第78話 伊勢での生活

78伊勢での生活


 天文24年1555年 10月 六角治頼


 和睦の会談を終えた後、俺は観音寺から必要な兵と人員を引っ張ってきて安濃津にある城と周辺を整備した。近代城郭を整備した藤堂虎高の縄張りを参考というか丸パクリし、中央に内堀で囲まれた本丸と、それに付属して東丸・西丸があり、本丸・東・西丸を取り囲んで二の丸が配された輪郭式となった。

 

 また、同時に津に繋がる様に亀山、伊賀上野の道と、北の梅戸へと続く道を最優先で整備している。しかし、この規模の建築がすぐに終わるわけもなく、今は希望する者に賃金と食事を提供して安濃津周辺を藤堂虎高と滝川一益、明智光秀に任せて大規模開発している。


 その結果として北伊勢の食いっぱぐれの者達や野盗崩れの者達が集まり彼らのために出店や長屋が建てられて城下町の整備の方が先に進んでいるくらいだ。資材に関しても伊賀や伊勢から集めているため六角領内一帯で大きな経済効果を生んでいる。


 だが、問題として北の一向宗達がこちらに食指を動かしている様だ。一向宗と言っても兵達が全員坊さんな訳ではなく一般の農民達が兵をしている。しかし、今現在は人足となった者には長屋の一室を貸し出し格安で飯を提供して給料まで渡しているため一向宗として一揆を起こすよりも働きに来た方がいいと人が集まった状況だ。


 こうなってしまっては一向宗も手を出し辛くなってしまっている。こちらとしては狙い通りな上に彼らから長島の様子を聞けて一石二鳥だ。


 それと、長野に伊勢守護を渡すと言った所泣いて喜んでいた。しかし、守護職を長野に渡せば北畠に大きな不快感を与えること、俺が統治する際に不便になる可能性があることに触れ、俺に伊勢守護となって欲しいと言われた。


 そうまで言われるとこちらとしても断り辛く、守護代として長野を任命した。北畠には伊勢守護には自分がなった事を報告しておいたが、これで少しは溜飲を下げてくれると助かる。


 具房からの文には、参議殿はそれで大分機嫌が良くなったとあったから大丈夫だとは思いたい。あれからよく文を交わす様になった。具房も俺がやっている事を真似て南伊勢の農民や食いっぱぐれ達を集めて大河原城(松阪城)を築城整備しているらしい。どうせなら近代建築の様な縄張りを教えてやろうかと思ったが敵対してしまった時に面倒だと思いまだ保留にしてある。

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