第27話①

厚い雲は白く霞み、やがて晴れ間から青空が覗く

照りつける太陽は石畳のコントラストを上げ、建物の白壁も入道雲もまぶしく輝いている

ようやく長い梅雨が明け、この世界にも夏がやってきた

制服も半袖になった

なった、というのはクローゼットの中の制服が朝起きたら半袖になっていた、という意味だ

元々涼し気な制服ではあったが、夏服は生地も薄くなりスカートもより軽くふわりと踊る

「そういえば、夏服買わなくちゃね」

持っていない私服までは勝手に揃ってくれない

袖のない服はキャミソールぐらいしか持っていないが、これだって春物だ

「あたしのでよければ、ブラウスとスカートならあるよ」

と四次元ポケットから秘密道具を取り出すがごとく、ルネ型ロボットは衣類の山から一発で目的のものを引っ張り出した

絶対去年から洗っていない

去年脱いでそれっきりのブラウスはシワもなくピシッとしている

散々ルネの洗濯無精を指摘してきたが、アイロンを掛けなくてもいいのは流石の私もうれしい

ルネは私よりわずかに背が低いくらいだが、肩幅も狭いし腰も細いのでそれ以上に小柄に見える

「多分私着れないよそれ」

「ちょっとオーバーめなサイズのやつだし、スカートのウェストもゴムだよ」

ルネは膝丈のフレアスカートをびよんびよんさせている

しまむらとかにありそうなやつだ

まあこれも時代性を超えている代物だろう

この世界は几帳面とずぼらの果てしないバトルで成り立っているが、衣料品に関してはずぼら軍がかなり優勢な雰囲気だ

我らが砦、コインランドリーも敵の進軍に怯えている

「まあ、買い物にはこれでも行けるよ」

と薄くなった制服を摘んでみせた

やはり薄い

これはもしかして透けを気にしなければいけないやつではないのか

念のため下にもう一枚着ていくことにする

「暑いってそんなの」

ルネはブラの上に直で制服をかぶる

なんだったらノーブラも躊躇しなさそうなところはあるが、家でもルネの裸は見たことがないので、流石にそこまで軽装で外を出歩かないだろう


「つむじ様おはようございまーす!」

夏服の生徒達が私に挨拶をして追い越してゆく

なんでかというと、背後から制服の透け感を観察するためにゆっくり歩いているからだ

「はい、おはよう」

「あたしの見たらわかるでしょ。透けないって」

「いいや、家の中で見ただけだと案外わからない」

こうやって人のなりを見て参考にできるのも学生のいいところだ

だが社会人はそういうわけにいかない

自分のブラウスが特に薄いかも知れない恐怖と常に戦い続けなければならない

今のところ通り過ぎていく女子達の下着は透けていない

「ほら、大丈夫だよ。考え過ぎ」

「みんなも下にもう一枚着てるのかも知れない」

疑心暗鬼と言われても、自分で自分の背中は見えないのだから

「自意識過剰」

「えー…傷つく」

たとえ相手が女の子でも用心に越したことはないのだ

「おっ、つむじ様ー。スケスケー」

「!」

通り過ぎざまに、フィッシング同好会会長にブラのホックのところをつつかれた

「おっ先ー」

「ほら!やっぱ透けてる!」

「そんなの当てずっぽうでもわかるよ。だいたい胸の高さなんだから」

「そうじゃないよ!透けるかもって知らなけりゃスケスケなんて言わないよ!」

「なんかこう…そういう記憶だけ残ってたりするんだよ。常識っていうか。紐の結び方とか字の書き方忘れてる子いないでしょ」

「だとしたらみんな透けるのわかってるってことじゃん!」

今はお尻を隠せるようにダル目に低い位置でカバンを背負っているので、背中までは隠しようがない

「死なないんだったら一枚多く着るぐらい厭わない」

「でも汗はかくよ」


ルネの言った通り授業中私だけ玉の汗をかいていた

「濡れたら透けると思うよ、当然」

自慢じゃないが私は汗っかきだ

人間の生理機能が正しく働かないこの世界でならあるいはと思ったが、汗は虚しく滴る

まだそこまで真夏の気温じゃないし、夜などは肌寒い日もあるくらい涼しい

なのに一枚多く着てるだけでここまで汗をかくとは、さしもの私も驚いている

「これ春物でしょ?そりゃ暑いよつむじ」

とキャッツ・ポウが私の襟首からキャミソールの肩紐を引っ張り出して指先で撫でている

仕方ないじゃないか、まだ夏物買いに行ってないんだから

こういう衣類の素材も比較的新しい化繊が台頭しており、どうやら冬場にはフリースやヒートテックさえ売られているようである

「ほら、見てみ。全然透けてないでしょ」

とワンピースのスカートを捲ったり下ろしたりして、派手なショッキングピンクのパンツを見せつけられた

ネット通販でしか買えなさそうな感じのデザインだ

「そうやってガードが固いと、むしろみんな見たがるよ」

「そういうカリギュラ効果よくない」

ガードしなかったらしなかったで喜ぶ人間がいるのだから

そういえば一服寺はどうなのだろう

ガードという点で言えばほぼ鉄壁だ

襦袢の上に着物、その上から袴を穿いているのだ

夏用に薄い素材になっても透けはすまい

嵐は夏をどうしているのか


ルネにはそんなどうでもいいことでと言われたが、学校が終わった後官邸に寄ってみた

ガラス張りのエントランスは暑い

これに文句を言わないでいる他のアネモイ達は偉い

「しょっちゅう文句言ってますわよ」

執務室では、薄手のノースリーブワンピ姿のフレオが私の椅子にふんぞり返っていた

元アイドルだけあって、机の上に投げ出した足はすらりと長い

「でも文句言ったからって建物が直るとお思い?」

「みんながそう願えば、朝起きたら全部網戸になってるかもよ」

と勝手に半袖に生まれ変わっていた制服の肩をつまむ

「それだったら執務室にクーラーとか、全館冷房を願った方がよろしくなくて」

まあ、それができるならその方がありがたい

「フレオは着るもの透けない?」

「わたくし肌が白いので」

真昼の女王だったくせに、フレオの生っ白さときたらろうそくか石鹸みたいだ

透けても制服と区別など出来ないというのだろう

「もとからそんなだったの?」

「どうだったかしら。あの頃は健康的な小麦色の肌が人気なので随分肌を焼かされましたけど、わたくしはすぐ真っ赤になってしまったから。反動で白くなりたかったのかもしれませんわね」

「私の時代は美白っつって、白い方が人気だよ」

「それは結構」

地黒で悩んでる子は多い

おまけに地黒は日に焼けたからって健康的には見えないものだ

それに比べたら白くて悩んでるなんて贅沢すぎる話だが、まあ他人にはわからない悩みなんていくらでもある

「嵐来てるかな」

「わたくしが戻ってからは、まだ誰も官邸に来てないようですけれど」

執務室の窓は鬱蒼とした裏山に面していて、外の通りは見えない

窓を開けておけばマイナスイオンがなだれ込んでくるような雰囲気だが、一面しかないので風通しはあまりよくない

あゆ様の執務室に入ったことがあるが、上位のアネモイは擁する部下も多いため部屋が広く、並びにちょっとした会議室まで付いている

2面に窓があって通気も良さそうだった

「何か冷たいものもらっていい?」

勝手知ったる執務室

しかし置いてある冷蔵庫はフレオのものだ

最近側室に置ききれないものが執務室にあふれ始めている

角ばったデザインの2ドア冷蔵庫はメッキのモールで縁取られていて、ルネの部屋にあるのとは大分趣が違う

ファンシーな花柄があしらってある下のドアを開けると、中身は昨日の(あるいはもっと前の)残り物らしい鍋、マーガリン、梅干し、葉物野菜が少し、みかん2つ、開けていない桃の缶詰

ドアポケットには麦茶と瓶のサイダーがあった

気分的には麦茶だ

アメリカ人じゃあるまいし、人んちの栓がしてある飲み物を勝手に開けるのも気が引ける

冷凍庫の方から氷をいくつかもらって自分の置きコップに放り込み、麦茶をなみなみと注ぎ、ドアを閉める前に一口ぐっと呷った

「…あっ、それ」

フレオが何か言ったのを脳が聞き取る前に、体が今飲んだものを全部吹き出してしまった

「お酒じゃん!」

むせる

気管に入った

「中身が何かも聞かないで勝手に飲むからですわ」

とフレオは雑巾を持ってきて冷蔵庫を拭いている

「こんなのに入ってたらお酒だなんて思わないよ!」

大体どのご家庭でも麦茶を入れておくのに使う、プラスチックの蓋が回転するガラスポットだ

これも黄緑色で花柄が印刷されている

「ロックにすると薄まってしまうでしょう」

「瓶のまま冷やせばいいじゃない!」

「ポケットに入らなくて」

そう言って掲げて見せたのは、量販店でよく見かける4Lのペットボトル入りウイスキーだ

他のペットボトルなど見たこともないのに、よりによって何故酒だけが

「安酒ですからお気になさらずに」

健康に悪いとかいう理由の上から目線で叱りたいところだが、ここでは通用しない

こういう手軽な正義棒を取り上げられると、こっちが悪い時まあまあ不便だ

「今度からもっと強いのをロックで飲んで」

ほとんど吹き出してしまったが、流石に一気に行ったのでちょっと回ってきた

「つむじは何しに来たんだよ…」

ルネは呆れ顔だ

朝から私の一挙手一投足をつぶさに見ていただけに、大分うんざり来ている

しかし私には大事な使命があるのだ

…なんだっけ

でも確か、すごく大事なことだ

「わかったよ、嵐のとこ行ってくる」

と扉の方に踏み出したら本棚に膝をぶつけた

「おおおおお!」

「まったく…ほらしっかり!」

ルネに抱えられて執務室を出ると、ちょうど嵐が官邸に来たところだった

「なあに?つむじどこか悪いの?」

「特に運が悪い」

それ以外は時間が癒やしてくれる

「そう?鼻水垂れてるけど」

水ではない酒だ

どうりで鼻の奥がツンとするわけだ

手の甲でウィスキーを拭って鼻をすする

「ああ!うん!」

咳払いをして声を整える

「あー、ああ」

「ほら!何か聞くことがあるんでしょ!」

私はまだルネの肩を借りたままなことに気づいた

なんだっけ

目までツンとしてきた

「あれだ、ほら、えーと…」

指をくるくる回して記憶を掻き出す

「麦茶のポットが」

「透けの話!」

「えっ!?やっぱり透けてる!?」

「違う!透けてない!」

「だから違うって…そうじゃなくて、暑苦しいのが…」

「相当重症だね」

口ではそう言うが嵐の顔は笑っている

苦笑っている

まあ病気にはならないんだから本気で心配する必要はない

でも苦しんでる人間を見たら手を差し伸べるのがアネモイではないのか

「違うんだって。キャミ一枚でなんでこんな汗かくのかって…」

額の酒を拭う

酒ではない汗だ

ここは暑い

執務室の前は待合スペースのような広間になっており、エントランスの真上にあたる場所なのでここも全面ガラス張りなのだ

おまけに開け閉めも出来ないから暑い

まるでビニールハウスだ

ルネは私を支えきれず、私と一緒になって前のめりで広間の床に倒れた

「いった…つむじ!」

暑い

不用意に呷った酒のせいで一気に汗が吹き出してきた

「しょうがないなもう…」

嵐は私を担ぎ上げ、背におぶって歩き出した

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