トー横の街にジェミニは輝く
suiho
序章
夜の
だがその光に不用意に近づけば身も心も焼き尽くされることになる。太陽を目指したイカロスのように。
「何してるんだ、
五月初旬。世間はゴールデンウィークで賑わう中、俺こと
俺が教鞭を
「……誰、あんた?」
「誰はないだろ? 君が通ってるリシア高等学校の英語教師、朝見在吾だ。四月中は何度か君のクラスも教えてるんだけどな」
俺の名乗りに玄井さんの虚ろな目に生気が戻る。まさか深夜の繁華街に自分の学校の先生に呼び止められるとは思いもしないだろう。俺だって自分の学校の生徒を深夜の繁華街で呼び止めることになって正直悲しい。
でも決して彼女に俺の本音を漏らさないよう俺は努めて冷静に、丁寧な口調で話しかける。
「いろいろ事情はあるんだろうけど、とりあえずここから離れないか? この場所は俺にとってあんまりウェルカムじゃないみたいなんだ」
苦笑気味に辺りを見渡すと、俺と玄井さんに冷ややかな視線を送り続ける十代の男女がいた。もちろん彼ら彼女らにも今すぐ自宅に戻ってもらって身の安全を確保してほしいのだが、生憎知りもしない学生に説教するほど俺の弁は立たない。
「ウェルカムじゃないってわかってて話しかけたの? あたしに?」
「君はウェルカムじゃないって聞いてないからね。もちろん言葉で」
「……うざっ」
「顔見知りの生徒にそういうこと言われるのは傷つくし、俺だって深夜の繁華街を歩き回りたくはないけど、だからって君を無視して『はいさようなら』ってわけにもいかないんだよ」
「せんせーだから?」
「先生だからね」
深いため息を吐いて、玄井さんはゆっくりと立ち上がる。160をギリギリ超えた背丈と、服で覆われていない十代特有の艶肌が人工灯でもよくわかる。黒のスカートは膝よりも上の位置で止まっており、生足がさらされた状態になっていた。寒空の下では防寒もままならないはずなのに。
「何じろじろ見てんの? 普通にキモいんだけど?」
「キモいは酷いな」
「じゃあヤバい」
「ヤバいのは君の方だってば。深夜にこんな場所にいたって面白くはないでしょ?」
憎しみを込めた睨みを利かせるが、女子高生の
「やることもないなら家に帰りな。ここにいたって良いことはない」
「せんせーには関係ないし」
「それとも家に帰ったら悪いことがあるのか?」
玄井さんは押し黙り、敵意丸出しの視線を送り続ける。これ以上はプライベートということらしい。
「ゴールデンウィークはもう少し続くけど、ここで時間を潰すのはお勧めしない。俺だから良かったけど、誰も彼も良い人ばっかりがこの辺りをうろついてるわけじゃないから」
「……マジでうっざ」
「ウザいのはわかるよ」
「それ、本気で言ってんの? あんたにあたしの気持ちわかんの?」
「俺にも妹がいたからね。本人からも同じことよく言われたし」
「いたってどいうこと? まさかもういないとか?」
「ああ、もうこの世にいない」
つい口を滑らせてしまった。重たい話をするつもりはなかったし、玄井さんも冗談半分で訊いたはずなのに俺の意外過ぎる返答に大いに驚いてしまった。だが一度口に出したものを呑み込むのも変なので、思い切って言い切ることにした。
「7つか8つほど離れた妹でね。俺が大学生の頃に先天性の病で。俺は当時夏休みを使って海外留学を控えてたんだけど、夏休み中妹の看病に専念するつもりだったからね。行くつもりはなかったんだけど妹が『さっさと行って勉強してこい』って。激励のつもりで俺を送り出してくれたんだ。でもその数か月後に容体が悪化したらしくそのまま。最期まで妹は俺に伝えないよう家族にお願いしてたそうだ」
静まりかえる俺たちの空気は、およそ繁華街の
「というわけで、生きていれば妹と同い年くらいであろう自分の学校の生徒に、悔いしかない生き方を選んでほしくないんだ。君たちが卒業するまでは」
「卒業したらいいわけ?」
「さすがに卒業後も俺が教鞭執るわけじゃないからね。できる限り良い方向に進んでほしいけど、その後のことまでは俺も責任を持てない。だからせめて俺の目の届く間はしっかり見ていたいわけ」
座ったままの玄井さんに視線を合わせるため、俺も屈んで彼女の目を見る。右も左もわからない少女をこんな風になるまで放っておいた彼女の保護者に対して思うところはあるが、今は置いておくとする。
「で、どうすればお
「せんせーがどっかへ行ってくれるなら」
「俺がどっか行ったら?」
「そ。あんな話で揺らぐほどあたしは」
「おっけ」
玄井さんの要求を聞き届け、俺はスーツのポケットからスマホを取り出し、ある情報を検索する。
「ちょっと、もしかして警察に」
「だったらどうだっていうんだ。あ、もしもし」
見るからに焦り始める玄井さんを無視して、俺は検索から通話状態に切り替える。
「ふざけんなし! あたしそんなこと望んで」
「はい、今からです。お願いします」
掴みかかる玄井さんだが女子高生の腕力で俺をどうこうできるはずもなく、要件を手早く済ませて通話を終了する。
「本当に、ムカつく!」
「君が言ったんだ。俺がどっかへ行けば帰るって」
「だからって警察呼ぶなんて!」
「何か勘違いしてるみたいだけど、俺が電話したのは警察じゃないよ?」
俺は右手で何かを握るポーズを取る。
「玄井さん、歌は歌う?」
どうせ明日もゴールデンウィークでお休みなんだ。カラオケでオールしたとしても玄井さんには文句は言わせない。同じ巡回で繁華街にやって来ている先輩や同輩の先生に言い訳をすれば追及もされにくいはずだ。だからこそ他の先生方が使う沿線を避けた支店を予約している。
俺の言いたいことがわかったのか、玄井さんは迷う。
「ちなみにお金は俺が払うよ」
「……やらしいことする気じゃ」
「俺への信頼がゼロなのはわかってる。だから少しでも不安に思うなら君がすぐに警察に電話すればいい。俺だって自分がやってることが間違いだってのは承知してる。でも君をここで放置して帰るのも、理由も聞かずに力任せに帰らせるのも違う気がしたんだ」
「だから、カラオケ?」
「先に言っておくけど問題は解決しないよ。でも溜め込んだままっていうのは体にも心にも悪い。なら歌って発散するくらいはいいんじゃないかなって」
教師としては最悪な行為。玄井さんの采配次第で俺は明日の紙面に犯罪者として名を載せるかもしれない。だが今の彼女を大人の都合でねじ伏せるのはもっと違う。
「……変なせんせー」
「英語の先生ってどんな人も多少は変な人多いよ?」
「あたし他のせんせー知らんけど、それは言い過ぎ」
玄井さんは立ち上がり、俺の隣まで移動し前を向いたまま問う。
「で、どこのカラオケに行くん?」
「ここが西口方面だから東口に近い支店まで移動する」
「めちゃくちゃ歩くじゃん」
「君がこんなところで座り込んでるからだろ?」
「あたしのせいにすんなし。西口の近くで良いじゃん!」
「いや、その辺は先輩や同年代の先生たちがいるから」
「せんせー、行き当たりばったり過ぎてウケる」
「君に言われたくないな」
むくれながら、玄井さんはそれ以上の悪態はつかなくなった。
先輩先生に玄井さんを駅まで見送りそのまま帰ることを伝え、俺たちは五分以上かけて予約したカラオケ店に入った。お店の人には怪しまれたが終電を超えたことと教師と生徒だということを正直に話して始発まで部屋を使わせてくれた。
「いやぁ、カラオケなんて久しぶりだ」
指定された部屋に着くや、俺はソファに座り込む。
「いやなんであたしより楽しそうなん?」
「大人になると童心に帰れることも少なくなっちゃうからね。あれ、玄井さん歌うの?」
「……カラオケに行って一曲も歌わないとかないし」
いつの間にか、部屋に設置されている二本あるマイクのうち一本を取り上げて、玄井さんはタッチパネルから素早く自分が歌う楽曲を選曲する。
「早く入れてかないとどんどんぶち込むから」
マイクを高らかに上げて歌い出す彼女を見て、初めて年相応の笑顔を覗かせた。もちろんこんなことで彼女の抱えている悩みを解決できたとは思っていない。
単なる気休め。時間稼ぎ。一時の停滞だ。
それでも今見ている彼女の笑顔をこの瞬間だけでも守れたならそれでいい、俺は心からそう思えた。
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