設定)『ふたりの王子と図書館のニンフ』

 夏休みの最終日、宿題が終わらないディファストロは、サラの指示により兵舎取調室に拘束されており、

「ねえジーン、宿題のニンフに会いたくはない?」

 そう言うと大きなため息をついた。

「それって図書館塔の噂、『賢くしてくれるニンフ』のことか、ディファ」

 鬼(サラ)の居ぬ間に忍び込んだユージンに頷き、ちっともはかどらないんだもんと天を仰ぐ。


 はかどらないわけは一時間ごとに添削にやって来るサラが、誤回答を見つけるとページをまるっと白紙に戻すからで、もちろん抗議はしてみたけれど、

『間違いだけを指摘しろだって?それでは不正解という解を与えたことになる。そもそも夏休みの意義は、復習から疑問点を解消して自主学習を身につけ、学力向上の機会を、』

 このようにくどくどと説教されて、時間をロスするだけのムダ骨だ。


「サラがいない今こそ、ニンフに会うチャンスなんだ」

 何故なら城で行われる月末定例会議に出席しており、執務室がある図書館塔に戻るのは明日、今夜は月に一度のチャンスだと身を乗り出す。

 執務室が図書館塔にある理由はサラが試験を合格した図書司書で、宰相職は副職だと公言しているからで、これに意見しようものなら、英知の結晶の報復によって子々孫々まで祟られる。


「ニンフに会えたら、暗記力をくださいってお願いするんだ」

「俺も暗記は苦手だ。コツを掴めば楽勝ってロレッツァは言うけど」

「ロレッツァはニンフに会ったから賢くなったに違いない!僕らも行こう」


「どちらへ。おや、ジーンさま、アワアワしてません?」

 窓から覗き込むのはサラに監視を任されたロレッツァで、ディファストロはユージーンの口を塞いでにっこり笑った。

「アワアワのおふろに入ろうって話してたとこなんだ」

「ふーん、アワアワねえ」

 小走りで飛び出して行った二人を見送るロレッツァは図書館塔に目をすがめ、

「好奇心も時と場合によりけり。ニンフにお仕置きされますよ」

 『危険な』ニンフにね、と肩をすくめた。


 ▲▽


 いくらサラが不在といえ、宰相執務室がある図書館塔の警備がこんなに手薄なはずがないと、ユージーンは暗闇に目をこらす。

「平気だよ、ジーン。王家の僕たちを阻める罠はないもの。それより見てよ、デテケェがいっぱいだ」

 扉の鍵穴を覗いているディファストロは目を輝かせる。


 『デテケェ』は図書館に棲む図書館お化けで、閉館時間になると清掃用具を振り回して生徒を追い出し、机も床もピカピカにしてくれる有難い魔法生物だ。

「デテケェは朝の鐘が鳴ると床穴に入って眠るんだって」

 そういうとカウンターの鐘に水鉄砲の魔法を発射して、カーンカーンと二度音を響かせる。するとお掃除中のデテケェは床穴に入ってはみたものの、いつもと違うとでもいうように床から顔を出して困惑するようだ。


「鐘は二回じゃなくって一回だったかな」

「それじゃ蓋で塞いでしまおう」

 ユージーンは移動式の本棚を滑らせると、デテケェの床穴の上で滑車をロックする。

「これで安心だね。ニンフがいるのは五階の禁書棚だよ。ねえ競争しよう」

「いいぞ、俺は東の階段を行く」

「僕は西の階段ね。ニンフを見つけた合言葉は、」

「「図書館ではお静かに!よーいドンっ!」」


 二人の背後に薄紫色の靄みがスゥと伸び、触れるや否やで動きを止めると、東と西に駆けていく背中を指差した。

「ミチシルベェ、小童王子を迷い道へご案内だよ」

 霞みが人を象って、案内虫ミチシルベェの羽音がブゥンと闇に響く。

 『図書館ではお静かに』がモットーのミチシルベェの羽音は、規則違反追跡モードだからで、霞みの正体である麗人サラは童話の本をパラリと捲って微笑んだ。


 ▽▲


「ハアハア、階段が・・終わらない」

 東階段を駆け上がっていたユージーンは手すりに寄りかかり、終わりのない階段を見上げて深呼吸をした。

「目くらましの罠だとしても、王家の血縁に効果はないはず」

 もしや公務を欠席しがちで存在感が薄いため、王家の血筋と認知されていないのではと不安になって、『迷い道へご案内中』のミチシルベェにはまったく気づいていない。


 戻ろうかと下を見た途端に階下が黒煙に包まれ足下に床が消え、ユージーンは手すりごと一回転して門扉の外へと放り出された。

「イテテ、ここは図書館塔入口じゃないか。あれ、閂が抜けないっ!」

 王家の血縁者を拒まぬ閂のはずが、押しても引いても拝んでみてもビクリともせず、いよいよ王家から戦力外通告されたようで落ち込んでしまう。


「ゲコッ」

 カエルの鳴き声で顔をあげれば、目の前に傘ほども大きい水掻きがあって、

「デカいゲコッ!?」

 この水掻きとこの風船腹はまごう事無きカエルではあるが、ガラルーダよりずっと大きく圧迫感があり、しかしどうにか踏みとどまったのはカエルが王冠を被っていたためで、もし他国の王であれば国家間の軋轢を危惧したためだ。


「ゴックン」

 しかしカエルはユージーンの意図などお構いなしに一飲みにして、それからピョーンと跳躍をした。

「・・喰われた。だが生きてるってことは、これは空想生物だ」

 喰われたら胃袋に収まるものだが、今の状態はカエルの着ぐるみに両手両足がジャストフィットしており、命は取られなかったがお先は真っ暗だ。


「確かロレッツァに、カエルの生態を聞いたことがあったな」

 何でもいいから情報を集め、早急に状況を打開する必要があると頭を捻った。

『あのね、ジーンさま。カエルが体長の十倍から数十倍も幅跳びするのは、筋肉の発達と柔軟性が高いためですよ。これを応用することで高くだって跳べますからね』

 百聞は一見に如かずとロレッツァはその場にしゃがみこみ、太ももの筋力をバネに高い枝に飛び乗ってみせた。

「ロレッツァは頭脳派より筋肉派だ」

 それなのに難関学年に到達したのだから、図書館ニンフもやぶさかでないと理解したのはそれだけだ。


「非常にまずい。これはまさに、」

 1、危険から誰かが連れだそうとしている。

 2、危険に巻き込まれている。

 3、ディファのイタズラ

 4、・・・考えたくもないが、サラにばれた。


 こんな手の込んだことをするのは4サラで2危険だ。

 しかしまだ万事休すではない、なぜならどんな状況下にあっても学びの機会と考えるのがサラであり、正解を導けばお仕置き軽減の可能性がある。

「冠を被ったカエルの童話があったな。あれは湖のほとりでシクシク泣く女の子とカエルが出会うシーンから始まるんだ」

「シクシク」

 そして目の前にはシクシクと泣く女の子がいる。童話の挿絵は月の映る湖だったが、ここは人工池で循環ポンプがプーパップーパッと少々やかましい。


 ===============

 『童話:カエルの王子さま』

 湖に金のまりを落とした女の子がシクシク泣いていると、カエルの王子さまが女の子に言いました。

 「人間のお嬢さん、金のまりを返してほしければ私のお嫁さんになりなさい」

 ===============

 

「何たるカエル!淑女の弱みに付け込むなど紳士の風上にも置けぬ。そうだ、下劣なカエルより早く俺がドボンとまりを取ってくれば万事解決」

 カエルの着ぐるみユージーンが肩をポンと叩けば、なんと顔をあげた女の子は銀の髪と瞳のイリュージャで、「まあ、希少魔石だわ」とウットリ呟いた。

「お嬢さん。金のまりを返してほしければ私のお嫁さんになりなさい」


 これは結婚チャンスとカエルのユージーンは胸を高鳴らせ、準備体操もそこそこに人工池に飛び込もうとしたのだが、

「いいえ、水底にあるのは金のまりではなくて黄色い妖魔」

 イリュージャの指が水面を弾けば広がる波紋が膨れ上がり、黄色の体毛に暗褐色の鱗、爪先、耳、尾の先端に鮮やかな朱色の妖魔黄色が宙に浮く。

「カエルさんは狩人に騙されて、その希少魔石は闇取引されましたとさ」

 イリュージャの終演宣言を以て、黄色は漆黒の牙と鉤爪を闇に煌めかせた。


『情けない。紳士の風上にもおけない小童王子はドボンだ』

 どこからか聞こえるサラの嘲笑が草木を揺らし、カエルのユージーン王子さまは人工池のポンプ音、プーパップーパッのリズムで沈んでいきましたとさ。おしまい。


 ▲▽


 西の階段を駆けのぼるディファストロを遮るものは何にもなくて、五階の禁書棚に到着すると扉の向こうに耳を澄ませていた。

「誰かいる。ジーンのほうが早かったみたい」

 禁書棚への扉は紙と枠木の引き戸で出来ており、近頃流行りの渋苦茶屋の造りにそっくりだ。

 口がへの字になったのは、渋苦茶屋の渋くて苦いお抹茶の味を思い出したからで、ユージーンのように涼しい顔で飲むことが出来ない。そしてあの味覚異常・・いやサバイバルに対応した舌こそが次代王の証とブラコンは思うのだ。


『パッタン パッタン』

 澄ませた耳に、銀の魔女イリュージャがハタを織る音が聞こえた。

「まさか僕のジーンと仲良くハタ織り中!?」

 突然に嫉妬の鬼と化し、透かし模様の和紙を引き裂くご乱心ぶりである。


「クアッー、見ぃぃたぁぁなっ!」

 ところがハタを織っていたのは銀のイリュージャではなく白いハクチョウ、いやいや、天頂が赤いアレは渋苦茶屋のシンボルバード『タンチョウ鶴』ではないか。

「絶対に見ないでと言ったツルー!」

「聞いてないツルー!」

 鶴はさめざめ泣くフリをしてディファストロに襲い掛かると、襟首をガブリと咥えて窓の外へと放り投げた。


「イッターイっつるー!」

 そこは図書館でも庭でもなくメルヘンチックな道の上で、リンゴがたわわに成る林からロレッツァとガラルーダが奇妙な服で姿を見せる。

「仮装大会でもあるのかい?」

 黒マントを頭から被って籐カゴを手にしたロレッツァと、厚紙にクレヨンで描いた下手にもほどがある冠を被るガラルーダを胡乱な目で見つめた。


「似合ってますか?俺は悪い魔女でね、」

 ロレッツァはテレッと笑ったが、しょぼい冠のガラルーダは大真面目な表情だ。

「ディファさまは白雪姫です」

「・・ああ、なるほどね」


 1、危険から誰かが連れだそうとしている。

 2、危険に巻き込まれている。

 3、ユージーンのサプライズ

 4、・・・考えたくもないけど、サラにばれた。


 これまで叱られた数だけ、ディファストロの危険察知能力は磨かれている。

「4サラにバレて2危険の状況にあるんだね。すると僕は毒リンゴを食べるシナリオか。二人はそんなことしないよね?リンゴありがとうってサラに伝えなきゃ」

「リンゴでなくニンジンです」

「ニンジン!?」

 ディファストロはニンジンが大嫌いだ。ニンジン嫌いを克服しようとウサギの観察記録もつけたし、ニンジン色に慣れようと、ミカンをタプタプになるまで食べてもみたが克服できない。


「僕の胃袋はニンジンの立ち入り禁止なんだ、喉に詰まらせちゃう!」

「そこでガラルーダの出番です」

「おまかせください。人工呼吸は騎士のタシナミですから」

 ガラルーダが被る冠の芯が缶詰だと分かるほど顔が近づいて、ディファストロの背中を冷たい汗が流れた。

「お、王子さまのキッス・・?」


「正解。ニンジンは俺の畑で採れた無農薬だから葉っぱまでご賞味ください」

 カゴからニンジンが次々と溢れ、ああ僕が馬なら片っ端から噛み砕き、ディファさま偉いと拍手喝采されるのに。

『ニンジンを食べなさいっ、食べなさいぃ、食べなさいぃぃ!』

 サラの怒声がこだまして、迫りくるニンジンに口がパカッと開くと、両手で口を塞いで防衛するディファストロをゴックンと飲み込んだ。


 ▽▲


「ディファ、ディファ!」

 震える肩をユージンに揺すられ、ディファストロはハッと我に返る。

「うう、ニンジンがグエッ、ガラルーダがブチュウ・・」

「は?」

「な、何でもない、サラのせいで酷い目に遭ったんだ」

「俺もだよ、心がズタズタ」

 打たれ強さにおいては、ふだんからロクなことをしないディファストロが断然強固だ。


「どうやらサラの手の平で転がされているようだな」

「宿題をほっぽり出したのがバレちゃったみたい」

 顔を見合わせた二人が降参を宣言すると、人工池をスポットライトが照らし、薄紫色のバラの蕾が一枚また一枚と綻んで麗しの女神、役者はもちろんサラが、長い長いエフェクトを経てようやく登場する。


 怯えたように手を握り合う小童王子に、傾国の美女が口を開いた。

 ちなみに傾国の美女とはサラの二つ名だが、その治世は傾国どころか頑強な要塞で、この二つ名は他国を徹底的に傾けるという意味だ。


「王家の意義は国の未来」

 二人の王子は頭を垂れ、嫌だからって逃げだす無責任は軽率だったと言葉にした。

「ディファ、時間はまだある。きちんと宿題に取り組もう」

「そうするよ、ジーン」

 それにサラは微笑して、そっと水面に手をかざす。


「褒美をあげようね。さて王子が落としたのはこの黄色い妖魔か?」

 揺らめく水煙が戦闘形態の黄色を象る。

「それとも黒銀の妖魔かい?」

 月光からスルリと抜け出すのは、月と星の番人マーナガルムだ。

「・・まったく心当たりがアリマセン」

 危険を感じたユージーンとディファストロがジリジリと後ずさっていく。


「ほう。心当たりが無い?ではこれはどうだろう」

 ゴゴゴと大地が揺れて、『うらめしやぁ』と水から噴き上がるのは、鐘を鳴らして朝だと騙し、本棚で床穴を塞いだ図書館オバケのデテケェたちだ。

「フフフ、さあ逃げてごらん!無我夢中、忘我混沌、一心不乱に逃げて宿題を済ませるんだよっ!」


 このデテケェはサラが学生時代に創った魔法生物で、創作者同様に容赦が無く、ハタキと箒で近距離攻撃、濡れた雑巾を投げつける中距離攻撃で追い回す。

「「ぎゃあぁぁ!」」

 そのおかげで二人の王子は、瞬く間に見えなくなったのである・・。


 ▲▽


「図書館のニンフ、お疲れさん」

 馬の手綱をひいて姿を見せたロレッツァは、バラの中心でフンっと鼻を鳴らすサラの手を取った。

「小童どもめ、少しは懲りただろうよ」

 まだ灸は据え足りないが、宿題が間に合わなくては本末転倒だから堪えている。


「三日もすれば元通りだろうがな。なあ、せっかくの観劇をキャンセルさせた穴埋めに馬で月夜を散歩しないか」

「私に許された景色なら隅から隅まで見飽きたよ」

 そうは言うが、馬上へ誘う腕を拒絶はしない。

「こいつは一番背の高い馬だから、ちょっとは月に近いと思うぞ?」

 それはずいぶんちょっとだねとサラは笑い、銀杏が青から黄色に染め変わる景色に、秋姫の物語みたいと口端を弛めた。


「それじゃ俺は守り人役になろう。我が君に願いはございますか

「ああ、月光の路を旅したい。一石二鳥のシチュエーションがいいね」

「ふうむ。了解した」


 月灯りが細く儚く路を照らし、馬上の麗人はたおやかな指で夜の帳を絡め取る。

 月光の道標から外れぬように慎重に、馬はパッカパッカとディファストロを拘束している兵舎取り調べ室を行ったり来たり。

 七つある高窓からランダムに顔を出すサラの視線に怯えるディファストロは、もう二度と宿題を溜めるもんかと100万回誓った夏休み最終日のお話である。

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