第十話 兄に勝るもの

 五月六日。


 

 この日の練習終了後に八日から始まる地区大会のメンバーが発表された。



 「以上だ」



 一仁達一年生はメンバーに入ることは叶わなかった。しかし、彼らは前を向く。



 秋の大会では…!



 そう心に誓った。


 


 「ありがとうございました!」



 一仁達は体育館内の更衣室へと向かう。その途中、雅彦が一仁にこう話す。



 「一仁君、秋の大会ではベンチに入るんじゃない?いや、スタメンに」



 雅彦の横顔を見つめる一仁。



 「いや、それはあり得ないと思う」



 笑いながら答え、前を向いた一仁。すると、雅彦はこう言葉を返す。



 「俺は本当にそう思ってるんだ。あの練習試合で改めて思ったんだ」



 再び、一仁は雅彦の横顔を見つめる。


 そして、二人の足が止まる。


 

 「一仁君には冗談に聞こえたかもしれない。でも、これは本心なんだ。やっぱり、練習試合の最終打席でのあのタイムリーが特に…」



 雅彦の頭の中であの勝負の映像が流れる。


 そう、一仁と俊太の対決の映像が。



 「勿論、守備も走塁も凄い。でも、それらと同じくらい打撃も」

 


 雅彦の頭の中で流れているのは俊太が五球目をリリースする瞬間。そして、右手指先からボールが放たれた。


 内角胸元へと百五十キロを超えるストレートが。


 そのボールを一仁は。



 雅彦の頭の中の映像では、一仁がそのボールを弾き返していた。



 口元を緩めながら練習場を見つめる雅彦は何かを確信したかのように小さく頷く。


 そして、一仁を見る。



 「秋の大会でお互いベンチに入って、勝ち進もう!」



 雅彦が言うと、一仁は微笑みながら頷く。



 「うん!」




 この日の夕食前。一人は正仁からこう言葉を掛けられる。



 「一仁みたいな選手は手数多てあまただぞ」



 兄の言葉に弟は「そんなことない」と言うように作り笑いを浮かべる。


 すると。



 「レギュラークラスの誰かが離脱した時、一仁がベンチにいると心強い。だけど、ただのバックアップ要員としては勿体ない。レギュラーを張れるほどの武器を持っているんだ」



 正仁は湯呑みを傾ける。


 テーブルへ湯呑を置くと、ダイニングの照明を見つめながらこう続ける。



 「それこそがチームが求めているものなんだ」



 同時に、翔子がダイニングのドアを開けた。



 「何話してたの?」



 翔子が笑顔で二人に尋ねると、正仁がこう答える。



 「一仁が持つ可能性について」



 一仁は少し照れた表情で顔を僅かに俯ける。


 翔子は口元を緩め、一仁を見つめる。


 姉の目に弟の可能性が映った瞬間だったのかもしれない。




 

 夕食後、一仁は翔子にこう話す。



 「俺、秋の大会でベンチに入れると思う?」



 正仁は入浴中。


 翔子は一仁を見つめ、微笑む。そして、正面を向き、軽く目を閉じる。


 この時、彼女の瞼に映像が流れる。


 それは。



 目を開けた翔子は一仁を見つめる。弟に目に映るのはやさしい眼差しの姉の表情。


 翔子は小さく頷き、こう答える。



 「活躍できるよ。だって一仁だもん」



 一仁には翔子の答えが根拠のない言葉に聞こえた。しかし、これは翔子が一仁からあることを感じたからだ。


 その正体を一仁はまだ知らない。


 

 翔子は続ける。



 「『渡の弟』ってだけじゃ活躍できない。ネームバリューなんか試合に出たら何の役にも立たない。でも、一仁には凄い武器があるから。その武器は他の誰にも手に入れることなんかできない」



 翔子の目をじっと見つめる一仁。



 「一仁だからその武器を手に入れることができたんだよ」



 照れたように視線を僅かに下へ向けた一仁。翔子は視線をずらさない。


 それからすぐに、正仁がダイニングのドアを開け、本棚から雑誌を手に取り、椅子へと腰掛ける。


 テーブルの上に雑誌を広げ、記事を目で追う正仁。時折、一仁へ視線を向けるが、特に言葉を掛けることなく、ページめくる。


 しばらくし、正仁が尋ねる。



 「何話してたんだ?」



 すると、翔子は。



 「一仁は秋の大会で活躍するって話」



 「違うよ!」と言うように立ち上がった一仁。


 すると、正仁は記事を目で追いながらこう話す。



 「そりゃ、活躍するだろ」



 一仁は無意識に椅子へ腰掛ける。


 正仁は続ける。



 「一試合で特大ホームランを何本も打つとか完全試合を達成するとかそういったことじゃない。それができたら大したもんだ。プロのスカウトから注目を集めるだろうな。でもな、一仁には一仁にしかできないことがある。それを磨け」



 一仁にしかできないこと。それが本人には分らないでいた。


 一仁はそのことについて尋ねようとした。


 すると。



 「俺ができないことをお前は簡単にやってのけた。俺が大した選手じゃないってことくらい知ってるだろ」



 悔しさの中に羨ましさが混じった正仁の声が一仁の耳に届く。


 一仁は正仁の言葉でこれまでの自身のプレーを振り返る。しかし、正仁にまさっている部分が見つけることができないでいた。


 正仁は天井を見つめながら考える一仁の姿を見つめる。


 一仁は頭をフル回転させるが、答えが導き出せない。



 「分からないよ…」



 一仁が言うと正仁は。



 「『渡の兄』って言われる日も近いな」



 正仁は僅かに笑いを交えそう話すと頁を捲る。


 一仁はその姿を見つめる。



 俺からしたら『渡の弟』だよ、お兄ちゃん…。野球をさせてもらっている間。



 翔子は弟の背中を見つめ、心で言葉を掛ける。




 弟が兄に勝るもの。


 それが分かる日はそう遠くはないかもしれない。

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