第9章 シーラ・マート伯爵令嬢【2】
「シーラは何か不思議な雰囲気だよね」
寮の部屋でのお茶の最中、アラベルが思い立ったように呟いた。僕とジークハイドが視線を向けると、アラベルは何かを考え込んでいる。自分の中で考えをまとめているような表情だ。
「休暇前の僕に似てる?」
クラリスの言ったことを思い出しながら言った僕に、うーん、とアラベルは首を捻った。
「また違う雰囲気を感じるんだ。言葉では言い表せない……感覚的なものだけど……。心の奥に何かを隠しているような……そんな気配がする」
リーネはシナリオとの差異が引っ掛かっていたが、アラベルとクラリスは感覚的に何かを感じ取っているらしい。その正体はふたりとも掴めていないようだ。シーラの中には、僕たちが思っている以上に何か複雑なものが隠されているのかもしれない。
「……リーネに似てるかもしれない」
ややあって口を開いたアラベルは、確かめるようにしながら言った。
「リーネと?」
「うん……。リーネも、僕たちに隠していることがあるみたいだから……」
リーネは確かに、自分が転生者であることを彼らには隠している。それは僕も同じことなのだが、リーネは元々、隠し事が苦手な女の子なのかもしれない。隠し事をしているのが誰から見ても明らかなんて、それはそれで心配になってしまう。
「警戒するべきかな」
「うーん、どうかな……。僕たちに何かしようとしているわけではなさそうだし、悪い人ではないと思うけど……。まだ何回かしか会ってないから詳しくはわからないけど、何か不思議な雰囲気」
転生者としては、シナリオとの差異があるシーラに何かが隠されていることは不穏に感じるが、害意があるわけではないなら特に警戒する必要もないのだろうか。勝手に警戒して避けるのも可哀想だ。害意の有無の確証が持てるまでは、必要以上に警戒する必要もないだろう。
* * *
シーラは仕事を覚えるのが特別に早かった。まだ生徒会に入って数日だというのに、僕とクラリスが難しいと感じていた作業があっという間に終わってしまった。生徒会の活動時間が終わるまで余裕ができてしまったほどだ。
「ありがとう、シーラ。こんなに早く終わると思ってなかったよ」
「お役に立てたなら何よりですわ」
「シーラは昔から優秀で」クラリスが微笑む。「何度も助けてもらっているんです。とっても頼りになります」
「クラリスも充分、優秀ですよ。もちろんラゼル様も。ふたりがいなければ、私だけでは何もできませんわ」
謙遜しつつ相手を褒めて持ち上げるなんて、社交界の淑女として完璧だな。こんな美女に褒められて悪い気のする人なんていないはず。もちろん僕もそうだ。
しかし、ふとシーラの表情が曇った。
「私は昔から、人の助けがないと何もできませんでしたから……」
「そんなことありません」と、クラリス。「むしろ私とお兄様が助けてもらっているんですから」
シーラは薄く微笑む。病気に臥せっていたことで、自信を失くしているのかもしれない。確かに、病気で何もできなかった時期があると、無力感を懐くこともあるだろう。ジェマとの婚約がこの歳まで延期されていたとなると、闘病期間はかなり長かったのかもしれない。これから自信を取り戻せるといいのだけれど。
「みんな、調子はどうかな」
レイデンが僕たちに微笑みかける。自分の護衛騎士となる人間の婚約者として、シーラをよく気にかけている。こうして度々声をかけて来ることがあった。
「シーラのおかげで、いつもより早く仕事が片付いています」
僕が微笑んで返すと、レイデンは安堵したように微笑んだ。それから、少し悪戯っぽい笑みでジェマを振り向く。
「良い妻をもらったようだな、ジェマ?」
「まだ妻ではありません」
毅然とした表情で言いつつも、ジェマは少しだけ照れているようだった。シーラを誇りに思っているらしい。これなら、シーラが自信を取り戻す日も遠くないだろう。
レイデンに提出した書類の最終確認を終えると、僕はひとりで生徒会室を出た。クラリスとシーラ、リーネも先に帰ってしまった。アラベルとジークハイドはまだやることがあるようだ。先に寮に引き上げても問題はないだろう。
生徒会室から出た僕に気付いて、ドアの外にいたシーラが顔を上げた。
「ラゼル様、お疲れ様でございます」
「シーラもお疲れ様。どうしたの?」
「少しお話をしたいと思いまして……」
シーラは何か気になることがあるらしい。僕たちは寮に向かいながら話をすることにした。
「あの……リーネさんは、どんなお方なのですか?」
「リーネ?」
首を傾げる僕に、シーラは足元に視線を落とす。
「初めてお会いしたので、少し気になっているのです」
「そう。リーネは光の魔法を持つけど平民なんだ。明るくて一生懸命だから、生徒会内では好かれているよ」
こんなこと、本人に対しては絶対に言わないだろうな。リーネは褒められて伸びる性質だが、きっと調子に乗りやすい。妹と似ているのでよくわかる。きっと褒めすぎると気合いが空回りして失敗する性質だ。
「ジェマ様とご一緒にお仕事をされていたようですが……」
シーラの表情が不安そうに曇る。リーネは生徒会入りした頃からいまでもジェマと仕事をしているのだ。ふたりの仲が良いので、不安になったようだ。
「心配は要らないよ。リーネはジェマにはそういう意味では興味がないし、ジェマもシーラを大事に思っているようだしね」
「そうですか……」
シーラはまだ不安そうな表情をしているが、僕を信用する気にはなっているようで小さく頷く。リーネにはもう、僕たちを攻略しようという気はないはずだ。婚約者がいるのに横取りしようとするような子でもないはず。そんなつもりがあれば、今度こそ僕の心はリーネから断絶される。せっかく友達になれたことを喜んでくれているのだから、そんな結果にはなってほしくない。それはリーネも同じように考えてくれているはずだ。
「私は上手くやっていけるでしょうか……」
シーラは、こういった不安を正直にジェマに打ち明けることができないのかもしれない。ジェマを信用していないわけではなく、心配をかけまいとしているのだろう。
「シーラが来てくれて、僕たちはとても助かっているよ。きっとみんな、シーラを頼りにしているよ」
「……ありがとうございます」
シーラは薄く微笑む。僕の言葉を信用してくれているようだ。
それにしても、生きているあいだに……転生してるから死んではいるのか? まあとにかく、こんな美女に微笑みかけられるなんて思ってもいなかったな。そういえば、僕たち兄妹が小さい頃に亡くなった僕たちの母も綺麗な人だった記憶がある。妹は母によく似ているが、僕は父にはあまり似ていない。父は男前な顔立ちだったと思うけど、僕はこの三人から浮いて実に平凡な男であった。隔世遺伝のおじいちゃん似だったからしょうがないね。
女子寮の前でシーラと別れて寮に向かうと、男子寮の門の前にリーネの姿があった。女子の立ち入りが許されるギリギリのラインに立っている。
「リーネ、どうしたの?」
「ラゼル……。ラゼルはシーラのこと、どう思う?」
リーネはリーネで、また違う心配で不安そうな表情をしていた。彼女はこの世界のヒロインで、この世界のことをよく知っている。曖昧な知識しか持っていない僕とは、感じることが違うだろう。
「普通のひとりの女の子だと思うけど……。病気のせいで自信を失くしているようだけど、仕事もできるし、人柄も良い。特に不穏なことはないように感じる」
「うーん……そうよね……」
リーネは頬に手を当てて考え込む。シーラと接点が増えたいまでも、何か引っ掛かることがあるらしい。
「なんだか胸騒ぎがするの。よくないことが起きるような……。予感みたいなものかしら……」
「そう……。きみは光の魔法を持つから、感覚が鋭いのかもしれない。警戒まではいかずとも、気を付けておこう」
「……ええ、そうね」
もしかしたら、昔からシーラと関わりを持つジェマなら何か気付いていることがあるかもしれないが、勘の悪いジェマのことだ。何も考えていない可能性もある。あまり当てにしないほうがいいのかもしれないが、シーラのことを一番に知っているのはジェマだろう。彼と話をできる機会があるといいのだが。
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