第6話 仁道

 

 ミーシャたちがいなくなった後、アクトたちは当初の予定通り、森を抜けるため、さらに足を進めていた。

 魔物の襲撃は殆どなく、その代わり熾烈な戦闘の跡が至る所に見られた。

 

「これって、さっきのミーシャさんの仕業だったりするのかな? 私たち戦わなくて正解だったじゃん」

「しかもこれ、魔法の跡だよな。こっちは炎、あれは氷、これは闇か? 幾つの属性持ってんだよ」


 マリアの言う通り、今アクトたちが歩いているのは、ミーシャがヴィオレを追いかける最中に戦闘した場所になるのだけれど、事前にミーシャに会っていなければ、ここを軍隊が通ったと言われたほうが納得できたかもしれない。

 しかし、アクトたちは知っている。

 底の知れない強さをその肌で感じている。


「二人とも、この先冒険を続けていれば、またミーシャに会うこともあるだろう。その時に手合わせ出来るだけの力を得ていればいい。自分たちの遥か先を走っている者を追えるというのは、きっと幸福なことだ」


 その言葉の意味はよく知っている。

 アクトもマリアも。

 誰よりも近くで、いつも自分たちの遥か先にいる存在を知っているのだから。


 その存在に、何度も感謝し、何度も挑んできた。

 そして今日、そのテアドラよりも強い存在に出会うことができた。


「まだ旅に出たばかりだけどさ……俺、村を出てよかったって思うよ」

「大袈裟ね、って言いたいところだけど、私もそう思う」


 神妙な面持ちで、アクトとマリアは応える。

 必死で剣を振り、走り回っていた頃の二人ではない。

 幾ばくかの時間を重ね、着実に成長している。


「さあ、もう森を抜けるぞ。二人ともよくやったな、抜けたら休憩をとるが最後まで気を抜くなよ」

「ああ、もちろん!」

「わかりました!」


 三人は周囲に警戒しつつ、森を走り抜けていく。

 テアドラの発言通り、森の出口はすぐそこにあった。

 《囀りの森》は、魔物の出現の多いとされているけれど、その魔物たちは比較的弱く、駆け出し冒険者の訓練に用いられている。

 しかし、三人はそれを遥かに凌駕する存在に出会うことができた。

 魔物ではなく、妖狐の魔人ではあったけれど。



 森を出て、三人は軽い休憩をとる。

 既に三人の視界には、小さな村が映っており、推測するにテアドラの言っていた《オブリエ》という名前の村なのだろう。

 

「師匠、あそこに見えてんのがオブリエだっけ?」

「ああ、俺も詳しいわけではないが、美しい景観で有名と聞いたことがある」


「へえ、楽しみですね! 旅を始めてから戦ってばかりだったから、そういうのんびりとした時間は嬉しいです」

「言われてみれば、確かにずっと戦ってたな俺ら……しかも師匠に関しては徹夜してるし。村で一泊していくってのもありだな」


「宿か……景観が自慢の村であれば、宿の一つや二つあるだろう。所持金に余裕があるわけではないが、それくらいの贅沢はいいだろう」

「お、お風呂に入れるってことですか? 今すぐ行きましょう、ほら立って、走りますよ!」


 マリアは勢いよく立ち上がり、アクトとテアドラを急かす。

 年頃の女の子にとって、野宿ばかりでは色々と気にすることもあるのだ。


 アクトとテアドラは、素直に立ち上がり、先を走っていくマリアを追いかける。

 


 《オブリエ》は、かつては自然に囲まれ、その自然と共に生きた種族たちのおかげで、確かに美しい景観を保っていた。

 兎人族や鳥人族、小人族などの亜人種たちが村を盛り立てており、豊かな自然の恩恵を余すところなく享受し、多くの旅人や冒険者たちが足を運んでいた。



 そう、全ては過去の話である。



 《オブリエ》は、かつて美しい景観に見ていていたその村は、見るも無惨な姿となっていた。

 村の至る所に、強大な力による破壊痕が見受けられ、凄まじい出来事がこの場所で起きたと言うことを、容易に想像させてくる。



「なんだよ、これ……」

「ここが……オブリエ?」


 アクトとマリアが言葉に詰まるのも仕方がない。

 二人にとって、と言うものを見るのは初めての経験なのだ。


「確かに、ここはオブリエであった筈だ。しかし、ここで一体何があったと言うのだ……ん? 微かにだが人の気配がある。アクト、このまま村に入り、話を聞いてみないか?」

「ああ、そうしよう」


 テアドラの提案に、アクトは頷く。

 完全に廃村となっている様子だけれど、確かにちらほらと人の姿が見られる。

 しかし、その殆どが身体のどこかに傷を負っており、その表情は曇っていた。


「おい、あんたら……こんな村に何の用だい?」


 三人が話を聞けそうな人を探していると、今にも崩れそうな、かつては家だった物の中から声をかけられた。

 気怠そうな、覇気のない男の声だった。


「何を人の顔じっと見て固まってんだ? 何だよ、ただ何しにこの村に来たのかって聞いただけじゃねえか」


 男は癖毛の髪を鬱陶しそうに掻き上げながら、姿を現した。

 お世辞にも清潔とは言えない風貌で、所々すす汚れが目立つ白衣のようなものを羽織っており、年齢はテアドラよりも少し上に見える。

 顎には無精髭、若干の猫背、そして黒く澱んだ目を真っ直ぐこちらに向けて、じっと観察している様子だ。


「えっと、俺たちここに村があるって聞いて来たんだ。でも、これは一体何があったんだ?」

「はあぁぁ?」


 アクトの問いに、目も見開き、男は被せるように声を荒げた。


「おいおい、おいおいおいおいおい……一体全体何年前の話をしてんだよ。ここにあった村は三年くらい前に滅んだよ。待て待て、あんたらあっちの森から来たのか?」

「ほ、滅んだ? どうして?」


 アクトだけでなく、マリアとテアドラも男の声に圧されつつも、その真意を探るため、彼から話を聞くつもりのようだ。


「あんたたち、……いやすまん、気にしないでくれ。ここにあった村は、滅んだ……それだけわかってくれたならいいさ、何も面白い話なんてねえよ」

「待ってくれ、俺たちはあそこの森の先にあるクーヴェルって村から来たんだ。俺たち村から出るの初めてで、わからないことが多いんだよ、何か教えてくれないか?」


「クーヴェル? 聞いたことねえな……この村のことを知らねえってんなら冒険者でもなさそうだしな。あーそうだな、こっちに来な。もてなすこたぁできねえが、それでも少しくらい話は聞かせてやる。話しかけちまったのはこっちだしな」


 男は、アクトたちの返事を待たず、廃屋の奥に消えていってしまった。

 アクトたちは、それぞれどうするべきか視線で会話するけれど、男の風貌を思い出した時、簡単に信じてついていっていいものか判断に迷ってしまう。


 戦闘になった場合、負けることはないだろうけれど、待ち伏せている仲間がいるかもしれない。

 そうなった時、近接戦闘に向いていないマリアを危険に晒してしまうことになる。


 アクトがこの思考に至った理由には、ミーシャとの対峙が大きく関わっているわけで、自分たちはまだこの世界のことを何も知らないということを知った。


 自分たちの実力がどれだけ通用するのか、その物差しが曖昧なままでは迂闊に動くことができない。


「おい……格好良く、ついて来な的なことを言ったのに、後ろ振り返ったら誰もいねえじゃねえか! 何してんだよ、別に取って食ったりしねえよ。話聞きてえんじゃねえのかよ、これ以上恥かかすなよ、おじさん泣いちゃうぞ?」


 涙目の男が、顔を真っ赤にして帰ってきた。

 気の毒に思う心は判断を鈍らせるかもしれないけれど、この状況で他に選択肢がなかった。

 アクトたちは渋々着いて行くことにする。


 男が案内したのは、かろうじて家と表現可能な小さな小屋だった。

 そこにはもう一人、幼い少女が遊んでいる以外、誰もいない。

 少女はこちらに興味を示すことなく、幾つかの玩具で遊んでいる。

 

「ああ、あいつのことは気にするな。んじゃ改めて自己紹介だ。お互いのことを知るにはそれから始めるってのが常套だろ? 俺の名前はヨルデンハイツ、親しみを込めてヨルさんとでも呼んでくれ。待て待て、そんな目で見るなよ、初対面の人にも優しくしなさいってママに習ってねえのか? ゴホンッ、俺はこう見えて医者をやっている。回復魔法なんて大層な才能を授かっちまってな。でも俺は、教会なんてもんに関わる気はないもんでね……こうしてたまにこいつと旅をしながら治療をして回ってるってわけだ」


 ヨルデンハイツは白衣の内ポケットから煙草を取り出し、火をつける。

 窓も扉もない、とてつもなく開放的な部屋に、煙草の香りが充満しては風に誘われ、消えていく。


「ヨルさん、俺はアクト。さっきも言ったけど……森の先のクーヴェルって村から冒険者になるために旅に出た」

「えっと、私はマリアです。アクトとは幼馴染で、クーヴェル村から来ました」

「ふむ、テアドラだ。俺は出身こそクーヴェルではないが、最も長く時間を過ごしたのはあの村だ……一応こいつらの稽古をつけている」


 三人の言葉を聞き終えて、ヨルデンハイツはうんうんと頷き、煙草の火を消して、その濁った瞳で三人を見つめた。


「これで俺たちゃ知り合い程度にはなれたろ。知り合いには出来るだけ親切に接するよう心がけるのが俺の信条でね。話してやるよ、この村で、かつて何が起きたのかを。ここにはかつてオブリエと呼ばれる美しい村があった。あんたらもその村を目指してきたってなら、その辺は知ってんだよな。この村が滅んだのは三年程前だ……いや、正しくは滅ぼされた……と言うべきだろうな。突然前触れもなく、この村は滅ぼされた。……たった半日でだ。逃げることも、戦うこともできず、一方的に滅ぼされた」

「ヨルさん、滅ぼされたって、一体誰がそんなことを……」


「……竜だ。この世界は竜によって侵略されてんだよ、俺も実際に目にしたのはたったの一回だけだけどな。たった一匹の竜が気まぐれにこの村に降り立ったのが、悪夢の始まりだった。なあ、知ってるか? 竜ってのは魔物じゃねえ、知恵のある生物だ。あいつらは人を食うことはねえ……が、徹底して殺しにくる。まるで、俺たちが害獣を根絶やしするのと同じようにな。生き残ったやつなんてのは、数えられる程度しかいなかった。実際、彼女が現れなかったら、皆殺しになってたんだろうよ。俺はその時、たまたまこの村に流れて来ただけだったんだがな……何人か診てる内に変な縁ができちまってな、割と長めに滞在してたんだよ。でも誰も助けられなかった……俺にできたのは、村の外れの方で縮こまって怯えることくらいだった。笑えねえ話だ、竜がいなくなった後、恥を忍んで村に戻った時、こいつを拾ったんだよ。ニトってんだ……彼女が抱えて、守ってくれたらしい」


 ヨルデンハイツは、部屋の隅で一人遊びに勤しむ少女に視線をやりつつ、その子をニトと呼んだ。


「ヨルデンハイツ、一つ聞いてもいいか。話に度々出てくる『彼女』とは誰なんだ?」


 テアドラは低く落ち着いた声で尋ねる。


「ああ、彼女の名前は知らん。聞こうとする前に消えちまったからな。ただ、亜人だったように思うぜ、上手く隠してたみたいだが、俺はそういうのに目敏くてな。なんとなくだが、そう思った。とにかく、この村で起きたことは話した。この村に用があったなら諦めな、今ここにいるのは碌でもねえ連中ばかりだ。未練に囚われたやつ、手付かずの廃墟に金目のものを探しにくるやつ……悪いことは言わねえ、さっさとこの村から出ていきな」


 ヨルデンハイツの言葉には、力が篭っていたように聞こえた。

 アクトたちも、それ以上は聞けないと判断し、ヨルデンハイツと別れの言葉を軽く交わし、かつて《オブリエ》と呼ばれていた地を離れることにした。


 村を離れて、しばらく歩いた辺り。

 三人は当初の目的地である《エスプ・ヴィレ》を目指すことにしたようだ。


「師匠、竜ってのは一体何なんだ? 強いってのは想像できる……でも、なんで人を襲うんだ?」

「さあな、そこは俺にもわからん。竜についての逸話や伝説は幾らでもあるが、そのどれもが荒唐無稽なものばかり。真実とやらは実際に対峙してみなければわからない。なんだアクト、怖いのか?」


「いや、まあ、怖くねえとは言えないけどさ。俺たちが村を出るってじっちゃんたちに伝えて、竜に挑みたいって言った時の皆の顔を思い出してた。師匠がオブリエのことを知らなかったみたいに、じっちゃんたちも知らなかったんじゃねえかなって、もし知ってたら許してもらえなかったんじゃねえかなって思った。簡単に挑みたいって言える存在じゃねえのかもしれないって、さっきの話を聞いてて……思った」

「アクト……お母さんたちが言ってたよ。竜はたくさんの人の命を奪ってきた、だからこそ勇者と呼ばれる希望を先頭に、人は戦う道を選んだんだって。だから何度負けても、土地を奪われても、何度でも挑み続けてるんだって」


「勇者……その勇者ってのでも竜には勝てねえのかな」

「先のヨルデンハイツの話では、退けたような話ぶりだった。しかし、実際竜という種族の全貌は一切わかっていないのだろうな、どれ程の数がいて、どれ程の戦力を抱えているのか、そして単体での戦闘のみなのか、群を成して襲ってくる可能性もあるのか……とかな」


「俺は、まだ何も知らない。竜についても、この世界についても。だから、知りたい」


 アクトは、強い眼差しで二人に伝えた。

 己の意志と、願いを。


 マリアにとって、この旅はアクトと共に世界を知る為のものである。

 テアドラにとって、この旅は二人に成長を見届ける為のものである。


 そして、アクトにとっては……。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 三人は遂に《エスプ・ヴィレ》に着いた。

 村を出て、二日目が終わろうとしている頃合いだった。



「やっとお風呂に入れるーっ!」


 街に着き、宿に滑り込んで最初に叫んだのはマリアだった。

 夕食の時間は過ぎていたものの、宿屋の店主の好意もあって軽食程度のものを作ってくれたのだけれど、マリアはそれよりも風呂を所望した。

 ちなみに、風呂に行く前、きっちり自分の分を残しておくよう言い残していくあたりが、マリアの可愛げのある所なのかもしれない。


 三人が夕食と風呂をそれぞれ済ませた後、アクトの部屋に集まり、これからのことを話し合うことになった。


「いやー、飯美味かったな! 師匠も無言でがっついてたもんな」

「俺は飯の時はいつもそう喋らんだろう」


「お風呂も最高だったね、命の洗濯って昔言われた時、全然ピンときてなかったけど、今は完全に理解できたわ! この宿を選んで正解だったね」

「ミルキーウェイと言ったか、確かに良い宿だ。店主や女将の対応も良い、看板娘も元気だったしな」


「これから、この街にあるギルドってところで冒険者になる為の手続きをするんだよな?」

「明日昼過ぎにギルドに行って、さっさと手続きを済ませちゃいましょ。それで……その後は?」


「俺はもっと強くなりたい……」

「であれば、クエストというものを受けてみるか。冒険者の仕組みは俺にも詳しくはわからんが、登録したばかりでも受けられるものはあるだろう」


 方針は決まった。

 この街で、三人は遂に冒険者となる機会を得ることになる。

 

 仮に、彼らの人生を物語として形容するのであれば、彼らはまだ序章すら乗り越えてはいないのだ。

 

 何を目指し、何を願い、何を成すのか。

 何を守り、何を失い、何を掴み取るのか。


 彼らの明日は、きっと今日よりも刺激に溢れており、選択によって幾つの道にも分岐していく。



 これはそういう物語であり、成長の記録でもある。

 

 《エスプ・ヴィレ》は別名語り部たちの街と呼ばれている。

 街が夜に包まれ、多様な者たちの声で賑わう頃、この街の何処かで吟遊詩人は唄った。


「遠き過去より羽ばたいて 孤独に空舞うその姿

 畏怖と憧憬に見守られ 世界を疾くと駆け巡る


 願いを紡ぐは悲しき竜の唄

 想いを紡ぐは悲しき人の唄


 失ったものを数えるのに疲れ果て 願えど願えど絶えず続く絶望に

 人々は日常と名前をつけて無理矢理に笑う

 叶わぬ望みに打ちのめされ それでも止まぬ無慈悲な悲劇の連続を

 人々は平和呼んで日々に感謝の祈りを捧げた


 これは過去に囚われ世界を呪った竜の物語

 これは未来を憂い世界に立ち向かった弱者の物語


 近き未来を守るため 友と近い戦うその姿

 皮肉と信頼をその身に浴びて 時を重ねて強さを得る


 痛みに耐えて立ち上がるのはいつかの誰かのため

 辛さに耐えて微笑みかけるのはいつかの君のため

 

 誰かではなく自分で掴み取り 日々を照らすその輝きを

 人々は希望と名付けて歌い踊った

 自分だけでなく誰かと掴み取り 未来に架けるその橋を

 人々は革命と名付けて叫び立ち上がった


 これは誰かのために戦った優しき竜の唄

 これは誰かのために戦った美しき人の唄」



 街は賑わい、唄は夜に紛れていく。

 吟遊詩人は、静かに微笑み闇夜に姿を消してしまった。


 

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