木一堂とあたしの或る日⑭
「あれ、本当に良かったんですか?」
すっかり見えなくなってしまった彼の背中を思い出しながら、ふと気になったことを尋ねた。
「良い訳ないですよ。あれは貴方の時代ではかなり価値のある物です。昭和二十二年新潮社から発行された、紛れも無い初版ですよ」
阿佐見さんの苦笑まじりの言葉に、申し訳なさがふつふつと浮かんでくる。
「ごめんなさい……」
「ま、まあ、気にしないでください。やはり、本が幸せなのが一番ですから」
店主はあたしの様子に驚いたのか、少しあたふたとして言った。彼の様子が可笑しくて、あたしは小さく吹き出してしまう。すると、阿佐見さんも、あははと楽しげな笑みを零した。
「そう言えば、本当に違う時代の人が本を売りに来るんですね」
あたしはひとしきり笑った後、思い出したかのように店主に言った。
「信じてなかったんですか?」
阿佐見さんは少々不満げな表情であたしを見上げる。その様子が面白くて、あたしはまた吹き出してしまった。
「突拍子もなさ過ぎて、信じる方が難しいです」
あたしの言葉に、彼は「確かにそうですね」と笑いながら述べた。
そこで、あることに気が付いた。
「確認なんですけど、様々な時代の人が本を売りに来るんですよね?」
「えぇ、そうですよ?」
店主は楽しそうに目を細めてあたしを見る。それが少し意地の悪い笑みに見え、あたしは頬を引き攣らせた。
「じゃあ、店先のあれはどうなるんですか?」
「あー、アイスキャンディーのことですか? あれは時代ごとに変わっていますよ。ある時代では冷やした野菜や、イナゴなどを売っていたりしています」
「じゃあ、店内だけが一緒で、外見は違うんですね……」
そのことに妙に納得してしまい、大きな空気の塊を吐き出した。確かに、アイスキャンディーが存在しない時代に売られていれば、怪しくて近づくことは出来ないだろう。いや、それ以前に歴史が変わってしまう。
「案外マメなんですね」
あたしの言葉に、店主は満足げに頷いただけだった。
本当に不思議な本屋だと思う。どこにでもありそうで、どこにもない。そんなあやふやな存在だからこそ、余計に。
「また……来られるかな……」
ふと、頭に浮かんだことを口にしていた。どうしてそんなことを思ったのかは、分からないけれども。
「もちろんです。一度この店に呼ばれた人は何度でも来ることが出来ますよ」
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