愛されない皇妃~最強の母になります!~

椿蛍

第1話 愛されない皇妃

 ――私は愛されない妻でした。


 悲しみと切なさが伝わってくる。

 私は彼女を知っている。

 愛されない皇妃『ユリアナ』。

 ルスキニア帝国皇帝の妻でありながら、人々からそう呼ばれていた。

 なぜなら、皇帝に愛された寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われ、彼女は死んだからである。

 ユリアナは嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとするが、失敗し、夫である皇帝に処刑されてしまう。

 エメラルドの瞳から涙がこぼれ、金色の長い髪が、彼女の細い肩を覆っている。


 ――でも、安心して。あなたを苦しめた皇帝は、私が倒したから。


 ユリアナが死んで、クリスティナを皇妃に迎えた皇帝一家。

 その後の彼らは人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになった。

 そして、偉大なる大魔女(私)によって悪逆皇帝一家は討伐され、ハッピーエンドで終わった――終わったはずだった。


 ――どうして、私がユリアナの姿をしているの!?

 

 目覚めた私はベッドの上ではなく、土の上に転がっていた。

 寝相が悪いにもほどがある。


 ――いやいや、違うでしょ。寝相レベルの話じゃないわよ!?


 温室のガラスが、倒れた私の姿をしっかり映し出していた。

 さっき夢で見たユリアナそのものである。

 でも、私はユリアナじゃない!

 私は悪逆皇帝一家を倒した大魔女ヘルトルーデ。

 銀髪にアメジストの瞳、妖艶な美女でスタイル抜群(自分で言うのもあれだけど)、髪一本まで宝石の如しと言われていた。

 それが、金髪にエメラルドの瞳、そこそこのお胸――ここまではギリギリ我慢するとして、問題は『愛されない皇妃ユリアナ』の姿をしているということ!

 しかも、ユリアナは毒を飲んだらしく、体が痺れ、死にそうなくらい苦しい。


 ――体が動かないし、声も出ない!


 これでは魔法が使えず、死を待つばかり。

 美しい薔薇園の中で死のうと思ったのだろうか。


 ――ああ、空が青くて花がキレイ……って、このまま天に召されたくない! 誰か助けて!


 大魔女ヘルトルーデが誰かに助けを求めるなんて最悪だ。


 ――この屈辱は一生忘れないんだから!


 そう思っていると、誰かがやってきた。

 助かったと思いながら、目だけを動かし、足音の主を見上げる。

 足音の主を目にした瞬間、自分の体温が一気に下がった気がした。


 ――皇帝レクス!


 よりにもよって、第一発見者はユリアナを苦しめた最低な男。

 ユリアナの夫のレクス。

 自分の妻を見ているはずなのに、彼の目からは、ぬくもりをいっさい感じない。


 ――って、待ってよ。なぜ、レクスが生きてるの? ほとんど相討ち状態だったけど、倒したはず。


 レクスはサラサラの金髪にサファイアの瞳を持ち、皇家の宝に数えられるくらい整った顔をした美形イケメンだ。

 気のせいじゃなかったら、私が知っているレクスより、ずっと若く見える。

 そのレクスの近くで、可愛い双子の幼児が目に涙を浮かべていた。


「お、おかーしゃま……」

「うわあああん」


 乳母に抱き抱えられ、泣き出す双子の赤ん坊。

 金髪にサファイアの瞳をしており、レクスの容姿とそっくりである。


 ――もしかしなくても、この双子は冷酷で残虐だと言われていた皇子、アーレントとフィンセント?


 戦った時、彼らは十八歳くらいだったはず。

 乳母に抱かれて、泣きわめく無害な子供ではなかった。

 それで、ようやくわかってきた。


 ――どうやら、ユリアナの姿になっただけじゃなく、私が皇帝一家と戦った時間軸より過去の世界にきているようね。


「お前は死にたくなるほど、俺を嫌っているのか」


 サファイアの瞳は氷のように冷たく、死を選んだ妻を軽蔑しているように見えた。

 そして、私から目をそむけ、去っていこうとする。


 ――え? 無視された? 毒で倒れている妻をまさかの放置?


 死ぬかもしれない妻を放置して、どこへ行くつもり? 

 レクスの態度に乳母はうろたえ、一緒にいた女性の顔を見る。

 その女性は――


「皇帝陛下、お待ちください! 皇妃様がお可哀想です! どうか医術師を呼んでくださいませ!」


 私を助けるよう必死に訴え、レクスの前に飛び出したのは茶色の髪にスフェーンの瞳を持つ女性だった。

 

 ――クリスティナ!?


 私を助けるように懇願したのは、ユリアナからすべてを奪う伯爵令嬢クリスティナだった。

 彼女の容姿は普通でなんの特徴もないけれど、クリスティナには周囲から愛される絶対的な力があった。

 レクスが私に倒された後、皇帝一家の暴走を止められなかったとして、人々に謝罪し、命だけは救われたクリスティナ。

 裁くのは大魔女の仕事ではないから、倒した後は干渉しなかった。

 クリスティナと私に会話はなく、遠くから容姿だけを確認しただけだったから、しっかり見たのはこれが初めてだ。


「皇帝の前に飛び出すとは、いい度胸だな」

「申し訳ありません」


 凄むレクスにクリスティナはおびえながら、両手を胸の前に組み、祈る仕草をした。

 たったそれだけなのに、彼女の周りにはキラキラした光のようなものが見えた。


「ユリアナが自分で毒を飲み、死を望んだのだ」

「皇帝陛下。どうかお願いします。皇妃様をお救いくださいませ」


 クリスティナはためらわずに、土の上に跪き、頭を垂れた。

 ドレスが土で汚れても、クリスティナは気にせず、微動だにしなかった。


「やめろ。土で汚れる」

「まだ幼い皇子様方には母親が必要です!」


 アーレントとフィンセントは泣き続け、それを見たレクスがため息をついた。


「皇宮にいる医術師を呼べ。ユリアナを治療しろ」


 皇帝の命令だけあって、すぐに人が駆けつけた。


「皇帝陛下、ありがとうございます!」

 

 クリスティナはホッとしたように、両手を胸の前で握りしめて微笑んだ。

 周囲は可憐なクリスティナに癒やされて、自然と明るくなる。

 それに比べ、ユリアナの周囲は暗く、侍女たちも陰気だ。

 医術師たちが駆けつけ、毒の症状を和らげる薬を飲ませた。


 ――にっ、苦い!


 薬はなるべく甘くしてから飲むのが、大魔女ヘルトルーデ流だ。

 医術師たちがさらに、苦くてまずそうな薬を取り出してきたのを見て、慌てて魔法を構築する。

 重なる私の魔力によって作られた魔法は、積み木のように重なっていく。

 【鑑定】、【浄化】、【作用】――複数の力が積み重なって、ひとつの魔法が完成する。

 

「【解毒】」


 ユリアナは魔法を使えないため、魔法を使ったことがバレないように、小声で唱えた。

 体から毒が消え、医術師が追加で、私に飲ませようとした薬をお断りした。


「ユリアナ様?」


 しばらく自力で動けないはずだった皇妃が立ち上がり、土を手ではらい、優雅に微笑む。

 全員が驚いた顔をしていた。


「体を支えてくれてありがとう。もう平気よ」


 体を支えていた侍女が離れ、レクスが私を見る。

 私を見つめる冷たいサファイアの瞳は、未来でも変わっていない。


 ――いいえ。もっと酷薄としていて冷たかったわ。


「おかーしゃま、げんき?」

「いたいの、なおった?」

「すごく元気になったわ」


 レクスはともかく、アーレントとフィンセントの双子皇子は無邪気だ。

 けれど、この愛らしい顔に騙されてはいけない。

 ルスキニア帝国の皇帝一家は人々を虐げ、暴虐の限りを尽くした悪党どもだ。


「おかーしゃまぁ!」

「だっこ、して!」


 ――悪党なのよ! 悪党……くっ、可愛い!


 人々が苦しむ姿を楽しみ、退屈しのぎの余興として処刑する恐ろしい皇帝一家のはずが、今は可愛い幼児である。

 つい、可愛さに負けて抱っこしてしまう私。


「ユリアナ様。どうかなさったのかしら……?」

「乳母に任せきりだったのに、アーレント様とフィンセント様に触れられるなんて」


 レクスとクリスティナも驚いた顔で私を見る。


「レクス様。騒がせてしまってごめんなさい。栄養剤と毒薬を間違えて飲んでしまっただけですの」


 侍女たちがざわめき、医術師は戸惑う。

 私は気づいていた。

 侍女たちはユリアナを『皇妃』と呼ばず、侮っていること。

 医術師たちは解毒薬ではなく、毒の症状を緩和するだけの薬を飲ませたこと。


 ――この皇宮にユリアナを皇妃として、敬う者はほとんどいない。


 皇子二人が大切で、ユリアナは用済みとばかりに扱われている。

 その理由は――


「皇妃様。お部屋まで付き添わせていただいてもよろしいでしょうか?」


 クリスティナの親切な申し出に、周囲は笑顔になった。

 こちらは毒を飲み、夫の気を引こうとした憐れな皇妃。

 その一方で、優しく誰からも愛されるクリスティナ。

 騒ぎを起こした後だから、なおさら両者の差は際立った。


「クリスティナ様はなんてお優しいの」

「陰気なユリアナ様に……ねぇ?」


 皇宮の侍女たちはクリスティナを褒め称える。

 伯爵令嬢でしかない彼女が、自由に皇宮を出入りできる理由はただひとつ。

 いずれ、レクスの妻として、妃になることを望まれているからだ――

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