ソロ花見(前編)
「……よし。」
さほど広くもない玄関の扉の前で、僕はあえて「確認完了」の一言を声に出した。
肩から下げたハンドバックの中には、一台のスマホと一個の財布のみ。それから、ズボンのポケットの中には普段愛用している緑色のハンドタオル。持ち物はそれだけ。
小学生の頃、自主的な持ち物確認を怠って修学旅行で大恥をかいてからというもの、僕がこの手の確認を怠ったことはない……というより、やらざるを得ない。この行為は僕の無意識下に強く刻み込まれているからだ。
覚悟を決めた僕は、ドアの取っ手に手をかけ――、
不意に、内なる自分が僕自身に語りかけてきた。
「そんな
慌てて僕は自身の格好を見直す。
上は藍色無地のセーター+黒色のジャケット、下は薄青色のジーンズ。
それぞれタンスの棚の一番上に置いてあった服を引っ張り出してきたものだ。スタイルだのコーデだのへったくれもない。いくらなんでも雑すぎる組み合わせ。
ファッションに疎い僕でも分かる。どう考えても、これはダサい。
……が、別に、おかしいか、と言われればそうでは無いだろう、多分。馬鹿みたいに珍妙な組み合わせでなければ、人混みの中で悪目立ちするような事はきっとない。
少しよれた服装を整え、痒くもないのに側頭部を指で幾度か掻き。
今日、家の中には誰もいないというのに「行って来ます」を一人で元気よく叫ぶ。
それから、先程の内なる自分の問いに対して、口に出さずに返してやる。
「大丈夫さ、多分、問題なんてない。」
そうして、僕は玄関の扉を開けた。
僕の住んでいる家から徒歩十分ほどの所に、いわゆる「一級河川」と呼ばれる川がある。
遥か県外の上流から幾本の河川と合流して成立するこの川は、春になると堤防上の桜が一斉に咲くことで、地域に住む人々に親しまれている。
川の流路の幅は少なくとも5メートル以上。市街地と比べて数メートル低い所に流れており、加えて周囲に余り大きな建造物が無い為か、階段状の堤防の上に立って川の上流下流どちらに目を向けても、視界の開けた迫力ある景色を拝むことが出来る。
快晴の青空の下、堤防上の桜並木が両岸に二列、目で追えなくなる程遥か遠くまで伸び渡っている。数多くの人々が桜並木のすぐ下で開かれている屋台に立ち寄り、高水敷でピクニックシートを広げて、思い思いに桜を……いや、桜そっちのけでパーティーを楽しんでいる。
僕の目の前には、そうした日常の幸せを凝縮したかのような光景が広がっていた。
「(すっげー、めっちゃ人いるwww)」
小学生並みの感想を漏らすと共に、僕は今日歩くルートを再確認した。
目と鼻の先には、対岸同士を結ぶ巨大な桁橋、通称「赤橋」と呼ばれる橋がある。……通称、といっても僕が勝手に名付けたものだが。正式名称は忘れてしまった。
まずはこの橋を渡り、道中屋台に立ち寄ったりしながら、川に沿って東へ一キロ程歩きに歩く。そしたら今度は然程大きくはない橋、通称「青橋」(橋梁が青いことから)を渡って、こちらの岸へ戻り、再び一キロ西へ歩いてこの地点に帰って来る。
要するに、川に沿って歩いて決められたポイントで折り返し、ぐるりと一周してくるという訳だ。ルートだけ見れば「はじめてのおつかい」なみに易しい。
時刻は午後一時を少し過ぎた頃。
早速、対岸に渡ろうとする人混みの中に紛れて、僕は歩き出した。
人混みの中に突入するのは久しぶりだ。人が沢山いる所に繰り出すのは前回行った卒業旅行ぶりだろうから、もうかれこれ三週間以上はこういう機会に恵まれなかった(鉢合わせなかった)という事になる。
元々僕はこういう人の群れに飛び込んでいくのは嫌いな性分であるが、こうして久しぶりにその体験を味わってみると、何とも感慨深い……というのは嘘で、単に、数週間のあいだ家から遠出しなかった自分に驚いただけだ。
……それにしても、予想以上に人が多い。人がひしめき合っているせいで下の地面が殆ど見えない。前を歩いている人との間隔もほんの数センチしかない。今日は平日だから、多少は桜を見に来る人々も減ると見越していたのだが。まさかここまで大きく予測が外れるとは……。
などと考えながら、僕はハンドバッグに手を伸ばした。そこから取り出したスマホを頭の斜め上に掲げる。頭上いっぱいに広がる桜を撮るためだ。
実を言うと、僕はこの時、胸にある野望を秘めていた。
それは、「写真大会で入賞する」というもの。
毎年、市がこの川と桜をテーマに写真大会を主催しているのだが、以前、なにかの間違いで、僕が何気なく撮った写真が「スマホ写真部門」で銅賞に輝いてしまったことがあるのだ。
もう三年以上前の話である。
そんな訳で、「案外簡単に金賞狙えるのでは」とこの時の僕は調子に乗っていた。
(結局、奨励賞にすら掠らなかったのだが……)
数枚良さそうな位置から狙って写真を撮る。桜と青空の写真内の配置と比率や、そもそも歩いていく人々も一緒に写真の中に収めるのかどうかなども頭の片隅に入れて、ひたすらスマホのシャッターボタンを押す。
が、想像していたよりも中々いい画が撮れない。単純に撮る場所が良くなかったり、行進する人の波に押されて完全に立ち止まりながら写真を撮れてはいないからか、手ブレや直射日光が頻繁に画角に入り込んで来る。
イラつく。というのは流石に言い過ぎだが、悶々とした気分が僕を満たす。
以前、どこかのプロの写真家が「写真ってのはね、『風景をありのまま切り取る』なんてよく言いますけどね。そうじゃない、自然と格闘することなんですよ。」なんて語っていたのを雑誌で目にした事があるが、なるほど、それはこういう事だったのか。
改めて、僕はプロの写真家や、高校の頃趣味でカメラ撮影をしていた友人たちの偉大さを思い知らされた。
そうこうしている内に、気づけば、青橋がよく見える位置にまで僕は歩みを進めていた。
スマホの時計を確認してみて少しギョッとする。時刻は午後1:41。もう家を出てから一時間弱も経ってしまっているではないか。一体この間どんだけ集中して写真撮ってたんだ……、不審者と思われてたら嫌だなぁ……。
ショックで集中力が薄れたのか、僕はこの時ようやく、自身の身体が激しい空腹を訴えている事に気付いた。
……この辺りの屋台で何か食べ物を買って、川表の高水敷(堤防の途中にある水路より一段高い敷地)で休憩しよう。ついでに、撮った写真の整理もしよう。何なら高水敷から撮る写真の方が、川と桜も一緒に撮れて、今までの写真よりいいものが撮れるかもしれない。
この辺りまで来ると、もう人のうねりは散り散りになって、かなりの余裕を持って歩くことが可能になっていた。相変わらずまだ人は多かったけれども。
そして運の良い事に、僕の近くには丁度美味しそうなものを売っている屋台が2つ。数分後、僕は「大盛り肉野菜炒め」と「チョコバナナ」を手にして、空いている堤防の段差スペースに腰掛けた。
輪ゴムを外してプラの容器を開くと、熱々の湯気が肉から湧いて出た。蓋を開いて一瞬遅れて、香ばしい肉と野菜の焼ける匂いが鼻腔をくすぐる。
……何だこれ、めっちゃウマい。(感激)
肉野菜炒めを一口して、最初に出た感想がコレである。
空腹は最高のスパイスだとはよく言うが、とにかくこの時に食べた肉野菜炒めは美味しすぎた。
噛み締めた具材から溢れ出る肉汁とタレの旨味がたまらない。お好みで加えた七味唐辛子が一層その旨味を引き立て、さらには程よく焼かれた野菜の香ばしい匂いも相まって食欲をガンガン増進させる。肉野菜炒めとはここまで美味しいものだったのか。
嗚呼、これを書いている今でも、飯やおにぎりといった「米」をその場で持っていなかったことが悔やまれる。
夢中でがっついてから僅か四分後。
かなりの量が盛られていた肉野菜は、余す所なく完全に僕の腹の中に収まっていた。先ほど買ったいろはすをがぶ飲みして味覚を整えると共に、絶品を前に早まっていた呼吸を調節し、一息ついてゆとりを得る。
……が、別にこれで完全に腹が満たされていたという訳ではなかった。寧ろ食う前に比べて、このときの僕は一層食欲が増進されていたのだ。
すぐ脇に置かれた、紙の包み紙に巻かれているチョコバナナ二本に掴みかかろうとした、その時。
ピロン
――すぐ近くで、着信音が聞こえた。
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予想以上に長くなったので後編に続きます。
狙った通りに展開を進めていくのは難しい……
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