七瀬作の日記ブログのような何か

七瀬作

第1話 webで日記を書く理由

 ドライカレーを食べたあとの杏仁豆腐は美味しい。つるんとしていて、甘くて、口の中の刺激をすべて取り払ってくれる。


 ドライカレーだけではなくて、杏仁豆腐は食後のデザートとして和洋中問わず万能な気がしてきた(気のせいかもしれない)。



 という訳で(?)日記をwebでつけることにした。理由はとある有名小説家の方が「書くことと読むこと以外に作家になる方法はない。魔法はない」と彼の自伝のなかで仰っていたからだ。


 その人物こそ、かのアメリカの有名な小説家であるスティーヴン・キング氏である。「書くことについて」は彼の自伝であるだけではなくて非常にためになる小説執筆指南書だ。


 たくさん書いて読めというのがアドバイスなのだが、小説をたくさん書くのはPCのブラインドタッチを習得したばかりの初心者には厳しそうだ。ストーリー作りがむずかしいし、インスピレーションは今まで読書をサボってきた人間にはそうそう泉のようにはわいて出てこない。枯れ井戸である。


 しかし、そんな私にも出来そうなことがあった。小説執筆をたくさんこなして毎週ショートショートをネットの海に投げ込むのは難しそうだが、日記ブログならたくさん書けるのではと思ったのだ。



 なにしろ日記だ。多くの人間は言わないだけで自分のことが好きだし、自分というのは一番その人にとって身近な人だ。書くことの話の種はつきないだろうと思った。だからこそ私でも書けるような気がする。


 日記は小説のようにメリハリをつけて面白く楽しく読んでもらうための工夫とかはあんまり必要ない気がするし、いろいろな話題について書く事ができる。


 それになにより、量をこなすことができる。


 量をこなすことができれば、きっと文章は上達するはずだ。

 その根拠のひとつに、長期的に何事かに取り組み続けてうまくなった人々のケースをいくつか知っていることと、実際に今日カクヨムで見かけた人が更新している小説を読んだら第1話と最新部分で文章が別人のように上達していたからだ。最初は正直言って不慣れな感じがしたが、最新話ではひじょうに文章が読みやすくなっていた。



 また、失敗の科学というノンフィクション本では大学生を「量をこなす」Aグループと「質を高める」Bグループに分けて陶芸をさせたとき、量をこなしたグループのほうが粘土の扱いがうまくなったという話があったような記憶がある。



 というわけで、たくさん書けば上手になる気がしたのだ。



 でも、なにもネットの海に投げ込まなくても、そもそもノートの端っこや要らなくなったコピー用紙の裏にでも書く日記で良かったのではないかなという疑問も私の中になかった訳ではない。


 けれども、それでは緊張感にかけてしまう気がした。見られる前提で文章を書くことでこそ、よい適度なプレッシャーが生まれて、真面目に自身に与えた課題をこなすのではないかなと思った。


 という以上の経緯ゆえにwebで日記を投稿することにした。



 そろそろきつくなってきたので普段使い慣れている敬語に戻ろうと思います。


 なぜ「だ・である」体で書いていたかというと、敬語のキャラ以外も小説内に居るなぁと思ったからです。心の中のセリフを書く時とかに役立つかなぁと思い、「だ・である」体で書いてみましたが随分印象が変わるものだなぁと感じました。


 たくさん日記を書くことで、いずれ小説のほうで要所要所でクスッと笑えたり喜怒哀楽の感情を呼び起こす地の文やセリフが書けるようになりたいです!

 がんばるぞー!

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