第4章【3】

 ――ロズ……。


 美しい声がする。それは遠いようで近く、近いようで遠い。手の届かない旋律。


 ――ロズ、目を……。


 張り詰めた声は、何かを伝えようとしている。


 ――ロス、目を覚まして。



   *  *  *



 ずきん、と左目が激しく痛むのでロザナンドは覚醒する。途端に頭の中に流れ込む光景。ベッドから勢いよく立ち上がり、クロゼットから適当な服を引っ張り出した。そのあいだに、伝達魔法を飛ばす。

『起きろ、ユトリロ! へーリンに急げ!』

 その返答を待たず、ロザナンドは左目を覆うための眼帯を手に自分に転移魔法をかけた。王宮を離れる瞬間に「伝令」という声が耳に入る。ロザナンドが気付くほうが一瞬だけ早かったようだ。これから騎士隊が伝令のもと辺境の村ヘーリンに出撃するはずだ。

 目的地に降り立ち眼帯を着けると、激しい金属音と怒号が耳に飛び込んで来る。千里眼に見えた光景が現実のものであると確信を持たせるのに充分な音だった。

 ロザナンドはさらに千里眼に意識を集中させる。目的の人物の視界を取り込んだ。

『父様! 母様!』

 悲痛な声が響く。ロザナンドは再び自分に転移魔法をかけ、その声の主のもとに降り立った。

「ロザナンド殿下!」

 振り向いたアニタは、女官の制服のスカートを縦に裂いている。その手には短剣があった。

 人間の賊がヘーリンに攻め入り、アンセルムの騎士隊が応戦しているのだ。その数は十五ほど。アニタは両親の危機を察知し、転移して来たのだろう。どうやらロザナンドも間に合ったらしい。

 ロザナンドがひとつ指を鳴らすと、それぞれ武器を手にした荒くれ者たちの体が硬直する。戦いの勢いのまま倒れた人間たちに、魔族の騎士たちは息をついていた。ロザナンドの拘束魔法を逃れられる者はいない。戦いは魔族側の勝利となるだろう。

「アニタ、民を避難させて無事を確認してくれ」

「はっ」

 安堵した表情を浮かべていたアニタは、固く頷いて踵を返した。村の末端で戦いは巻き起こったが、民のほとんどは就寝していたはずだ。奇襲を受け、傷を負った者もいるかもしれない。アニタの回復魔法なら、命を脅かされていたとしても快方に向かうだろう。

 ユトリロに続き、ラーシュとニクラス、彼らの騎士隊が転移して来た。すでに拘束されている人間の賊の姿を見て、ユトリロはロザナンドに頭を下げる。

「遅くなり申し訳ありません」

「問題ない。きみたちにはきみたちで仕事があるから」

 騎士は鎧を身に着け剣を手にしなければならない。さらに騎士隊を集めるとなると、多少なりとも時間はかかるだろうとロザナンドは考えていた。それでも、騎士たちにはまだ役目があるのだ。

 ロザナンドは千里眼を発動する。炙り出さなければならないものがある。それはすぐに発見に至った。ロザナンドが目の前まで迫ったのは、この奇襲の首謀者だ。無精髭の生えた男は、騎士に拘束され悔しそうにロザナンドをめ付ける。

「随分と卑劣な真似をしてくれたね。弱い村への奇襲でなければ勝利できないなら、人間の戦力もたかが知れているな。誰の指示で来たのかな?」

 陰の落ちた微笑みを向けるロザナンドに、男はサッと目を逸らした。魔王軍幹部ロザナンドの情報はまだ人間側に回っていないようだ、とロザナンドは考える。もし情報が漏れているのなら、この千里眼から逃れることはできないとわかっているはずだからだ。

「何か勘違いをしているようだけど、捕虜にされて終わりとは思っていないよね?」

 答えない男の背後で、若い男たちが顔面を青くする。ヘーリンを陥落させることは容易だと考えていたのだろう。もし襲撃に気付いたのがアニタだけであれば、ヘーリンは壊滅していた。荒くれ者たちは、捕虜になる可能性すら考えていなかったのかもしれない。

「ちょうどいい。人間に関する情報が欲しいと思っていたんだよね。情報提供に感謝するよ。家族には、ちゃんと別れの挨拶をして来たんだよね?」

 あくまで愛想よく微笑んで見せるロザナンドに、男たちは言葉を失う。この先、自分たちにどんな運命が待っているかは想像に易いだろう。

「連れて行け」

 ラーシュとニクラスにそう指示を出し、ロザナンドはユトリロとともに村の中に向かう。ちょうど、外れにある大聖堂からアニタが出て来るところだった。民の避難場所のようだ。

「ロザナンド殿下、村を救っていただき感謝いたします。殿下がお気付きにならなければ、民がどうなっていたか……」

 深夜という不意を突かれた奇襲となれば、騎士隊であったとしても被害が出ていただろう。アニタの言葉と表情から、民は負傷だけで済んだようだ。

「僕は約束は守るからね。父の監視隊を解体したから間に合うかは賭けだったけど、間に合ってよかったよ」

「誠にありがとうございます」

「人間に関する情報源ができたからちょうどいいよ」

 アニタの表情は硬いが、安堵していることは千里眼で視なくてもよくわかる。冷徹に感じるほどの女官でも、両親を失えば冷静ではいられなくなっていたことだろう。ロザナンドの千里眼がなければ間に合わなかったかもしれない。それはアニタもわかっているだろう。

 ロザナンドはあとに続いていたアンセルムを振り向いた。

「民の安否と安全を確認してくれ」

「承知いたしました」

 アンセルムに頷きかけ、ロザナンドは自分とユトリロに転移魔法をかける。あとは騎士隊の役目だ。

 王宮に降り立ったふたりにアニタも続く。戦いのためにスカートを裂いたため、宮廷女官として、その格好のまま村に留まるわけにはいかない。

「魔王陛下の監視隊を解体させていたのですね」

 頷いて見せたロザナンドは、アニタの自分に対する信頼が上がったことを確かに感じていた。

「そういう約束だったからね。人間はやはり末端を狙っていた。王宮の指示かはわからないが、魔族との能力差を感じているなら、末端から攻めるのは効率が良いとも言えるね」

「人間とはどこまでも卑劣な生き物なのですね」

 ユトリロが顔をしかめる。彼の人間に対する憎悪は膨らみ続けている。これまでの奇襲から、心証が最悪にまで下がったとしても致し方ないことだろう。

「ロザナンド殿下、両親と民を救ってくださったこと、心から感謝いたします」

「僕は約束を守っただけだよ」

 ロザナンドは不敵に微笑んで見せる。その言葉に間違いや偽りはないのだが、アニタの信用を勝ち取るには充分だったようだ。

「アニタ、このことは――」

「はい。魔王陛下にはご報告いたしません」

 即座に頷くアニタに、ロザナンドはまた口端をつり上げた。

「ロザナンド殿下に忠誠をお誓いいたします。たとえ、魔王陛下に反旗を翻したとしても……」

「それだけの覚悟があるなら充分だ。働きに期待しているよ」

「はい。お応えできるよう尽力いたします」

 アニタに頷きかけ、ロザナンドは彼女をあとにする。女性をこのまま足を露出させたままにするのは、いくら非常事態のあとであってもよくない。私室に戻らせる必要があった。

「この国を覆う結界が必要かもしれないね」

 ロザナンドが厳しい声で言うと、ユトリロは重々しく頷く。

「この先も性懲りなく奇襲があると考えると、それが賢明でしょう」

「強力な結界を張っておけば、勇者パーティの侵攻も食い止められるかもしれない」

「はい。すぐに手配します。シェルの力が役に立つかもしれません」

「任せるよ。僕は明日、また王都に行く。人間の魔力を分析すれば弾ける結界を張れるかもしれない」

「はい」

「結界はディーサにやらせよう。魔法のことは魔法使いに任せるに限る」

 ディーサはまた文句を言うかもしれないが、魔王の養女であるディーサは、宮廷魔法使いの中でもトップの実力を誇っている。ロザナンドの期待に寸分の狂いなく応えてくれるだろう。

「きみは勇者パーティの鑑定を試みてくれ」

「承知いたしました」

「僕の千里眼でも、何か見えるといいんだけどね」

 千里眼は鑑定より上位の能力である。鑑定を弾かれたとしても、千里眼なら何か見抜けることもあるかもしれない。魔王に仇為す勇者パーティというだけあって、千里眼すら躱す能力を持っている可能性は否めない。そんなとき、千里眼ですら無力となるのだ。頭の中にある情報に加え鑑定が功を奏すれば、魔族は勝利に近付くことになる。慎重にならなければならないが、時間をかけるわけにもいかない。ロザナンドにできるのは、魔力を蓄えて千里眼の性能を上げることだけだった。





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