第4話 貧血という設定


「じゃあ、暗示をとくよ。貧血で倒れた昴牧師を俺は抱き留めた設定」


 絵山の声に澪が首を縦に振る。


「俺は心配そうに、弟として名前を呼ぶ」

「あー、じゃあ俺は、心配そうに覗き込む。適当に」


 三人でそう打ち合わせをし、ぐったりとしている昴を絵山が後ろから抱きかかえ、横から屈んで久水が覗きこんでいる体勢になったところで、澪は声をかけた。


「――上。兄上!」

「っ……」


 するとピクリと瞼を動かしてから、昴が目を開けた。絵山が暗示を解いたのだ。


「よかった、兄上……」

「兄……? ええと、俺は……?」


 昴がそれから我に返ったようにしっかりと目を開け、周囲を見渡す。


「昴牧師は、貧血で倒れられたようで」


 絵山が言うと、隣でしたり顔で久水が苦笑してみせる。


「ぐらりとふらついたから心配した」


 それを聞くと、昴が困惑した様子ではあったものの、ゆっくりと二度頷いた。


「確かに体から力が抜けてる……まぁ、貧民街は食べるものがあまりないから、貧血は誰でも起こしやすくて。すみません、ご迷惑を」


 そう述べて、昴が体勢を正す。手を離した絵山が、昴が立ち上がるのを手助けした。昴の右手は、久水が引っ張っている。


「その……昴牧師。玄関で話した込み入ったことなんですが……」


 そこで上目遣いに、とても健気で哀れみを誘う表情を浮かべ、澪が言う。


「俺は貴方の異母弟なんです」

「――は?」


 丁度しっかりと立ち上がり、絵山と久水の手から離れたところだった昴が、呆気にとられたような声を出した。


「昴牧師……いいえ、兄上。貴方は俺の異母兄なんです。俺達は、異母兄弟なんです」

「え……」


 まだ確定したわけではないが、ほとんど確定したも同じだろうと考えて、澪は断言した。昴はおろおろと視線を揺らしてから、改めて澪を見る。澪の方が背が低いので、澪が見上げている状態だ。


「まだ父上はこの事を知らないんだ。俺は、兄上を父上に会わせたい。なにせ俺達はたった二人きりの兄弟で、父上にとっても兄上は大切な子供なのだから」

「……そ、そんな……信じられない……です。なにか根拠が?」

「そのことを知る者から聞きました」


 白兎から手紙がきたのだから、これは別に嘘というわけではない。


「兄上、どうかお願いだ。俺と一緒に、一度俺の家――西園寺家に来てくれ」


 切実そうな声を取り繕って、澪が述べる。すると戸惑う顔をして、昴が何か言おうとするように唇を震わせた。


「ええと……でもな? 俺は貧民街の孤児あがりの、ただの一牧師で……いきなり華族様の子供だと言われても……なにかの間違いかもしれないし……なにより恐れ多いからな……華族様には、平民……いいや、平民未満といった扱いを受けるような、俺のような貧民街の者は、近寄ってはならないだろ? 基本的に。それが暗黙の了解だ」


 必死に断ろうとしている様子の昴に、澪がぐいっと詰め寄る。


「兄上は、俺が嫌いなのか?」

「え?」

「俺がここへと来たのは迷惑だったのか?」

「あ、え……いや、その……そういうわけじゃないよ。俺だって、家族がいるなら嬉しい」

「だったら、一緒に来てくれ。父上に会ってほしい」

「……でも」

「頼む」

「……澪様、だったか? 俺は……事実なら、半分とはいえ血の繋がった弟に会えたのは嬉しいけど……」

「だったら、来てくれるな?」


 昴が黙ってしまった。非常に押しに弱そうで、困っているのがありありと分かる。どうやら断ろうにも言葉が見つからない様子である。ここぞとばかりに澪は、両手で昴の手を握る。


「お願いだ」


 すると昴が押し切られた。


「……分かった。一度、ご挨拶に伺ってみる。そして本当に俺が息子なのか、俺からも確認したい」

「ありがとう、兄上。俺の事は、澪と呼び捨てで呼んでくれ。俺達は兄弟なのだから。そうと決まれば、今すぐ行こう。今夜は、西園寺家に泊まってくれ」

「急だ……」

「善は急げと言うだろう」

「……っ、分かった」


 こうして、澪は昴を西園寺家に連れて行く用意を整えた。


「礼拝堂を閉めてくる」


 昴はそう言うと、その場に三人を残して奥へと消えた。三人はコーヒーを飲みながら、ゆっくりと昴が戻るのを待つ。三十分ほどしてから、昴が小さな横がけの鞄を肩からかけ、応接間に戻ってきた。


「準備が出来ました」


 昴の声に、満面の笑みを浮かべて澪が立ち上がる。


「行こう、兄上」


 昴の左手を握り、澪は率先して歩きはじめる。足をもつれさせるようにしてから、昴がついてくる。その後ろを、ゆっくりと絵山と久水が歩く。絵山の背が一番高く、次が久水、そして昴、澪の順番だ。


 玄関を抜けてから、四人は教会の敷地を出た。

 昴が門を閉めている。

 それを確認してから、四人で馬車を待たせている場所まで歩く事となった。

 人工湖が、夕陽を受けて橙色に染まっている。


 坂道を上りながら、手を繋いでいる昴へと笑顔を向けて、澪は雑談をした。

 気さくで優しくか弱い弟の顔を取り繕いながら、いかにも信じやすそうで騙されやすそうな昴を見る。治安の悪い貧民街で、よくこれまで無事でいられたなと、漠然と澪は考えた。なにか、風よけになるものでもあったのだろうか。素朴な疑問を、澪はぶつけた。


「兄上は、孤児院で育ったのか?」

「ああ。ただ、俺は小さい頃から体が弱かったから、特別に、孤児院の牧師の一人の紫苑牧師につきっきりで面倒を見てもらったんだ。昔からよく貧血で倒れたから」

「なるほど」

「今も週に一度、食材を運んできてくれる。その時に、ゴミ出しをしてくれるから、俺は一歩も家から出ない。それに貧民街では誰もミサになんて来ないから、牧師としてもやることはないに等しいんだ。ごめんな、情けない兄で」


 苦笑した昴を見て、その親代わりの〝紫苑牧師〟とやらのおかげで、このように純粋に育ったのだろうかと澪は考える。すると昴がしょんぼりした。


「落胆したか?」

「いいや。兄上の事が知れて嬉しい」


 微笑を返しながら、それにしても昴の顔立ちは整っているなと、澪は思った。

 苦笑している表情まで、本当に秀麗だ。


 その内に馬車が見えてきた。西園寺家の家紋が入っている。


「ほら、あれだ。早く乗ろう」


 こうして四人は、御者が開けてくれた馬車に乗り込んだ。丁度、四人乗りの馬車だった。



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