第五話 「ロランという少年」

 ロランがオルテスに育てられ早くも十年が経過していた。

 

 この十年、世界では様々な変化が訪れている。

 しかし、この村は王都からも遠く。地図の外れの山岳地帯にある村。それゆえ世界情勢や情報に疎く、仮に入ってきても皆日々の生活が平和なのであまり興味を示さなかった。軍事的にも政治的にも価値が低く、さらにこのメリカ王国は大国で強い力も持っていたので、守られている村人はのんびり暮らしているのだった。

 王都には納税として村の野菜や植物油を納めている。それがこのザスカンと呼ばれる土地の小さな村だった。

 

 

 

          ◯

        

 早朝、荷車を押して卸した酒や牛乳を配達するのがロランの日課だった。育ての親とも言えるボブ夫妻の店の手伝いだ。

 朝日に目を細め、まだ肌寒い村を回って行く。

 

 

 ロランは優しく、穏やかで、争いを好まない心の綺麗な少年に成長した。今年で十歳になる。その黒い癖毛と空色の瞳、白い肌。そして顔の造形の雰囲気。それはこの地方の人間たちの特徴と少し異なっていた。

 自分は捨て子だった。それはもう知っていた。産まれたばかりの頃、親は自分を捨てて逃げた。それを事実として受け止めても尚、ロランは心を見失うようなことはなかった。

 

 

 

 村中をぐるりと周り、最後は教会に牛乳を届けて終わりだ。そしてやっと教会が見えてきた。礼拝堂はあるが小さな建物で、裏の小屋に修道女が一人で住んでいた。庭には花畑がありそれに囲まれた美しい場所だとロランは常々思っていた。

 

 その教会は伝説の女神を信仰している小さな教会であり、若い修道女が一人で守っている。元々は彼女の両親が管理していたのだが、王都への遠征の最中に野盗に襲われて亡くなってしまっていた。もう五年も前になる。彼女は両親の遺した大切な教会を守り、また村の子供たちに勉強も教えているのだった。村の子供らにとっては学校のような役割も担っている。もちろん、ロランもそこへ通っていた。

 

 

 ロランが荷車を押して教会へ到着すると、修道女のホルンが迎えてくれた。

 

「あらロラン、おはよう。今日も配達ご苦労様。とっても偉いのね」

 

 庭の掃き掃除をしていたらしく、箒を片手に、ホルンは空いている方の左手でロランの頭を撫でた。すると、ロランは照れたようにはにかむ。

 

「あ、うん。ホルン先生、おはようございます」

 

ロランの鼻先を何か甘いような香りが撫でた。ホルンからはいつも花の香りがした。しかしそれを感じるのは何だかいけないことのような気がして、ロランは頭を振ってから荷車を下ろした。

 

「今日の分の牛乳です。先生、後でまた来るね」

 

「うん、待ってる。今日は数字のお勉強ですからね」

 

 この短いやり取りに、ホルンは何回ロランに微笑んだだろうか。彼女の微笑みの数だけ、ロランの胸は暖かくなる。

 

「すぐに戻ってくるよ」

 

これ以上は顔が赤くなってしまう。ロランはすぐに荷車を押して去ろうとした。

 すると、突然ホルンは思い出したかのように声をかけた。

 

「……そうだ、ねえロラン。ビルにもサボらないようにって伝えておいてね」

 

 ああ、とロランには合点がいった。ビルは数字が苦手なのだ。彼の頭の中はもっぱら世界と冒険のことばかりだ。

 

「良いけれど、ビルは僕が言って来るかな。数字の勉強が苦手だし、最近は先生のことも苦手だって言うんだよ」

 

「まあ!」

 

ホルンは左手を口にやって目を丸くした。

 

「どうしましょう、私何かやってしまったのかしら」

 

「いや、多分先生は悪くないよ! テキラさんがビルは“シシュンキ”なんだって言ってたから」

 

ロランが慌てて補足すると、ホルンは「ははあん」と悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「なるほどねえ、そうかそうかあ」

 

「先生?」

 

 ホルンがどうも魅惑的で企んだような表情をするので、ロランはその顔に釘付けになりながら次の言葉を待った。

 そして、ホルンはロランが期待していたことを言ってくれた。


「ロラン、私もボブさんのお店に行っても良いかしら。授業までは時間があるものね」

 

「うん、もちろんだよ」

 

 

 ロランが快く了承すると、ホルンも共に荷車を押してくれた。二人並んでボブの店へ向かうのだった。

 

 

 

          ◯

        

 ビルは家の裏で日課の素振りを行っていた。もちろん剣の素振りだ。近くの森で拾ったヒノキの棒を振り回し、自分なりの稽古をしているのだ。

 酒場の家に生まれ、酒場の家の息子として育ち、そして酒場の店主として死ぬ。そんな人生はまっぴらだと常々感じていた。

 

 自分には何か使命があるのではないか。千年前、この世界を魔王の手から救ったという伝説の勇者「アスラン」のように、世界を周り人々のために戦いたい。ビルにはそんな夢があった。

 

「なんで俺は酒場の息子なんだ」

「騎士の息子なら良かったのに」

 

 それなら剣を教えてもらえる。

 ビルの父、ウオカは毎日料理を作り、酒を注ぎ、働いてばかりだ。母に至ってはさらに働いている。そんな人生嫌だと思っていた。

 なぜなら、何か世界に対して漠然とした不安を感じていたからだ。このままではいけないのではないか、と。

 いま、母のお腹の中には産まれてくる妹がいるそうだ。王都の病院で検査したところによると妹で間違いないらしい。

 

 妹の産まれてくる世界はより良くしていきたい。ビルはそれを自らの手で叶えようとしていた。

 

 

 ──。


 だいぶ日が昇ってきた。

 ビルは上裸で訓練していたので腕で額の汗を拭う。爽やかな風を感じて、まるで一仕事終えたような気持ちだ。

 そろそろ、配達中のロランに合流せねば。ビルがそう思って脱ぎ捨てていたシャツを拾った時、この裏庭にお腹を大きくした母が入ってきた。

 

「あんた、また配達をロランに押し付けたようね。こんなとこで遊んでばっかり!」

 

 腕を組んで目を細める母にビルは慌てて弁明した。

 

「待ってよ、ロランとは配達を当番制にしたんだ。それに遊んでたわけじゃねえって、剣の稽古だよ!」

 

「何が剣の稽古よ、そんな暇があったらフライパンの稽古をなさい」

 

「フライパンで敵と戦えるかよ、何かあってからじゃ遅いんだぞ」

 

ビルが真剣にわけを伝えると、母のテキラはビルを指差して豪快に笑う。

 

「やだよこの子は、敵と戦うの? あんたが」

 

「なんだ、笑いやがったな!」

 

顔を赤くしたビルが本格的に母に抗議しようとすると、母の背後からホルンとロランが出てきた。

 

「こら、ビル。お母様にそんな態度をとったらいけないのよ」

 

「げ、先生」

 

ホルンがむっとした顔で叱ると、ビルは顔を引き攣らせて黙った。慌ててシャツで体を隠す。

 

「なんで先生が……」

 

ビルは言いながら視線をロランに向けた。ちくりやがったな、と訴えかける。しかしロランは目を泳がせて気づかないフリをしていた。

 ホルンは言葉を続ける。

 

「最近よく授業をサボっていますよね。どうしてなのビル、先生とっても悲しくなってしまうわ」


ホルンが言うとビルは慌てて、知るかよ! と突き放すような言い方をした。ロランはぽかんとその光景を眺める。普段のビルとは少し違い、どこか照れたように感じたからだ。

 

 

「ごめんなさいねえ、ホルン先生。ビルにはよく言っておくから。ね、今日は授業行くわよね、ビル」

 

ビルが油断していると、テキラはその隙にビルの頭を掴んで無理やり頭を下げさせた。ビルはまた抗議しようとしたが、その前にホルンが先に言った。

 

「まあ! 今日は来てくれるのね、先生はとっても嬉しいです。一緒に数字のお勉強できるの楽しみにしてるわね」

 

ホルンが胸の前で両手を合わせて微笑むと、ビルはもう何も言えなかった。お、おう。と思わず答えてしまう。

 ビルの了承を得たと確認するや、ホルンはテキラに頭を下げた。

 

「では、ビルくんをお借りしますね。また後ほど」

 

「どうぞどうぞ、一週間でもお貸ししますよ。たっぷりと勉強してやって」

 

「ええ、もちろん。ロランもまたね」

 

 ホルンはロランにも微笑み、手を振ると庭を出て行った。ロランも手を振ってそれを見送った。

 

 そして、ホルンが見えなくなったとたん「良い子」にしていたビルはまた声を荒げた。

 

「ロランてめえ、裏切ったな!」

 

「仕方ないよ、先生とテキラさんには敵わない」

 

「お前に騎士道はないのか!」

 

「僕は騎士じゃないから」

 

二人がいつものように言い合いを始めると、テキラは拳骨をビルの茶色い頭に落とした。ごつんと音が鳴った気がする。

 

「馬鹿なこと言ってんじゃないよ、ほら服着て支度しなさい。先生がお待ちしてるよ」

 

「く、くそ。いつか皆やっつけてやる。俺の剣の腕前で……」

 

痛む頭をさすりながらビルはぶつぶつと言っていた。ロランはくすりと笑う。これがロランの「日々」だからだ。

 ロランの毎日は平和だった。

 その「使命」とは遠く、それを意識すらすることはなかった。

 

 

 


 

          ◯

       

       

 エンジン音が森に響く。

 トラックの運転席では奴らが何やら馬鹿話をしているらしい。

 

 こちらからは外は見えない。檻に入れられ、その上から布を被せられてしまったからだ。この荷台には他にも積荷があるらしく先程から揺れるたびに頭をぶつけてしまっていた。

 

 まず逃げ出さねば。

 そして「変革者」を見つけ出して助けになる。それが彼女の使命だった。

 

 

 ──。


 もう夜も更けたころ、不意にトラックが停車した。今日はここで休むつもりらしい。

 彼女はここぞとばかりに体を何度も檻に体当たりしてぶつけ、少しずつその位置をずらしていく。あと少し、あともう少し、そして努力の甲斐あってかついに檻は荷台から落下した。

 檻はその落下の衝撃で大変運が良く破損して彼女は外に出ることができた。

 

 その時、運転席の方が騒がしくなる。音を立てたので気づかれたのかもしれない。

 

「とにかく逃げて、早く見つけなきゃ」

 

 彼女は光る粉を散らしながら宙を舞って、夜の闇、森の中へ溶けるように消えていった。





────第六話に続く

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