第2章【2】

 ガンショップを離れてしばらく。路地の奥から銃声が響き渡った。角の瓦礫から向こう側を覗き込むと、ゾンビが一箇所に群がっている。

「逃げ遅れた民がいるんだわ。まずはステルスキルを狙うから、あなたは後ろから援護なさい」

「承知しました」

 ニーラントの返事を合図に、ベアトリスは足音を殺してゾンビの背後に迫る。最初の一体のくびにナイフを突き立てると、ぎゃあ、と潰れた声で群れを作っていたゾンビがベアトリスの存在を認識する。ベアトリスは瞬時にライフルを構え、銃弾を遠慮なく撃ち込んだ。ヘッドショットを決め、次々にゾンビを下す。別方向から動き出したゾンビに、ニーラントが銃弾を浴びせた。

 最後の一体がヘッドショットに沈むと、ベアトリスは背後を振り向く。各々が武器を手に震える民が、信じられない、と言うようにベアトリスを見つめていた。

「みんな、無事でよかったわ」

 ベアトリスの言葉に、緊張の糸が切れたように泣き崩れる女性が見えた。周囲の民も安堵したように息をついている。集団は十数人。セーフハウスの存在を知らない彼らは、安全な場所を求めて戦って来たのだろう。

 その中に見つけた人物に、ベアトリスはニーラントの腕を引いた。それは短い茶髪にそばかすだらけの顔の平凡な青年だ。

「ニール、好機が巡って来たわ」

「はい?」

「あそこにいるそばかすの男の子、ヒロインの幼馴染みのラルフよ」

 ニーラントが背後にちらりと視線を遣る。青年――ラルフは様子を窺うようにふたりを観察していた。

「ラルフの能力値を上げると、攻略難易度が下がるの。ラルフの好感度を上げれば、ヒロインの『聖なる祈り』の発動条件が簡単になるわ」

「なるほど……。では、ラルフさんとレイラ嬢の恋を後押しすれば……」

「ええ。この街を救うのに一歩前進するわ。ただ、ラルフは隣町でヒロインと一緒にいるはずなのに、ここにいるのは謎だわ」

 その姿はラルフで間違いないが、この街にヒロインの幼馴染みであるはずのラルフがいるのは不自然だ。ラルフがヒロインと合流するのが、ヒロインのいる隣町のはずであるからだ。

「まあとにかく、これは好機よ。ラルフは幼馴染みという接点があるから、好感度が上がりやすいの。最短ルートで行けるかもしれないわ」

「お嬢様はその邪魔をするんですよね」

「ええ。悪役令嬢の役割を全うして見せるわ」

 ベアトリスはひとつ息をつくと、困惑している民を振り向いた。

「こんなゾンビだらけの場所で何をしているのかしら。命の危険があることをわかっているの?」

「隣町に幼馴染みがいる」ラルフが真剣な表情で言う。「助けに行くために、隣町を目指している」

「あの、あなたは……」

 当惑した様子の民に、ベアトリスは肩にかかる髪を払った。

「ベアトリス・セランよ」

 つっけんどんに答えたベアトリスに、民たちがどよめく。セラン侯爵家のことは知っているはず。侯爵令嬢がこうして助けに駆けつけたことに困惑しているようだ。

「こんなところにいては危険だわ。私について来なさい」

 民が不安そうな表情を浮かべる。その中で、ラルフだけが真っ直ぐにベアトリスを見つめていた。その澄んだ瞳は、ゲームの中のラルフと遜色なかった。

「安全地帯まで案内するわ」

「で、ですが……このゾンビだらけの中をどうやって……」

 不安そうな民に、ベアトリスはライフルを構えて見せる。

「私にはこれがあるのよ?」

 民の困惑はより一層に深まる。ただの侯爵令嬢であるベアトリスがライフルひとつでここまで進んで来たことを信じられないようだ。もとより、信じてもらおうとはベアトリスも思っていない。

「とにかく、ここに残るか、私について来るか……それしか道はないわ」

 民が顔を見合わせる。それから、縋るようにベアトリスを見つめた。ラルフがベアトリスの前に進み出た。

「俺にも協力させてほしい。何かできることはあるだろうか」

「……ええ、そうね。あなたにはこれを使ってもらうわ」

 ベアトリスはラルフに、先ほどガンショップで発見したハンドガンを手渡す。銃の心得はない様子で、ニーラントが簡単に説明した。

「ゾンビの倒し方は実際に戦いながら教えるわ。幼馴染みを助けたいなら、戦う術を身につけなさい」

「ああ、わかった」

 ラルフは強い意志を湛えた瞳でベアトリスを見遣る。その表情には怯えの色はない。状況が違えど、攻略対象であることは間違いがないようだ。

「足手纏いにならないようになさい。戦力にならないと判断したら置いて行くわ」

「ああ。なんとしてもついて行くよ」

 他の民にも視線を送り、ベアトリスは踵を返す。ここでのんびりしている時間はないのだ。

 ヒロインの幼馴染みであるラルフがこの街にいる理由はわからない。ラルフは物語の冒頭に登場し、ヒロインとともにゾンビの討伐に向かう。この街にいたのでは、ヒロインと攻略対象が出会う順番が変わってくる。そうなれば、ラルフが最も好感度が上がりやすいというステータスにも変動が現れるかもしれない。これはベアトリスにとっても想定外で、ベアトリスというイレギュラーな存在が出現したことによる差異なのかもしれない、とそう考えていた。


 瓦礫の向こうを覗き込んだとき、四体のゾンビが彷徨っているのが見えた。ベアトリスは手振りで止まるよう指示を出し、ラルフを振り向いた。

「私が囮になるから、ニーラントと一緒にゾンビを倒しなさい」

 ラルフは緊張の色を見せつつ強く頷く。銃の心得がないため戦力としては期待できないが、ゾンビとの戦いは慣れ・・だ。戦い続けるうちにステータスは向上するだろう。

 ベアトリスは足音を潜め、背を向けるゾンビに近付く。手が届いた瞬間、頸にナイフを突き立てた。ぎゃあ、とカエルが潰れたような断末魔で、他の三体が振り返る。ベアトリスが身を翻したとき、ニーラントの援護射撃がゾンビに降りかかった。それに合わせてラルフも銃撃に参加する。しかし、弾はゾンビを掠めて地面に吸い込まれた。ベアトリスもライフルを構え、一体をヘッドショットで沈める。残りの二体はニーラントの銃弾に倒れた。

「当たってないじゃない」

 ベアトリスが厳しい口調で言うと、ラルフは苦虫を噛み潰したような表情で俯く。

「もしゾンビがあなたのほうを向いても私が援護するわ。残弾数を気にせず、とにかく体に撃ち込みなさい」

「ああ、わかった」

「そうだわ。ニール、あなたのハンドガンと交換しましょう」

「承知しました」

 ハンドガンを差し出すニーラントに、ラルフは不思議そうに首を傾げた。

「ニールのハンドガンは、威力を強化してあるわ。あなたに貸したハンドガンより、ゾンビに与えるダメージが大きくなる。そうすればゾンビを倒す難易度が下がるわ」

「ああ、ありがとう」

「頭を狙えば一発で倒せるけど、とにかく体に撃ち込むのよ。友人を助けたかったら、恐怖心なんて捨てなさい。それができないなら置いて行くわ」

「ああ、わかった」

 次のセーフハウスはさほど遠くない。戦いに慣れていないラルフが疲弊する前に到着することができるだろう。ベアトリスも、体力が尽きるまで戦わせるほど鬼ではない。最短ルートでセーフハウスを目指すつもりだ。

 それから二回ほど合計六体のゾンビと戦闘になった。ベアトリスのステルスキルを駆使しつつ、ニーラントの援護を受けてラルフがゾンビを下す。回数を重ねるごとに、ラルフはゾンビ戦のコツを掴んできたようだった。

 セーフハウスが見えて来たのは、日が暮れる頃の時間だった。夜の時間帯になると、ゾンビは強化されるかもしれない。戦いに慣れ始めたばかりのラルフには辛い戦いになったことだろう。

「ここが安全地帯よ。この家にゾンビが入って来ることはないわ」

 ベアトリスの言葉に、民は一様に安堵した表情になる。どこからどう見ても一般的な家屋だが、これまでのベアトリスの戦いぶりで信用できると判断したのだろう。

「あなたたちはここで待っていてちょうだい。私たちは助けを呼んで来るわ」

 民が各々頷くと、ベアトリスはラルフを振り向いた。

「あなたはどうするの?」

「きみたちについて行くよ。幼馴染みが危険な目に遭っているかもしれないのに、大人しくなんてしていられない。それに、女の子が戦っているのに自分だけ安全な場所で待っているなんて男が廃るよ」

「やられても私は責任を取らないわ。自分の身は自分で守ることね」

「もちろんだ」

 ラルフはほんの少しだけ自信を持ったようだった。ベアトリスは、戦う術を身につけるのが重要であることをよく知っている。それを得たラルフは、少しずつ伸びることがだろう。

「少しじっとしていて」

 ベアトリスはそう言い、ラルフのステータスを開いた。印象としては低めな能力値だが、伸び代は充分にある。このまま戦闘経験を積めば期待はできるだろう。

「いいわ。少し休憩していなさい」

「ああ」

 ラルフを見送ると、ベアトリスはニーラントの腕を引いた。

「なぜこんなところにラルフがいるのかしら」

 返す返すも不可思議だ。ヒロインはすでにオープニングを終えているだろう。隣町にいるはずのラルフがこの街にいては、ヒロインと合流する順番がずれる。ヒロインはすでに他の攻略対象と出会っていることだろう。ラルフの能力値を上げても無意味で終わる可能性もあるのだ。

「この街で会うとすればヴィンセントだと思っていたわ」

「ゲームの抑制力が働いていないという証拠ではありませんか?」

 希望を懐いた表情でニーラントが言うので、ベアトリスは首を傾げて先を促した。

「ラルフさんもこの世界に生きる一人の人間です。シナリオ通りには動きません」

「……このシナリオとの差異が、私の命を助けると思う?」

「可能性はあるのではありませんか?」

 ラルフの存在で、シナリオが大きく動いていることが証明された。それは、ベアトリスが悪役令嬢として断罪される可能性が低くなったとも言える。ニーラントはそれを期待しているのだ。

「ラルフがどう動こうと、私は悪役令嬢の役目を果たすわ」

「…………」

「そうでなければ物語は成り立たないの。成り立たなければ、ゾンビには勝てないわ。例え、私がゾンビ化するとしても」

 ニーラントは複雑な表情になる。この街を救うためにはゾンビを殲滅しなければならず、そのシナリオを成り立たせるためにはベアトリスは悪役令嬢でなければならない。そうなれば、ベアトリスが破滅するのは自然の流れだ。

「とにかく、ラルフを鍛えましょう。ラルフルートに入れば、ヒロインの『聖なる祈り』の発動条件が整うのは早いわ。ラルフは幼馴染みという関係性があるから、好感度が上がりやすく攻略難易度が低いの。ただ、ラルフはただの平民。能力値を上げないと戦えないわ」

「承知しました」

「連れて行くうちに戦闘には慣れるわ。とにかく、ラルフを戦わせましょう」

「はい」

 ニーラントがそうであるように、戦いを続ければコツを掴めるし、ハンドガンの扱いにも慣れる。そうすれば、ラルフも戦闘要員として頭数に入れることができる。ヒロインと合流したあとも戦うことができるだろう。それは悪役令嬢の役目ではないが、こうして出会ってしまった以上、放っておくわけにはいかない。自分にできる最大限のことをする。それがベアトリスの信条だ。






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