戦いの狼煙
二日後。
曹操が入り浸っている館で、典韋は門番をしていた。
完全武装した姿で立ち微動だにしない姿は、さながら石像の様であった。
曹操の護衛の為とは言え、一人でずっと立っている事が暇なのか、欠伸が出そうであったが、噛み殺していた。
そんな典韋に、男が近付いて来た。
「お尋ねし申す。貴方が典韋殿か?」
「そうだ。お前は何用で此処に参った」
典韋の問い掛けに男は張繍の使者と名乗った後に、懐から手紙を出した。
典韋はその手紙を受け取り広げ、中身を見た。
手紙には、豪傑と謳われる典韋と一献交わしたいので、宴席に出てくれる事を願うという内容が書かれていた。
「ほぅ、私を宴席に?」
「はい。殿は是非にと」
使者がそう言うのを聞き、典韋は頭の中で少し前に曹昂に言われた事を思い出した。
『どうも、張繍は密かに父上を討つつもりのようだ』
『何とっ‼』
『その内、張繍が典韋殿に宴席を設けるので、参加して欲しいと言ってくるだろう。それは、典韋と父上を切り離す罠だと思ってくれ』
『罠ですか。自分は何をすれば良いのですか?』
『張繍が典韋殿を館から引き離す為に宴席を設けるだろう。その席で酔ったフリをして、敵の目を誤魔化してくれ。後は……』
『成程。分かりました』
会話の内容を思い出した典韋はその通りにする事にした。
「承知した。明日は非番なので喜んで参るぞ」
「はっ。我が主もお喜びでしょう」
使者はそう言って、一礼し離れて行った。
使者を見送った典韋は、曹操の下に向かった。
庭に入ると、鄒菊が胡弓を弾いて、曹操が胡弓の音色を聞きながら酒を飲んでいる所であった。
「殿。お話があって参りました」
庭先に入り、その場で得物を地面に置き跪いて声を掛ける典韋。
典韋の声が聞こえるなり、鄒菊は演奏の手を止めた。
演奏が止まり、曹操は少しだけ不快そうな顔をしたが、典韋が来たので庭へ顔を出した。
「典韋。此処には出来るだけ近付くなと申したであろう」
「お楽しみの所をお邪魔して申し訳ありません。ですが、少々所用が出来ましたので、護衛の任から離れますので、その事をお伝えに」
「なに? 何処に行くつもりだ?」
「城外の布陣している我が軍の陣地です。夏候将軍が話したい事があるとの事で、呼び出されました」
「そうか。分かった。直ぐに戻って来い」
「はっ。畏まりました」
典韋は一礼すると、得物を持ち庭先から出て行き、そのまま陣地へと向かった。
その典韋が陣地に向かっている最中に、張繍が曹操を訪ねた。
張繍は、自分が降伏した事を良しとしない者達が逃げ出して困っていると申し出て来た。
その話を聞いた曹操は、張繍は部下の統率が出来ていないのだと内心で嗤った。
同時に、先日張繍の部下達が命じられていないのに攻撃を仕掛けた理由が分かった。
曹操は、もう張繍を取るに足りない人物だと判断した。
なので、自分の兵で警備に当たり、兵の逃亡を阻止しろと命じた。
そう命じるなり曹操は張繍の話を打ち切り、鄒菊が居る部屋へと向かった。
曹操の背を見送った張繍は、笑みを浮かべた。
翌日。
典韋は、張繍の宴席に参加していた。
無論、必要最低限の武装を身に着けた状態で官服を着こんでだ。
張繍は典韋が武装していない事にほくそ笑みつつ、宴席へと案内した。
そして、上座に典韋を座らせ、その隣に張繍は自分の席を用意した。
手を叩き、宴を始めた。
張繍は美辞麗句を並べ立てて、典韋を褒め称えた。
と同時に、酒を注いで酔わせる様にした。
典韋も褒められる事が、満更ではない様な顔をしつつ酒を飲んでいた。
昼から始まった宴は日が暮れる頃まで続いた。
その頃には、典韋は顔を赤くし、足元がおぼつかない程に酔っていた。
それを見た張繍は自軍の中でも随一の強者と言われる胡車児と言う者に、典韋を曹操が居る館まで送らせた。
典韋を背負いながら胡車児は歩く。
「わははは、今日は愉快な気分だ」
酒をたらふく飲めて気分が良いのか笑う典韋。
「それは良かったですね」
胡車児は典韋の言葉に律儀に答えた。
「おぬし、せがおおきいのう、わたしとかわらぬではないか」
「ええ、そうですね」
「かみは、あかいな。どこのしゅっしんだ?」
「涼州です。あの地は異人が多く暮らしているので、私もその血を引いているのです」
「なるほどのう。そういえば、なまえをきいておらんかったな。なんというのじゃ?」
「これは失礼。私は胡車児と申します」
「おお、そうか。おしえてくれてすまぬな」
「いえいえ、ああ、そろそろ。館が見えて……っ⁉」
胡車児は館の門を見るなり、言葉を失った。
鄒菊の館には曹操が入り浸る様になった事で、館には典韋が寝起きする部屋があった。
その事については、張繍から事前に聞いていたからか、胡車児は案内する事を不審に思う事はなかった。
だが、今その館の門には完全武装した集団が立っていた。
その集団の中で門を守る様に立っている男を一目見て、胡車児は思った。
(何だ。あいつは? 立っているだけで隙が無い事が分かる。その上、強いぞ)
胡車児も張繍軍で随一の猛者と言われるだけあって、一目見て、強いのかどうかを見抜く眼力を備えていた。
そして、門を守っている男は典韋と同じ位強いという事を胡車児は悟る。
(これでは、張繍様に言われた命令が果たせぬ)
胡車児が張繍から命じられた事は、酔った典韋を館に運び、その際典韋の得物を奪ってこいという物であった。
典韋を館に運んでも、得物を持って館を出ようものならば、即座に門を守る者達に見つかる。
そうなれば、自分は間違いなく殺される。
それが分かっている胡車児はどうするべきか悩んだ。
そう悩んでいると、先程までしたたかに酔っ払っていた典韋が、胡車児の背から降りて立ち上がった。
「えっ?」
典韋が降りた事に驚く胡車児。
そんな胡車児に構わず、典韋は門で番をしている者の所まで来た。
「済まんな。許褚。私が居ない間、殿の護衛をしてもらって」
「いえ、典韋殿の頼みですから」
典韋に頭を下げる許褚。
頭を下げた許褚は胡車児を見た。
「あの者は?」
「張繍が送り込んだ手の者だ。張繍にバレると面倒だ」
「承知」
典韋の言葉を聞いた許褚は部下に合図を送った。
すると、部下達は弓を構え矢を番えると、鏃を胡車児に向けた。
「ひっ、お待ち」
「射ろ」
許褚の命令に従い兵士達は矢を放った。
放たれた数十本の矢の殆どは胡車児に命中し、全身に矢が突き刺さっていた。
全身に矢が突き立った胡車児は驚愕の表情を浮かべたまま、仰向けに倒れた。
「悪く思うな。これも任務なのでな」
典韋は死んだ胡車児にそう言って館に入り、自室に行くと鎧兜を纏い得物を持つと、門からただ事ならぬ喚声が聞こえて来た。
典韋は急いで門へと向かった。
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