第17話

 僕はカバンからICレコーダーを取り出して、池田さんに言う。

「これからのお話を録音させてもらってもいいですか?」

「まあ、それが君の仕事やからな」

僕はICレコーダーの録音ボタンを押す。すると突然、池田さんが僕に聞く。

「なあ、矢早は自殺したんや。しかもあれから何年もたっている。この調査の依頼主っていったい誰?」

「すみません、その質問には答えられないんですよ」

「守秘義務ってやつか?」

「そうですね、申し訳ありません」

「まあいいわ。それで俺に何を聞きたいの?」

「それでは質問を始めます。池田さんが矢早さんと知り合った経緯から」

「高二のとき同じクラスになって。なんで友達になったかまでは覚えていないわ。そのとき森も同じクラスやったな」

「矢早さんはどんな性格の人でしたか」

「リーダーシップのある明るい性格のやつだったよ。よく悪ふざけしていたけど、女子にもそこそこ人気のある奴やったな。なんか森と同時に他の女の子からも告白されて、それがきっかけで矢早も元から好きやった森と付き合うようになったな。高二の夏休み前のことや」

あのツーショット写真を見れば、母と矢早さんが付き合っていたのは簡単に想像できるが、いざ同級生から矢早さんと母が付き合っていたと言われると覚悟していたとはいえ、かなり動揺してしまう。しかも母のほうから矢早さんに告白していたのである。

「矢早さんとは高校卒業以来も連絡を取っていたのですか?」

「連絡も何も、浪人して同じ予備校に行って、受かった大学も同じ、しかも学部まで同じ社会学部だったよ」

「矢早さんの様子がおかしくなった時期とかありますか?」

「あるよ。それが原因で俺が矢早を自殺に追い込んだと今でも思っている」

「それはどういう意味ですか?」

「大学のとき、森と辰巳が結婚するってペラペラなはがきがうちに届いてな。俺てっきり矢早も知っていると思って、大学でそのことを話したんや。そしたらあいつ持っている紙コップのコーヒーをこぼすくらい震えだして。今でもよく覚えているわ。九月やのにホットコーヒーを飲んでいた。やけどするでって矢早の手からコーヒーを奪ったもん。俺は言ってはいけないことを言ってしまったんやなって今でも後悔している。それが原因で矢早は精神を病んでしまった。大学も来なくなってしまった。何も知らなかったほうがよかったんや、それならあいつは今も生きていたはずや」

九月は母の誕生日だ。母は二十歳になったから結婚したと言っていたが、それは完全な嘘だった。二十歳にならないと結婚できなかったのだ。それが真実であり、僕が母の両親に一度も会ったことのない原因なのだろう。

「それで大学はどうなったのですか?」

「矢早は地頭のいい奴だったので、基本テストのときだけ大学に来て四年で卒業したよ。でも精神病んでいたから就職は出来なかったけどな。矢早は昔から高校の教師になるのが夢で大学に行ったからな。まあ、俺たちの学力では国立の教育大は無理やったけど、十分教師になれるくらいのレベルの私立大学には入ったよ、俺たち。実際その時までは矢早は教員養成課程のコマを履修していたかな。だけど矢早が高校教師になるって森から聞いていたんやな、辰巳は。いま思えば、あのはがきは辰巳からの圧力だったんだと思う。矢早に教師になるなってね。矢早が辰巳と同じ高校教師になると辰巳にとっていろいろ都合が悪いから、俺たちは合法的に結婚したので文句は言えないぞって、直接的ではなく間接的に矢早を脅した。矢早のあこがれの職業だったのに、その教師によって諦めざるを得なくなった。大好きな彼女も失った。矢早はすべてを奪われたんや。それで精神を病んでしまった。入院まではいかなかったけど、ずっと通院生活になってしまったわ。すべて辰巳の思い通りや。俺もそのあと高校の同級生にいろいろ聞いたけど、はがきが届いたのは俺だけやった。辰巳は完全に立場上、俺たちの情報を知ったうえで俺を狙い撃ちしたんやな」

父は矢早さんから母を奪っただけでなく、矢早さんの高校教師になるというまさに掴みかけていた夢までも奪っていた。自分の欲求を満たすために複数の女子生徒に手を出すだけでなく、自分の保身のために生徒の未来まで平気で潰す。父はどこまで最低な男なのだとふつふつと怒りがわいてくる。

「それで辰巳という教師はどんな人でしたか?」

「俺たちが高三のときに赴任してきて、俺たちのクラスの副担任やったわ。あと生徒会の顧問していた。森は生徒会をしていたから、そこで口説かれたのと違うかな? 言葉で言い表せないけど、嫌な感じの先生やったな。むしろ嫌いと言ってもいいかな。なんか女子とばかり話して、男子はぞんざいな扱い。男子の間ではあいつロリコンちゃうか? とか言われていたな。矢早は辰巳が赴任してきた瞬間から露骨に嫌っていたけどなんか直感的なものがあったのかな」

家では家族と話さない父は学校では女子生徒に積極的に話しかけていたのだ。本物の変質者である。そしてその手にかかった生徒も多数いる。絶対に許せない犯罪者だ。そして母は母で生徒会をやっていたという事実がスッキリ僕にはまった。母はこのころからの権力大好きの片鱗を見せていたのだ。

「では、森って人はどうでしたか?」

「いつも矢早と一緒にいたなぁ、学校では。プライベートでも仲が良くて、放課後二人で公園に行ったり、毎晩電話で話したりとか。学校中で知らない人はいないくらいのカップルやったよ。そういえば高三の文化祭のとき、校内一のベストカップルって表彰されていたな。だから卒業式の帰りに矢早から一方的にフラれたと聞いたときは心底驚いた。二人は絶対に結婚すると俺は思っていたから」

僕は母を激しく軽蔑した。表では矢早さんと幸せアピールをして周囲と矢早さんを騙し、裏では父と関係を持っていたのだ。そしてその必要がなくなったら、卒業式に矢早さんにさっさと別れを告げて権力のある父のもとへと走った。僕はそんな父と母の子供だと思ったら、吐き気がしてきた。

「矢早さんは辰巳のことを」

「俺にも十年以上たってから初めて話してくれたんやけど。うすうす二人の関係に気づいていたみたいやで。でも人に言えるはずないやん。自分の彼女が教師と関係を持っていますって。辰巳が首になるのは構わないが、森は就職組やったからなおさらや。結局、辰巳は表向きには森に矢早がいるから絶対にバレないと高を括っていたんやろうね。バレなければ何をしてもいいと。それに高校生っていったら今の俺から見たらまだまだ子供や。そんな子供にとって教師って絶対権力や。だから案外、逆らうことはできないものなんや」

僕は父と重ねて祖父のことを思い出す。絶対権力でうちを異常な状態にし、僕の自我をなくさせたあの祖父のことを。

「当時矢早さんから相談はなかったのですか?」

「当時はな。あいつがすべてを話してくれたのは軽く三十過ぎてからや」

「矢早さんは一人で抱え込んでいたのですね」

「そうや。矢早の人生は辰巳と森のせいで狂わされた。でも誰にも言えなかった。ずっと付き合いのある俺にさえ告白するのに十五年かかった」

矢早さんが抱えていた苦しみを考えると、僕が感じていた罪の意識なんて軽いものだ。自分を罪の子だと思い込み罪悪感に駆られていた日々が楽な逃げ道だったようにさえ思えてくる。それはただの現実逃避と称した自己防衛だ。僕はただあの環境から一時的にも逃げるため幻想の罪の意識を作り上げて逃げていた自分に情けなくなってくる。

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