ようやく戻って来た。

 魯陽を出立した曹昂達は少し進むと、乗っている馬車から降りて袁玉は別の馬車に、曹昂は馬に乗り換えた。


 先程まで乗っていた馬車は、あくまでも魯陽の人達に袁玉と曹昂の姿を見せる為に乗っていただけの物であった。


 傘しか付いておらず、風除けもないので長距離の移動には不向きであった。


 見せる人達が居なくなれば、降りるのは当然の事であった。


 後は、曹操が駐屯している野王県に着く前にもう一度乗れば良いのであった。


「……はぁ」


 曹昂は馬に乗るなり息を漏らした。


「どうした? もう、袁術の娘を娶った事が嫌になったか?」


 疲れた様な顔をしている曹昂に、夏候惇は近付き話し掛けてきた。


 馬車に乗って、少し進んだだけで疲れる事など無いだろうと思っている顔をしていた。


 そんな夏候惇の顔を見るなり、曹昂は首を振る。


「これからの事を思うと、気が重くて……」


 先程、袁玉が乗った馬車には、世話役として貂蝉と練師が乗っていた。


 それに加えて、普段は馬に乗っている董白も馬車に乗り込んでいた。


 曹昂が袁玉を馬車に連れて行く時に、三人が馬車の中に居たのを見てギョッとした。


『後は私達にお任せを』


 と貂蝉がそう言って、袁玉の手を取り馬車の中に入ってしまった。


 自分も馬に乗らないといけないので、馬車の中で何が起こっているのか気になって仕方が無かった。


「ははは。まぁ、練師という子は知らんが、董白と貂蝉の二人なら大丈夫だ。馬車の中で袁術の娘を虐げる様な事はしないだろう」


「だと、良いんですが……」


 練師から聞いた話で、偶に自分が見ていない所で董白と貂蝉が口論していると、曹昂は聞いていた。


 そんな感じで、陰湿な嫌がらせとかしないだろうかと思ってしまった。


(…………いや、待てよ。よく考えてみたら董白は竹を割ったような性格だし、貂蝉は根は悪い子でないから、逆に仲良くなる可能性もあるのか?)


 少し考えると、曹昂は二人が別に陰湿な事はしない気がした。


 しかし、今馬車の中で何を話しているのか気になっていたが、それは杞憂に終わった。


 夜。野営をしていると、貂蝉達が袁玉と楽しく話しているのを見たので、我知れず安堵の息を漏らしていた。




 それから更に数十日後。




 河内郡の野王県の県城。


 城内にある一室。


 その一室にて曹操は郡政を行っていた。


 河内郡に駐屯している事で、各地から多くの人が集まっていた。 


 お蔭で軍は日々大きくなっていく。ただ、大きくなっていくだけでは駄目なので、来た者達には訓練を施していた。


 来た者達全て兵士になるという訳ではなく、中には文官になるという者も居るのでその者達にも、能力に合わせた仕事を割り振っていた。


 それでも、一つの郡の政事を行うので、大変な量であった。


 竹簡が山の様に積まれているが、曹操は黙々と仕事を片付けていた。


 山は順調に減っていくのだが、曹操の顔は少しも明るくならなかった。むしろ、時が経つごとに不機嫌になっていった。


 竹簡を運ぶ官吏達は、曹操がどうして機嫌が悪くなっているのか分からなかった。


 どうして、機嫌が悪いのか聞こうにも、聞けば斬られそうな雰囲気を出していたので皆、聞くに聞けなかった。


 そんな戦々恐々な雰囲気で、支配される部屋に兵士が入って来て跪いた。


「報告っ。太守。見張り台からの報告です。南方から何処かの軍勢が我が城に向かって進軍しているとの事ですっ」


 報告に来た兵士の話を聞いた官吏達は、ざわつきだした。


「静まれ」


 曹操は冷静にだが、有無を言わせず刃の様に鋭い言葉で、官吏達を静かにさせた。


 そして、報告に来た者に質問した。


「旗は何と書かれていたか分かるか?」


「は、はっ。まだ距離が遠いので、確認が出来ずとの事です」


「愚か者‼」


 曹操は立ち上がり怒号する。


「旗を確認しないのでは、敵か味方かも分からないではないかっ。早く、確認させろ!」


「は、ははぁっ」


 曹操の怒声を聞いて、兵士は怯えながら返事をして部屋から出て行った。


 その兵士を見送ると、曹操は官吏達に戦の準備をする事と、部将達を呼んでくるように命じた。


 官吏達はその命令に従い、主だった部将達を呼んで曹操が居る部屋へと向かわせた。


 集まったのは夏侯淵。曹純。曹仁。曹洪。史渙。李乾であった。


 曹操は集まった者達を睥睨すると、口を開いた。


「話は聞いているな。何処かの軍がこの城に近付いてくると報告が来た。それで皆に訊ねる。もし、戦となれば籠城か。野戦かを」


 曹操がそう訊ねると、集まった者達が口を開く前に兵士が報告に来た。


「報告。南方から来る軍勢に掲げられている旗は『夏候』『韓』『邢』『甘』『典』『曹』『袁』の字の旗が掲げられているとの事です」


 兵士の報告を聞いた曹操達は、安堵の息を漏らした。


 最初の『夏候』の字で既に率いている軍勢が、夏候惇という事が分かったからだ。


「『韓』『邢』『甘』『典』は誰なのか知らないが。『曹』は多分、曹昂だよな」


「恐らくは」


「此処に来るまでの道中で合流したのかもな」


「あり得るな。しかし『袁』の字の旗はどういう事だ?」


「分からん」


 夏侯淵達は話をしていると、曹操は立ち上がった。


「何にせよ。夏候惇と息子が帰って来たのだ。喜ぶべきであろう」


 曹操は、先程まで浮かべていた不機嫌そうな顔と打って変わって喜んだ顔をしていた。


 曹操が機嫌が悪かったのは、そろそろ夏候惇達が帰って来る頃だが、何の音沙汰も無いので心配なだけであった。


「さて、では、皆で出迎えるとするか」


 曹操がそう言って、皆を連れて行こうとしたが、ふと何か思い立ち足を止めた。


「そう言えば、夏候惇はどれだけの数を率いているのか分かったか?」


「はっ。見張り台からの報告だと、凡そ一万との事です」


「「「「…………えっ⁈」」」」


 曹操達は、自分達が揚州で募った兵よりも多くの兵が居る事に驚きを隠せなかった。

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