第22話 罹患者


 ノンアルコールのシャンパンタワーからグラスを手に取り、会場端のテラスの前まで澪は移動する。同じような動作をし、宏人は陰鬱そうな表情でついてきた。


「それで? 確かにお前の妹の姿が見えないようだが、なにかあったのか?」


 当主にあのように水を向けられたのだから、聞かないわけにもいかないだろうと、澪は声を潜めて尋ねる。


「……誰にも言うな」

「ああ。吹聴するような真似はしない」

「そこの従僕にも言うな」

「それは出来ない。絵山も誰にも言わない」


 澪が絵山を見ると、絵山が無表情で淡々と頷く。すると目を眇めてから、宏人が頷いた。


「実はな……いいや、見せた方が早いか」

「なに?」

「驚くだろうが」


 ぐいっと宏人がシャンパンを飲み干して、グラスをテーブルに置いた。


「決して移るような病ではないと先に伝えておく」

「回りくどいな。病だと? ご病気なのか?」

「――【黒薔薇病】だ」

「なっ」


 澪は目を見開いた。嫌な汗が伝ってくる。


「来い」


 今度は宏人が先導するかたちで歩きはじめたので、澪は慌てて近くのテーブルにグラスを置くと、その後に従った。


 会場を出て、三階へと向かう。一転して暗い廊下には、等間隔に並ぶ燭台以外の灯りはない。その中央を進み、ある部屋の前で宏人は立ち止まった。そして扉をあけると、光が漏れてきた。宏人が中へと入ったので、澪は絵山と視線を合わせてから、それに続く。


 室内では、薄暗い燭台の中、大きなベッドに横たわる少女が見えた。

 白い華奢な首筋に、黒い荊の模様が見える。


 ――母の時と同じだ。


 澪は咄嗟にそう思った。


『どうして母上は目を開けないの?』


 幼い寺分、澪が泣きながら母を揺らすと、傍らに立っていた父の瑛は澪の頭を撫でた。


『父上がなんとしてでも、母上の目を覚ますからな』


 その約束は、叶わなかった。【黒薔薇病】は、残酷にも澪の母を奪っていった。


「いつからだ?」

「昨年の冬からだ。十一月の終わり頃、最初は寝ている時間が長くなって、ぼんやりしていたと思ったら、目を覚まさなくなり、この模様が現れ始めた。今では全身に広がっている」

「それで……闇オークションで薬を必死に求めていたのか」

「ああ、そうだよ。ある日突然、オークションの招待状が俺宛に届いてな。藁にも縋る思いだった。結果として無駄に終わったが。次の開催までに、妹が生きているかも分からない。そして次こそ薬が競売にかけられるともかぎらない」


 宏人の瞳が暗さを増す。澪は腕を組み、唇に力を込める。

 かける言葉を探していた時――ハッとした。


 先日忍び込み、相を助けたあの教会。

 あそこがアジトだとするならば、まだ彼らが逃亡していない場合、あの場所には、過去に作られた【黒薔薇病】の薬がまだ残っているかもしれない。本当にそのようなものが実在するのかは断定出来ないが、可能性はある。


 十三歳の少女の姿を見る。以前は明るく、愛くるしく笑っていた少女だ。

 助けられるかもしれない。


「この状態で思い悩まない方がおかしいだろ?」


 宏人の声で、澪は我に返る。頷きながら、片手の指を唇に添えた。


「宏人、お招き頂き悪いが、今から少し空ける。今夜中に戻るだろうから、夜会が終わっていても入れてくれないか?」

「何処へ行くんだ? まさか口止めした端から、誰かに言いに行く気じゃないだろうな? ……いいや。お前はそういう奴ではないな。ムカツク奴だが、そこは信用している」

「それは光栄だな。今は言えないが、戻る事には戻ってくる。では、また後で。絵山、行くぞ」


 澪はそう言うと部屋を出た。

 足早に歩いていると、すぐに絵山が追いついてくる。


「澪様、もしかしてあの教会へ?」

「そうだ。薬がある可能性はある。欠片の可能性であっても、こればかりは見過ごせない」


 母のことを思い出す。

 病魔で、あの黒い荊で、家族を喪う苦しみは、誰よりも分かっているつもりだ。

 澪の胸がギュッと締め付けられたように痛む。


 ――母上。

 ――母上。

 ――母上!


 何度その名を呼んだか分からない、幼少時の自分。父がついていてくれ、津田や、当時はまだ年若かった火野がついていてくれた。絵山と久水も慰めてくれた。皆がいてくれたが、それでも澪の涙は当時乾くことがなかった。自分を見る事が無くなった母。その喪失感と寂しさは、とどまる事を知らなかった。そのまま、眠ったままで、母は逝った。


 火葬場で煙に変わり空に溶けていった母。

 吸血鬼の葬儀は夜に行われる。あの夜も、こんな新月の夜だった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る