離を取った。


「それで、どうする?」

「もちろん倒す。カシオとダインはそのまま攻撃を続けろ」

「了解」


 頷いた二人は、再び怪物に突撃していった。


「ルーシラ」

「分かってるわ」


 ルーシラは長杖を身体の正面に立てて構えた。一つ静かに呼吸をする。


「――英知を司る女神よ。我が同胞に至高の加護を与えたまえ!」


 凛とした声が響き、カシオとダインの耳に届いた直後、二人の動きが機敏になった。怪物の攻撃を掻い潜り、刃がその身体を打った。カシオの斬撃とダインの刺突は怪物の甲殻を貫いたが、内部の筋肉が硬いのか、致命傷を与えるほど深くまで刃は通らなかった。


「やはり、甲殻の中は硬ぇか。だったらジュリ、炎で甲殻の中を蒸し焼きにしてやれ」

「了解です」


 快活に頷いてジュリは節くれだった長杖を正面に掲げた。魔力を杖の先端に込めると、周囲の大気がゆらめき彼女の髪と衣をなびかせた。まっすぐ怪物を見つめ口の中で呪文を唱えた。やがて杖の先端が真っ赤に光ると彼女の瞳も赤く光り、とたん、怪物が炎に包まれた。


 金属をこするような悲鳴を上げながら暴れる怪物から、カシオとダインは距離を取る。炎は徐々に勢いを増していき、やがて渦を巻いて炎の竜巻となって燃え上がった。怪物の悲鳴は断末魔に変わり、声が途絶えると崩れるようにその場に倒れた。


 炎がおさまり、黒い煙が怪物の口や関節部から上がった。甲殻は黒く焦げ、翅は完全に燃え尽き跡形もなくなっていた。


「終わったか……」


 油断なく怪物を睨むカシオが、そっと近づいて剣の切っ先で怪物をつついた。ジュリの魔法で甲殻内部が完全に焼失したのか、剣が当たったとたん首がもげ、そこから黒い炭がボロボロと出てきた。そこでカシオとダインは構えを解いて、ルーシラとジュリも息をついた。


 そんな中、ディノンだけは静かに周囲の気配を探っていた。ふと背後を振り返ると、なにも言わず駆け出した。カシオたちが驚いて振り返ったときには、ディノンは背後の岩に飛びかかっていた。


 その瞬間、なにもないところから黒いマントをまとった異形の者が現れた。灰色の肌に白い瞳、耳は尖っていてフードの隙間からは鋭利な角、口には牙が覗いていた。


 ディノンはその者を蹴り倒し、地面に押しつけるように胸もとを足で踏みつけ、太刀の切っ先を首筋に当てた。


「魔族か」


 驚愕したように魔族はディノンを見上げた。


「な、なぜ、分かった……」

「あんな大物が自然に移動してたまるか。何者かがあれを操っている、もしくはここに追いやったんだろう。当然、その者は近くで怪物の様子をうかがってんじゃねぇかと思ってな」


 ディノンは暗い目で魔族を見据えた。


「詰めが甘かったな。次は、もう少しうまくやれ。次があればの話だが……」


 魔族は怒りと恐怖が入り交じった目で、ディノンを睨み上げた。


 そのとき周囲から獣の声が響いた。怪物が倒されたことで逃げていた小物たちが戻ってきたのだ。


 その声に気を取られた一瞬、魔族はディノンの足を押しのけ、突きつけられた太刀を払いのけた。懐から短剣を取り出し、奇声を上げてディノンに斬りかかろうとした。


 ディノンは太刀を構え直し、袈裟懸けに斬った。魔族は黒い血を吐き出しながら倒れ、つぶれたような声で喘いだ。


「……いま、楽にしてやる」


 痙攣する魔族にむかって低く言い、ディノンは太刀の切っ先で魔族の首を貫いた。


「ディノン、大丈夫か?」


 太刀を振り、血のりを払ったディノンにカシオは近寄った。


 ああ、と答えたディノンの声は静かだった。


「魔族か。気づかなかった」

「なかなかうまく隠れてやがった。怪物が倒れたとたん動く気配があったから気づけたが、あのままじっとされてたら、いると分かっていても気づけなかった」


 それより、とディノンは周囲を見回した。先ほどから小さな殺気があちこちから向けられている。戻ってきた小物たちが、こちらに敵意を向けているのだ。その数は徐々に増えていき、次第にディノンたちを囲んでいった。


「逃げるぞ。この数を相手にするのは面倒だ」


 ディノンの指示に頷き、一行はいっせいに駆け出した。岩陰から兎に似た黒い影が飛び出してきて、ディノンは太刀を払って斬り伏せた。そのあとも襲ってくるものがあって、これを退けながら洞窟の外を目指した。


 しばらく走って正面に小さな白い光を認めた。それを塞ぐように左右から獣の群れが迫る。


「カシオ、前を走って退路を開け! ダイン、ルーシラを運べ!」


 指示を出しながらディノンもジュリを抱き上げ、肩に担いだ。背後を向いたジュリに言った。


「炎だ! 威嚇でいい!」

「は、はい!」


 ジュリは背後から迫る黒い群れにむかって杖を突きつけた。短く呪文を唱えて、杖の先端から放射状に炎を出した。一面に広がる炎の壁に獣の群れは足を止めた。


「行け、行け、行け!」


 叫びながら最後の距離を詰め、一気に洞窟の外に飛び出した。荒涼とした斜面をしばらく駆け下り、洞窟を振り返った。入り口のあたりで獣たちがこちらにむかって吠えている姿が見える。しかし追ってくる様子はなく、ディノンたちは深く息をついた。


 あの、と細い声で、ジュリが気まずそうに言った。


「そろそろ、下ろしてもらえますか?」


 ジュリは軽く頬を染め、ぶすっとした様子でディノンを見ていた。


「あ、ああ。悪ぃ」


 安堵したようにため息をついて、ジュリは乱れたローブを整えた。


「なんとか逃げきれましたね」

「ああ。みんな怪我はねぇか?」


 みなが頷く中、カシオは刃を拭った剣を鞘におさめ、怪訝そうにディノンを見返した。


「そういう君こそ大丈夫か? だいぶ息が上がっているようだが」

「ああ。意外にもジュリが、重――」

「――ディノンさん……」


 言いかけたディノンの言葉をジュリが遮った。見ると、笑みを浮かべつつも威圧的な視線を向けたジュリが、杖を突きつけていた。


「それ以上言ったら、燃やしますよ?」

「じょ、冗談っすよ……」


 ディノンは引きつった笑みを浮かべ、落ち着くよう手を上げた。そんなディノンをカシオは暗い表情で見つめた。


「なんだよ」

「怪我とかはないんだな?」

「大丈夫だって。本当に、ちょっと息が乱れただけだ」


 そうか、と頷いたカシオだったが、表情は暗いままだった。ディノンは話題を変えるように笑ってみせた。


「それより、さっさと帰ろうぜ。もすぐ陽が暮れるし腹も減った。調査の報告もして村人を安心させねぇと」


 そう言ってディノンは坂を下りはじめた。カシオたちに背を向けながら、ディノンは内心で落胆のため息をついた。カシオが指摘した息切れに対してではない。先ほど魔族を斬ったときの己の太刀筋に対してだ。


 襲ってきたから斬ったが、相手は戦いに慣れていないようだった。以前なら袈裟懸けに振るった一撃で討ちとれたはずが、仕損じた。太刀筋が鈍っているのだ。


 原因は老化による体力の衰えだろう。しかし、これは自然のことではなかった。


 ――ディノンは病、もしくは呪いによって老衰していた。見た目、六十過ぎの彼は、実はカシオと同じ二十五歳だった。


 異変に気づいたのは年が明けてひと月が過ぎようとしていたころ。久しぶりに会った知り合いから「見ないうちに老けたね」と言われて意識するようになった。当初は、仕事で疲れているせいだ、と思っていたが、さらに半月が過ぎると、もともと黒かった髪は真っ白になり、誰が見ても異常だと分かるくらい老化していた。体力は落ち、鋭利で鮮やかだった太刀筋も少しずつ衰えてきていた。


(……そろそろ限界だな)


 ディノンは緩やかに下る坂を見据えながら、静かに決心した。

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