第30話 昴の母親


「昴様のお母上は、三神莉奈みかみりな様と仰います。彼女のご両親も人間ではありますが、華族の三神家のご令嬢でした。三神男爵が、珈琲の貿易で財を成し、爵位を賜ったそうです。その三神男爵家の次女が、莉奈様です」


 まず火野はそう語った。そして澪の前にカップを置く。それを受け取り飲み込みながら、ゆっくりと澪は頷いた。


「華族ならば、父上と顔を合わせる機会もあったかもしれないな」

「ええ。本来男爵家、それも人間とは、西園寺侯爵家のような高位の華族は関わりませんが、珈琲の試飲会が開催されたおりに、瑛様が参加なさった記録がございました」


 火野はそう言うと、持参していた封筒を、澪の前に示す。カップを置いて封筒を手にした澪は、中から写真と調査結果がまとめられた紙を取り出した。白黒の写真には、昴によく似た女性が写っている。顔立ちからみても、昴の母親であるのは疑えない。控えめなドレス姿だった。麗しい容姿で、花のような笑みを浮かべている。今の昴と同じくらいかもう少し若い姿が写っていた。


「三神男爵家の使用人の話ですと、莉奈様は約二十五年前に失踪したとのことです。その際、身ごもっておられたようだと、当時を知る使用人から証言を得ました。昴様は伺ったところ、現在二十四歳。計算もあいますし、莉奈様のご子息である事は疑えません」

「なるほど」

「莉奈様は、当初帝都内の聖フルール教会の一つで、産婆が常駐するところに身を寄せられていたそうなのですが、そちらの教会で話を聞くと、貧民街から顔を出した、帝都全体の聖フルール教会の施設を仕切る紫苑牧師という人物が相談にのり、隠れるには丁度良いとして貧民街へと誘ったという話でした」

「紫苑牧師が……」


 その名に、澪は嫌悪を露わにした。


「ご存じなのですか?」

「ちょっとな」

「何故貧民街の牧師を? まさか、昴様を迎えに行っただけではなく、その後も足を? 相くんの件もそうですが……」

「話の腰を折るな」

「ですが――」

「火野。俺は続きが聞きたい」


 澪が言いきると、火野がぐっと詰まった。そして肩を落としてから、小さく何度か頷いた。


「出産した昴様らしき赤子を連れて、莉奈様は紫苑牧師と共に貧民街へと向かったそうです。当時の出産記録には少なくとも、生まれた子の名前は、『昴』と記載されていました」

「うん、それで?」

「以後、小さな教会にて、莉奈様は昴様を育て始めたようです。そしてそのための収入源として、貧民街には夜鷹と呼ばれる娼婦がいるのですが、夜鷹に身をやつし生計を立てていたとのことです。華族のご令嬢ですから、特に身につけている職業的技能も無かったでしょうし、他に選択肢はなかったのだと考えられます。美貌も相まって、人気だったそうです。ただ、とてもお体が弱かったそうで、慣れない貧民街での生活もたたったのか、すぐに床に伏すようになり、昴様が幼い内から、紫苑牧師が主に面倒を見ていたようですね」


 火野の言葉に、写真に写る女性の末路を思い、澪はもの悲しくなった。職に貴賤は無いとは言うが、蝶よ花よと育てられた女性には、夜鷹の仕事は辛かったのではないだろうかと考える。


「以後、昴様は、莉奈様に育てられた後、紫苑牧師という人物に養育されたそうです。また昴様ご本人も貧血の持病があるのか、何度か貧民街へと慈善事業で通う医師が心配して見にいったようです。ですが本人も紫苑牧師も、貧民街で貧血は珍しくないと述べていたと医師は証言していて、実際その通りだったので、医師はあまり気にしなかったそうです。ただその際、昴様の首筋に注射痕を見つけたと話していました」

「注射痕?」

「ええ。それで昴様に伺ったところ、定期的に昴様は、紫苑牧師に頼まれて献血をしていたと話しました。自分よりも酷い貧血の者を癒やすためだと聞いていたそうです」

「……血を抜かれていたのか」

「そのようですね。何かお心当たりが?」


 火野が首を傾げたので、澪は顔を背ける。心配性の火野に話すかどうするか思案する。


「とりあえず先に、お前が知っている事を全て聞かせてくれ」

「……分かりました」


 不服そうだったが、否は唱えず、火野が頷いた。



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