第2話.神崎大和という男Ⅱ


「大和くん。うち上がっていく?」


 頬を赤らめ、俯きながら九重はそうつぶやく。

 普段はこんな事言う柄じゃない。

 九重なりに頑張って出してくれた言葉なのだろう。


「あほ、彼女でもない女性の部屋に上がれるか」

「だ、だよね……じょ、冗談だよ!」


 気まずい空気が流れる空間で二人の足音だけが静寂の中響く。


「……」


 数分の沈黙。

 ここで、大和は何やら違和感を感じる。


「九重」

「う、うん」


 どうやら不穏な気配を感じたのは、俺だけではなかったらしい。


「ここを右だよな?」

「うん」


 普段とは違う背後からの不穏な気配。

 大和は、右に曲がる際に背後に迫る気配の正体を見極めるため、視界の端をみやる。


「ッ!!」


 街灯に照らされたフードを被った怪しげな男。

 夜闇に見事に溶け込んでいるその男の手には、街灯の明かりに照らされると反射する何かが。


「九重。一回遠回りするぞ」

「え、な、なんで」

「静かに。お前家までバレたら終わりだぞ」


 本来なら、左に曲がる場所を真っ直ぐに進み人通りの多い場所を目指す。


「……」


 一歩間違えたら殺される。

 あの男が持っていたのは、間違いなく刃物だ。


「大通りに出るぞ九重」


 情けない。

 体が震える。

 ひたいに汗が滲む。


 今この瞬間選択を間違えば、あるのは死のみ。

 やつの足音は着実についてきている。

 いつ後ろから迫ってきて刺されるかわからない状況で、呼吸すら忘れてしまう。


「………す」


 後ろからかすれるような小さな声で何やら聞こえてくる。


「殺す殺す殺す殺す殺す殺す」

「……ッ!!!」


 段々と間隔迫るその足音で走ってきたのは容易に予想できた。


「逃げろ九重!!!」

「で、でも!!」

「はやく!」


 心配そうな表情のまま、前に向き直り走り出す。


「くそおおおおお!!お前らのせいでッ!!」

「うわッ!!」


 刃物をつきたて真っ直ぐに走ってきた男を間一髪で、左に避ける大和。


「い、いま……」


 あと数秒反応が遅ければ、刃先は内臓に刺さっていたであろう。

 その証拠に、右下腹部からは血が流れていた。

 かすり傷と軽症ではあるが、大和の精神へ与えたダメージは相当なものだった。

 大和は、傷を軽く撫でストーカーへ向き直るとそこには迫ってきた勢いでフードが脱げ露わになった男の姿が。


「あ、あんたは……」


 そこに居たのは、数年前九重にセクハラしていた元上司だった。

 後々、会社でセクハラが露見し、クビになったと聞いてはいたが……。


「お前たちのせいで、お、俺は会社をクビになって妻や子供にも見捨てられたッ!!!ぜ、全部お前たちのせいだッ!!!」

「な、なんだよそれ……逆恨みかよ……ッ!!!ふざっけんなッ!!!こっちはお前のせいで人生めちゃくちゃになったっていうのに……ッ!!!」


 狂ったように、叫び迫って来る男。

 再度大和は回避し、刃物を持っている男の手を掴む。

 取っくみあいとなり死を覚悟して必死に刃物を引き剥がそうとするが。


「……え」


 腹部に異物が侵入してきたかのような違和感を感じ下を見やる。


「……ぁ」


 腹部が熱い。

 燃えるように熱く声すら出ない衝撃と、激痛が走る。









 痛い痛い痛い痛い痛い痛い。







「お、俺は悪くない。お、俺の人生を潰したお前たちが悪いんだッ!!!」


 震える声で、真っ赤に染まった自らの両手を一瞥し、一息入れた男は倒れ込んだ大和を蔑むように見下しながら、ニヤリと下卑た笑みを浮かべる。


「つ、次は、お、俺に色目使った、あの、あの女の番だ……!!!」

「……ッ!や、やめ、ろ……九重に…手を出すな……!」


 大和の倒れた周辺はすでに血の海となっており、本人も朦朧とする意識の中フラフラと立ち上がる。


「な、何だよ……」


 血で真っ赤に染まったナイフを、再び大和に向ける。


「はぁ、はぁ、どうせ……死ぬん……だ。二回も……三回も……変わらない……」

「お、お前を殺したら、あの女の家に行ってやる……ッ!!」


 気を少しでも緩めたら、すぐに飛んでしまいそうな意識のなか、一歩また一歩と男に迫る。

 死期を悟っているからか、向けられた刃物に怯える様子すら見せない大和の執念に後ずさる男。


「く、くるなぁッ!!!」

「ぜったい、に、いかせない……!!」

「う、うわぁぁぁぁぁああああッ!!!」


 声を荒げながら、ナイフを振りかざす男。

 体に力が入らない大和は、奇跡的に崩れ落ちるような形で回避するが男は気にする素振りも見せずに大和の足を固定するようにまたがる。


「し、し、死ねぇぇぇぇぇぇぇええええ!!!!!」

「大和君ッ!!!」


 鳴り響くサイレンとともに駆けつけたのは先程逃げたはずの九重だった。


「大人しく投降しなさい!」


 警察の言葉に男は、従うことすらせず。

 男は、大和の首筋にナイフをあて警察を煽る。


「こ、こいつを、今からこ、殺すんだ!!邪魔するな!!」

「大和君!!!」


 その声にニヤリと笑みを浮かべ男は口を開く。


「お前が、お前がお前がお前が」


 百面相かなにかか?と思うほどに瞬時に憎悪を抱くような恐ろしい形相で男は壊れたように小さくつぶやく。

 それと同時に、自分にかかる男の体重が些か軽くなったように感じた大和は、振り絞るように声を荒げる。


「……げろ、逃げろ九重……ッ!!!くそ、野郎ッ!!九重に、手を出すな……!!」


 男は先程まで標的にしていた大和の言葉になど目もくれず、立ち上がると九重に向かって走り出す。

 が、狂気の中にいた男は周囲が見えておらず、周りで待機していた警官数人にあっさりと捕らえられる。


「離せぇぇぇぇぇぇぇぇええええッ!!!!」


 ジタバタと見苦しくもがく男だが、手錠をかけられ連行されていく。


「大和君ッ」


 男が連行され、安全が確保されたと同時に救急隊員と九重が駆け寄ってくる。


「……こ、この、え」




 体が燃えるように熱い。




 視界がゆがむ。




 少し暗いな。



「大和くんッ!!」


 何を言ってるんだ……?

 声が聞こえない。








 ……。




 ………。




 …………。





 暗くて寒い。

 意識はある体も動く。

 ここはどこだ。


「……」


 光の差し込むことのない深海のような何処かに佇む大和。

 ただひたすらに歩く、これからの自分を示す指針もないこの空間で何も考えずただひたすらに歩いた。
































「……?」


 どのくらい歩いただろうか。

 不思議とこの暗闇の中恐怖はなかった。

 自分の置かれた現状を理解しようとしてもできないのに、どうしてこれからを考えることができようか。


「……。」


 ふと歩みをとめる。

 この無限に広がる暗闇の中に、まるで蜘蛛の糸のようにか細い一筋の光を見つける。

 これは救済か、はたまた神の遊戯いたずらか。


「そうなるとここは地獄か何かだったのか?」


 我ながらアホらしい独り言だと自嘲するように、鼻で笑う。

 が、しかしここを逃せば終わりかもしれない。


「もともと死んでんだ。」


 大和は覚悟を決め、一縷いちるの希望にしがみつく。


「頼むッ!!!!」


 これが地獄への片道切符だとしても、永遠にこの闇を彷徨うよりマシだ。


「どこでもいいッ!!!」


 大和が二度とないかもしれない好機を逃すまいと、伸ばした手。

 光に手が届いたと同時に、眩い光が大和を包む。

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