鎮まれ、かしましき少女よ

 ドーバー沿岸部に残り防衛隊の被害状況をまとめていたルート達が騎士団駐屯地へ帰投したのは、ルシルとアイラの帰投から一時間ほどが経ってからのことだった。


 二体のネフィリムによる襲撃という非常事態にも関わらず防衛隊の被害は驚くほどに軽微であった。

 それが一人で現場に急行し戦ったアイラ少尉の働きによるものだということは明らかだ。

 彼女がいなければこの方面の防衛体制は更なる苦境へと追い込まれていたことだろう。

 すんでのところで安定を保った現状にそっと胸を撫で下ろしつつ、ルートはまだ魔鎧騎越しに二言三言交わしただけの彼女について考える。


 如何に魔法を扱う騎士といっても、単騎でネフィリムを討伐できる者はそう多くない。

 そんな偉業を成し遂げた直後の連戦にも関わらず、彼女にはまだ奥の手があるような雰囲気だった。随分な大型新人だと彼女は思う。

 実力については申し分なく、活力旺盛。むしろ元気はありすぎるくらい。

 そしてその活力が、今の騎士団には丁度必要だったものかもしれない。

 元々白鳩は他の騎士団と比べても活気があるタイプだったのだが、最近は少し、静かすぎるくらいだったから。

 騎士団の副団長を務めるルートとしては、良い人材が入ってきてくれたものだと素直に喜ばしい思いであった。

 各国からの亡命もあり人材については潤沢さを保っている王国だが、魔女や騎士となるとそうはいかない。

 最前線主力である白鳩ですら、騎士の数は最小編成の四人であり、遂には定数割れまで起きてしまった。

 そういった事情もあり多少難がある程度なら文句は言うまいと覚悟していただけに、アイラの能力は嬉しい誤算とも言える。

 数で足りない以上、穴は質で埋めるしかない。


 ――唯一の気がかりは、肝心の団長様がどう思われるかということだが……。


 そこだけは扉を開けてみないことにはルートをしてもどう転ぶか予測のできない領域だ。

 中々気難しい人柄なだけに、心配である。

 何より今はまだ、彼女にも余裕が無いかもしれない。

 あれやこれやと気を揉むルートとしては、団長と新人を二人だけで帰投させたということには少なからない不安があった。

 しかし彼女は努めてその感情を押し殺し、何食わぬ表情で団長執務室の扉をノックした。


「団長、ルートです。ただいま帰投いたしました」

「……どうぞ」


 返って来たのは、いつもと変わらない淡々とした声。

 奥にある感情が読み取りづらい声だ。

 意図的に、読み取らせまいと調整された声――


「失礼します」


 そう言って部屋に入ると、二つの顔がルートを出迎える。

 一つはいつも通りの騎士団長、ルシルの顔。

 そしてもう一つは……なにやら随分と意気消沈してしまった風な、初めて見る少女の顔だった。

 本来はぱっちりとした大きな瞳であろうに、今はしぼんで、潤んでいる。


「……アッシュフィールドですぅ、改めて、よろしくお願いいたします……」


 生気を失ったような声でそう言いながら、よろよろとした敬礼。

 ああ、これは団長と何かあったのだなと、ルートはすぐに察した。


「……当騎士団で副団長を拝命している、ルート・フォン・カレンベルクです。こちらこそ、よろしくお願いします……、が、えぇと……。大丈夫ですか?」

「ううう、大丈夫です……」


 泣きそうな顔で大丈夫と言われても対応に困る。

 歳下の、まだあどけなさが残る顔立ちの少女が打ちひしがれている姿を見て、どうにかしてあげなければいけないという本能的な衝動が芽生えてくる。

 しかしそんな彼女の心の機微を知ってか知らずか、ルシルが机の向こうから声を掛けた。


「ルート大尉、ご苦労様。防衛隊の損害報告を聞きましょう」

「えっ、あ、はい。簡単ではありますが、こちらにまとめています」


 仕事の話に引き戻されてしまったルートは、今回のネフィリム襲来によって生じた被害をまとめた資料を手渡す。

 それを受け取って中身の確認を始めたルシルに、ルートは顔を寄せて小声で問いかける。


「あの、団長……」

「……なに?」

「彼女……、なにかあったんですか?」


 もっと直截的に「彼女に何を言ったのよ」と問い質したいところを、上司と部下という関係を優先してそう尋ねる。


「……特になにも」

「本当にぃ?」


 ネフィリムとの死闘の後でもあんなに元気だった彼女が、ほんの一時間であそこまで落ち込むだなんて、何かがあったに決まっている。

 きっと化け物との戦いよりも辛く悲しい出来事があったのだ。

 でなければ――


「――ちょっとちょっとぉ! 副長センパイ、いつまで話してんすかぁ! 私も早く新任の騎士殿と挨拶したいっすぅ!」


 突然の乱入者。

 部屋の外で待機しておくように言っておいたノエミが、もう待ちきれないと言わんばかりに騎士団長室の扉を不躾に開けて入ってきた。

 ルートはこめかみの奥の辺りが痛くなって、瞼を閉じる。

 そんな彼女に、ルシルの小さなため息がまた重くのしかかる。


「おっ、いたいた、こんにちは! 私はノエミ・アンヌンツィぁぁああああッ!? ちょちょちょちょっとォ! 新任騎士殿泣いてるじゃないですか! 誰っすか泣かしたの! 団長!?」

「私じゃない」

「まだ泣いてません!」

「いやこれはもうほぼ泣いているでしょう。かわいそうに、団長に虐められたんすね……」

「私はそんなことしない」

「ぜんぜん泣いてません!!」


 途端に騒がしくなる室内で、ルートは頭を抱えた。

 まずい、ストレスが溜まっていく……。増していく頭痛に、思わず額へ手を当てる。

 そんな彼女に、騒がしさに嫌気の差したらしいルシルが、投げやりな口調で新しい仕事を振り与える。


「……ルート大尉。帰ってきて早々で悪いけど、彼女に駐屯地の案内をしてあげて。もうここで書いてもらう書類も無いし」

「えっ? ……はい、承知いたしました」

「あっ、ずるいずるい! いいなぁセンパイ! 私! 私も! 私も案内する!」

「……ノエミ少尉もついて行っていいから」

「えっ、いいんすかァ? ひゅーぅやったぜェ!」

「はぁ……」


 いよいよルシルのため息が大きくなってきた。

 ストレスが溜まっているのは自分だけではないらしいと、ルートは頭痛を押してでも自分がもうひと頑張りしなければならないのだと決心する。


「それでは二人とも、行きましょう。余り団長の部屋で騒がしくするものではありません」

「はいほーい、それじゃあ団長、また夕食で~」

「あ、はい……。えっと、その、失礼いたします……」


 ルートに促されたアイラは、机の向こうのルシルに対してまだ何か言いたげな様子で戸惑いながらも、おずおずとその部屋を後にした。

 そうして三人が退室しルシルだけになった執務室で、彼女はゆっくりと瞳を閉じた。


 訪れた静寂は、思いの外騒がしかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る