第14話 幸せの資格

「……エルン、温かい紅茶を用意しました」


 ベッドサイドにあるテーブルにカップを乗せたトレーを置いてから、イデアは私の隣に座った。

 そしてトレーを私の膝の上に乗せ換えてから、カップを私の手元に持っていく。


「温かいので。持っているだけでも落ち着くかもしれません」


 その言葉に従い、零さないようにカップが受け取る。

 カップから熱が伝い、冷めきった指先はじんわり温まった。

 しかし言葉に表せられない不安や心の重さは変わらないままだった。


「その……、無理はしないでください。わたしにできることは少ないですが、あなたの支えになることくらいはできると思います」


 支えになると言っても、エルンの背中を撫でたり、泣いてしまったときは抱きしめる程度のものですが……と弱い声で補足をする。

 イデアの気持ちはありがたかったが、これ以上迷惑を掛けるわけにはいかない。大丈夫と申し出を断ると彼女が軽く息を吐いた。俯いて手元しか見えないが、どんな表情をしているかは大体推測が付いた。


「ごめん、心配掛けて」

「謝る必要はありません。エルンは何も悪くないのだから」


 私は何も悪くない。本当にそうなのだろうか。

 彼女の言葉は胸へナイフを突きつけているような気持ちになった。


「どこか遠くに行きませんか? あの人にも、他の魔女にも見つからないような、遠くの小さな村とか」


 新しい住処を探すのは大変かもしれないけど、二人が一緒なら楽しい旅になります。と励ますような明るい声で前向きな未来を提案してくれる。だけど、私は頭を左右に振り選択肢を否定する。


「私はここにいたい」

「……すみません。そうですよね、思い出が詰まった場所ですもんね。ですが、もしまたあの人が来たらわたしは――」

「その時が来たらあなたが私を殺して」

「……エルン。こんなときにそんな冗談は言わないでください。もっと良い方法があるはずです」

「冗談じゃない。私は最初からそう望んでいたじゃない」


 最初は、死ねるのであれば誰に殺されても良かった。

 だけど今は彼女以外には殺されたくない。


「バカなこと言わないでください。絶対にそれは聞きません。忘れましたか? エルンの命はわたしが握っているんです。わたしはぜっっったいに離しませんからね」


 俯く私の顔を覗くためか、イデアはベッドから立ち上がり私に腰を下ろす。彼女が見上げるように顔を上げるとちょうど私と目線があった。


「でも。エルンにとっての幸せがそれしかないなら、一緒に死んじゃいますか?」

「!」


 倒れ込むように。なだれ込むように。咄嗟にイデアのことを抱き締める。

 持っていたカップが落ち、床が紅茶に濡れた。だけどそんなのはどうでもいい。

 イデアをずっとこの世に留めるような気持ちで強く力を籠める。


「わぁ、エルンがぎゅってしてくれた」

「ダメ。絶対にダメ」

「じゃあエルンも絶対に死んじゃダメ」

「…………」


 ふと力が抜けたタイミングを見逃さずに彼女は腕の中から抜け出す。

 態勢はそのままで私の両肩にそれぞれの手を添え、目を合わせた。


「エルンがされて悲しむことは、エルンもしちゃダメですよ?」


 その言葉に喉が締め付けられるような心地になり呼吸が苦しくなった。


 イデアが悲しむことを私はしたのだ。

 イデアを大切に思っている人たちを、イデアが大切に思う予定だった人たちを、


「わたし、エルンを守る魔法が使えるように練習してみます。幸いにもここにはたくさんの本があるので、もしかしたら参考にできるものがあるかもしれません」


 イデアが受けるはずだった愛を私が受けて、壊してしまった。


「そうしたら、もう怯えることなく毎日楽しく過ごせます」


 もう真実から目を逸らすのは限界だ。


「アベルさんたちもエルンが幸せに生きることを願っているはずです」


 イデアが私のためを思って笑う度に、私は過去の罪と向き合わなくてはならなくなる。


「イデア。あなたの幸せを壊したのは私なの」


 ごめんなさい、イデア。


「だから私の幸せなんて願わないで」



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