平和な空には程遠く

 白鳩騎士団に起こった悲劇は、その直前にロンドンで起こっていた悲劇と共鳴し、アルベルニアを大きく震撼させた。

 それはともすれば王国の滅亡を想起させるほどの絶望で。

 人々は、今一度自らが暮らす世の暗さを思い知った。


 空は、雲に閉ざされている。


「ロンドンも随分と大変なようだが、こちらも大概だな。お前のそんなしみったれた顔は久々に見る。平和な空とやらはまだまだ先だな、団長よ」


 白鳩騎士団駐屯地、魔鎧騎格納整備場。

 その幼き親方こと東三条琴音は、オーバーホール中のブラックロードから目も離さず、それでいて後ろに座り込んだルシルへまるでその表情を見ているかのような口調で話しかけた。


「昨日は宮殿でのパーティに魔女との白兵戦に生身での魔鎧騎戦に崩壊する敵アジトからの脱出に駐屯地へのとんぼ返りと、大忙しだったそうじゃないか。今日はしっかり休めたのか?」

「休めるわけないでしょこんな時に……。そこまで神経太くないのよ私。知ってるでしょ」

「知らんな。忘れた。お前が見せるのはいつも八面まで玲瓏な仮面を被った顔ばかりだ。見ないものは忘れる。必要の無いものに脳のキャパシティは割かない主義でね」

「それならこの機会にしっかり覚えておいて。白鳩騎士団団長は、落ち込んでいる時に片手間で相手されるともっと落ち込むのよ」


 そんな冗談めかしたルシルの台詞に、琴音は大きくため息をつく。


「ルートが倒れたからって、精神負担の捌け口を私に求めようとするな。私は天才だが、面倒を見れるのは魔鎧騎だけだよ。知ってるだろう」

「知らないわ。初耳よ。私はこれまで案外、あなたにも助けられてきた覚えがあるもの」


 肩を竦めるルシルに対して、琴音は不機嫌そうに顔をしかめた。


「そりゃあ魔鎧技師としての手助けはするがね。こちとら元々人間嫌いが高じて機械弄りに費やした人生だぞ。慰めて欲しけりゃもっとマトモなやつをあたれ」

「別に、あなたと会話するためだけに足を運んだわけじゃないわ。半々よ。――もう半分は、この子を見に来た」


 そうしてルシルは、跪く黒い騎士の姿を見上げる。

 光沢は抑えられ光の反射も少ない装甲であるが、何故だか眩しそうに目を細める。


「装いも新たに、元気そうな様子じゃない」

「……完成にはまだ少しばかりかかる。動ける騎士がお前しかいなくなった今、こちらとしても急ピッチで作業を進めてはいるものの、こればっかりは中々な……。寂しがりやな団長殿が作業場へ邪魔しに来たりしやがるしな!」

「作業速度については今のままで問題無いわ。いざとなれば私は一人でも構わないもの。ブラックロードの様子を見に来たのは……、まあ、少し感傷に浸りたくてね」


 遠き過去に想いを馳せ懐かしむような口調。


「ブラックロード……。私も昔乗っていたけれど、あの子はよくもまあこれに乗り続けられるものね。色々と大変でしょうに」

「大変なのは整備させられるこちらもだがね。ただ、まあ……。このブラックロードには想いが宿っている。だからお前も、乗り換えではなく近代化改修を許可したんだろう? あいつの意思の強さは本物だよ。……少し異常なくらいにな」


 琴音もブラックロードを見上げて、にやりと笑う。


 魔鎧技師とは、魔鎧騎を見ればその騎士の人となりがわかるものなのだと彼女は豪語する。

 どんな戦い方を好み、何に重きを置くのか。

 戦う目的も、その優先順位も。

 それらは長く乗ってきた魔鎧騎にこそ強く反映される。


 琴音にとって今のブラックロード・リベレータはアイラ・アッシュフィールドという少女を写す鏡だ。

 そしてその感覚はもしかすると魔鎧技師のみに備わるものではなく、一流の騎士にも通じるものがあるのかもしれないなと、ぼんやりとブラックロードを見上げ続けるルシルを見て彼女は思った。


「にしても、雷雪という素晴らしい相棒がいながら他の魔鎧騎に浮気とは、良いご身分だ」

「生憎と私はあなたと違って、魔鎧騎に対して必要以上の感情は持ち合わせていないのよ」

「こんなつれない女が相棒なんて、可哀想な雷雪。よよよ、私が結婚したいぜ」


 ご丁寧に泣き真似をして戯ける琴音。

 そしてそのまま人が変わったように声を落とした。


「……ちなみにお前は、気付いてるのか? この騎体」


 そんな質問にルシルは微かに息を吐いて、呟くように返した。


「侮られたものね。ひと目見た時から、気付いているに決まっているでしょう。一体、何の因果なのやら」


 そしてゆっくりと瞼を閉じる。


 眼の前に鎮座する黒騎士の姿を見ていると、巡り合わせというものに想いを馳せずにはいられない。

 運命という言葉の響きをよく思わない彼女であるが、しかしその言葉ほど当てはまるものも他に無い。


 いや、或いは。


 何者かが自らの意思で、その手で因果を捻じ曲げてきた結果なのかもしれないが。


「……それで? 魔鎧騎ばかり見て、騎士の方はどうしたんだ? 私のところなんて来ずにあいつと会話してろよ。副官なんだろう?」


 話題に停滞を感じたのか、琴音がそんな台詞で水を向ける。

 何の気無しに投げかけた言葉だったが、それに対して彼女は、思いの外はっきりとバツの悪そうな顔をしかめて見せた。


「……なんというか、彼女には余り、格好悪いところは見せたくない。……どうにも最近、だらしのないところばかり見られている気がしてね。今この状態で会うのはよくないわ」


 その台詞もまた予想外の内容で、琴音は思わず目を丸くする。


「……ははっ。何を気にし始めたのかと思えば、笑えるな。白亜の英雄が何言ってるんだって話だ。怖いものなんて無いから未だこんな戦場を飛び続けてるんじゃなかったのか?」

「だってあの子、私へ向ける眼がいつも凄いのよ? 羨望なのか憧れなのか崇拝なのか畏敬なのか……。とにかく仰々しい色々な感情が乗っかっていて、気が引けるのよ。弱いところを見せて幻滅させたくないし」

「……ま、もしアイラがお前に対して幻滅するような回路を持ち合わせてるんなら、もうとっくに態度変わってそうなもんだがね。巷で名前を馳せている程には、お前は完璧じゃあない。仮面で覆い隠せないくらい神経質だし口うるさいし根に持つし、パートナーにはしたくない。けどそんなのは同じ騎士団で戦えばすぐにわかるし、あいつもとっくに織り込み済みだろ」


 余りの悪口のオンパレードに機嫌を悪くしたのか、ルシルは非難めいた目で琴音を睨む。


 しかしそんなのはどこ吹く風、まったく意に介していない様子で彼女は続けた。


「結局お前は、私にだって心の奥の奥底は明かさない。それはルートに対してだってそうだ。私達は腐れ縁で付き合いも長くお互い一歩踏み込んだりはするが、常に一線は引いている」


 その方がお互い楽な部分も多いしな、と自嘲気味に笑って。


「けど、アイラは違う。恐らくあいつはお前に対してなら、必要とあらば見境無く遠慮もせずどこまでも踏み込む。私達が触れるのを躊躇する部分でも背負いたがる、そういう奴だ。正直ヤバい奴だと思ってるが、一方でお前に対しては結構相性が良いのではとも感じているよ」


 琴音にとって、ルシルは白鳩騎士団が結成されるよりもずっと前から交流があった縁の長い相手だ。

 それ故に今更どうにもできないことがあり。

 そしてそれ故に、言えることもある。


「結局、お前の顔はずっと暗いままだ。仮面で取り繕う余裕も無いほどにな。……ヒルダ、テリーサ、ダーシー、シルヴィア、ウェンディ、ナディア……。これまでだってお前は立ち直ってきた。だが、だから今回も大丈夫だろうという意見が暴論だということくらいは流石の私でもわかる。とはいえ、かけてやれる言葉なんて持ってない。私だってお前と同じだ。……他所の魔鎧騎による奇襲なんて跳ね返すくらいの魔鎧騎を私が作っていれば、結果はまた違っていた……。そんな思考に囚われるくらいには、まだまだ自分で手一杯だ」


 あどけなさが多分に残る顔を曇らせて、呟いた。

 そして気を取り直すように息を吸って、背後のルシルへ向き直る。


「わざわざ私になんか泣きついてきたところ申し訳ないが私じゃどうにもできない。できるとすれば、お前を優先順位の第一に据えて支える気満々の副官をおいて、他にいないだろうよ」


 今回ルシルの気落ち具合は、長く彼女を見てきた琴音にとっても深刻であることがわかる。

 これまでであれば、自力で立ち直ってくれることを願うくらいしかなかったかもしれない。


 しかし、今は違った。

 アイラ・アッシュフィールド。

 彼女なら、あるいは。


 彼女と相談することにまだ抵抗を感じているのか、ルシルは浮かない顔を他所へ背ける。

 そんな彼女を、黒の魔鎧騎が見守っていた。

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