第7章 レイデンと断罪
エゼリィにリーネを探るよう頼んでから、エゼリィとリーネが裏庭のガゼボにいる姿を何度か見かけた。エゼリィならリーネから何かしら狙いを聞き出せるだろう。エゼリィがリーネの気持ちを蔑ろに無理やりに詰問することはないはず。リーネを責めるようなことはしないだろう。エゼリィに任せておけば間違いないはずだ。
生徒会室に行くと、レイデンの姿しかなかった。クラリスとマチルダは僕と同じクラスだが、それぞれ講師に質問に行ったり友人と話したりするため、揃って教室を出ないことがある。それはレイデンも同じことのようだ。
「こんにちは、レイデン殿下」
「やあ、ラゼル」
レイデンは少し素っ気なく返す。いつも周囲に振り撒いているような愛想はない。
僕としてはあまり気にする必要はないので、いつもの机に着いて仕事を始めようとした。レイデンが呼びかけるので手を止めたのだが。
「お茶会では深く言及しなかったが、リーネを虐げているらしいな」
まったく身に覚えのないことに、僕は少しだけ胸騒ぎがした。
「リーネは平民出身だが、それを実力で覆そうとしている。なぜ冷たく当たるんだ」
なるほど。ガーデンパーティでの違和感は、愛想笑いだったということらしい。こうしてふたりきりになる時を待っていたのだ。
「きみがリーネを虐げることで生徒会内の風紀を乱す可能性がある。態度を改めたまえ」
レイデンは入学当初からリーネを気にかけていた。エゼリィが告げ口をしたとは考えられないことから、リーネがレイデンに相談したのは本当のことのようだ。もしエゼリィが悪役令嬢の立場であった場合、告げ口は僕のことではないはず。リーネは僕を悪役令息だと知った上でレイデンに打ち明けた。リーネはレイデンルートに進んでいるということだ。このままいけば、レイデンは攻略されるのだろうか。
おそらくリーネにはヒロイン補正がかかっている。リーネの思惑とは別に、ヒロイン補正でレイデンがリーネに惹かれているようだ。リーネがこの好感度をどう扱うかわからない。なんのために僕の好感度を上げようとしているのかもわからないいま、エゼリィの諜報活動だけが頼りだ。何か聞き出せているといいのだが、エゼリィが悪役令嬢になることも避けたい。
リーネはいま、行動ひとつで他の人の心証を変える。レイデンが庇うことで周囲のリーネに対する扱いが変わってくる。リーネの選択肢でレイデンの立場が変わった場合、婚約者のエゼリィにも支障が出る。
そして僕は断罪されるかもしれない。そうなれば破滅エンドに行くことになるだろう。リーネがそこまで悪い人だとは思わないが、ヒロイン補正をどう扱うか、慎重に見極めないとならない。
* * *
また別の放課後。生徒会室に向かう途中、僕を呼び止める声がかかった。エゼリィだ。
「リーネさんからお話を伺いましたわ」
「ありがとう。どうだった?」
「リーネさんは何か目的があったようですわ。これまでの言動は、その目的を達成するものとのことですわ」
やはりリーネは転生者で間違いないようだ。そうでなかったとしても、自分がヒロインであることと僕が悪役令息であることを知っている。その上で目的を設定していたのだ。それはおそらく、
「けれど、いまは生徒会のみなさんと親しくなりたいとお考えのようですわ。これまでの言動は反省しているそうですわ」
リーネは同学年から
「そのせいでラゼルさんに冷たくされている気がする、とも仰っていましたわ。ラゼルさんとも友達になりたいそうですわ」
「そう……。まだ何か隠している様子はあった?」
「隠していることはありそうですけれど、悪さをしようという様子ではありませんでしたわ。とにかくみなさんと仲良くしたいと願っているのでしょう」
隠し事というのはおそらく、転生者であるということだろう。転生者は前世の記憶というチートをすでに持っている。この世界を意のままに操ろうと思えばそれも可能だろう。実際、レイデンはリーネに惹かれ始めている。元々それを悪用しようというつもりはないだろうが、目的を達成しないと決めたのならそれで充分という気もする。
「リーネさんは嘘をついているようには見えませんでしたわ。本心からの言葉でしょう」
「そう……。ありがとう。リーネと良い友人関係を築けるよう気にかけておくよ」
「それがよろしいでしょう。けれど……レイデン殿下もリーネさんを気にかけてらっしゃるようですわ」
エゼリィが表情を曇らせる。彼女はレイデンのことを信用しているが、ここ最近のレイデンを見て思うところがあるのだろう。
「レイデン殿下は未来の王として大局を見てらっしゃいます。ひとりの平民を気にかけられるなんて、珍しいことですわ。レイデン殿下は……何かが変わってしまわれたような、そんな気がしますわ」
それはリーネのヒロイン補正のためだろうが、リーネにその気がなければ攻略されることはないはずだ。
「気にする必要はないよ。僕とリーネが仲良くすれば、レイデン殿下も納得されるんじゃないかな」
「……そうでしょうか」
「大丈夫。心配いらないよ」
「……ええ。あなたを信用しますわ」
それは予想外の言葉だった。エゼリィの信用はいまだに勝ち取れていないと思っていた。お茶会の招待に応じたことを喜んでくれていたようだし、エゼリィはエゼリィで僕と親しくなりたいと思ってくれていたのかもしれない。試用期間は合格したようだ。また心強い味方を得た気分だ。
* * *
ここ最近、生徒会室に他のメンバーが集合するのが遅くなったようだ。とは言っても、それぞれクラスでの交友関係や勉強のこともある。友人とお喋りに興じて生徒会室に来るのが遅れたとしても咎められることはない。生徒会が学院生活の妨げになってはならない。交友や勉強を満喫してこその学院生活だ。生徒会もその一部に過ぎない。優先しなければならないということもないはずだ。
生徒会室のドアが開くので僕は顔を上げる。部屋に入って来たのはリーネで、リーネは愛想良く会釈をしながらもどこか気まずそうな表情をしていた。
「リーネ、お疲れ様」
僕が微笑みかけると、リーネの表情がパッと明るくなる。仲良くしたいと思っているのは本心からのことのようだ。
「ラゼル様もお疲れ様です」
リーネは嬉しそうに微笑んで席に着く。純粋な少女であることは間違いないのだ。
僕はエゼリィの調査報告で確信を持っている。もう回りくどい手段を取る必要はないだろう。
「リーネは、どうして僕と仲良くなりたかったの?」
「えっ……?」
「僕が隠し攻略対象だから?」
リーネの顔がサッと青褪める。エゼリィの調査報告から、リーネが攻略対象たちの好感度をこれ以上に上げるつもりがないことはわかっている。それをさらにダメ押ししたかったのだ。疑い続けるのは申し訳ないが、もしリーネが上手い嘘をついているのだとしたら、それを防ぐには僕が転生者であることを打ち明けたほうが話が早い。レイデンルート攻略を防ぐために、これ以上、僕が隠し続ける必要はないだろう。
「きみが何を考えているかがわからなくて、つい冷たくしてしまったんだ」
これでリーネが正直に話してくれるなら、僕の追及はそこでおしまいだ。
リーネは俯きながら口を開く。
「私は、この『希望の雫と星の乙女』が好きだったんです。それで、逆ハーレムエンドにしたいと思っていました。それで、どうにかラゼル様を含んだ逆ハーレムエンドにできないかと思っていたんです」
概ね僕の想像通りだったようだ。リーネの中には、自分でプレイしたときに導き出した攻略法があったのかもしれない。
「でも、ここは現実世界になりました。自分の思い通りにはできないと悟るのに、時間がかかってしましました」
リーネはリーネで、葛藤のようなものがあったのだろう。自分がヒロインである自覚があり、攻略対象たちと親しくなれると思っていたのだとしたら、ここが現実世界であることはリーネには厳しいことだったかもしれない。
「私はリーネだけど……ヒロインではなかったみたいです。でも、みんなと仲良くなりたいと思うのは本当です」
今度こそ、リーネには嘘も計算も隠し事もない。それは僕の前では無意味だ。僕もすべてを知っているのだから。
オタクの妹の熱弁を聞いていただけだから、知識としてはリーネのほうが多いだろうけれど。
「ヒロインではないかもしれないけど」僕は言った。「素直な気持ちでいれば仲良くなれるよ。リーネが悪い人だとは思わない。今度は友情エンドを目指してみたらどう?」
リーネの顔色が少しだけ良くなる。僕に咎めるつもりがないことをわかってくれたようだ。
「でも……私のせいでラゼル様が破滅したりしないでしょうか」
「大丈夫だよ。ラゼルである僕がそのつもりがないんだから。それより、問題はレイデン殿下かな」
「それなら大丈夫です。私はラゼル様が冷たいと話しただけで、それ以上のことは何もしていません。レイデン殿下は正義感の強い方なので、風紀を乱す可能性を見過ごせなかったんじゃないでしょうか」
「そう。それなら、誤解を解ければ問題なさそうだね」
「はい。私がお話ししておきます」
「そうだね。よろしく」
僕が微笑みかけると、リーネも安堵したように表情を明るくする。
「ありがとうございます、ラゼル様」
「ラゼルでいいよ。敬語もいらない。だって、僕たちはいま友達になったんだから」
しまった……気持ち悪いことを言ってしまった。そら見ろ、リーネがぽかんと目を丸くしている。女の子にこういうことを言うのはよくないんじゃないか? 距離の縮め方エグ……的な。
しかしそれは杞憂だった。リーネが嬉しそうに微笑んだからだ。
「ありがとう。あなたは良い人ね」
本当にヒロインと打ち解けられるのか心配だったが、リーネはとても嬉しそうだ。悪役令息とヒロインが友達になるというのはなんとも不思議だ。これなら、呪いの子が破滅を招くのを防ぐことができるようになるだろう。僕にとってそれが最も重要である。ヒロインの力があれば、それがより現実的になるはずだ。あとは、シナリオの抑制力が働かないことを願うばかりだ。
* * *
僕はしばしば、裏庭に面した中廊下で柵に寄りかかって考え事をするようになった。裏庭の蔦だらけのガゼボをなんとなく眺めるのが気に入っている。少々小汚さを感じるため、貴族の子息子女はあまり寄りつかない場所だ。それでも落ち着いてお喋りができる場として、小さな庭園にはいつも何人か生徒の姿があった。
「ラゼル」
穏やかな呼び声に顔を上げると、レイデンが歩み寄って来るところだった。またリーネのことで何かあったのかもしれないと思ったが、その表情に険しさはない。
「先日はすまなかったね。リーネから、ただ喧嘩をしただけだと聞いたよ。私の早とちりだったようだ」
「誤解が解けたなら何よりです。僕はリーネとも仲良くできればと思っていますから」
「そうか」
レイデンがリーネに対する印象を変えたかどうかはわからないが、これで僕が悪者扱いされることはなくなりそうだ。レイデンと良好な関係を築くまではまだ時間がかかるかもしれないが、とにかくリーネを敵視することはないとわかっていてもらえばそれでいい。
そのとき、僕はピリと肌が痺れるような感覚を感じた。
「レイデン殿下、ラゼル様。少々よろしいでしょうか」
棘のある声がかけられるので振り向くと、三人の女子生徒とふたりの男子生徒が僕たちの前に立ち並んだ。その表情は険しく、厳しく僕を睨め付けている。
「レイデン殿下、ご存知でしょうか。ラゼル様は、リーネさんを陰で虐げていますわ」
僕とレイデンは顔を見合わせた。つい数十秒前にその誤解が解けたばかりだ。レイデンはリーネ本人の口から聞いたため僕を再び疑うことはないようで、怪訝な視線を五人に向けた。
「どういうことだ?」
「ラゼル様は、平民のリーネさんが王立魔道学院にいることが気に食わないようですわ」
「そのためにリーネ嬢に強く当たっているのです」
「リーネさんが陰で泣いてらっしゃるのを何度も見ましたわ」
まるで断罪イベントのようだ。それにしては、リーネも攻略対象もいない。そしてかなり小規模だ。断罪イベントと言えば、攻略対象が罪を告発してヒロインがそれを認める、といったイメージがある。いまの状態は、断罪イベントとはかけ離れていた。それでも、ラゼルの罪をレイデンに告発するというところは、断罪イベントと判断してもいいのかもしれない。
「ラゼル様も平民出身であるのに、リーネさんを虐げるなんて卑劣ですわ」
「この学院に相応しくないのはきみのほうだ」
「レイデン殿下もそう思われませんか?」
問いかけられたレイデンは、この場を上手く収めるための言葉を探しているように見えた。僕への誤解はリーネ本人の言葉によって解かれた。五人の生徒たちの主張は荒唐無稽な作り話であることは理解しているだろう。全否定で場を収めることも可能だが、立場上、レイデンが全面的に僕を庇うわけにはいかない。ひとりの民に肩入れすることはできないからだ。それが依怙贔屓のように捉えられるのが良くないことであるのは僕にもよくわかる。この場を上手く収めるには……。
「レイデン殿下、ラゼルさん、どうなさったのですか?」
この声はまさに助け舟だった。なんの悪戯か、生徒会メンバー全員が五人の生徒の背後から歩み寄って来る。先頭に立つエゼリィは怪訝な表情だ。
「リーネさん、いいところに。あなたはラゼル様に陰で虐げられていたのでしょう?」
リーネが目を丸くする。これが断罪イベントのような空気であることには気付いただろう。他の生徒会メンバーも互いに顔を見合わせている。彼らから見ても、異常な光景のようだ。
「そんなことあり得ません!」リーネが声を上げる。「ラゼルは私の友達です。そんなことはしないわ!」
「可哀想に。脅されて黙らされているんだね」
「実際、目撃者はたくさんいるのよ」
五人の生徒たちは、僕がリーネを虐げている確信があるらしい。どんな根拠があるのかわからないが、頑として譲らないようだ。
「私自身が違うって言うんだから、そんなことはあり得ないわ!」
「ラゼルさんは、光の魔法を持つあなたに劣等感を懐いているのよ」
女子生徒の言葉に、リーネはハッとする。その理由を、彼女はよく知っている。
「ラゼルさんは闇の魔法を持っているのですもの」
僕とリーネは顔を見合わせた。いまの僕は闇の魔法を持っていない。現時点で一般生徒がそれを知っているのはあり得ないことだ。夏季休暇前のラゼルも、まだ闇の魔法に手を出していなかった。そんなことを言われる理由はない。それはリーネも知っているはずだ。
「それを隠して王立魔道学院に通うなんて卑劣だ」
「そんな理由でリーネさんを虐げるなんて、恥ずべきことよ」
「いますぐこの学院から――」
「そこまで」
空気を断ち切るように軽く手を振り、ウィロルが前に進み出る。それに続くマチルダが、鋭い視線を五人に向けた。
「学院長の孫として、その証言が偽りであることを証明するわ」
そこで僕は、ようやく思い出していた。ウィロル・オーズマンとマチルダ・オーズマン。ふたりは「導きの双子」だ。いわゆるお助けキャラである。オーズマン学院長の孫で、プレイヤーが攻略に詰まった際に助言をしてくれる存在だ。シナリオ上に登場する機会はあまりなく、妹の熱弁での登場回数も少なく、あまりに目立たないため忘れていた。
「ラゼルが闇の魔法を持っているはずがない」と、ウィロル。「もしきみたちがそれを感じ取るほど、僕たちより優れた魔法使いであると言うなら、荒唐無稽な作り話だとわかっているはずだ」
「オーズマンの名にかけて」と、マチルダ。「それ以上に強い証言があると言うなら、ぜひ聞かせてちょうだい」
ふたりの言葉に怯んだ五人の生徒たちは後退りし、逃げるように僕たちに背を向けた。この学院の最高峰の身分であるオーズマンの名を打ち負かす証明など、この学院には存在していない。僕が闇の魔法を持っていないことは、これで認めざるを得なくなったのだ。
リーネが心配そうな表情で僕に駆け寄る。僕たちの気がかりは、どこからラゼル・キールストラと闇の魔法に関わりがあるという噂が湧いたか、というところである。僕とリーネが転生者であることで、何かシナリオの抑制力が働いているのだろうか。それは不吉な予感だ。ウィロルとマチルダがいなければ、どうなっていたかわからない。僕たちには胸騒ぎが残された。
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