第5話 そのメイド 『危難』

 主人に見つからないように、そっと正面玄関の戸を開けて屋敷の中に入ったミカコとツバサは、モノクロの市松模様になっている、広々とした玄関ホールの床上に荷物を置く。

「ごめんね。おつかい途中なのに、ここまでつき合わせちゃって」

「うんん、気にしないで。私が自分で買って出たことだから」

 ようやっと両手が自由になり、ふぅ……と溜息ためいききつつも気を遣うツバサに、ミカコはそう言って謙遜けんそんした。

「それじゃ、もう行くわね」

 やんわりとそう告げて背を向けたミカコ、屋敷から出て行こうとするその姿を見てツバサが慌てたように口を開く。

「明日の朝……! もし良かったら、街の中心部から西に外れた所にある聖堂まで来てくれないかな。ミカコさんに、今日のお礼をしたいんだ」

 まじめなトーンで誘ってきたツバサに、不意を食らったミカコは思わず振り向いた。

 この街に聖堂が存在していることにも驚きだが、今日会ったばかりの相手をそこに誘うとは……

 ツバサくんって、割と積極的な人なのかな? 単にまじめなだけだよね?

 主人のいいつけを守り、ツバサが街で買い込んだ荷物を屋敷まで運んであげただけなのに、まさかの場所指定できょとんとしたミカコは、聖堂で愛の告白をされたらどうしよう、とほんのりほほを赤らめてあわい期待を抱くのだった。

「うん……分かった」

 はにかんだように微笑みながら返事をしたミカコは、

「また、明日ね」

 優しく別れの挨拶を告げると再び、ツバサに背を向けて屋敷から出ていった。

 ツバサのおかげで、少しだけハッピーな気分になれた。そのことに感謝しつつもミカコは、ビンセント邸まで急ぐ。

 予定していた帰りの時刻がとうに過ぎている。一刻も早く屋敷へ戻らねば。

 焦るミカコの足が次第に速くなり、気づくと駆け出していた。

 漆黒のマントを身に纏った長身の不審者が、マントと同じ色のフードを目深まぶかに被り、ミカコの行く手をさえぎっている。

 石畳の通りを駆けていたミカコは、前方で道をふさぐなに者かの存在に気づき、不意に立ち止まった。ミカコときな臭い雰囲気を漂わす不審者以外、通りには誰もいない。貴族を乗せた馬車さえも往来していなかった。

「……っ!」

 辺りが不気味に静まり返る最中。最大級の警戒心を抱きながらも、不審者と対峙たいじすることしばし。フード越しからめつけられ、目を見開いたミカコの背筋が凍りつく。ミカコと対峙する相手から強烈な殺気が漂っている。今すぐにでも、ミカコに襲いかかりそうだ。

「あっ……ああ……」

 強烈な殺気に当てられ、ミカコは震える足で二歩ほどあとずさりをした後、恐怖で身動きが取れなくなった。

 無言で、相手がこちらへ近づいて来る。左腰に提げている剣を引き抜いてゆっくりと、着実に。

 冷静さと殺伐さつばつとした雰囲気を漂わせて、得体の知れない誰かが、逃げることもできずにおびえるミカコの距離を縮めていく。

「おっと、そこまでだ」

 気品のある上下白のスーツを着用し、耳にかかるくらいの黄土色の髪に緑色の目をした青年が一人、パンツのポケットに両手を入れてカッコつけながら姿を現すと、真顔で不審者を制する。

「こっから先は、一歩たりとも通さねーぜ」

 ミカコを背に、悠然と立ち塞がったエドガーが、不意に立ち止まった不審者に向かってすごみをきかす。

 真剣な眼差まなざしで睨めつけるエドガーに、不審者はひるむことなく突撃。威圧感とともに不審者が無言で剣を振り下ろした、次の瞬間。銀白色の結界が発動、円筒状になってエドガーとミカコを覆い、高音をとどろかせて鋭利な剣の刃を受け止めた。

「止めときな。この世界には、あんたと互角に渡り合う凄腕すごうで狩人ハンターが隠れ住んでいる。俺は、そんな狩人から監視されている身だ。今もなお、この通りのどこかで目を光らせているかも分からないそいつの前で、派手な行動はつつしんだ方が身のためたぜ」

 瞬時に発動した結界の中で、エドガーはそう言って釘を刺す。辛辣しんらつなエドガーに釘を刺された不審者は、静かに剣を引き、さやに収めると背を向けてその場から去って行った。最後まで、一言も話さずに。

「あぶないところだったな」

 おもむろに振り向き、ミカコと対面したエドガーが優しく微笑みながらも声をかける。

「きみを迎えに来たんだ。さぁ、屋敷に戻ろう」

「エドガー……」

 非常に頼もしいエドガーに、ミカコは返事をしようとしたが、なかなか声が出なかった。今もまだ、ミカコの中に恐怖心が残っているためだ。

「気分転換が必要だな。天気がいいし……屋敷に戻る前に少し、遠廻とおまわりするか」

 軽く伸びをし、間延まのびした声でつぶやいたエドガー、ふと思い出したようにジャケットの内ポケットからあるものを取り出し、ミカコに手渡す。

「これをきみに渡しておこう。今みたいに襲われたときはこのスカーフがきっと、きみを守ってくれる。お守りとして持っているといいよ」

 気さくにそう言って、ウインクしたエドガーから、真っ赤なスカーフを手渡され、ミカコは「ありがとう……」と礼を告げて微笑んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る