閑話
空白
木村の追憶体験の様子を映し出していたモニターの画面が真っ白になったまま動かなくなり、もう数分が経った。
異常が起きたんだろうか。
いや、そもそも異常事態の中にいるんだけど。
もうこの空間にもだいぶ慣れてきてしまったみたいだ。
何か起きたのであれば、罪記が説明してくれるだろう。
隣に座っているエレイナさんも同じ考えなのか、おれと同じように座ったままで、部屋に入って来た時に持ち込んできていたのか、グラスに入っていたオレンジジュースに口をつけていた。
そんな時、奥側の席に拘束されていた高山がもぞもぞと動き始めた。
見れば、彼女を拘束していた罪記の青白い手が次第に透けていき、そして消えた。
「……やった」
最初はきょとんとしていた高山だったが、身体が自由になったことに気がつくと、すぐさま席から立ち上がって、部屋から出ようとドアの方に向かって駆け出した。
硬いガラスのテーブルに足をぶつけ、鈍い音がその細い脚から響いても気にしていない。
「なんで……なんでよ!!どうして!?開いて!!開いてよ!!!!」
半ばヒステリックになりながら、高山がドアノブを乱暴に回し続け、ガチャガチャと激しい音が部屋に響いた。
引いたり押したり、前後へ体重をかけながら、高山は何度も何度もドアノブを回し続けた。
「無駄ですよ」
「…………あぁ?」
そんな高山に対して、エレイナさんが彼女の方を見向きもせずに、冷たく言い放った。
高山はドアノブから手を離すと、ゆっくりとこちらを振り返り、血走った目でこちらを見下ろした。そのこめかみには青筋が浮立っている。
「あら、聞こえませんでしたか?そんなことをしても無駄だと言ったんです」
「……なんでそう言い切れるんだよ」
「罪記がそう簡単に私たちを逃がすはずありませんから」
高山の圧にも臆すことなく、平然と言い退けるエレイナさん。
その態度が余計に気に障ったのか、高山はエレイナさんの胸ぐらを掴んで無理やり立ち上がらせると、彼女の目を物凄い剣幕で睨みつけた。
「ふふっ」
突然つかみ掛かられたことで、オレンジジュースを真っ白なニットに零してしまったエレイナさんだったが、全く怒ることもなく、まるで子どもの相手をするかのように、彼女は涼し気な笑みを浮かべながら、高山の目を見つめ返した。
「っ!なんなんだよお前!気色悪いんだよ!!」
「おい高山!それは―――」
「うっせぇよ!蘇我、お前もだよ。なんでこんな状況なのにそんな落ち着いて……あぁ、そっか。そうだよね……」
状況が状況とはいえ、今日出会ったばかりのエレイナさんに暴言を吐いてしまった高山をたしなめようと立ち上がるも、歯を剥き出しにしながら怒鳴りだした高山の声に、口を止めてしまった。
けれど、高山は急に勢いを失って、虚ろな目をしながら俯き、笑いだした。
「はは、そりゃあんたたちは平気よね。だってあの訳分からない奴のお気に入りなんだから」
「何言って……」
「だってそうでしょ!!あんたたちは見てるだけでいいんだよ!?安全な場所からそうやって!!」
罪記とグルのように扱われることを否定したかったけど、確かに高山が言うことも事実だと納得してしまった。
おれは皆が必死に心の中に閉じ込めていた辛い過去が暴かれていくのを、ただ見ているだけだ。
「ほら、何も言えない……」
「……うふふふ」
そんなおれと高山のやり取りを黙って見ていたエレイナさんが、また口元に手を当てて笑い始めた。
「何がおかしいんだよ!!」
「あはは、ごめんなさい。だって、自分だって同じことをしていたのに、自分がされたらこんなにも怒鳴り散らして、子どもみたいに癇癪を起こすなんて……うふふ」
「同じこと……?なにあんた知ったような口聞いてんの?あたしらまだ会って少ししか経ってないよね」
「そうでしたっけ?」
高山を煽るように、エレイナさんは笑みを浮かべたまま見つめ返し、それからしばらく二人は黙ったまま睨み合いを続けていた。
「二人とも、そろそろ落ち着けって。エレイナさんがさっき言ってた通り、罪記って奴に閉じ込められている以上、あいつがどうにかしてくれないとここから出られない。おれだってここから出たい気持ちは同じだ」
そう言って同じようにドアノブを回して見せて、グルでは無いことを示してみせると、高山は舌打ちをしてエレイナさんの胸元から手を離し、奥の席へ戻っていくと、何やらブツブツ呟きながら親指の爪をかじりだした。
「ありがとうございます」
「あぁ、いえ―――」
さっき高山に掴み掛かられたことで乱れてしまった前髪と衣服を直しながら、エレイナさんは静かに腰を下ろした。
その時に初めて気がついた。
少しだけ髪が揺れたことで、彼女の左目の目尻のところに、三つ並んだ泣きぼくろがあることに。
特徴的なそのほくろを、おれはどこかで見たことがあるような……。
「あの。何か?」
「あっ、なんでもないです……」
まだどこか整っていないところがあっただろうかと、身なりを確認しだすエレイナさんを見て、まじまじと顔を見てしまったことの恥ずかしさを覚えた。
それを誤魔化すために、おれも慌てて席へ腰を降ろし、近くに畳んで置いていたジャンパーを手渡した。
「あら……」
「ほら、いつまでここにいるか分からないじゃないですか。さっきジュースこぼしたところから冷えると良くないし……」
目も合わせられず、早口になってしまう。
「ありがとうございます、優しいんですね」
「いえ、そんな……」
こういう自然な気遣いでいうのであれば、おれよりも光弥の方が……あいつはこういうのを当たり前のことのように、自然な笑顔でやってのけるような奴だった。
そういえば、これまでにモニターに映し出された皆の過去の出来事は、共通して光弥とのやり取りに重きが置かれているようだった。
どれも光弥との関係性に影響のあった場面ばかりだった。
高山はおれかエレイナさんが罪記とグルであると考えているみたいだけど……もしかして……。
「彼の他にも居たんですね……」
おれの意識をまた現実に引き戻したのは、エレイナさんの言葉だった。
「彼って……?」
「いいえ、こちらの話です。あっ、画面が」
エレイナさんが指さす先を目で追いかけると、先程まで白一色だった画面に、ノイズが走り出していた。
一定の間隔で何度かノイズが走り、そして一際大きなノイズが起きると、その直後に画面が切り替わり、机の上に広げられている巻物に何かを書き込んでいる罪記の姿が映し出された。
『全く君たちは。目を離すと直ぐに騒ぎ出すね……少しは静かに座って居られないのかい?』
燃えるような紅の瞳をこちらに向け、巻物をくるくると巻きながら彼は呼びかけてきた。
ただ、おれは再び彼が姿を現したことよりも、彼が手にしていた巻物の外題に目がいった。
画面越しな上に達筆な字で書かれているようだったから、正確に読み取れたかは分からないけど、おれの目が間違っていなければ、そこには大きな文字で「木村 美々花」と書かれていた。
ということは、木村の追憶体験はあれで終わり……もしくは中断されたか……?
木村はおれが欲しい情報が手に入ると言っていたけど、得られた情報と言えば、木村が光弥を裏切っていたこと。そしてその要因として、高山によるイジメがあったこと。
その結果、光弥がイジメられることになったこと。
でもおかしい……おれの記憶の中では光弥はイジメられたりなんかしていないはずだ。
だって、光弥と一緒に楽しく話していた記憶は確かにある。
あいつがイジメられていたら、すぐに気づくことが出来るはずだ……。
なんだ、何かがおかしい。
それも、皆がおかしいんじゃない……おれの記憶がおかしくなってる。
だってそうだ。
おれの記憶が正しければ、三人分の記憶と多少なりとも合致する部分があるはずなんだ。
いや。ここで立ち止まると泥沼にハマってしまいそうだ。
まずは、次で最後となる高山の過去を確認しないと。
「な、何見てんのよ……!」
おれの視線に気がついた高山が、キッとこちらを睨みつける。とはいえ、先程のような威圧感は無い。
罪記が戻ってきてから、ついに自分の番が来てしまうという恐怖からなのか、彼に一度拘束されていることからくる怯えなのか、声量も小さく眼力もエレイナさんに掴みかかっていた時よりも、かなり控えめになっている。
そんな高山を、罪記の紅い瞳が捉える。
『さぁ、最後の追憶の時間だ。高山少女、君の心を観せてもらおうか』
高山はその声にびくりと肩を揺らし、下唇を噛んで俯いたけれど、すぐにまた罪記の顔を見上げた。
「…………分かった」
駄々をこねるものかと思っていたけれど、高山は驚くほど素直に、罪記の言葉に頷いた。
「けど……その代わり一つだけお願い聞いてよ」
前言撤回だ。
やっぱりただでは転ばないらしい。
『代わりもなにも無いのだが……まぁ聞くだけ聞いてやろう。話してみると良い』
罪記も溜息混じりの声で言い、高山の要件に耳を傾けた。
「そいつのこと教えてよ。別にここまできちゃったら、ウチだってもう帰れないことくらい分かるよ。けど、知らない奴に頭の中を覗かれるのだけは嫌。絶対に無理」
高山はエレイナさんを指さしながら、語気を強めてそう言った。
『なんだ、そんなことか』
「え、いいの?」
『構わないさ』
パッと顔を明るくさせる高山に、罪記もニヤリと笑う。
「うふふふ。そんなことにせっかくのチャンスを使ってしまうなんて」
罪記だけじゃない。エレイナさんまでくすくすと笑い始めた。
その異様な空気に、おれと高山が固まってしまっていると、画面越しの罪記がその尖った八重歯を見せて笑った。
『教えるまでもないんだよ。だって彼女――エレイナ少女は君たちのクラスに居たんだからね。それに高山少女、君は彼女のことをよく知っているはずなんだ』
「は……?あんた、また適当言ってるんでしょ!!」
『適当なんか言うものか。私はいつも事実しか伝えていないよ。まぁ、そこも含めて追憶体験をしてくると良い。木村少女と同様、特別に現在の記憶を残したままにしてあげる。君は君で、もう一度自身の過去を見つめ直せ』
そう言うと、罪記は画面の端へ手を伸ばし、新たな巻物をひとつ取って、机の上に広げた。
すると画面がまた白く輝きはじめ、眩しさに目を瞑ると、次の瞬間には高山の姿が部屋から消えていた。
モニターの画面も、高山の記憶を映し出す準備のためか、罪記の姿は消え、真っ黒な画面になっている。
それにしても、さっきの罪記の言った言葉がどうしても引っかかる。
エレイナさんがおれたちのクラスに居た?
こんな美形な人が居たら、剛義たちのようなヤンチャグループとか、自分たちが注目の的でないと気が済まない高山たちが黙っていないはずだ。
おれだって忘れることはなかったと思う。
「ほんとにそう言い切ることが出来ますか?」
「……!」
耳元で聞こえた声に勢いよく顔を向けると、エレイナさんがこちらを見て笑っていた。
「安心してください。心を読めるとかそういうのではありません。罪記のように超常的な力が使える訳ではありませんから。あなたが難しい顔をしていたので、私のことを過去に見ていたら覚えているはずだ、なんて考えていたんじゃないかと思いまして」
「あ、いや……その……」
能力でなかったとしても、既に見透かされてしまっているなとには変わりない。
また上手く返答出来なかったから、これでは貴女の言う通り、貴女のことを覚えていませんと言っているも同然だ。
その罪悪感に、更に言葉が詰まってしまって出てこなくなってしまう。
「きっとあなたには、あの時期の記憶の一部に空白があるのでしょう。皆が覚えていて、あなただけが覚えていないこと。その中に私の存在もあるのかも知れませんし、ないかも知れません。まずは、彼女の記憶を見てみましょう。何が思い出せるかも知れませんよ」
エレイナさんは横目でチラリとおれを見てそう言うと、静かにモニターへと目を戻してしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます