三章 追憶

 ツレーフが日本に来る数ヶ月前。南米のスラム街──その一角で、三人の男と一人の少女が過去を聴こうとしていた。

「何もこんな遠いところまで直接お越し頂かなくとも、録音でよかったでしょうに」

 一人はパスト・オートプレー。元は軍の諜報部隊に所属していた男だ。頭をかきながら、自分の雇い主に言う。

「問題ない。乙に先行してもらっていたからな」

 ボスの言葉に、ハンチングを目深に被った男──乙が微笑する。

「それに、事実として──連れてきて欲しいと言ったのは私の方だから。相手がどんな人物かを解剖しないことには判断できないもの」

 シックな色調の服を着た少女がとりなすように言う。

「いえいえ、別に文句ってわけじゃないんでお気になさらず。それじゃあ聴きますか。二年前に起きた代行者師弟の悲劇、その残響を」

 オートプレーがI/Fを発動した。

 四人の立つこの場にあった過去が、それぞれの耳朶に蘇る。


 1


「全てを失うから手を引け、と言われてもな。タイトレイン計画? あの人? 何の具体性もないのに、はい手を引きますとは行かねぇだろ」

 ツレーフは大げさにお手上げのポーズを取る。

「ごめんなさい、詳しくは言えないの。事実として、私は敵でも味方でもない立ち位置だから」

「敵でも味方でもない、ね。つっても名前ぐらいは教えてくれてもいいだろ?」

「そうね……アサギ、とだけ言っておきましょう」

 その言い方で偽名と判断したツレーフが舌打ちする。まともな情報は引き出せなさそうだ。

「助けるんじゃなかったぜ。おかげで疲労困憊だ」

「まあまあ、そんなに拗ねないでくださいよ。くふふ。おかげでヴァニティを三つも回収できたじゃありませんか。それだけで十分価値のある寄り道だったでしょう?」

「寄り道、か。フン、やっぱ大した情報じゃないと最初から知ってやがったな」

「くふふ、次はちゃんとした情報ですよ。情報屋のプライドにかけて保証します。なんたって今向かっているのは組織の本拠地なんですから」

 その言葉にアサギと名乗った少女がわずかに首をかしげるが、何も言わず、目を閉じる。

「どーだかな」

 ツレーフは座席の下に転がっていたチキンの袋を漁ると、乱暴に肉にかみついた。


 2


 二時間ほど走り、オープンカーは殺風景な場所で止まった。

「潰れた工場か。いかにも悪の組織がいるって感じじゃねぇか」

 そこは郊外の幹線道路から少し入った場所にある廃工場だった。平たい屋根の建屋は三階建てはありそうだ。

「んで、虚飾者の気配はいくつある? 十か二十か? なんなら百でも構わねぇぞ」

 人型に戻した十二糸へ半ばヤケ気味に尋ねる。ピンポイントとは行かないが、十二糸にはヴァニティや虚飾者の存在を検知する機能が備わっている。尋ねればその人数が返ってくるはずだ。

「…………………………」

 だが、十二糸はなぜか工場ではなくオープンカーの方、その助手席に乗ったアサギを見つめている。

「おい聞いてんのかボロ糸──っ?!」

 十二糸を振り向かせたツレーフが思わず言葉を止める。そこにあった顔はあの無個性な若者のものではなかったからだ。

 前髪が伸び、左目が完全に隠れ、髪自体も若干うねっているように見える。さらに、表情のないはずの口元がわずかにほころんでいた。どう見ても個性がでてきている。

 何が起きているのかといぶかしがるツレーフ。そんな思いとは関係なく、十二糸が急に口を開いた。

「解答させていただきます。現状、この付近で反応のある虚飾者は二名でございます」

「レスポンス遅ぇよ。やっぱガタがきてんのか……? ってか、二人だと? 本拠地だってのに?」

 虚飾者の組織という話と違う、とイーマユーガの方を見る。

「あら、ここは本拠地じゃないわよ」

 アサギがさらりと答えたので、イーマユーガを見る目が非難のそれになった。

「情報屋のプライドがなんだって? ばっちりガセネタつかまされてんじゃねぇか!」

「まあまあ、失敗は誰にでもありますって。くふふ、ツレーフさんだってそうでしょ?」

「……ハッ、テメエに反省を求めたのが間違いだったよ」

 全く悪びれない様子に諦めて工場の方へ向き直るツレーフ。

「ガセだろうが虚飾者がいることには違いねぇ。ひとまず行ってみるか」

 あまり気乗りしなさそうにだらだらと工場内へ足を進める。

 その隣を小さな影がついてきていた。

「おい……ガキは車でお留守番してろ」

「事実を見せて欲しいの。邪魔にはならないようにするから」

 なぜかアサギが同行してくる。さっき捕まったことなど忘れたかのような振る舞いに呆れの目を向けるツレーフ。若干腹が立ったので、また危険な目に遭ってしまえばいい、とついてこさせるままにした。

 だだっ広い工場だった。大型クレーンでも入れていたのか、工場の大部分が天井までぶち抜きになっている。

 さび付いた工作機械に積もったほこりのたまり具合が、放置されていた年月を思わせる。安全管理の必要がなくなったためだろう。工具があちこちに散乱し、鎖が梁から垂れ下がっていた。

 一目見て誰もいないと思わせる場所だったが、ツレーフは人の気配を感じていた。それもそこらの一般人とは全く違うもの。――強者の気配。

「ツレーフ・サロゲート殿と見受ける」

 古風な言葉遣いのよく通る声が工場内に反響する。アサギはそれを聞いてふっ、と息を漏らすと工場の隅に歩いていった。

「だったらなんだよ? さっさとツラ見せな。見てくれがひでぇってんなら別だが」

 言われずとも、と声があって、上階から声の主が飛び降りてきた。そこは一階から十メートルはありそうだったが、軽々と着地する。しかもその足は裸足であった。

「拙者、餓刻斎と申す。貴殿と死合い願いたくお待ちしていた次第」

 その容姿を見てツレーフは目をしばたいた。

 刀を腰に佩き、紺色の甚兵衛を着た白髪の老人。髪を後ろで高く結っているのはちょんまげを意識しているのだろうか。とにかく侍と一目でわかる格好だった。

 だが、ツレーフが意外に思ったのはその出で立ちよりは顔だった。別に容貌に難があるわけではない。だが――、

「サムライってのは日本人だけじゃなかったのか?」

 老人の顔は明らかに西洋、それも北欧系のものだった。眼は碧く、鼻は高く、シャープな顔つき。日本発祥の格好があまり似合っておらず、言葉の流暢さが違和感に拍車をかける。

「もはや日の本にも侍はおらぬで御座ろう。拙者はただその思想に深く感じ入り、求道しているだけで御座る」

「ハッ、つまりごっこ遊びってことか。隠居した老人の趣味にしちゃ変わってんな。さっきの連中といい、組織とやらはずいぶんと多様な人材を集めてらっしゃるようで」

 小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、あざ笑うように言うツレーフ。それは決して侮りから出た言葉ではなかった。老人──餓刻斎の身のこなしを見れば、そこらの人間とは鍛え方が違うことは一目でわかる。苦戦は必至だろう。だから挑発することで少しでも優位に立ちたかったのだ。

「死合いに言葉は不要に御座る。ただ互いの剣を交えるのみ」

 そんなツレーフの意図を見透かしたかのように、餓刻斎はゆっくりと首を横に振る。

「拙者がこの組織に加わったのは強者と相まみえんがため。面妖なる糸を刃となす神の使徒──相手にとって不足なし」

 すらり、と餓刻斎は腰の刀を抜く。その刃の輝きがごっこ遊びであることを否定する。老爺は確かに真剣を構えていた。

 そして次の一言が終わると同時に、一気に踏み込んだ。

「いざ、尋常に勝負」

 死合い、という言葉の意味がツレーフはわからない。しかし、餓刻斎の初撃はその意味を理解させるのに十分すぎた。

 ──強烈な殺気。

「っくおぉ!?」

 上段の構えから相手の肩口へ振り下ろし、心臓を切り裂いて反対側の脇腹まで切り裂く。必殺の意志が込められた一撃に対し、ツレーフは瞬時に十二糸を斜めに張って受け流す。

 刃と十二糸が激しく擦れる音が耳をつんざく。薄暗い工場内に火花が散る。

「ふむ。十二糸なる神器──なるほど、これは斬れぬ」

 一旦距離を取った餓刻斎が己の刀を見やる。わずかに刃が毀れている。

「ハッ、そんなナマクラじゃ鶏をさばくの精一杯だな。中華料理屋にでも転職してろ」

 ツレーフは十二糸を高く構えたまま余裕たっぷりに言ったが、内心は真逆だった。移動にしろ攻撃にしろ、餓刻斎の速度は常人が出せるものではない。あと少し反応が遅れれば死んでいた。ツレーフをしてそう思わせる速度。素の身体能力も相当高いとみていたが、おそらくは能力によるものだろう。

「I/Fの発動を検知いたしました。加速型と推測いたします」

 それを裏付けるように十二糸が告げる。

「ハッ、やっぱりな。能力に頼っておいて何が武士道だ、笑わせるぜ」

「左様。異能を恃むなど以ての外。死合いはこの身ひとつで成さねばならぬゆえ」

「あ……?」

 かみ合わない会話に眉をひそめるツレーフ。餓刻斎の言葉の意味を考える間もなく、次なる攻撃への対応を行う。前のめりの姿勢で刀を真横に構えた餓刻斎が正面から突っ走ってきていた。

 迎え撃つべく十二糸を放つ。片手は防御のための盾を編みつつ、もう片方の五指から伸ばした糸の刃を斜め上から振り下ろす。拾弐神法の三刻と五刻を同時に使用した攻防一体の型。一人の相手に使うには大げさな布陣は警戒の表れだ。

 その瞬間、ツレーフは異常に気づいた。

「なんだ……?」

 工場内にはそこら中に積もったほこりが舞い上がり、天窓からの光にきらめいている。ツレーフが十二糸を振り回せば、風圧でゆらめくだろう。だが、その軌跡の変わり方が妙にがくついている。まるで通信状態の悪いスマホで見た動画のようだ。

 それだけではない。よく見れば餓刻斎の足の運びもおかしい。踏み込むために下ろした足が空中でほんのわずかながら、不自然な停止と加速を繰り返している。

 目の前のいびつな光景を引き起こす原因にツレーフは心当たりがあった。

「まさか……俺の時間を加速させてやがるってのか!?」

 ツレーフの目から見た世界はスローになっていた。

 餓刻斎の能力は自分ではなく相手の時間を加速させるもの。しかし──

「一体何を願ったらそんな能力になる……メリットが何もねぇだろうが! ナメるのも大概にしやがれ! 拾弐神法は一刻──申ノ弐・禾乃登!」

 自分を不利に追い込む能力などツレーフは聞いたこともなかった。いずれにしろ、手加減されていたことは間違いない。プライドを刺激されたツレーフは、十二糸をひとまとめにしてハンマーのようにし、餓刻斎へ打ちつける。

 その一撃を刀で受けた餓刻斎の体は、足の裏を地に擦らせながら後方へ押し下げられる。だがその程度でひるむことはなく、加速のハンデを与えたツレーフの前へと刀を下段に構えたまま飛び込んでくる。

「上等だ……! 腕の一本なくしても喚くんじゃねぇぞ?!」

 両手の糸を別々に動かす。片方の手を斜め下から振り上げ、五本の糸の刃をムチのようにしならせながら餓刻斎を襲う。微妙な指さばきでタイミングをずらした変則軌道を描く五つの斬撃を、しかし餓刻斎は首と心臓に届く真ん中の二本だけを刀で止め、できた隙間に躊躇なく飛び込んできた。わずかに遅れて届いた十二糸は老爺のたるんだ表皮をかすめただけで、見事にかわされてしまう。

「拙者の望みはより強き者との死合いに御座る。道を極めるためには常に己を上回るものと戦うが必定。世界を放浪し、得物を問わず死合った。何十、何百もの屍を積み上げ、ただひたすらに高みを目指して候」

 能力のせいでゆっくりした話し方になっている。そこからツレーフは自分の加速具合が一・五倍程度と推定した。つまり、今の餓刻斎のスピードは本来の六割程度ということになる。

 にもかかわらず恐ろしく迅い。身体能力もずば抜けており、糸と刀のリーチの差がまるで意味を成さない。

「ならまずこっちだ! 拾弐神法は八刻──未ノ初・大雨時行!」

 残していた片手の糸はこのためだった。避けた隙を狙い、刀へ糸を放ち刃を絡めとる。何も馬鹿正直に斬り合う必要はないのだ。刀さえ奪ってしまえば、生身の体では十二糸の斬撃は防げない。そういう判断だった。

 しかし、それは甘い考えだった。餓刻斎は刀から即座に手を放すと、力強い踏み込みから飛び膝蹴りをツレーフの腹へぶち込んだ。

「ごぇ……げはっ……!?」

 バイクでも突っ込んできたのかと思うほどの衝撃。まともに食らってしまったツレーフが後方へ吹き飛ばされる。壁際にあったガラクタの山に突っ込んで派手な音を立てた。

 刃に絡んでいた糸がほどけ、落下した刀を餓刻斎が空中で悠々とつかむ。

「剣術は無論のこと、体術の研鑽も怠ることはなく。全てはまだ見ぬ強者を打ち倒しさらなる高みへ上るために御座る」

 そこで餓刻斎は軽くため息をつく。わずかに細めた碧眼には寂寥感が漂っている。

「なれど、もはや拙者と対等に剣を交え得る者とは久しく出会えておらぬ。ゆえに──ヴァニティと言ったか? その願いに呼応したので御座ろう。強者たり得なければ、そこまで引き上げれば良いとな」

 もうもうとほこり立つ中、餓刻斎の話をガラクタの山に埋もれながら聞いていたツレーフ。ゆっくりと立ち上がると腹を押さえて息を整える。胃の腑から逆流してきた液で汚れた口元を手の甲でぬぐい、余裕を取り戻すように相手を挑発する。

「ハッ、国士無双気取りか。人を斬るのは止めて戦闘機でも戦車でも斬ったらどうだ? その方が平和になる」

「とっくに斬ったとも。至極詰まらぬものに御座った」

 餓刻斎はひどくつまらなそうに言って、再び真正面から突撃してくる。

 ツレーフは皮肉を言ったつもりだったのだが、餓刻斎はあっさりと肯定した。ハッタリならばむしろ戦果を誇るだろう。そもそもこの男はハッタリだとかそういう小細工を弄する次元にいない。こんな化け物じみたやつがいるのか──ツレーフのこめかみに冷や汗が流れる。

 こちらは一・五倍速状態のハンデをもらっているというのに、なおこの強さだ。加減されていなければとっくに終わっている。

(だがその余裕は付け入る隙だ。突っ込んでくるしかねぇ猪に人間様の知恵を見せてやるよ)

 ツレーフは大量に舞ったほこりに紛れ、ステルス機能を使った十二糸を一本放っていた。拾弐神法は八刻──未ノ肆・土潤溽暑。糸で編み上げた即席のくくり罠を張る技。いかに達人でも見えない糸のトラップを避けることはできないはずだ。

「こっからは本気だ。避けられるもんなら避けてみな!」

 十本の指全てを攻撃に振り向ける。ギロチンと化した糸を前後左右上下から餓刻斎へ殺到させていく。

 餓刻斎は迫り来る刃をかち上げ、はたき落とし、飛び上がり、身をひねり、やはり全てを紙一重でかわしてしまう。だがツレーフに焦りはない。狙いは不可視の足罠へ追い込むことだ。

 そして刀がツレーフに届く距離まであと一歩と近づいた瞬間、足下の罠が作動する。枯れた左足首を糸が縛り、餓刻斎の体勢が崩れる。

「もらった!」

 ツレーフの一撃が袈裟懸けに餓刻斎の体を切り裂く。噴き出した血が紺色の甚兵衛を赤黒く染める。

 致命の傷ではないとはいえ、屈強な兵士でも崩れ落ちるであろう裂傷だ。老爺ならなおのこと戦闘継続は不可能──そうツレーフは確信する。

「な──っ!?」

 だが、老人は顔色ひとつ変えず、右足を強く踏み込んで腕を大きく伸ばし刺突を放ってきた。始めから無傷で終わるとは思っていなかったのだろう。肉を切らせて骨を断つ。異国の侍はその真髄を確かに実践していた。

 自らの傷さえ厭わず戦いに臨む姿にツレーフは戦慄を覚え、硬直してしまった。喉元に刃先が当てられる。皮膚を切って血が垂れる。あとは肉を貫けばそれで終い。

 だが──刃はそれ以上進むことはなかった。足をとられたせいで届かなかったのではない。餓刻斎があえて止めたのだ。

「……詰まらぬ。神器を操りて戦う神の使徒と聞きて胸躍ったが、この程度に御座るか。期待外れにも程があろう」

 蔑みと哀れみの混ざった目でツレーフを見ると、刀を引き、鞘にしまう。その振る舞いがもはや戦う意志がないことを告げていた。

 殺す価値すらないと見なされたツレーフが怒りの表情になる。

「何を……、ふざけてんのかテメエ」

「巫山戯ているのはお主の方で御座ろう。──殺気が弱すぎる。これならば町中の暴漢の方がましというもの」

 痛いところを見抜かれ、ツレーフがぐっと詰まる。

 虚飾者になる人間は完全にランダムだ。たまたまヴァニティの近くにいた欲の強い者が、歴戦の猛者でもある確率はかなり低い。実際、組織もかなり時間をかけて人材を集めていた。

 それゆえ、ツレーフは本当の強者との戦闘経験が少なかった。命懸けの覚悟を持った相手に、生半可な覚悟の自分では必ず隙を見せることになる──それは常に思っていたことだった。山中の戦いの後で、雑岡が脅しに屈しなかったのもツレーフの殺意に本気を感じとれなかったからなのだろう。

「先に申した通り、拙者は多くの人を殺めて御座る。そのことに微塵の後悔も御座らん。死なば潔く阿鼻の地獄へ降ろうぞ」

 自分は現代においてただの殺人鬼。駆除を躊躇う必要は何ひとつない。餓刻斎は暗にそう伝えていた。

 それでもツレーフはいつもの憎まれ口を叩くことなく押し黙っている。強者を斃して高みを目指すという餓刻斎の願いを叶えることはできない。それはツレーフの死と同義だ。死を覚悟している人間に脅しも効かない以上、ヴァニティの回収は餓刻斎の殺害以外になかった。

 ──人を、殺す。

 自分が今から行わねばならない行為を認識させられ、ツレーフの顔からは血の気が引く。震えるほど強く握りしめた手の中の糸は、途切れることのない過去につながっている。どんなに取り繕おうが、どう言い繕おうが、自分に対して自分の記憶は隠せない。

 “同じ顔をした死体”の山。そのさらに先に思い出したくない現実がある。かろうじて残った顔は──笑っていたのだ。

 もはや戦闘意欲を失ったツレーフを、心底つまらなそうに眺める餓刻斎。刀から完全に手を離すと、露骨な失望を込めて吐き捨てる。

「……もうよい。死合うことができぬのなら拙者にとっては興味の外に御座る。その得物はお主には荷が重い。十二糸は置いて疾く失せよ。さもなくば──」

 餓刻斎が合図をすると、上階から明らかに能力で加速した動きで武装した兵士が現れ、瞬く間にツレーフを銃口で包囲する。

「……剣士のくせに銃火器任せかよ」

 殺す側から解放され殺される側になったせいか、ツレーフが元の軽口を叩く。

「死合えぬ相手なら剣で屠ろうと鉄砲で屠ろうと同じことに御座る。乙殿の傭兵部隊をお借りしていたのは正解に御座った。さて──五、数える。糸を手放すなら見逃して進ぜよう。腑抜けた性根でなお挑むならば、その首今度こそ落ちると心得よ」

 餓刻斎は五、と最初の数字を言った。

 迷彩機能を使った十二糸を這わせれば傭兵たちを無力化することはできる。だが、餓刻斎の目はおかしな動きを逃さないだろう。

 四……三……。カウントダウンが進んでもツレーフは動けなかった。

 ここまでの顛末をただ見つめていたアサギ。

 ふっと息を吐くと、一歩を踏み出す。

「いち、────!!」

 何かに感づいたらしい餓刻斎が急に後方へ跳び上がる。

 次の瞬間、どの兵士も腕を押さえて銃を取り落としていた。冷たいコンクリートの上に血が点々と落ちていく。

「事実として──当初は介入する気がなかった。できれば使いたくないもの、こんな能力。だけど……、この子には向き合わなければならないことがまだいくつもある。年季の入ったご老人にもわかるでしょう? ツレーフ・サロゲートはまだ大人になれてはいないのだと」

 ツレーフのそばには、遠くから見ていたはずの少女。その手には血のついたメスが握られており、兵士たちを無力化したのがアサギであることを示していた。

「アサギ……!? 今のはI/Fか!? いや、だが、当然といえば……」

 この付近にいる虚飾者は二人と十二糸は報告していた。この検索範囲はかなり大雑把なので正確な位置までは特定できない。ツレーフはてっきり廃工場内に二名いると思い込んでいた。

 ゆえに、隣に座っている少女が虚飾者だとは思いもしなかった。考えてみれば、虚飾者の組織を抜けたのなら虚飾者であることは自明の理である。

 だが餓刻斎はそのことを知らなかったらしい。目をぎらつかせ、再び刀を抜く。相手が子供であろうと関係ないようだ。それだけ強者に餓えているということか。

「拙者の目は節穴で御座ったか。これほどの使い手に気づかなんだとは……」

「安心して餓刻斎さん。これはあなたの目指す高みにはふさわしくない──言ってみれば詐欺だから。ただ、事実として、今すぐにあなたの喉を切開することは可能よ」

 明確な決意を込めた言葉だった。その行為の結果を十分に理解した上で、可能なのであれば実行する。外見とはかけ離れた覚悟を大きな目に宿していた。

 餓刻斎は白くなったあごひげをなでながら、興味深そうに尋ねる。

「ふむ……なにゆえ今頃になって邪魔立てをするで御座るか? あの場で組織からは足抜けすると申したはず」

「言ったでしょう。子供には大人の導きが必要なの。ツレーフくんのこと、今は見逃してもらいます」

 老爺と少女がにらみ合う。ここで心中穏やかではないのがツレーフだ。自分の関係ないところで勝手に敗戦処理が進んでいる状況はさすがに耐えかねた。

「さっきから黙っていりゃあ……! ガキにガキ扱いされるいわれはねぇよ。本気を出しゃあこんなクソジジイなんて──」

「いい加減になさい」

「……っ」

 ツレーフはびくりと体を震わせる。

 少女はただ静かに叱りつけた。そこに害意は一切感じられない。相手の気持ちを理解した上で反省を促すという優しさに満ちた叱責。十歳弱の少女がする類いのものではない。まるで母親が聞き分けのない子供に相対しているようだった。

「カカ……カカカカ!」

 餓刻斎が得心いったというように大きく笑う。

「成る程。強者以前の問題に御座ったか。己が分も弁えておらぬ童に死合いを申し入れるとは、拙者も老いさらばえたもので御座る。──あいわかり申した。この場はこれで手打ちと致そう」

「ありがとう。さ、戻りましょツレーフくん」

 エプロンドレスのポケットにメスをしまい、アサギは出口へつかつかと歩いて行く。その様子をツレーフは呆然と見ていたが、気を取り直したようにアサギの背中に文句を言おうとする。

「お、おい俺は納得しちゃ……」

「ツレーフくん」

 振り返らないまま放たれた有無を言わせぬ調子の言葉に、黙ってついていくしかなかった。

 工場の大扉を抜けると、待ってましたと言わんばかりにイーマユーガが上から重力を感じさせない動きでふわりと降りてきた。そして、悪意たっぷりのうれしそうな声をかける。

「いかがですか、死闘を繰り広げた感想は? ステルストラップなんて小細工まで使ったのに残念でしたねぇ」

 上で観戦してやがったなコイツ、と思いつつツレーフはぶっきらぼうに返す。

「フン……このクソガキのせいでお流れだよ」

 ポケットに手を突っ込んだまま、ツレーフは車に乗り込むアサギの方をアゴでしゃくる。実際はそのクソガキに助けられた恰好なのだが、それは意地でも認めたくなかった。

「情報屋さん、ひとまず落ち着けるところまで移動していただけるかしら。そこでツレーフくんにお話があります」


 ツレーフたちを乗せた車が遠くなっていく様子を、傭兵の一人がじっと見ていた。アサギに一瞬のうちに切られた手首にはすでに包帯を巻いている。

 本来、戦闘を生業とする彼らが軽く切りつけられたぐらいで銃を手放したりはしない。だが今の彼らの利き手はだらりと下がってしまっている。アサギによって手を動かすための腱を切断されてしまっていたからだ。

 動かない手に向かって舌打ちをすると、背後に座る餓刻斎を問いただす。

「おい、いいのか? ボスの指令を無視して。あんな新兵同然の若造なら余裕で殺れんだろ」

「拙者は命じられたわけでは御座らぬ。かの御仁とは対等なれば」

 餓刻斎は胴体前面に負った裂傷に手慣れた様子で包帯を巻きながら答える。いまさら怪我のひとつや二つでいちいち慌てはしない。

「──とはいえ、ただで逃がすのも芸がないで御座るな。ひとつ土産を持たせようぞ」

 傷を全く気にせず、すっくと立ち上がると、両手で刀を持ち上段の構えを取る。そして、背骨が折れてしまうかと思うほどに腰を限界まで反らせ、腕も可動域限界まで後ろへ曲げていく。あまりの反り様に刀の切っ先が地面についてしまっている。その姿は打ち放たれる直前の弓のようであった。

「──匪剣・黒燕」

 刃に沿って黒い靄が現れていく。根源的恐怖を覚える色。そばで見ていた傭兵が思わず後ずさりをする。

「かあああああああああああああああああああああっっっっ!!!!!!!!」

 裂帛の気合いとともに、反らせた体を一気に前へ起こす。刀の軌道は半月を思わせた。

 餓刻斎は言った。戦闘機や戦車など斬ってもつまらなかった、と。それを成した奥義が今、放たれる。

 ──その正体は戦闘兵器をも両断する極大の黒き斬撃。

 上端が三階建て相当はある工場の屋根まで届くほどの大斬撃は、軌道上のガラクタやら何やらを全て切断し、外へ飛び出していく。


 後ろから聞こえた轟音に振り返ったツレーフは目を見張った。

「な、んだ……あれ……?」

 黒い三日月型の何かが凄まじい速度でこちらへ飛んできている。遠くに小さく見える工場の大きな鉄扉の片側が縦に切断され、倒れ込んでしまっていた。轟音の正体はそれだろう。

 つまり、飛翔するあれは分厚い鉄扉をたやすく切断する攻撃であるということだ。

「あんのジジイ、どんだけ手ぇ抜いてやがったんだ! こんな馬鹿げたもん出せるんなら初手で殺せただろうが!」

 とことんコケにされていたと感じて憤慨するツレーフ。脅しであることは明らかだった。なにしろ、斬撃は直線軌道なので、車で少し曲がれば簡単に回避できたからだ。

 当然イーマユーガもそうするとツレーフは思っていたが、ミラー越しにチラリと見たイーマユーガは意外な反応を見せる。

「おやおや。前はよく見たものですが、今の地球では珍しいですねぇ。ちょっと運転代わってくださいます?」

 言うが早いか、イーマユーガが運転席から消えた。人間離れした跳躍力で空中へ跳び上がったのだ。

「……は? ちょっ、テメエ何を……ああクソッ!」

 唐突なその行動にツレーフは一瞬反応が遅れたが、すぐに運転席に滑り込み、ハンドルを切って道路脇に避難する。

 二階ほどの高さまで跳んだイーマユーガ。目の前に迫り来る黒い斬撃を懐かしそうに見つめる。そして胸元からトランプ一式を取り出すと、軽く口づけをして思い切り高くばらまいた。

「いいもの見せて下さったお礼に特別大サービスです、くふふふ!」

 宙に舞ったトランプが黒いオーラに包まれると、そこを中心にカードが一瞬で数十倍に増殖し、無数のカードが噴火のごとき勢いで上下に放たれた。

 現れしは漆黒の巨柱。手品やペテンではない、あからさまな異能の所業。

 路面を切り裂きながら飛来する漆黒の大斬撃を受け止めた瞬間、双方は轟音を上げて砕け散った。黒い破片が空中に舞ったが、瞬く間に雲散霧消する。

 この世のものとは思えない光景を、車から降りたツレーフは唖然として見ていた。

「もうあいつが代行者やりゃあいいんじゃないのか……?」

 そのつぶやきをイーマユーガはしっかり聞いていたようだ。何事もなく車の隣に着地してきたあと、両手と首を大げさに振るジェスチャーをした。

「わたくしが? いえいえそんな分不相応な。わたくしは代行者ではなく──部外者ですから。今の世界に救う意味を見いだせないのに引き受けても仕方ありません」

「わけわからんことを……。だったらなんで情報屋なんてやってんだ。現在進行形でがっつり関わってんじゃねぇか」

「くふ、だって……わたくしをベッドから起こしたのはあなたなんですもの」

 イーマユーガはぴったりと身を寄せると、意味ありげな上目遣いで、吐息を漏らすように言った。コケティッシュなその様にツレーフがたじろぐ。

「…………フン。人を馬鹿にしやがって、この人でなしが。やっぱテメエは信用ならねぇ。こっからは俺が運転する」

 乱暴にドアを閉めると、イーマユーガを置いてきぼりにして車を急発進させる。

 助手席のアサギが温かい眼差しを向けてきていた。

「ツレーフくん、変わったお友達を持っているのね」

「あれを友達と呼ぶくらいなら友達なんざいらねぇよ」

 ツレーフは苦々しげに吐き捨てる。サイドミラーには、笑みを崩さぬまま車と同じ速度で追いかけてくるイーマユーガが映っていた。


 3


 餓刻斎がツレーフを取り逃がしたことは傭兵経由ですでに組織へ伝えられていた。

「ターゲットを香子さんが助けたそうだよ。小生の部下はしばらく生活に不自由させられそうだ。まあ、君から十分な報酬はもらっているし、しばらくバカンスでもさせておくのもいいかもしれない」

 傭兵部隊の隊長、乙流がボスへ他人事のように淡々と告げる。

 廃墟のニュータウン。ここはその一角に作られた研究室だ。大企業の研究所レベルの設備が整っており、これを揃えられるだけの財力が組織にあることを示していた。

「あれが介入した程度であの剣豪は止められん。ご老人にとって代行者は強者たり得なかったのだろう。遺憾なことだ」

 白衣に身を包んだボスの手元には、飼育ケースの中をうろちょろするマウスがいた。ケースの隣には注射器やラベルの貼られた薬品の瓶が置いてある。

 明らかに研究者の姿だった。

「しかし、なぜこんな回りくどく見えることを? オートプレーにわざわざ偽の情報を流させてまで餓刻斎と戦わせるなんて。始めからここに誘い込んで全員でかかればいいんじゃないか。小生が指揮官ならばそんな感じで進めるかな」

 実際、虚飾者の組織を作ったわりに、ボスのやり方には手ぬるさがあった。顔こそ悪の親玉風だが、振る舞いからはそのような様子が見えない。

「……この私は名声を何よりも愛好する。天才科学者だと世間に賞賛される研究成果をあげ、社会的な名声を存分に得たい。そして、実際にそうしてきた」

 傲慢にも自分を天才科学者と言ってのけたボスは思いきり俗な夢を語る。

「だが、最終的に研究は最悪の形で失敗した。多くの人命が失われ、この私は数多の喪失を経験した。名声は失墜し、粉々になった」

 事情を知っているらしい乙がハンチングを目深に被り直す。

「ゆえに、これ以上は人間の犠牲を出したくないのだ」

 直後、ボスの周りの時空が歪む。

 虚飾者組織のトップもまた虚飾者であることは自明の理。

「だが代行者はまだ途上にいる。人間に成るか成らないのか、未だ確定していない」

 天才科学者のボスが口角を上げ、歯を見せて笑みを作っている。その手元にいたマウスは瞬く間に、元の数倍はある肉塊に変じていた。

 その行動が示すのは、人間でないものならば、人でなしならば犠牲にしても構わないという意志だった。

「かの剣豪ならば、代行者を圧倒し、十二糸を回収する可能性もあった。ゆえに最初の相手に選んだのだ。想定通りには行かなかったがな」

「香子さんがあちらについた以上、ここへ来るのは時間の問題だろうね」

「元々はそれも計画のひとつだ。この拠点はそのために用意したのだから」


 その会話を部屋の外で聞いていたのは派手なメイクをした長身の怪盗プレゼンカレント。ただ金だけを求めて世界中で盗みを働く生粋の犯罪者が、やすやすと組織に加入するはずがない。組織やボスの事情などとっくに下調べ済みだ。その上で自分が一番得をする結果へ向けて動く。

 手の中の画面にはひとつのニュース記事が開かれていた。

「夢のエネルギー、悪夢に変わる 天才科学者の驕り……ね」

 そう言って、口の端を思い切り吊り上げたあくどい笑みを浮かべた。


 4


 ツレーフたちはとある無人駅のホームにいた。電車は二時間に一本しか来ず、その電車も発車したばかりのようだった。

 アサギの指示通り車で乗り付けたとき、周囲には人っ子一人おらず、それは今も同じだ。

「ここなら誰も来ないわ。安心して話していいわよ」

「話すって何をだ? ガキに語って聞かせるような話はねぇよ」

「――二年半前の十一月五日に至るまでの全て」

 痛ましそうに言ったアサギの言葉を聞いた瞬間、ツレーフがぎくりと硬直する。その一言で、アサギがどこまで自分のことを知っているか理解したからだ。

「テメエ……なぜその日を……!?」

「事実として、組織の中に過去の場所の音声記録を巻き戻して再生できる人がいるの。あなたたちの会話から何があったかの概要ぐらいは把握しているわ」

「…………ハッ、趣味の悪いやつがいたもんだぜ。盗聴マニアか何かかよ?」

「似たようなものかしら。元はどこかの軍の諜報部隊に所属していたらしいから」

「知ってんなら言う必要ねぇだろ。無駄にこんな辺鄙なところまで来させやがって」

 露骨に舌打ちするツレーフを見ても、アサギは特に気分を害するわけでもなく、真剣な眼差しを向けたままだ。

「私が知るためではないわ。あなたのためよ」

「俺のためだぁ?」

「ええ、過去と向き合うこと。過去を背負えていない子供のあなたでは、餓刻斎さんはもちろん、あの人に決して勝てない。ツレーフくんも本当はわかっているのでしょう?」

 その問いが的を射ていることはツレーフの沈黙から明らかだった。

「わたくしももう一度聞きたいですねぇ! 先代殺しと嘯いていたツレーフさんの過去。くふ、くふふふ!」

 期待するように胸の前で両手を合わせ、愉快極まりないとばかりにイーマユーガが笑う。

 その姿にアサギが顔をしかめる。

「あなたもそういうこと言わない。この子は意地っ張りなんだから」

「おっとっと、叱られちゃいましたね。くふふ、申し訳ございません。わたくしにはもはや趣味がこれぐらいしかないものでして」

 わざとらしく舌をぺろりと出して反省のポーズを取るイーマユーガ。

 露骨な煽りがむしろ背中を押したのか、ツレーフは観念したように大きくため息をついた。

「先代殺しは嘘じゃねぇよ。──嘘だったらどんなに良かったか」

 引きずるように足を動かしてホームの黄色い線を越えると、延々と続く線路の先を見つめる。その目は今、風景を捉えていない。目に焼き付いた残像を見ていた。

 過去へと確かにつながる記憶の糸。二度と手繰りたくないそれを今から辿るのだ。

 始めはどこか他人事のような乾いた口調で、ツレーフはぽつりぽつりとつぶやいていく。


 5


 ──あれはもう、二十年は前になるか。

 俺は内戦中の国に生まれた。その国は今はもう分裂して存在しねぇが。

 気づいたら親はいなかったよ。戦災孤児って奴だ。

 なにしろ小さかったもんで記憶は薄いんだが、餓えてばっかだったことは覚えてる。臭い木の実やら球根やらで食いつないでたな。

 で、あるときどうにも食い物がなくて軍の食料庫に忍び込んだんだ。

「汚ねぇガキが! 軍人様の食料に手を出しやがって!」

 まあ見つかってボコられるわけだ。けっこう瀕死になってたらしい。

 らしい、というのは師匠──先代の代行者バイーゴ・ギスタッサから聞いた話だからだ。

 ちょうどあの国に虚飾者の反応があったようで、その探索中にたまたまボコされてる俺を見つけたそうだ。

「ぎゃはははは、なかなかいい目してんじゃないの! そんだけ殴られてて泣き喚きを我慢しての睨みつけ! 俺様はこーゆーのを探してたんだよな」

 浅黒く四角い顔に銀髪。団子っ鼻で垂れ目。まあ三枚目っていう感じの人だったな。

「なんだぁテメェは!? このクソガキの仲間なら銃殺刑だぞ!」

「お、銃向けちゃう? じゃあ死んでもいいよな」

 当時、十二糸は師匠が持ってたから、俺をボコった兵士は八つ裂きになったらしい。文字通りにだ。わりと殺しにためらいがない人だったぜ。

「ちょうど後釜いねーかなーと思ってたんだ。お前親いんのか? まあいいか、とりあえず来いよ」

 かなり雑な性格でな。後で俺が孤児だとわかったら、

「お前、次の代行者な。よし、今日から修行だイエーイ!」

 という感じでわけもわからず弟子にされた。まあ、どうせ知り合いもいなかったし、何より飯は腹一杯食えたからそこの文句はねぇが。

 だが修行は死ぬほどキツかった。というかマジで何度も死にかけた。

「俺様は百キロ先にいるから走ってこい。二時間切らなかったら飯抜きで!」

「今から崖下に突き落とーす! ワイヤー使ってどっかにしがみつけ。落ちたらキャッチするけどできるまで徹夜だからそこんとこヨロシク!」

「明日までに日本語の会話できるようにしとけー。できなきゃフジヤマの火口に放り込むぞ」

「お、熊じゃん。ちょっと狩ってこいよ。お前の今日の晩飯な。俺様? 俺様は街でステーキ食ってくるぜ!」

 ……おい、かわいそうな目で俺を見るのはやめろ。

 理不尽なところはあったが──いや理不尽がほとんどだったが、底抜けに明るい師匠に俺は救われた面はあった。

「ああそうだ偽造パスポート作んねーとな。ツレーフだけじゃ寂しいからなんかテキトーに付けるか。……”代行”だしサロゲートでいいか」


 万事につけいい加減な師匠だったが、使命の方はサボらずやってた。たった一人で世界を救うという点が気に入ったんだとか。

 たださすがに修行中の俺を連れて行くことまではしなくてな。俺が師匠の仕事を間近で見ることができたのは、最低限の実力がついてからだった。声変わりはしてたから十四、五歳にはなってたか。

「そろそろ留守番も飽きたろ。今からメキシコ行くから四秒で支度しな」

「いきなり過ぎだろ!? こっちにも準備ってもんが……あ、おい待てまだ車動かすなよ!」

 基本的に現地調達だから大した準備がいるわけじゃねぇ。だが師匠は思いついたら即行動の人だからな。ついていくのも一苦労だったよ。

 俺の初陣はメキシコのスラム街──麻薬ギャングの巣だった。そこで俺は代行者の戦い方を学ん……学んだっていうのかあれは? ともかく十二糸のセンサーが反応した地域に赴いたわけだ。

「くっせぇ町だなオイ! ヤクと死の臭いが充満してんじゃん。さっさとヴァニティ狩って帰るぞー」

 師匠は鼻をつまみながら大声で練り歩いてた。

 周囲の連中──薬物中毒者だのギャングだのからの視線がそりゃあ怖かったよ。

「し、師匠っ……! もっと声抑えろって! 騒ぎになったらどうすんだよ」

「俺様を誰だと思ってんだ? クスリで頭がパーになったアホアホギャングごとき千人いても足りるかよ。なー十二糸ちゃん」

 隣に歩かせていた人型の十二糸の肩をバンバンとはたく師匠。使命と無関係なら十二糸はだんまりだ。今のポンコツと違って本来はそういう仕様だった。

 見たこともねぇ日焼けしたオッサンとガキと無個性な若いやつとが連れだって歩いてたら当然目をつけられる。

「どこの誰だお前ら? ネーズィん野郎の手下か?」

 明らかにギャングという出で立ちの男たちがぞろぞろと集まってきて、俺たちは囲まれちまった。何人かは拳銃をチラつかせてやがる。いくら師匠がそばにいるとはいえ、銃を持った相手を見て俺は不安でしょうがなかったよ。

「ネーズィ? なんのことかさっぱりだ」

「とぼけんな! ウチのシマも横取りして王にでもなるつもりか、ええ!?」

「さっさと失せろ! じゃねぇとその汚ねぇツラに穴が開くぜ」

 若い一人が銃口を突きつけて凄んでみせるが師匠はどこ吹く風だ。

「ぎゃははは! 事情はわかったオーケーオーケー。まあせいぜい騒いでくれや」

 師匠が軽く手を動かすと、銃を持った男の手首から先が落ちた。

「なっ、ぎゃああああぁっ! お、俺の手がぁ!」

「テメエらとうとうやりやがったな! 殺せ、もう我慢するこたねぇ! 全面戦争だ!」

 瞬間沸騰したギャングたちが一斉に銃撃してくるが、それは全て拾弐神法で防御される。そのまま俺の首根っこをつかんで路地裏に転がり込んだ。

「何考えてんだ師匠!? 完全に火が点いちまったじゃねーか!」

「点けたんだよ。一軒一軒しらみつぶしに探すのは性に合わねーし、あっちから出てこさせた方がよくね?」

 入り組んだ街で虚飾者一人を探すより、騒ぎを起こして一通り表に出してしまえばいい。合理的だがめちゃくちゃ荒っぽい方法だ。

「だからって抗争引き起こしたら無関係な連中も死ぬだろうが……」

「どーせ遅かれ早かれだろ。俺様の知ったこっちゃないね。んなことよりヴァニティヴァニティ。世界の命運は俺様にかかってるんだぜイエーイ!」

 街中では銃声と悲鳴が飛び交い始めてた。師匠は屋根から屋根へ飛び移ってI/Fの気配を探る。ついていくのがやっとだったな。

「ああ? っかしーな。人の動きから見ていい加減ぶち当たってもいい頃なんだが……。んー、ならあっちか」

 急に方向転換すると、混乱する街中から離れてく。

「ハァ、ハァ……は、早すぎだって……」

 そうしてたどり着いたのはスラム街のバラックとは全く違う豪邸。門番はいたが、師匠によってすでに始末されていた。

「この付近に存在する虚飾者は一名でございます」

 十二糸が自動音声を流す。この場所が当たりである証拠だった。

「あっちにいねーんなら、ふんぞりかえって動かねぇヤツのところにいんだろ。俺様のカンはやっぱ流石だな!」

「当てずっぽうじゃねぇか。──んで、どこなんだよここ?」

「麻薬王の家だとさ。ふふん、肩書きなら俺の方が勝ってるな」

 動かなくなった門番を足でつつきながら師匠が言う。

「何を張り合ってんだよ……」

「ぎゃはははは! そんじゃ世界を救っちゃいますかー!」

 空へ向かって大きく笑うと、邸内へと飛び込んでった。

 中にいたギャングたちが襲ってきたが、全て血の海に沈んでいったよ。俺は吐き気をこらえながら後を追い、やがて麻薬王ネーズィの居室までたどり着いた。

 ドアをぶち破ろうとした途端、その向こうからマシンガンの弾が乱射され、扉板が吹き飛ぶ。

「ゴミどもの差し金だな。死ね」

 中にいたヒゲ面の男が麻薬王マイタム・ネーズィだった。命を狙われるのには慣れてんのか、冷静に引き金を引き続けてやがった。そばに若い女をはべらす始末だ。

「キャハハ、ウチの彼氏怒らせたら怖いよぉ?」

「んー、こいつらでもないっぽいか?」

 片手で編んだ盾で防ぎながら、師匠が当てが外れたという風に大あくびするが、すぐに表情が緊張に強ばる。

 角張ったそのアゴをナイフの刃がかすめてった。とっさに首をそらさなきゃ死んでた。ネーズィの仕業じゃねぇ。いつの間にか中年の女に接近されてた。細身の体型に気弱そうな表情だが、突き出した腕は容赦なく首筋を狙ってきてたな。

「ちったぁデキるヤツいんじゃん? ま、俺様ほどじゃねぇが」

 師匠もまた容赦なく必殺の攻撃を繰り出す。カウンターで放った十二糸は女の首を切断──することなく空を切った。

「や、やっぱりやめておくべきだった? こ、こっちの手が正解なの?」

 女は一瞬で離れた場所に移動してた。そして、落ち着かなそうに目を動かしながらブツブツと何かをつぶやいてた。

 その不可思議な挙動に師匠がニヤリと笑う。

「I/Fの起動を検知いたしました。代行者様におかれましては速やかにヴァニティの回収をお願いいたします」

 師匠の勘が当たったことを十二糸が改めて裏付ける。

「やれジョーバン。成功率百パーセントの暗殺者よ」

 ネーズィが銃を下ろす。余裕の根拠はこの虚飾者だったようだ。

「は、はい。な、何度でも確実に殺します」

「下がって見てなツレーフ。ちょっとばかし本気出すぜ」

 俺は慌てて物陰へ逃げ込んだよ。そしたらすぐに本格戦闘が始まった。

 ジョーバンと呼ばれた中年女はラフな服装をしてた。無地のシャツにジーンズ。どこにでもいるような格好だが体の動きはプロのそれだ。ナイフの動きひとつひとつが急所を狙うために組み立てられてたな。

「ぎゃはは! おせーなぁ随分と! あくびをかみ殺すんじゃなかったぜ!」

 それでも鍛え上げた代行者は難なく回避する。決着はすぐにでもつきそうだったが、相手は虚飾者。そう簡単には行かねぇわな。

「拾弐神法は三刻──寅ノ弐・草木萌動!」

 師匠がジョーバンの体へ十二糸を何重にも巻き付けて動きを封じた。後は引き切りゃ相手はバラバラになって絶命だ。抜け出せないはずの技を、だがこの暗殺者はあっさり脱出しちまった。というか──、

「めんどくせーなー。巻き戻しのパターンかよ、それ。大体十秒前ってとこか?」

「ま、また失敗。プ、プラン変更しなきゃ」

 離れた位置に移動した後、なぜかナイフをその場で振るジョーバン。その軌道には見覚えがあった。師匠への一連の攻撃の中で見せた所作だ。

 つまり、ジョーバンのI/Fは自分の行動とその位置を十秒前に戻す、みたいなもんだろう。だったら暗殺も必ず成功するに決まってる。回避されても失敗しても即座にやり直せるんだからな。

「つまんねー女だぜ。何度でもやり直しできたらスリルも何もねーだろ」

 代行者の使命に興奮を求める師匠にとっては嫌いなタイプだったらしい。目に見えて不機嫌な顔になってたよ。あるいは、もっと根本的な人生観が合わなかったのかもな。

「し、失敗したくない。チ、チャンスが一回なんて嫌。せ、成功するまで繰り返すの」

 己が欲をつぶやいて虚飾者が凶刃を振るう。

「こうと決めたらそれで行けよ。後悔してもその一回が全てだろーが! 拾弐神法は九刻──子ノ参・閉塞成冬」

 急に師匠が見当違いの方向に拾弐神法を放った。地面に十二糸を突き立てて即席の柵を作る技。ジョーバンの後ろに背丈ほどの虹色のポールが雑然といくつも立つ。

 明らかに無意味な行動の隙を相手は見逃すわけもねぇ。アゴが汚い無精ひげごとぱっくりと切り裂かれた。俺は思わず飛び出そうとしちまった。ハッ、戦闘の趨勢を見極める目もあの当時は無かったんだな。

「師匠!」

「心配すんなって。もう勝ってんだから」

 カウンターで放たれた拾弐神法・草木萌動がジョーバンの体をぎちぎちに締め付ける。だがI/Fを発動すれば無駄になっちまう。何が勝ちなのかわからなかったよ。

「も、もう一度……お? っ………………」

 案の定、抜け出したジョーバンが十秒前の位置に移動し──そのまま絶命した。

 移動したその位置にあったのは頑強な柵と化した十二糸。生命維持に必須の脳幹を貫通してしまい、ヴァニティを剥離する条件を整えられた。

「戻る位置がわかってんだ。後はそこにトラップを仕掛けりゃ終わりだろ」

 師匠はジョーバンの動きを全て覚えてて、その軌道上に十二糸を設置してた。そして十秒後のタイミングで回避不能な攻撃を仕掛けてI/Fを誘ったということらしい。

「んで蚕起食桑っと。ささっと回収して帰るぞー。抗争に巻き込まれちゃ敵わん」

 使命を果たすやいなや、師匠は窓から飛んで外へ消えた。目的を果たしたら後はどうでもいいってのは終始変わらなかったよ。

 てっきり殺されると思ってたネーズィの唖然とした顔は笑っちまったな。

「何? 貴様らはどこの手の……いや、今は逃げるぞ。来い、カタレナ」

「待ってよぉマイタム! ウチを置いてかないで」

 急いで去って行く麻薬王。ここまで組織の人員を失っては抗争にも勝てねぇだろう。所詮は他人事だが、どこか釈然としねぇものは残った。


 師匠はいつもこんな感じで荒っぽく解決してたな。全てを肯定するわけじゃねぇが、やはり憧れの存在だったよ。

 そうして十数年が過ぎたある日。

「あ、ツレーフ。俺様引退すっから今日からお前が代行者な」

 始まりも唐突だったが、終わりも唐突だったよ。

 十二糸に俺を代行者として登録し終えると、引き留める間もなく行っちまった。

 最初に出会った時点で四十は越えてた感じだったし、ジジイになって世界中を駆け回るのはさすがにキツかったんだろう。

 必要なことは仕込まれていたとはいえ、いきなりの交代だ。最初は失敗も多かった。後を継いでから半年もすると慣れたがな。 

 そして――十一月五日。あの日がやってきた。

 俺は虚飾者の反応を追って南米のスラム街にやってきてた。

 地元警察すらやってこないスラムの奥の奥。そこで地べたに男がだらしなく座り込んでてな。周りには酒瓶や注射器が散乱してた。

「ヤク中のホームレスか」

 そう思ったんで通り過ぎようとしたが、どうにも気になり目の前まで近づいてみたんだ。

 愕然としたよ。自分が誰よりも見知った顔だったからだ。

「…………まさか、師匠? 師匠なのかよ?!」

 一目じゃ気づかなかったのも無理はねぇ。あれだけ壮健だった師匠の体は見るかげなく痩せ衰えちまってたからな。四角い顔も逆三角形に見えるほど頬がこけ、浅黒い肌は土気色。明らかに薬物の影響だった。

 のろのろと顔を上げると、うつろな目にかすかに光が宿った。俺のことがわかる程度にはボケてなかったらしい。

 ──いっそ完全にボケちまってりゃよかったのによ。

「おお……ツレーフ……! 俺様の輝ける日々……! 肉体は全盛、技巧は究め……、ただ一人で世界を救う英雄だった」

「そうだぜ師匠、あんたは強かった。かっけぇ英雄だったろ! なんでだ、なんでこんなザマに……?」

「ダメなんだよ……この世界は退屈過ぎる……! 代行者をやってたのはよー……全部に勝るスリルと充実感があったからなんだ」

 師匠にとって代行者の活動は生きがいだった。引退したからってそうそう代わりを見つけられるわけじゃねぇ。特に師匠みたいなタイプはな。

「もう一度、もう一度だ……。俺様の時代を見てくれよ。俺様はなぁ、こーんなにカッコよかったんだぜぇ?!!」

 ぼろぼろと涙を流しながら絶叫してた師匠を俺は直視できなかった。

 だがそれだけならば──懐古して悲しんでいるだけならば、何も問題なかった。

 異変はすぐ起きる。

 目の前で師匠が十二糸を構えて好戦的な笑みを浮かべていた。ただし、若かりし頃の、だ。現在の落ちぶれた師匠は変わらず座ったまま嘆いている。

「なっ……?!」

 さすがにあのときは混乱したよ。

「かかってきなザコども! 俺様の糸で細切れにしてやるぜ! ──へっ、ぎゃあぎゃあと雄叫びあげやがって、ここは猿山かぁ?!」

 現れたのは過去の師匠だった。かなり若かったから俺が出会う前の師匠だろう。若師匠は一方的にまくしたてると攻撃を仕掛けてきた。

「拾弐神法は三刻──寅ノ初・東風解凍!」

 幻影とか思わなくて助かったよ。とっさに防御したときの手応えではっきりわかった。まともに食らえば死ねる、と。

 そして次に思ったのは、なぜ若い時代の師匠がいきなり現れたのか、だ。──いや、すでにわかってたんだがな?

 過去の自分を現在に持ってくる。こんなあり得ない光景を現出させる代物はひとつしかねぇ。そう頭じゃわかってても認めたくなかったよ。あのふざけた師匠が俺をからかってるだけだと。

 だが──十二糸が自動音声を無慈悲に流しやがった。

「I/Fの起動を検知いたしました。代行者様におかれましては速やかにヴァニティの回収をお願いいたします」

 師匠は虚飾者になってた。

「嘘だろ……。なあ、代行者だったじゃねぇか師匠は。なんで触った。なんで願った……!」

 代行者はあくまで人間だ。ヴァニティに触れれば虚飾者になる。俺だってそうだろう。仮になったとしても能力は使わなければいい。

 だが師匠は使った。使ってしまった。それもドラッグと酒を体にぶち込んだままで。自我が終わった状態で。

 もっとも、とどめになったのは俺の登場だろうよ。ああ、クソ。俺がスルーしときゃ何も起きなかったのによ。落ちぶれた過去の代行者が、元気に代行者やってるやつを目の当たりにしたら、そりゃ心中穏やかってわけにはいかねぇよな。

 なんにせよ師匠は条件を満たしちまった。自我が壊れた状態でI/Fを使えばそいつはF・Iになる。

「おお、おお、おおおお……! 思い出してくれ覚えていてくれ忘れないでくれ……! 俺様の華の時期を……」

 敵と戦っているときの自分。相手が虚飾者であれ何であれ、バイーゴ・ギスタッサという人間にとって人生の極点はそれだった。

 十代、二十代、三十代、四十代、五十代……様々な年齢の師匠が次々と現れては攻撃を仕掛けてくる。

 それは別に俺だけを狙ったわけじゃなく、その辺の建物や置物も破壊しまくってたよ。

 騒ぎを聞きつけた野次馬も巻き添えになった。何人かは死んだ。俺ももう黙って防いでいるわけにもいかず、野次馬に攻撃を仕掛けた師匠の一体へ向かう。

 途中で別の師匠が拾弐神法を繰り出してきたが、全て躱してカウンターを入れた。それがたとえ全盛期のバイーゴ・ギスタッサであっても、何度となく見た師匠の動きだ。俺が躱せぬ道理はねぇさ。

「このっ、やめやがれ!」

 立ちすくんだ野次馬の胴体が真っ二つになりそうだったもんで、とっさにその師匠に致命傷を負わせた。あっさりと血の海に沈んだあと、そいつは影も形もなく消えていったよ。

 実体があっても扱いはただのコピーらしく、過去の師匠を殺すと現在の師匠も死ぬ的なタイムパラドックスは起きなかった。

 野次馬は逃げてったが、暴走は続行中だ。大量のコピー師匠を戦闘不能にしながら、中心にいる今の師匠に近づく。

「師匠……畜生っ!! これじゃあもう……」

 すでに体の半分が黒に覆われ、混沌化が進行してた。

 完全に混沌に還れば師匠はいなかったことになる。俺の記憶からも師匠は消え去る。こうなってしまえば十二糸での剥離もできない。阻止するには殺す以外の手がない。

 攻撃をさばきながら、頭の中で同じ問いを繰り返した。答えは変わらねぇってのにな。

 そうして師匠の前に立った。人生最悪の二択が待ってた。

「ツ、レー……フ…………ツレ……ェ………………」

 俺のことが見えていたのかわからんが、かすれ声で名前を呼んでいたよ。俺の脳裏にまるで走馬灯のように思い出が浮かんできた。死にそうなのは師匠の方だってのにな。

 師匠との思い出を守るためには、師匠を殺さなきゃならねぇ。ハッ、ここまでクソな二択もねぇよな。

 頭が真っ白になった。

 どちらを選んだかは思い出せねぇ。だがどうでもいいことだ。

 結果は最初に言ったとおりだからな。

「うあ、あ、あ……、クソ、クソ……クソおおおおおおおおおおおおっ! うおあああああああああああああああああーーーーーーーーーっ!!!!」

 気づけば師匠の首が転がってた。


 ──記憶が混濁したのか、時折思い出すあのときの光景には師匠の死体で埋め尽くされてんだ。俺が殺してしまった、な。


 6


 語り終えたツレーフは、煙草に火を点けようとする。ライターの火はなかなか点かなかった。

 吐いた煙をしばらく無言で見つめた後、ぼそぼそと言葉を紡ぐ。

「……馬鹿なジジイだぜ。あの瓦礫と焼け跡の国で、俺なんて見殺しにすりゃよかったんだ。こんな悪党を弟子に取るから、代行者の座を奪われ、挙げ句ぶっ殺されちまうハメになる」

 その独白をアサギは目を閉じたまま、ただ黙って聞いていた。

 ツレーフは火が点いたままの煙草を火傷に構わず思い切り握りつぶす。そして、拳を震わせ、誰にでもなく問いかける。

「なあ、そうだろ? 煙草吸いまくって、ジャンクフードばっか食って、こんだけ口の悪いやつなら、親同然の先代から生きがいを取り上げ、命を奪って当たり前だよなあ……!? でなきゃ俺は……、俺は……!」

 混沌に還ったものはこの世界になかったことになる。ヴァニティによって過去は消失しうる。

 だが、ツレーフの過去は確かに現在へつながっている。現在から過去を変えることはできない。精一杯の悪いことをしたとしても、生まれながらの悪党になることなどできないのだ。

「いやはや、随分と転倒してますねぇ迷走してますねぇ。そこまで真剣に過去を気に病めて――気に病めるような過去があって羨ましい限りです」

 漂う重い空気を意に介さず、あくまでも愉快そうな表情を崩さないイーマユーガ。しかし、その口ぶりは本当に羨望が混じっているように思えた。

 沈黙が、流れる。

 やがてアサギがゆっくりと目を開け、立ちつくすツレーフの背中へ言葉をぶつける。

「改めて言うわ──いい加減にしなさい」

 ツレーフがゆっくりと振り返り、淀んだ目を向ける。

「あなたは勘違いしている。贖罪のつもりなのでしょうけれど、それはただ自分を痛めつけて暗い自己満足に陥っているだけよ。端的に言えば、現実逃避」

「…………俺は逃げてなんかいねぇよ。逃げられるものかよ、あの目の前に起こった現実から」

「いいえ、逃げている。目を背けている。曖昧な罪悪感の中に逃げ込んでいる。事実が何かを認めることを拒んでいる」

「事実はひとつっきりしかねぇだろうが! 俺は未練を残す先代から代行者の座を奪って殺した。殺したんだよ……!」

 子供の容姿に似つかわしくない、容赦なく問いただす目。アサギの確信を持った追及にツレーフがいらだちを見せ始める。

「そう。代行者の仕事に未練は残していたのでしょう。でも、彼は大人だった。子供のような駄々をこねなかった。だから使命を果たせなくなる前に、後継者へ道を譲ったのよ。奪ったなどと形容することは侮辱に他ならないわ」

 悲鳴にも等しいツレーフの曲解をひとつずつほぐしていく。

 代行者の立場を独占したいならば、最初から後継者など探さなければよかったのだ。理不尽で粗雑な男だったが、いずれ来る終わりには気づいていたのだろう。時が来たらグズグズせずにさっぱりと引く。そして自分の持ち物を次代へと譲り渡した。

「違う……! 俺は師匠を侮辱などしちゃいねぇ! ただ俺は師匠をあんな風にした俺が許されちゃいけねぇんだと……!」

 ツレーフはポニーテールが左右に振れるほど大きく首を振って否定する。だんだんと語勢が強くなっていく。

「あなたの師匠は、あなたにそう言ったの? ツレーフ・サロゲートのせいで心身はやつれ、落魄してしまったのだと。──事実として、再生された音声の中で彼は一言もそんなことを言ってはいなかった」

 ツレーフが引きつったような声を出して黙る。麻薬と酒で朦朧としているときでさえ、F・Iになり混沌に飲まれつつある中でさえ、バイーゴはツレーフを全く責めなかった。もし一言でもあれば、ツレーフの記憶に刻まれていないわけがない。

 そのことが、バイーゴが自らの選択の結果を受け入れていたことの何よりの証明であった。

「バイーゴさんは何ひとつ決められない子供ではないわ。どれだけ落ちぶれようと、その末路もまた自分で選んだもの。あなたはたまたまその介錯をしただけ」

「──っだから! それが受け入れられねぇってんだよぉ!」

 ツレーフが怒号混じりに十二糸をムチのようにベンチに叩き付けた。プラスチックのベンチが砕け、破片が飛び散った。イーマユーガが棒読みで、きゃあーと声を上げる。

 ツレーフはその反応を無視する。もはやその程度のおふざけに付き合う余裕すらなかった。

「ああ認めるよ! 代行者の座はまっとうに譲られた! 師匠が落ちぶれたのも自業自得だ! だが、俺がこの手で師匠を、育ててくれた人を殺めたことは何も変わらないんだ!」

 目を血走らせ、心中深く沈殿した澱をぶつけるようにツレーフは叫んだ。これだけは否定できない。否定させないのだという意志に満ちていた。

 激情的になるツレーフと対照にアサギはどこまでも静かに佇む。ぶつけられる全てを小さな体で受け止め、ただまっすぐに向き合う。それは子供というよりも大人。もっと言えば──親のそれだった。

 アサギは言葉の端々に真剣さをにじませながら、諭すようにゆっくりと言葉を紡いでいく。

「腑分けてしまえば、あなたが囚われているのはたったひとつ。事実として──あなたは親同然の人を殺した。それを慰めようとは思わないわ。あなたの辛苦に憐憫は当てはまらない」

 思わぬ肯定にツレーフの激情がわずかに緩む。

 そこへ決然とした言葉が突き刺さる。

「親を手にかけたことを一生背負いなさい。自分の行いによる結果を受け止め、飲み込み、その上であなたは前へと踏み出さなければならない。重荷を背負わされたとしても、その身を削りながら進み続ける。人間になるとはそういうことなのよ」

 まるで見てきたかのように、揺るぎない確信を持ってアサギが断言する。

「…………………………」

 ツレーフは何かを言いかけ、途中で口を閉じる。開きかけた手の指が答えを探すように微動する。忙しなく動く目が心中を表していた。

「誰も彼もが忘れてしまったとしても、過去は人を縛り続ける。自分だけの解を持ちなさいツレーフ・サロゲート。あなたはもう子供のままではいられないのだから」

 アサギは最後にそれだけ言うと、逃げ道を求めようとするツレーフへ最後通牒を突きつけるように、くるりと反転して駅舎を出て行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る