第27話③

翌朝

下ろしたての黒下着をまあまあの出来で身に着け、制服を羽織る

「どう?」

期待はしていないが一応ルネに見てもらう

「知らないよもう」

しかし私の理論に間違いはない

自信を持て


昨日と同じようにゆっくり歩いて学校へ向かう

「つむじ様、おはよーございまーす」

「はい、おはよう」

最早人の制服の透け感をあてにする必要もないが、こうしてゆっくり歩いた方が威厳ありそうに見える

本当に速い車はひと踏みでどんな車も追い越せるから、わざわざスピードを出さないのと同じだ

「おっ、つむじ様ー」

今日のフィッシング同好会会長はサングラスをかけている

朝釣りをするときに水面の反射が眩しいからだ、と言っていた

私を見てサングラスを上げたり下ろしたりしている

「へぇ…黒?」

そんなバカな

黒は光のすべての波長を吸収するから黒なのだ

見えるはずがない

ましてやサングラスをかけた目になどは

「じゃねー」

「そんな!どうして!」

「そりゃ肌の方は光を反射するでしょうよ」

「じゃあやっぱり透けてんじゃん!」

「そんな事言われてもあたしには透けて見えないし」

なんということだ

まあまあ高い金を払ったうえ変態ボディフィッターの責めにも耐えたというのに

ちくしょう

「自分で見ても透けてないんでしょ?ならもういいじゃん」

「でも透けて見えてる人がいる」

それだけで気が気ではない

自意識過剰と言われようとも

「強迫神経症だよ」

病気はないのにそういうのはあるというのか

ならばなおのこと安心が必要だ

こうなったら客観的な視座に頼ろう


「ああ、それは偏光レンズですね」

いいカメラに高いフィルムで撮ってもらって、プリントしたもので確認しようと写真部を訪ねた

彼女とは共にプリクラの普及に力を尽くした、まあビジネスパートナーの一人だ

いつもメガネをかけているが、病気のないこの世界でも目の悪い子はそれなりにいる

足の速い遅いみたいなものなのだろう

「確かにあいつの目は偏っている」

「えーと…偏光レンズっていうのは、光の乱反射を遮って対象を見やすくしてくれるレンズのことですよ。例えば…天気のいい日に窓の外から建物の中を覗き込んでも、外の景色が映って中は見えませんよね?でも偏光レンズがあれば、反射光を取り除いて窓の向こうが見えるようにしてくれるんです」

撮るなら明るい所がいいと言って出てきた部室長屋の前で、庇の下で私達の姿を映している出入り口の掃き出し窓を指した

「なんでそんな覗き御用達みたいなレンズがあるの」

「それこそ、釣りのときに水の中が見えるようにしたりとか…あと全部の光を均等に遮るわけではないので、眩しくないけど暗くもない、という感じに見えます」

写真部員は機材バッグをごそごそと漁って、枠の付いた薄い丸板を取り出した

「カメラ用にも同じフィルターがあるんです。写真のコントラストを上げてくれるんですよ」

とその丸板を手渡された

覗き込んでみると、少し薄暗いグレーがかっているガラスだ

でもこれではサングラスの用は成さないのではなかろうか

「それであの雲を見てみてください」

夏の厳しい日差しで入道雲が真っ白に照らされている

そこにフィルターをかざしてみると、空との境界線が曖昧だった雲の輪郭がはっきりして、もやっとした空色もくっきりした青になった

「へぇ、すごい」

「制服も表面で光が複雑に反射してますから、フィルターでそれを取り除くと制服本来の色が見えるようになります。…制服が光を通すなら、その下の色も」

フィルター越しに写真部員を見てみる

彼女も同じ高天原の生徒だ

特に透けては見えない

ここまで着いてきたルネを見てみる

今日ルネはライトグレーの下着を着けていた

コットンだからそんなに光を反射しない

やっぱり透けては見えない

「ちょっと、貸して」

ルネは私の手から取り上げたフィルター越しに、まじまじと私を見ている

「…どう?」

フィルターを掛けたり外したりして見比べている

「あー…なるほど」

「何よ」

「ねえ、ほら」

と写真部員にフィルターを手渡して私を見させている

「そうですねえ…何かはわからないけど、何か黒いものを身に着けている感じはしますねえ…。言われてみれば、ですけど…」

私は地面に崩れ落ち、四つん這いで絶望のポーズを取った

黒ですべて解決したと思っていたのに

あんな辱めまで受けたのに

「でもわざわざこんなことしなけりゃ見えやしないって」

「あ…それなんですけど」

写真部員は慌ててルネの気休めに言葉を継いだ

「元々人間の目って、偏光フィルターみたいな機能持ってるんですよ。程度は人によりますけど」

「じゃあ見る人が見ればいつでも透けて見える…?」

「ここみたいに光が豊富にあって、肌と下着の色が大きく離れていて…って色々条件が揃わないと難しいと思いますけど、まあ、他の人よりはよく見えるかも…」

マーフィーの法則だ

起こる可能性があることは起こる

というか一人に見えたらみんなに知れ渡ってしまう

もう既に私が黒下着を身に着けるような人間だということが全校生徒に広まってしまっているだろう

「フ…フフフ…」

「つむじさん…?」

「もう嫌だ!私一服寺の子になる!」

「何バカなこと言ってんの」

「だって嵐の制服絶対透けないし!大体うち駅チカじゃん!通学至便!」

「あそこお金持ちじゃなきゃ入れないんだよ?」

「金ならある!」

「あ…それなんですけど…プリクラも大分需要が落ち着いてきたというか、最初の頃のような爆発的な流行ではなくなってしまって…。今はみんなプリ帳の方にお金かけてる感じなんですよ」

「ノーーーー!!!」

ああ、私は黒下着が透けてるという恥を背負って生きていかなければならないのか、この無限の命の世界で

黒下着スケスケの助なんてあだ名で永遠に

待て

この世界にはもう一つ学校があるじゃないか

郁金香うっこんこうの夏服ってどういうの?」

衣替えしてからまだ見かけていない

というか自分の透けが気になって全く意識していなかった

「郁金香ですか…?」

写真部員は顔を赤らめて目をそらした

「知ってるから言い出さないでいたのかと思ったよ」

ルネはちょっと意外そうな顔をしている

「なんで…なんかそんな、アレな感じなの?」

「ほんとにわかんない?冬服覚えてるでしょ。あれが夏の装いになるんだよ?」

黒い幼稚園のスモックだ

「…かわいいんじゃない?」

パフスリーブになるとか、開襟になるとか、そんなところだろう

超ミニなのが気になるが、パンチラはまだ防ぎようがあるし覗き見る奴はいくら糾弾しても許される

覗かれた方が正義だ

「どうやら本当にわからないらしい」

「見ても信じられないんじゃないですか、この様子だと」

「なんだよなんだよ、人が物を知らないと思って。見たことないんだからしょうがないでしょ」

「あるんだよ、見たこと」

私はルネに手を引かれて、郁金香のあたりに連れていかれた


ああ、ああ!

確かにある!

見たことがある!

黒いベビードール、ボーイレングスのショーツ

首元には白いリボンをチョーカーのように締め、黒いエナメルのタイアラウンドのヒールを履いて歩いている

歩いている群れがいる

ベビードールの丈は冬服より一層短く、裾が翻ればへそまで見える

生地も私達のより更に薄く、誰がどう見ても下着屋の店員だ

パフスリーブってところだけは合ってた

肩は全部出ているが

「あれとこれ、どっちがいい?」

郁金香の制服…指定下着?と高天原のセーラーを交互に見る

「…みんなあれならかえって恥ずかしくない気がする」

「透けるの嫌なんでしょ!?」

あれで公共の往来を歩けるかどうかは別として、見た目がかわいいのはいい

それに高天原のセーラーはなまじ普通の服なだけに、透けると一大事感がでかい

これは哲学的命題だ

見えないから見たくなる

カリギュラ効果だ

結局我々はある程度の緊張感を持って夏を過ごさなければならない

完璧はない


そしてまた翌日

「ようやく観念したか」

私がブラとショーツの上に制服を被るのを見て、ルネは大きなため息をついた

「いいや、私は諦めない」

ローゲージのサマーニットカーディガンをプロデューサー巻き

色も紺色だ

死ぬほどダサいが透けるよりいい

袖口をセーラーのタイのように結ぶのがせめてもの抵抗だ

「…下に着るよりはずっと利口」

ルネも納得のより完璧に近い解決

もしかすると、これをしていたプロデューサーも透けブラを隠すための苦肉の策だったのかもしれない

「つむじ様おはようございまーす」

「はい、おはよう」

これこそが真の余裕

最早私を脅かす物はない

「おっ、つむじ様ー」

フィッシング同好会会長はいつも同じ時間帯のご登校だ

一目私を見て、すぐにこのナウなヤングにバカウケな業界人ファッションに興味を示した

「なにそれかっこいい」

フィッシング同好会会長はこれで結構おしゃれさんだ

耳毛が生えてる釣りキチではない

「…真似してもいいよ」

「マジで!?」

そこまで喜ぶことかと思うほど大げさに目を丸くすると、いつも下げて歩いている頭陀袋から長袖のジャージを引っ張り出して早速プロデューサー巻きにした

「見て見て!これつむじ様がさあ!」

フィッシング同好会会長は喜々としてこの新しいギョーカイ人スタイルを触れ回り始めた

ジャージは違うと言いたかったがもう遅い

みんなが私を見る目が微妙だ

違う、そうじゃないんだ

しかしもしこのような間の悪いめぐり合わせに見舞われた時、自分に何ができるか考えてほしい

フィッシング同好会会長に伸ばした手は空を掴み、やっと手に入れた私の安心は、ものの15分で増幅する不安へと姿を変えてしまった

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