第23話

虹色の花畑の先には何があるのか

遠くは霞んで形のあるものは見えず、ぼんやりと空につながっている

虹色の花畑を割るように単線の線路が続いている

こういった自然の景観に架線や電柱は無粋だと思うものだが、これだけ周りに花畑しかないと人工物が恋しくなる

だから私達は線路伝いに歩いた


私達は闇雲に花畑を目指したのではない

馬術部からヴァンルイエと遠乗り用の装備を借り、タービュランスにも載せられるだけの荷物を載せた

テントに寝袋、炊爨用具、水や食料も3人と2頭分積んだ

一般に、水平線までの距離は5㎞足らずだという

地球ならば、だが

いずれにしろ見えている範囲なら1時間も歩けば到達できることになる

しかし下り線方面は文字通り下っているので、もっと遠くまで見通せている

確かこの辺の標高は70mくらい

地球を半径6378㎞の球体であるとすると…

「30㎞かな」

ルネは三平方の定理を使って水平線までの距離を導出した

歩いても行けない距離ではないが、帰ってこなければならないのだ

馬は休み休みで1日60㎞は歩けるというから、まあこのぐらいがいいところだろう

「でもこんなとこまで行って何すんの?多分その先も花畑しかないよ?」

確かここから東京湾までは20㎞、相模湾までは30㎞ほどのはずだ

本来なら馬が疲れ果てる前に海に到達出来るはずである

そして海がなかったにしても、その先に何もないということがわかる

何のために?

愚問だ、真実のカレーの前には


そして海を目指して一晩が過ぎ、今に至る

「つまり、本当だったらここはもう海の上のはずなのに、ずーっと同じ花畑が続いてると」

ルネはもううんざり、という顔をしている

「大体さ、こんなとこに香辛料の原料が生えてるの?なんで海を目指したの?」

真実のカレーが、と言ったらルネが怒るので、私もフレオもそれは言わないことにした

朝もやに煙る花畑は美しい

絶好のピクニックスポットだ

しかしそれも今は言えない

「こんな燃料じゃお茶も沸かないよ」

マッチは持ってきていたものの、枯れ木ぐらいそこらにあるだろうと思って燃やすものを用意してきていなかった

この七色の花畑では木も花も一向に枯れないのだった

辛うじて荷物の中にあったのは炭ひとかけ

しかしひとかけの炭は頑張って飲める程度のお湯を沸かし、パンとジャムとでどうにか朝食を摂ることが出来た

「…電気はありますのにね」

フレオは恨めしそうに電車の架線を眺めた

見渡す限りの花畑とともに、ずーっとずーっと遠くまで、見えなくなるまで架線は続いていた

座っている高さから花畑にぽっかりと穴が空いて見える

ヴァンルイエとタービュランスが寝転んでいるのだ

馬の脚は力を抜いても曲がらないので立ったまま寝れるという話だが、周りには外敵もなんにもいないのだ

誰にも遠慮する必要はない

「この子達の餌どうすんの?」

ルネ以外には

しかし食べるものに限りがあるのは事実だ

「電車を止めてさ、乗っちゃうっていうのは」

この地の果てでも電車は時刻表通りに運行していた

しかし線路は単線なのだ

これほどの距離に信号場ひとつなく、なのに上りも下りも往来している

街に着く前にどこかで正面衝突していないとおかしい

「撥ねられて痛い思いするだけじゃないの」

実際昨日線路の上を歩いていたが、止まる気配も見せずに警笛をプァンプァン鳴らして電車は突進してきた

「電車に乗りっぱなしでいたらこの先に行けないの?」

「終点で誰か乗ってると役務係が降ろしに来る。全員降りるまで発車しない」

終点とは一服寺とザナドゥのことだ

本当にどこにも行けないように出来ている

悔しい

私はカレーの女王様になりたかった

カレーの女王様になって購買でレトルトカレーを販売したかった

パッケージまで考えていたのに

私達は失意の中帰路についた


「今思えばバカなことなんでしょうけど、わたくしこの原野の何処かにスパイスのなる木が生えていて、わたくし達はそこで黄金を手に入れて帰るのだと、ちょこっとだけ思っていましたわ」

「今度から出かける前に気づいて」

「…私は今でもどこかにスパイスの木があると思ってるよ」

「見たらわかるの?どういう花が咲くの?」

ルネの怒りは当分収まりそうにない

「ああ、でも…」

フレオが思い出したように言った

「二日酔いは治りましたわ」

「………」

それからしばらくルネは口を聞かなかった


西日を背に受け、追い越していく電車に明かりが灯るようになった頃、ようやくリリカポリスの姿が見えてきた

「よかった…まだ同じところにあって…」

「怖いこと言わないでくださいまし!」

「まったく…もう町の外に出るなんて言い出さないでよ」

街は夕飯時だ

飲食店の煙突は軽快に湯気を吐き出し、買い出し客で店先は賑わっている

「晩ごはん何にしようか」

というか今朝パンを食べたきりだ

ヴァンルイエ達にも飼葉をやらないと

「出来合いでいいよ出来合いで」

私達は官邸近くの夜でも賑わっている市場へ出向いた

ルネはここのデリでよくおかずを買っている

この2日歩き倒したので、流石に肉っ気のものがほしい

いつもならカツレツを売っている肉屋も今日に限って売り切れだ

ブロック肉はまだ一塊残っている

八百屋の店先には特売と書かれた札の下にじゃがいもが山と積まれている

この街の需給バランスについては未だによくわかっていない

ルネでさえ見当がつかないと言っている

「今度酔っ払ってもこんな思いしなくてもいいように、わたくし薬屋に寄ってきますわ」

フレオには大分余計なおせっかいになってしまったが、まあフレオ自身もカレーに夢を見ていたのだ

「あたしまたパンはやだな」

と惣菜屋の店先に残った白米のパックを見てルネが言った

「それおにぎりにしようか」

「おにぎり!いいねえ!」

そんなのでルネの機嫌が戻るならお安い御用だ

「ここここここれ!これ!」

そこへ血相変えたフレオが駆け寄ってきた

手に持っているのは黄色い粉が入った小さな瓶

見たことのある赤いロゴ

そして右から左へ書いてあるその文字は紛れもなく”カレー粉”

私は青くなった

「…どうしたの、それ」

「やややっやっ薬局に、うっ売って売って…」

そんなの気づくわけないじゃん

私達のせいじゃないよ

ねえ


私はルネがここまで激昂したところを初めて見た

もちろん平身低頭、私のせいでございますと何度も頭を下げ、まさかこんなところにカレー粉が売ってるなどとつゆにも知らなかったことを繰り返し訴えた

曲がりなりにも学食にカレーがあるのだから、原料がどこかにあっても不思議はない

不思議はないが、こんな不思議しかない街で尋常に原料が調達されているなど誰が考えよう

というかカレー粉があってあれしか作れないこの街が悪い

言っても詮無いことだが言わずにはおれない


私達はブロック肉とじゃがいも玉ねぎ人参、そしてパックご飯と福神漬を買って官邸の執務室に戻った

足りないものをすぐに買いに行けるからだ

「バターと薄力粉と…にんにくはありましたわ」

フレオの部屋には大体なんでもある

もちろんキッチンもだ

私は玉ねぎをみじん切りにして飴色になるまで炒め、一口大に切った肉と野菜に火を通し、ブーケガルニとコンソメを入れて鍋で煮込んでいる間に、フライパンでバターと薄力粉でルーを作ってカレー粉を混ぜた

灰汁を取って煮上がった肉と野菜にルーを混ぜる

チャツネ代わりにいちごジャムを入れるのがミソだ

フレオはどうしてもりんごとはちみつを入れたがったが、調達できなかった

仕上げに煮込むこと弱火で10分

遂に真実のカレーが姿を表した

私達の大遠征は無駄ではなかったのだ

「さあ、食べてみてよ!」

ルネの前に盛り付けられた真実のカレー

添えられた福神漬は勲章のように輝いている

「いただきます…」

私達の圧に押されて、ルネは神妙な面持ちになっている

ルネのスプーンが米粒の山を穿ち、そこになだれ込んだカレーと混ざり合う

そうして掬い取った小さなカレーライスを口に運んだ

緊張の瞬間だ

ルネはまだ咀嚼している

「どう!?」

ごくり、とカレーが喉を通るのを部屋の誰もが感じ取った

「うん…カレーなんじゃない?」

そんなバカな

このレシピなら間違いはないはず

少なくとも給食のカレーぐらいにはなっているはず

私はルネからスプーンを奪い取って一口食べた

学食のカレーだ

厳密に言うとこれに牛乳を足せば完全に学食のカレーだ

フレオも一口食べて愕然としている

「こんなはずありませんわ…どうして…」

「いや、よく出来てると思うよ。これがカレーじゃないの?」

ルネは牛乳抜きの学食カレーをもりもりと食べている

私とフレオも食べた

そこへ何故か臭いを嗅ぎつけたあゆ様まで現れた

あゆ様も食べた

「…君たちの言わんとしていることはわかる」

やはりあゆ様もこちら側だ

「理由はこれだ」

カレー粉の瓶を見るあゆ様

ゆっくりと成分表示をこちらに向ける

原材料は”香辛料”としか書かれていない

「昔はこういうのアバウトだったのかな」

「レシピを他の会社に知られたくなかったんじゃありませんの?」

「いや…この世界が”カレーが何で出来ているか”を知らないんだ」

そのことは、すっかり受け入れたと思っていたこの不思議な世界が、やはり私達の世界ではないのだということを思い知らせた

「しかしこの世界がカレーを知らないことは不幸だ」

そう言ったあゆ様も加わって”真実のカレー”に迫る試みが再び繰り返された


今度は慎重の上にも慎重を期した

それをうっかり”カレー”などと呼ぼうものなら、その瞬間それはただの”カレー”になってしまうかもしれない

なので私達はそれを”アレ”と呼ぶことにした

あゆ様は”アレ”の粉の成分を知っていた

ターメリック、コリアンダー、クミン、チリペッパー等々

幸いそれらが薬局にあることはフレオが突き止めていた

気の遠くなるような試行錯誤の末に、これこそ”アレ”の香りだという配合を見出し、焦がさないように焙煎する

料理の得意な子にも助力を請い、焦がさずに飴色玉ねぎのピューレを作る知恵や、良質なフォン・ド・ボーを分けてもらった

そしてフレオが頑なに求めたりんごとはちみつを仕上げに入れて、私達は遂に”アレ”にたどり着いたのだった


「…これだ!この味だよ!これこそまさにカ…」

私とフレオは慌ててあゆ様の口を覆った

「…ごめん、嬉しくてつい」

しかしまさしく、色も香りも、そしてあの味も、紛れもなく”アレ”だ

私達は遂に真実の”アレ”を完成させた

「…かっら!あたし辛いの苦手なんだって」

「そんなにじゃないよねえ?」

「甘味と辛味はジャムとチリパウダーで調整できますわ」

「私も実は甘口が好きなんだ」

私達はとうとう手に入れたこの黄金を、大切に味わった

「しかし、いつまでも”アレ”というのもどうかな。うっかりすると口走ってしまう」

名前を言うと台無しになってしまうなんて、まるで金角のひょうたんかマントラだ

「何か新しい名前をつけましょう」

「ナポリタン、ってあるじゃない?本当はナポリ発祥でもなんでもないけど、何故かナポリタンていう」

「そうなんですの!?」

「そうなのかい!?」

フレオとあゆ様はどうやら知らなかったらしい

「でも言わんとしてることはわかった」

「ナポリタンと違って由緒もありますし、よろしいんじゃなくて?」

氷水をがぶがぶ飲みながら、それでも”アレ”を夢中に食べていたルネは、私達の合意にピンときていなかった

「…何の話?」


私達の血の滲む”ような”努力の結晶は、瞬く間に広まった

街中のあらゆるレストランや学食に現れると、たちまち人気メニューとなってグラタンやオムライスを脇へ追いやった

学食の前で今日の昼食に悩む腹ペコ女子達の会話が聞こえる

「ここんとこずっとパンだったんだよね」

「私は昨日うどん食べたから…」

メニューをなぞる指が最も新しい一皿の上で止まった

「「リリカポリタン!」」

私達はこれまでの努力を思い返し、固い握手を交わした

「やり遂げましたのね、わたくし達…」

「つむじくん、君の名前は永遠に歴史に残るだろう」

「みんなのおかげだよ…!ありがとう!ありがとう!」

私は遂に”アレ”の女王様になったのだ

求めてやまなかった”アレ”をこのわがままな世界から勝ち取ったのだ

そんな私達を冷ややかに見つめるルネの視線があった

「”ナポリタン”って何なの?」

私達はまた新たな頂を発見した

しかし難攻不落の”アレ”を制した私達に不可能などない


そしてリリカポリスは次々に繰り出される新メニューの攻勢に晒されランチの戦国時代に突入するのだが、それはまた別の機会に

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