第36話 御者の話


 その後部屋を出た澪は、絵山に御者を呼びに行かせた。そして久水と共に、自分の書斎へと向かう。応接用の長椅子に座って暫しの間待っていると、御者を伴い絵山が戻ってきた。


「何か御用でしょうか?」


 めったに口を開かない御者が、頭を垂れたままで口を開く。


「座ってくれ」

「ですが」

「いいから、座るように」

「……はい」


 抑揚の無い声で答えた御者が、澪の正面に腰を下ろす。顔色が悪く痩身で、薄い唇の色は紫色だ。瞳の色は赤紫で、髪の色は銀色である。これまでまじまじと見た事のなかった澪は、改めて問いかける。


「今さらで悪いが、名はなんと言うんだ?」

「……下賤の者ですので、お耳を汚すわけには」

「父上に聞いていいと言われた」

「……」

「名乗るように」


 澪が言うと、大きな眼をぎょろぎょろと動かしてから、御者が頷く。


「柳橋と言います」

「柳橋、か」


 四十代くらいの柳橋は、短髪を揺らし、無表情で澪を見ている。


「諜報活動に長けているのか?」

「……」

「父上からそう聞いた」

「……ええ。それが一番の仕事ですゆえ」


 瑛の名を出すと、柳橋はやっと頷いた。それに頷き返してから、澪が腕を組む。絵山と久水も聞きながら、驚いたように目を丸くしているので、なにも知らなかった様子だ。


「闇オークションの元締めについても調査済みだと聞いた」

「……はい」

「何処の誰なんだ?」

「……」


 そこで初めて柳橋が、考え込むように視線を揺らした。そして無骨な指で頬を掻くと、ぽつりと言う。


「青木屋です」

「なに?」

「呉服商の青木屋です。今仕切っているのは若旦那の、青木宗之助です」


 それを聞いて、澪はいつか昴を連れて買い出しに出た時の事を思い出した。


「あの店は、吸血鬼のことも知る数少ない人間で、特に人間が生みだした芸術品を闇オークションにかけて売りさばいています。仕立てに各華族の家々をまわる時に、それとなく売れそうな品を聞き出したり、顧客の候補を見つけています」

「なるほど」


 確かにそれは可能だろうと判断し、ゆっくりと澪は頷く。


「ギルド・エトワールとはどういう繋がりだ?」

「祭服を卸していた関係で、薬の生成をしていると気づいた様子で、青木屋がわから、売らないかと声をかけたようです。その前までは、錬金術師が自ら、華族に声をかけていたようですが、あまり成果は芳しくなかった様子です。貧民街の牧師を信用する華族は少ないので」


 平坦な声でそう告げた柳橋は、改めて澪を見る。

 澪は視線を合わせてから、首を傾げた。


「いつからそのことを、柳橋は掴んでいたんだ?」

「最初は大旦那様に調べるよう命令を受けました。闇オークションに出向かれた旦那様を、大旦那様が案じておられたのです」

「そうか。ではその頃から、孤児達が殺害されている事も知っていたのか?」

「いいえ、それは存じませんでした。あくまでも闇オークションについて調べただけでしたので」


 嘘をついているようには思えなかったので、澪は頷く。なにせ、もし薬の作り方を知っていたならば、父や祖父が黙っているようには思えなかった。また、作っている場所を知っていたのならば、母の時に奪わなかったとは考えられない。


「よく分かった。時間を取らせて悪かったな」

「いいえ、今後はいつでもお声を。必要なことがあれば、お調べ致します」


 抑揚の無い声でそう述べて、改めて頭を下げてから、柳橋は立ち上がった。

 そして澪が見守る前で、部屋から立ち去った。



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