第23話 血肉の少女

 血に濡れた紅い部屋で少女は見つめる。彼女の視線の先には床に這いつくばっている首のない身体があった。それを眺める少女には首から下が無い。水平に切られた生首は行儀よくまっすぐ正面を見ていた。

 地面に這いつくばる身体は獣のように四つん這いで、少しずつ少女の首の方へ近づいていく。身体が自身の生首が手の届く距離に来ると、身体は四足歩行の状態から、自分の生首を抱えて両足で直立しようとする。

 しかし足元に散らばる臓物に足を取られて、身体は転んでしまった。身体は抱えていた生首を手放してしまう。生首は不快な音を立てながら臓物の散らばる部屋を転がっていく。

 床には多種多様の臓物が散らばっている。臓物は随分長い間床に放置されていて、鮮やかな紅から赤黒く変色していた。転がった生首の瞳に赤が映る。しかし赤と言えども、単一色ではない。

 身体から流れてしばらく経って赤黒く変色した血もあれば、転んだ拍子に飛び散った鮮やかな紅の血もある。この部屋を照らす唯一の炎は明るい赤。その炎は長い間放置されて腐り始めた臓物や身体を燃料として燃え続けている。

 閉め切った部屋の中でも、御力によって生み出された炎は瘴気を含む物質が灰になるまで燃え続ける性質を持つ。御力の持ち主が炎を消そうとすればその限りではないが、あいにく御力の持ち主は放った炎を消すほど殊勝な人物ではない。さらに言えば、そもそも自分の炎がこのようなことに使われている事も知らないのだ。

 その部屋には人体に有毒な煙が充満していた。一般的な人間がこの部屋に入れば、その煙が人を死に至らしめるだろう。しかし部屋に普通の人間はおらず、少女に死ぬことは許されていなかった。彼女は首を切られても、致死性の煙を吸っても、決して死ぬことはない。

 正確に言えば彼女は幾度も死んでいる。しかし彼女は死と同時に新たな命を与えられていた。意識が朦朧として途絶えそうになった時、実際にはごく僅かな時間意識が途絶えた後、急速に意識を取り戻すのだ。意識を失い、急覚醒。そしてまた意識を失う。彼女はこれを永遠と繰り返していた。


 彼女がこのように苦しめられる理由は特にない。強いて言えば彼女が不幸だったからだろう。怪物に見つかってしまった、それだけの不運。

 怪物はアークの魂を彼女へ導き、彼女を蘇らせた。怪物は不死を創るために幾度となく実験を繰り返した。そして彼女が手に入れた魔力が不死であると気付いた怪物は今のような地獄を作り出したのだ。

 それは肉が腐る臭い。肉が焼けて焦げた臭い。床を濡らす血の臭い。

 それは肉が燃えて爆ぜる音。床に転がる生肉が鳴らす音。空気が口から入り喉から抜ける音。

 もがき続ける彼女を見て、顔のない怪物は確かに笑った。その笑いは彼女の姿が滑稽だとか、叫び声すら上げられない彼女の姿に嗜虐心がそそられたとか、そういうことではない。

 彼女が死ぬたびに、彼女の肉体の回復速度は微々たるものだが向上している。その証拠に彼女の身体の切り傷の多くは既にふさがっていた。それは彼女の魔力が着実に成長していることを示している。このまま順調に彼女の魔力が成長し続ければ、近いうちに彼女を用いて計画を進めることができる。

 怪物は自身の計画が順調に進んでいることを喜んでいるのだ。


 彼女の身体は自分の首をようやく元の位置に戻すことができた。ボロボロになった彼女はようやく喉を取り戻し、うめき声を上げる。しかし彼女のうめき声からは人間の知性を感じることはできない。それは魂が擦り切れた廃人のようだった。

 しかしアークの魂と混じり合った彼女の魂は魔力の使いすぎ程度で擦り切れてしまうことはない。魔力の使いすぎで一時的に廃人のようになっても、数分もすれば彼女の魂は元通りになる。もっとも、死という壮絶な経験を繰り返すことで歪められた人格はもとには戻らないが。


「はは、ははは、ははははは。痛いな、痛いね、痛いよ。辛いな、死にたい、死にたい? 死にたくない、死にたくないよ、死にたくない!」


 彼女は傷だらけの身体でうわ言を呟く。自分の身体に付いたたくさんの裂傷が魔力によって塞がっていく様子を見て、彼女は安堵を覚えると同時に恐怖も感じた。

 自分の身体が死という状態から遠のき、痛みが薄れることは彼女に安堵の念を抱かせた。魔力はその人の願いであり、彼女の願いは「死にたくない」だった。

 それは彼女の最初の死因が身体を拘束された状態での四肢断絶というあまりに惨いものだったからだ。生前の彼女は死への恐怖で心がいっぱいだっただろう。そんな彼女がアークの魂によって生き返った時、死にたくないと願うのは自然なことだ。

 しかし、彼女は自分の身体が常人では考えられない速さで傷が塞がっていくのを見て、自分の身体ではないように感じた。彼女は自分が人から外れていくことが怖かった。


 怪物はふと何を思ったのか、膨大な量の瘴気を用いて彼女の左脚を跡形もなく潰した。彼女が感じていた漠然とした恐怖は突然の出来事で全てが痛みを伴う鮮烈な恐怖で上塗りされる。

 彼女は左脚を失い、大量の血を撒き散らしながら紅い床に倒れ込む。言葉にならないほどの叫び声を上げて、体を丸めながら自分の左脚があった場所に手を当て、懸命に止血しようとした。しかし流れる血は勢いを少し緩めただけで止まらない。痛みに耐えるために強く歯を食いしばったせいで奥歯が砕ける。


 彼女の肉が蠢き傷口を塞ごうとする様子を怪物はただ眺めていた。その姿は動物実験を表情を変えずに淡々と行う研究者のようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る