第20話②

大扉をくぐると、外はもうすっかり暗くなっている

そう何十分もいたわけじゃないと思うけど、浦島太郎か不思議の国のアリスの気分だ

学校がある方の駅とは陽の落ち方まで違うようだ

「馴染みの店があるんだ」

「ボトルでも預けてるの?」

「実を言うと、下戸なの」

確かに嵐も水とエビのカクテルにしか手を付けていなかった

店を出てホームの裏に回って鉄の階段を昇って下って、もう既に一人で帰れなくなった頃、ようやくその店の看板が現れた

ハイランド・クラン

木彫りの古い看板には英語でそう書かれている

入口の前にはひどい裸電球一つの、薄暗い廊下のどんつきだ

扉の脇には客引きではなくバンサーが立っていた

「そちらは?」

「新しい女王よ。知ってるでしょ」

「困りますよ、新顔は」

「いいの?そういうこと言って」

と嵐は腰の長ドスを少し抜いてみせた

それを見たバンサーは短くため息をつき、扉を開けて私達を通した

「女王ともあろうものが脅しなんか使って…」

「これが私のパスポートよ」

嵐は気にもとめていない様子だ

こいうものを己の象徴として下げて歩いてるというのは、つまりはそういうことなのだ

どうやって女王の座を手にしたのか、少し気になってきた


店内は古くて薄暗い喫茶店といった雰囲気だ

カウンター席とボックス席が2つ3つ

奥のボックス席を4人グループが占領しているほかは客はまばらだ

店内には炒ったナッツのような香りが漂っている

「いつもの」

嵐はカウンター席の端に陣取ると、テーブルの上にある瓶から何かの砂糖漬けをひとつつまんだ

「甘党なんだ?」

「どうかな」

バーのマスターが氷の入ったグラスをコースターの上にそっと置いた

嵐が頼んだ飲み物はカフェオレに見える

下戸がカルーアミルクということもあるまい

「つむじは?」

「じゃあ、同じものを」

グラスはすぐに出てきた

間違いなくアイスカフェオレだ

この世界へ来て初めてコーヒー味を飲んだ気がする

ひどく懐かしい

特に避けてきたつもりはないが、ここへ来てから苦味や辛味はとんとご無沙汰だ

「こんな奥まった店、よく来るの?」

「そうだね…まあ、来れる時は」

近いとはいえ一駅、いや一服寺からだから二駅だ

よほど懇意にしているとしか思えない

「どこにいても女王の仕事は舞い込んでくる。でもここだけは仕事の話はご法度だから」

隠れ家というわけだ

「まあ、つむじにはフレオがついてるから大丈夫だと思うけど、女王っていつも何かしてなくちゃいけないから」

就任して早速遊び歩いていていいのだろうか

正直まだ何をしたものかよくわかっていない

「フレオは当直時間の巡回、ルーはキャバレーで客を喜ばせてる。私は…」

「転校生様がこの店に来るのは早いんじゃないかい」

嵐が言いかけたのと同時に、奥のボックス席にいた一人が席を立ってアヤをつけにきた

前髪が瞼と同じ高さのファイブポイントカットに分厚く気だるそうな唇

隈取りのように豪快な黒いアイシャドウはまるでふくろうの目だ

襟や袖に白い縁取りがある真っ赤な七分袖のワンピースに、同じ色のカラータイツ

病的にモッズな魔法使いサリーちゃんは、首から肩にかけて一見ミスマッチに見えるトラッドなタータンチェックのマフラーを纏っていた

よく見るとボックス席の3人もみんな何かチェック柄のものを身に着けている

『おそろいのファッションして、くらーい部屋で屯するのが好きな奴ら』

間違いない、これがプラッドだ

「やめろ!私の客だぞ!」

嵐は静かに怒気を込めた声でプラッドの一番槍を制した

「ここがそういう店じゃないのは知ってるだろ、嵐さん」

「つむじは女王だ、もっと敬意を払え」

「お断りだ」

ボックス席にいた残りの3人もやってきて私達を取り囲んだ

「斬られたいのか」

スツールの隣に立てかけていた長ドスを取って握りに手をかけた

プラッドは嵐を見てあざけるような笑みをしている

一触即発の空気

私はこういうのが苦手だ

「嵐、揉め事はよしてよ」

「私はここを動かない。気に入らなければお前達が出て行け」

嵐とプラッドの睨み合いは永遠に続いたように思えた

その間私は視線で嵐とプラッドの間を行き来することしか出来なかった

カフェオレのグラスがカラン、と音を立てた

プラッドはニヤついたままフン、と鼻を鳴らし「行くぞ」と残りの3人を連れ立ってバーから出て行った


私は溜まった息を腹の底から吐き出した

「心臓に悪いよ!」

「つむじ、女王は舐められちゃだめ。ああいう相手にも常に立場を意識して接しないと」

もしかしてだ

「それを言うためにここに連れてきたの?」

「まさか」

嵐は砂糖漬けをもう一つ取ると、私の口に押し込んだ

「つむじとお話したいって言ったじゃない。さあ、邪魔者は消えた!」

砂糖に包まれた生姜は辛かった

それからしばらく嵐に文句を垂れたが、嵐はニコニコして聞いていた

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