第4章【1】
人間の国に視察に行くためには、まずロザナンドの外見を変えるところから始まる。すでに二度の襲撃を受け、ロザナンドはどちらにも顔を出している。すでに面が割れている可能性は高い。
ロザナンドの浅葱色の髪は目立つ。まずはシェルが魔法で髪色を変えた。どこにでもいる茶髪になった。次に左目の眼帯だ。眼帯を外すと、千里眼が働くのを抑えるだけで意識が持っていかれてしまう。眼帯を外さず隠すためには、前髪を変える必要がある。髪型を変えるのはアニタの役目だ。髪を左目の上に持ってきて、眼帯を覆い隠す。気取ったような仕上がりにはなるが、これが最善の髪型だ。
遠慮がちなノックのあと、ユトリロがロザナンドの私室に入って来る。彼も騎士の鎧を外し、人間の冒険者のような服装になっていた。
「ご準備はいかがですか?」
「もうできたところだよ。きみも魔族の騎士とは思えない姿になったね」
「恐れ入ります。殿下は少々、違和感がありますね」
「この髪型だと致し方ないね」
左目を髪で覆うのは、何かを隠していることがすぐにわかってしまう。質素な眼帯にすることも考えたが、ロザナンドの眼帯は魔力を抑えるための物でもある。この眼帯を外すことはできない。
さらにシェルは、
私室を出ると、ラーシュとニクラス、ディーサも準備が完了しているようだった。彼らもいつもの鎧とローブは脱ぎ捨てて、人間の冒険者のような
「今回は王都の酒場に潜入する」ロザナンドは言う。「酒場の女主人が魔族で、情報屋として滞在することになっている」
「その女主人が魔族であることは、人間には知られているのですか?」
真面目な表情で問うラーシュに、ロザナンドは小さく頷く。
「一部には知られている。魔族の情報源として扱われているようだ」
「魔族の情報を流しているってこと?」
そう言うディーサは少々不服な表情だ。魔族の情報を流す者が王都で人間に利用されていることに不満を懐いているらしい。
「彼女が情報を漏らすことはないよ。度々情報を求められてはいるようだ。だから、僕とユトリロが魔族を知る情報屋として滞在する。彼女のもとへ情報を求めて来る者があれば、僕のほうに誘導してもらうことになっている」
もちろん、そのまま魔族の情報を与えることはあり得ない。偽情報を流すとまではいかずとも、少し改変した情報をもたらすのだ。それと同時に、ロザナンドも人間の情報を探るようにする。情報戦の始まりだ。
「ユトリロが同行者で」と、ニクラス。「ラーシュと自分とディーサ姫はその近くで客に扮する。それで少しでも情報を欲しがる者がいれば殿下のもとに誘導する、ということでよろしいですか?」
「うん。どの情報をどう売るかはこちらで決めてある。僕も勇者の情報を得られたら尚良いんだがね」
「どうするつもり?」と、ディーサ。「勇者の情報を探って、その先は?」
「隙を突いて『聖なる力』を奪うことを目指す。そうすれば、人間は魔族と戦えなくなる」
魔族の国に侵攻して来る勇者パーティの七人は、はるかに能力値の高い魔族に挑める「聖なる力」を宿すことになる。それがなくなれば人間は魔族に対抗できない。与えられる前に阻害できればそれに越したことはないが、その隙を突くのは難しいかもしれない。
「勇者軍に勝つのではなく」と、アニタ。「争いそのものを回避するのですね」
「うん。魔王軍と勇者軍の戦いが、泥沼の三百年戦争を招く。消耗戦の末に、魔族は滅亡することになる。だから争いを回避するんだ」
「そんなことが本当にできるの?」
ディーサはいまだロザナンドの能力に懐疑的らしい。全幅の信頼を置くには時間がかかりそうだ。
「いまはまだわからない。だから会いに行くんだ。魔王軍と勇者軍の戦いは、情報戦のうちに終わらせる」
「その前に正体がバレるなんて間抜けな真似をしないでよね」
「僕を誰だと思ってるの?」
不敵に笑うロザナンドに、ディーサは小さく肩をすくめる。魔王の子息という立場上、ロザナンドが高い能力を持っていることは明らかだ。それでも、信頼を勝ち取るにはまだ時間がかかりそうだ。
* * *
ロザナンドの転移魔法で、目的の酒場の裏に到達する。結界によって弾かれるのではないかと考えていたが、やはり人間の能力はロザナンドよりはるかに劣るらしい。簡単に越えることができてしまった。
酒場の裏口では、恰幅の良い女性が待っていた。この酒場の女主人マダム・キリィだ。
「お待ちしておりました。準備はすっかり整っていますよ」
酒場というものは情報交換に使われることが多い。情報屋がいれば人間も食い付くだろう。
「今回は、魔族という点はバレても構わない」ロザナンドは言う。「そのほうが都合が良い場合もある」
「はい。もうすぐ開店です。しばらくすれば人間たちが集まって来るはずですよ」
「マダム・キリィが魔族だということは一部には知られているのよね」
「ええ。知っている者は知っている、という程度ですよ。王都には他にも魔族が暮らしていてね。特に迫害されるようなことはありませんね」
「魔王討伐を目指しているからと言って、根絶やしにするつもりというわけではないのですね」
冷静に問うユトリロに、ええ、とマダム・キリィは穏やかに微笑む。人間に酷い目に遭わされているというようなことはないようだ。むしろ、とマダム・キリィは続ける。
「魔王討伐を目指しているのは王宮だけとも言えますね。何せ、魔族は人間に何もしておりませんから」
「じゃあ」ロザナンドは言う。「勇者たちの志望動機は?」
「勇者とその仲間は王宮が召集した者たちです。おそらく、拒否権はないんじゃないかと思いますよ」
「魔王を討伐しないと彼らは解放されない、か。逆に哀れに思えてくるな」
したくもない戦いを強いられるのだとすれば、勇者たちは一番の被害者なのかもしれない。魔王を討伐すれば、魔王の仇として魔族から追われることになる。命を懸けて戦った末に仇討ちに狙われるのだとすれば、勇者たちに安寧が訪れるのは、しばらく先のことになるだろう。
マダム・キリィは開店準備に取り掛かり、ロザナンドとユトリロは壁際のテーブルに着く。ラーシュ、ニクラス、ディーサはその近くに立って待機だ。情報を求める者がいれば、ロザナンドのもとに誘導する手筈になっている。
「ユトリロ、勇者パーティの七人の外見を伝えておく」
「はい」
ロザナンドは伝達魔法でユトリロの脳内に勇者パーティの外見を映し出す。勇者パーティの者が来ればすぐにわかるようにできるだろう。
「シェルの情報では、七人は全員、王都に集まったらしい。勇者パーティとしての召集がまだだとしても、通達くらいは行っているだろうね。情報を求めて来る可能性は大いにあり得る。僕たちの正体は悟られないようにね」
「承知いたしました」
魔族であることが知られることがあっても、魔王の息子ということは見抜かれるわけにはいかない。
酒場が開店になると、数名の人間が店を訪れた。まだ昼間であるが、この店に通うのが日常なのだろう。カウンターで思い思いの酒を受け取ると、それぞれ流れるように席に着く。決まった場所があるようだ。その中で恰幅の良い男がロザナンドたちに視線を向けた。ゆったりと歩いて来て、ロザナンドの後ろの椅子に腰を下ろした。
「見ない顔だな。観光で来たのかい?」
男はふくよかな頬に親しみのある笑みを浮かべる。魔族であるということには気付いていないようだ。
「情報を売りに来たんだ」ロザナンドは言う。「王都は冒険者が多いだろう?」
「ほう、情報屋なのかい。どこから来たんだい?」
「各地を転々としているよ」
「どんな情報を扱っているんだい?」
「それは代金をもらわないと。こちらも商売だからね」
不敵に笑って見せるロザナンドに、男はたぷたぷと頬を揺らして笑う。警戒心を持ち合わせていない性質の人間のようだ。
「いま、王宮では勇者選抜が行われているんだろう? 勇者のことは知っているか?」
「情報が欲しいなら代金をもらわないと」
男が愉快そうに笑うので、ロザナンドは肩をすくめた。
「一杯、奢ればいいか?」
「それはありがたい。安月給でね」
「王都で働いているのに?」
「王都が繁栄していても、自分の商売もそうとは限らない」
どうやら、運良く口の軽い性質の人間に出会えたようだ。もしかしたら、すでに酒が入っているのかもしれない。
「勇者選抜では、男女がひとりずつ残っているらしいよ。同行する仲間も王宮が選抜されたらしい。召集はされているだろうけど、正式に結成されるのはまだ先のことだろうね」
「どんな者が召集されているんだ?」
「悪いが、そこまでは知らないな。勇者候補のロレッタという女の子には、同行者がふたりいるらしい。だから、ロレッタが選ばれるんじゃないかって話だよ」
男の口は羽のように軽い。情報屋に情報を売る者がいるのはロザナンドには助かるが、この口の軽さでは信用を得ているような人物ではないのだろう。
「なぜ勇者は魔王を討伐しに行くんだ?」
「さあな。魔族が人間の国で悪さをしているらしいが、王都は平和なもんだよ。小さな町や村で悪さをしているらしい」
やはり人間のあいだでは魔族の情報が歪めて伝えられているようだ、とロザナンドは考える。魔族が人間に危害を加えることはない。魔族の能力値では“悪さ”では済まないからだ。魔族と人間の能力値にははるかな差がある。小さな町や村では、制圧することにさほど労力はかからない。
「だが噂では、魔族の国も繁栄した大きな国だそうじゃないか。わざわざ小さな町や村で悪さをしなくても、軍隊を作って王都を攻めればいい話じゃないか?」
「小さな町や村で悪さをして、王都に侵攻する気を窺っているんじゃないか?」
「その可能性はあるが、軍隊を率いて侵攻するのはもう戦争と言えるだろう? 勇者パーティもそうだが、互いに王の首を狙うようになれば国を挙げての戦争になる。小さな町や村で悪さをしている程度で戦争を仕掛けるんじゃ、悪いのは人間ってことになり兼ねない」
「だが、魔族がそうして人間に侵攻させるよう仕掛けているということもあり得るんじゃないか?」
「だとしたら、人間は頭が悪い。魔族の誘いにまんまと乗っていることになるだろ? 人間が先に仕掛けて返り討ちに遭って負けでもしたら、あまりに馬鹿馬鹿しい。そうなれば、魔族の思い通りだ」
酒場に来るような呑気な人間にすらそう思わせるなら、人間の王宮に対する印象は人間のあいだでもあまりよくないのかもしれない、とロザナンドは考える。人間が人間を愚かだと考えているのなら、それこそ男の言うように馬鹿馬鹿しい話だ。
「だが、王宮には勝算があるんだろ? そのために勇者を選んでいるんじゃないか?」
別の細身の男が、ふくよかな男の
「勇者には特別な力があるらしい」と、ふくよかな男。「それが魔王を倒す唯一の方法らしい」
「人間と魔族は相入れないとされているからな」と、細身の男。「大きな戦争に入る前に先手で潰すんじゃないか?」
「楽しそうな話をしているね」
少々棘のある声がした。歩み寄って来たのは、背の低い短い茶髪の少年だ。ロザナンドはこの少年に見覚えがあった。
「げ、アルト」と、ふくよかな男。「じゃあ、俺たちはこれで……」
ふたりの男はそそくさとその場を去って行く。この少年は、勇者パーティに召集されるアルト・ブリステンで間違いないようだ。
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