第三話 「楽しんでね、野球」

 初日の練習が終了し、一仁達一年生は用具を片付ける。


 その姿を見つめる一哉。



 バッティングは自信ないと話していたけど、そんな感じには見えなかったな。一仁君の『巧さ』が打球に現れていた気がする。何て言えばいいんだろうな…。


 

 一哉の視線の先には片付けを終え、笑顔で言葉を交わす一仁と雅彦の姿。



 「雅彦君、上手いよね」


 「そんなことないって。俺より上手い人なんて星の数だよ」



 二人は一礼し、練習場を出る。一哉は一仁の背中を見つめる。



 どうしても期待しちゃいますよ、渡さん…。



 心で正仁にそう言葉を掛け、一哉も一礼し、練習場を出た。



 

 一仁は更衣室のある体育館へと入る。同時に、バスケットコートのドアが開く。ドアから出てきたのは。



 「片付け、終わったところなんだ」



 笑顔の嘉子だった。


 一言交わすと、二人は体育館の外へ。



 「どう?硬式野球部の練習は」


 「ハードだけどね。でも、楽しいよ」



 嘉子は笑顔を浮かべる。



 

 楽しい。



 一仁が小学生の頃から野球に対して口にしていた言葉だ。


 スターティングメンバーに名を連ねることができなかったが、その言葉が一仁のプレーをサポートしていた。


 

 試合に出て、チームに貢献できた時は本当に嬉しかったよ。だからこそ、続けてこられたんだ。



 中学生の頃、嘉子にそう話していた一仁。


 嘉子は一仁と会話しながら彼の小学生時代を思い出す。



 皆には『下手』って散々馬鹿にされていたけど、腐らずに練習を続けてた。お兄さんからも指導を受けて。そして、結果を出した。



 彼が活躍したと聞いた時、嘉子は本人以上に喜んだ。



 「よかった!あの頃と同じ一仁で」


 「どうしたんだよ、急に」



 笑顔の嘉子。


 照れ笑いを浮かべる一仁。



 グラブを左手に提げ、体育館へと入った翔子は二人を見つめる。



 「一仁は一仁だよ。誰が何と言おうと」


 「うん。まあ、そうだけど」


 「意味、理解してないでしょ?」


 「いや、してる!してますよ!」


 「何で急に敬語?」


 「いや、何となく…」



 嘉子のやさしい笑い声が一仁と翔子の耳に届く。


 翔子は嘉子の言葉に頷く。



 一仁は一仁だよ。世間が何と言おうと。しっかり、それを心に留めておくんだよ?



 翔子は微笑み、更衣室へと向かった。



 

 七時二十七分に一仁は帰宅。階段を上り、寝室へバッグを置く。室内の時計を無意識に見つめ、寝室を出る。


 ダイニングのドアを開けると、雑誌を広げている正仁の姿が。一仁がドアを閉めると同時に、正仁は雑誌を閉じ、尋ねる。



 「おう、どうだった?初日の練習は」



 一仁は「うん」と一言応え、椅子へ腰掛ける。そして、こう続ける。



 「ハードだけど楽しいよ」



 一仁がそう答えると、正仁は小さく頷く。



 「それならいいんだ」



 そう言うと、雑誌を本棚へ置いた。


 腕を組み、時計の秒針を目で追う正仁。


 秒針への視線を通し、一仁へ何かを伝えた正仁。


 一仁にはその内容が分かっていた。



 「時間はたっぷりあるけど、機会はそうあるもんじゃない。得た機会でどれだけ自分をアピールできるか」



 一仁が言う。


 正仁はその言葉に頷く。



 「それが、卒業後に繋がっていく」



 正仁がそう話したと同時に、恵が焼き魚の皿をテーブルへと置いた。




 食事を終え、ダイニングで翔子と言葉を交わす一仁。


 

 「大丈夫だったでしょ?」


 「うん。プレッシャーは全然なかった。ほんとにありがとう」


 「あはは!大袈裟なんだから」



 翔子は笑いながら一仁の頭に左手を乗せる。


 昔と変わらない弟の姿にどこかほっとしたような様子の翔子。



 「楽しんでね、野球」



 翔子の言葉に頷く一仁。



 「卒業しても続けるよ、野球!」



 翔子は微笑みながら頷く。



 「お兄ちゃんも喜ぶよ」


 

 廊下でダイニングのドアノブを掴んだ正仁には一仁の言葉は届いただろうか。




 四月十八日。


 この日の打撃練習で一仁は三方向にきれいな当たりを飛ばす。


 一哉は守備練習の合間に打球を目で追う。


 唸るように息をつくと、一仁の「ありがとうございました!」の声が。


 

 初めて見たな。三方向にあんなきれいな打球を飛ばせる選手は。



 小さく頷いた一哉は守備練習へと戻った。




 打撃練習を終えた一仁の元に雅彦が歩み寄る。



 「あんなに三方向にきれいに打ち分ける選手って初めて見た」


 「武器が欲しかったからね」



 笑顔でそう話した一仁。


 彼の表情を見つめる雅彦。


 

 絶対、チームに欠かせない存在になる。



 雅彦はこの時、確信した。



 一仁の打撃練習を見ていた大村は腕を組む。



 やっぱり、期待せずにはいられないぞ…。正仁、翔子…。



 そして、一仁の元へ歩み寄り、言葉を掛ける。



 「軽くでいい。十球ほど投げてこい」



 「はい」と応えた一仁は投手用グラブを持ち、投球練習場のマウンドへ立つ。


 左手に身に付けたグラブは…。



 視線の先には真ん中にキャッチャーミットを構える俊晴。



 一仁はプレートを踏むと帽子を取り、頭を下げる。そして静止し、モーションへ入る。

 


 左足を高く上げるそのフォームは。



 正仁…!



 大村の心が声を上げる。



 正仁から譲り受けた彼の魂が宿ったオレンジ色のグラブは一仁にパワーを宿す。


 そして、一仁の右手指先からリリースされたボールは多くの回転を伴い。



 「バーンッ!」


 

 真ん中に構えた俊晴のキャッチャーミットへ吸い込まれ、鋭い音を轟かせた。

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