第6話 メンバー集結


 まもなく定時を迎える頃だが、県警本部庁舎内には日勤制の見知った顔が多くあった。中には就学前の子どもを持つ母親や、妊娠中の妻を家で待たせる夫の姿もある。ライフワークの多様化に伴って警察官の働き方も昔と比べると柔軟になりつつあるものの、仕事柄まだまだ残業文化は根強い。K県警察本部も例外ではなく、暗黙の了解として残業が浸透している部署もあると聞く。

 十四階フロアに到着したところで、東海林警部からのメールを読み返す。「第一小会議室で待つ」の極めてシンプルなメッセージだ。スマートフォンを胸ポケットに仕舞い、歩調を早める。目的の部屋はすぐ先だ。

 第一小会議室の前で立ち止まった瞬間、俄かに全身を緊張が走る。ドアを軽く三回ノックすると「どうぞ」と低い声がした。ドアノブに手をかけ、前にグッと押し込む。視界が開けた瞬間、時也の目に入ったのはだった。

「メンバー全員招集、か」

 テーブルに浅く腰掛けていた落合巡査部長が「よお」と軽快な声を上げた。「脚が長いから椅子に坐ると勝手が悪い」という理由で、彼はしばしばテーブルに寄りかかる。

「待ちくたびれて危うく寝るところだったぜ」

 大きな欠伸を漏らすパーマ頭の隣で、銀縁眼鏡の警部補が「落合さんは単純に寝不足でしょう。一週間以上、家の布団で寝ていないってぼやいていたじゃないですか」と呆れた声を出す。ミネラルウォーターのペットボトルを手にした内海巡査部長が小さく笑った。業務用タブレットを手にしたチームリーダーが「仕事終わりに悪いな」と片手を挙げる。

「皆さんがお揃いということは、大きなヤマが動くのですね」

「大魚が釣れるか小魚が釣れるか、まだわからねえけどな……それにしても、この面子で動くのもゾディアック団の件以来じゃねえか」

「まさか、また複数部署が絡む大事案になったりして」

「そうならないよう、事前に食い止めるのが我々の仕事でしょう」

 落合、内海、田端がテンポよく会話を続ける。時也はある種の懐かしさを感じながら、東海林警部からタブレットを受け取った。画面を起動させるとすぐに〈立浜市議会議員失踪事件捜査資料〉と題したページが表示される。

「四人を呼び出したのはほかでもない。それぞれの任務があるヤマに繋がりそうだと判断したため、情報共有したほうが良いと思ってな」

 公安組織の捜査情報は縦型の一元管理が基本だ。捜査員一人ひとりに充てがわれた任務もその進捗も、直属の上司がすべて把握して上に報告する。例え同じ作業チームであったとしても、チームメンバー同士での情報共有はほとんど行われない。それが公安独自のスタイルである。

 だが、結局のところすべては上司次第だ。公安の伝統手法を忠実に守るボスもいれば、古きを捨て新しきを得るタイプのリーダーもいる。東海林警部は後者に属し、「仕事のクオリティを上げるためにはチームの協力が欠かせない。チームで協力するには情報共有が不可欠」が彼のモットーだ。もちろん、すべての情報を闇雲に開示するわけではなく、どの情報を誰にどこまで提供するのか吟味を重ねた上で的確な判断を下す。頭の固い上層部が彼のやり方に目を瞑っているのは、それで一定の成果を上げてきたからに他ならない。

「さて、事案の端緒は資料を読めば判るだろうからざっくりとした経緯のみ説明する。先月の二十六日から今月の八日にかけて、三人の立浜市議会議員が立て続けに謎の失踪を遂げた。公安一課の捜索班が行方を追っているが、未だに三人の居場所も生死も不明だ。本件を受けて、複数名の市議会議員から県警本部に相談が寄せられた。自分の身の安全を何としてでも守ってほしいと」

「それで白羽の矢が立ったのが、俺たちってわけだ」

 パーマ男の言葉に「もしかして落合部長も?」と時也が訊き返す。

「何だよ、お前も議員様のお守りか」

「ええ、まあ……落合部長、非常に不服そうですね」

「不服も不服だよ。ヒステリックなおばさん議員の面倒を見なきゃならんのだからな」

「おばさんと言っても、落合さんとほぼ同年代じゃないですか」

 田端警部補の言葉に、落合は唇を大きく曲げる。東海林警部は苦笑を浮かべて、

「議員の中には一連の失踪騒ぎを誘拐事件と決めつけ、次は自分が標的になるのではとナーヴァスになっている者もいる。落合の気持ちも解らないではないが、くれぐれも対応には注意してくれ。県警の信用問題に発展しかねないからな」

 どうやら彼は、厄介な議員の警護を任されているらしい。金澤氏の担当で良かった、とつい胸の裡で安堵する。

「三人の失踪事件には、ある共通点がある。彼らはSNSで宣伝活動を行っており、その中で特定のアカウントから執拗に誹謗中傷を受けていた。そのアカウントについては——内海、概要を説明してくれないか」

 不意に指名されて一瞬驚いた表情を見せた内海だが、すぐに「はい」と返答してタブレットに目を落とす。

「失踪した三名の議員は、広報活動のためにSharingというSNSを利用しています。その中で、ゴブリンお掃除隊と名乗るアカウントから度々誹謗中傷されていました。そこでサイバーセキュリティ対策本部と生安部がアカウントの所有者を調べた結果、ある人物が特定されました。佐野渉、二十九歳。四年前に解散届が出された、葵組の元構成員です」

「なるほど。だから葵組の情報を知りたがっていたのか」

 腑に落ちた顔で頷く落合の隣で、田端警部補が腕組みをする。

「それにしても、よくSharingの運営会社が情報開示に協力してくれましたね。あそこは個人情報の取り扱いにはかなり厳しいと聞き及んでいますが」

「蛇の道は蛇ってことだろ」

 落合の言葉に、内海は曖昧な笑顔を返すだけだ。周りもそれ以上追求しようとはせず、話の続きを待つ。

「現在、佐野の身柄は拘束せずに泳がせて様子を見ています。青木氏らの失踪に直接関与している証拠はまだ掴めていません」

「つまり、俺と新宮が失踪事件に巻き込まれそうな市議会議員のボディガードをしていて、事件に関わっているかもしれない人物を内海が調べているってわけか。それで、田端が追っている事案はどう絡むんだ?」

 パーマ頭の発言を受けて、眼鏡の警部補は手元のタブレットから顔を上げた。

「内海さんが追っている佐野渉ですが、彼は〈APAR〉のメンバーである可能性が高いです」



「APARって、アメリカに本部がある動物愛護団体か」

 両目を丸くする落合に、田端警部補は頷き返す。

「正式名称は〈Association for the Protection of Animal's Rights〉。フロリダ州に本部がある、世界最大規模の動物愛護団体です。日本国内にもいくつか支部を設けていて、そのうちの一つが県内にも存在します」

「県内に支部が? 初耳だぞ」

「APARの日本支部の存在は、少し前までは噂レベルでした。県警が把握しているメンバーは十名にも満たず、しかもそれぞれが完全に個人で活動していましたからね。ところが、視察を続けるうちに彼らが体系だって動いていることが判明したんです。しかも、組織的な活動の多くが県内で行われていてどうやら支部が存在するらしいところまでは掴めているのですが、全容はまだ分厚いベールに覆われています」

「それで、どうして佐野がAPARの一員かもしれないと気付いたんだ」

「つい一週間前、戸羽署の前で日本支部メンバーが無許可で抗議活動をして、職員に取り押さえられた事件があったのですが」

「もしかして、そのメンバーの中に佐野が?」

 食い気味に訊ねる内海に、「ええ」と短い返事。

「APARが公の場で活動することは殆どなかったので、彼らを捕らえた戸羽署の職員もはじめは判らなかったようです」

「佐野たちが自らAPARの一員だと証言したのですか」

「そうですね。ただ、APARについてはハムでさえ朧げにしか情報を把握できていないため、彼らの話をどこまで信じるべきか慎重な判断が求められます。とりあえず抗議活動の件は厳重注意に留めてその日のうちに釈放したのですが、同時に本部のハムがメンバーに張り付いています」

「田端係長も行確を?」

 流暢に言葉を紡いでいた警部補が、初めて躊躇うような表情をのぞかせた。パーマ頭の視線がちらと泳ぐ。

「いえ……私は、戸羽署と連携して捜査員たちが集めた情報を取りまとめています。まさか市議会議員失踪と佐野が繋がるとは思いもしませんでしたが」

 無言で考え込む四人を見渡し、東海林警部が静かに口を開いた。

「田端と内海から佐野の話が出てきた以上、落合と新宮の任務にも関わりが生まれる。それならいっそ、四人で捜査を進めたほうが早いと思ってな。どんなに有益な情報を集めたとしても、ピースがバラバラのままではパズルも完成しない。真相解明へ近づくには、誰がどのピースを所持しているか正確に把握し、協力して空白を埋めていく必要がある」

「議員失踪と立浜ネクストワールドの建設計画は関わっているのでしょうか」

 時也の疑問に応じたのは眼鏡の警部補だ。

「APARは自然破壊や動物愛護に関して、かなり過激な抗議活動を展開しています。内海さんの話によれば、佐野はゴブリンお掃除隊のアカウントを使って建設計画を痛烈に批判していたそうですし、可能性として考慮すべきでしょう」

「立浜ネクストワールドの建設計画に反対しているAPARが、計画に関わっている議員を攫った。その実行犯の一人が佐野渉……筋書きとしてはそんなところですか」

 ボスは落合の言葉を肯定も否定もしないが、時也も同じ仮説を組み立てていた。

「けど、ヤメ暴が環境保護団体に入って熱心に活動しているってのも腑に落ちないんだよなあ……佐野が本当にAPARの一員だとしたら、加入までの経緯が気になるな」

 落合の疑問にひとつの回答を出したのは、東海林班の紅一点だ。

「でも、可能性としてはあり得るかもしれませんよ。佐野は暴力団から足を洗い、一度は改心して真っ当な人生を歩もうとした。APARに加わったのも、人生をリセットする意味合いがあったのかもしれません。ですが、暴力団気質が残っているために環境保護の理念に反する議員を立て続けに誘拐監禁する荒々しい手段に出た」

「たしかに、海外ではAPARのメンバーが研究所に手榴弾を投げ入れたり、加工肉工場に車を突っ込ませたりといった過激なケースも報告されています。アメリカ政府は彼らをエコテロリストとして認定し、度々ニュースで批判しているようです」

 内海の推論を眼鏡の警部補が補強する。時也は小さく右手を挙げると、

「田端係長。国内でAPARの活動が認められたのは具体的にいつ頃からですか」

「正確な日付までは把握していませんが、約二年前からですね。APAR自体が比較的近年発足した組織で、アメリカ本部の活動が本格化したのもここ五年の話です」

「だとすれば、内海の話には疑問の余地があるな」

「と、いいますと」

 内海と田端が異口同音に訊き返す。

「日本でAPARの活動が報告され始めたのが、約二年前。しかし係長の口ぶりから察するに、彼らが公の場に姿を見せたのは戸羽署前での一件が初めてのようだ。これまでの二年間、APARは身を潜めるようにして国内で動き回っていた。にも関わらず、なぜこのタイミングで、しかもよりにもよって警察署という目立つ場所を選んで抗議活動を決行したのか」

「それは……立浜ネクストワールド建設の断行が、よほど許せなかったのではないですか。建設計画によれば、かなりの面積の森林を伐採したり地面を掘り起こしたりするようですし、環境保護を訴える側としては我慢ならなかったのでは」

「立浜ネクストワールド以前にも、県内ではマンション建設や様々な土地開発が行われてきた。それらに一切反応しなかったのに、立浜ネクストワールドに関して過剰な動きを見せた理由は何だろうな」

 内海も田端も、三人の会話を黙って聞いていた落合も、時也の疑問を払拭する名答は持ち合わせていなかった。膠着しかけた空気を変えるように、チームリーダーが両手をパンと鳴らす。

「内海が提示した仮説は、これから解明すべき重要なポイントを押さえていたと個人的には思う。佐野がAPARの一員なのか、そうであれば加入した経緯、失踪事件との関連性。この辺りを田端と内海で探ってほしい。落合と新宮は、それぞれ担当している警護を継続だ。可能であれば、立浜ネクストワールドの件も突いてみてくれ。ただし、今回の事案は厄介な連中ばかりが関わっているから、くれぐれも慎重な作業を頼む」

 この言葉を合図に、東海林班チームの精鋭が動き出した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヨハネの傲慢 真波馨 @camel-7

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画