別行動

 婚姻の話が決まったので、袁術は意気揚々と陣地を後にした。


 その背を見送る曹操達。


 袁術の一団が見えなくなると、曹操は曹昂と夏候惇を呼んだ。


「何の用で呼んだのでしょうね?」


「さてな。孟徳の考える事だからな。何かしらの考えは有るのだろうがな」


 曹昂達が話をしながら、天幕の前まで来た。


 天幕の前に居る兵が、曹昂達を見ると幕を手で開けて中に入る様に促した。


 曹昂達は天幕の中に入ると、其処には曹操だけ居た。


「来たか。二人共。座れ」


 用意された席に座る曹昂達。


 二人が座るのを見た曹操は、軽く息を吐いた後、話し始めた。


「この後も準備があるから手短に話すぞ。お前達には頼みがある」


「頼みですか?」


「何を頼むつもりだ? 孟徳」


 どんな頼みをするのか気になり、唾を飲み込む曹昂達。


「お前達は暫くの間、私と別行動をとってもらう」


「別行動?」


 曹昂は見聞を広めたいと言っていたので問題は無かったが、夏候惇まで別行動を取るように言うとは思わず曹操を見る曹昂。


「うむ。曹昂は荊州から益州で、夏候惇は各地を回って人材を探してまいれ」


「人材?」


「そうだ。兵の募集が上手くいかなかったからな。その代わりに人材を得るべきだと思ってな」


「其処で私と曹昂に勧誘をさせるのか。私は分かるが、何故曹昂にまでやらせるのだ?」


「息子の見聞を広めさせたいと思ってな。それに私と行動を共にさせるよりも、別行動させる方が、こいつも羽を伸ばせるだろうし良いだろう」


「どういう意味だ?」


「知らんのか? 此奴、私達と合流する前に野盗に襲撃された村を救援に行って其処で孤児を拾って、自分の侍女に迎えたそうだ」


「…………やっぱり、お前の息子だな」


 夏候惇は、何かに納得した顔をしていた。


(何か、心外な事を思われている気がする)


 夏候惇の顔を見ると、そんな思いが浮かんだ曹昂。


「……話は分かったが、私は良いとして曹昂の護衛とかはどうするのだ?」


「そうだな。精鋭の兵を百人程付ければ良いだろう」


「多いわっ。せめて、十人にしろ」


「……少なくないか?」


 曹操は護衛の数を聞いて、心配そうな顔をする。


「父上。僕もそれぐらいで良いと思います」


「お前がそう言うのであれば……」


 と言いつつも、まだ納得していない顔をする曹操。


「流石に、それ以上の数を連れて行けば、面倒な事になりますから」


 百人程の人数を連れて行けば、目立つ事この上ない。


 それが分かっているので、曹昂は人数を減らす様にしてもらった。


「……ふむ。仕方がない。だが、半年だ。半年を期限にしろ。半年経ったら河内郡に帰って来い」


「分かりました」


「兵は募兵しなくても良いのか?」


「そこら辺はいい。それに集まるとは思えないからな」


「了解した」


 話は、それで終わりとばかりに夏候惇は立ち上がり天幕から出て行った。


 曹昂はまだ話があるのかその場に残った。


「曹昂。まだ何かあるのか?」


「実は先程、話に上がった子の事なのですが」


「お前が侍女にしたのだから、お前が面倒見ろ」


 曹操は曹昂が言う前に釘を刺した。


「いや、流石に一緒に連れて行くのは」


「お前は侍女は貂蝉一人だろう。もう一人ぐらい居てもいいだろう」


「しかし、流石に」


「私が連れて帰ったら、薔に何と言われると思う?」


 曹操にそう言われて、曹昂の脳裏に鬼の様な形相の丁薔の顔が浮かんだ。


「私の侍女にするつもりがないのに、連れて行けば何と言われるか容易に想像出来るだろう?」


「…………分かりました」


 これは、連れて行かないと駄目だと判断した曹昂は溜め息を吐いた。




 十数日後。




 袁術から文が届いた。


 挨拶や前向きなどが、沢山書かれていたが、内容は『仲介の件が上手くいった。後はお主が劉表の下に向かい、通行の許可を貰えば良い』と書かれていた。


 その文を読んだ曹操は、直ぐに出発準備をさせていた軍を連れて、荊州の州治を行っている襄陽へと向かった。


 本来、荊州の州治は漢寿で行うのだが、荊州刺史であった王叡が死んだ時の混乱で行く事が出来ず、最初は宜城に入った。


 其処で配下の者と図って不穏分子を鎮圧し、荊州北部を支配下に治める事に成功し襄陽で州治を行うようになった。


 文が届いてから数日後。


 曹操達が襄陽に辿り着いた。


 余計な誤解を生まない為、兵は夏候惇達に任せて城門の外で待機させて、曹操は曹昂と護衛の兵百騎程つれて城内に入った。


「此処が襄陽か……」


 城門を潜り城内に入った曹昂は、目の前に広がる光景を見て感心していた。


 歩いている人達は明るい顔をしながら談笑しており、道端に居る露天商からは自分の商品の凄いところを、店の前に居る客達に教えていた。


 道を歩いている人達の多さは、都であった頃の洛陽に負けない位であった。


(長い戦乱で有識者や多くの人達が荊州、益州に流れて来たって何かの本で読んだけど本当だったんだな)


 人の多さは、本に書かれている通りだなと思う曹昂。


「曹昂。この襄陽は素晴らしい所だな」


「そうですね。乱世の中にあって、これだけ多くの人達が、笑顔で往来を歩いているという事は、それだけ政治が上手に回っているという事ですからね」


「そうだ。劉表は戦よりも政に長ける御仁の様だ。流石は『八及』の一人か」


 曹操も劉表の治世の手腕は素晴らしいと褒めていた。


 この『八及』とは党錮の禁という弾圧事件で、宦官に弾圧された名士達の中でそれぞれ位階の一つであった。


 『八及』の他にも『三君』『八俊』『八顧』『八廚』がある。


 余談だが、曹操の友人である張邈は『八廚』の中に名を連ねている。


「反董卓連合軍に参加した時は、戦果らしい戦果を上げたという話は聞きませんでしたね」


「うむ。まぁ、政にも戦にも強い者など、そうそう居ないという事だな」


「そうですね」


 心の中で、貴方はその両方に長けている珍しい者ですけどねと曹昂は思った。


 


 曹操達は襄陽の政庁へと辿り着いた。


 庁の正門前に連れて、来た護衛の兵を置いて、政庁に入った。


 案内の者に連れられて、通された部屋には男性が二人いた。


 そして、上座に座っている男性が曹操達を見る。


「よう参った。孟徳殿。こうして会うのは反董卓連合軍の軍議の場の時以来か」


「そうだな。景升殿。ご健勝で何よりだ」


 曹操は自分に声を掛ける者に一礼した。


 その者は劉表。字を景升という者だ。


 四十代後半で堂々とした威容をしていた。


 身の丈八尺約百八十センチほどあった。口髭にも顎髭にも白髪が混じっていた。


 見事な歳の取り方をしたのか、威厳のある風貌をしていた。


 もう一人の男性も、景升と言われた者にも負けない位の身の丈をしていた。年齢は劉表に比べると、十歳ほど年下の様に見えた。


 違うのは、こちらの男性の方が腕や足などは太く、厚い胸板で逞しい体躯の持ち主であった。


「景升殿。こちらの男性は?」


「この者はわたしの側近で名を蒯越。字を異度という者だ」


「お初にお目にかかります。孟徳殿」


 劉表に紹介された蒯越は曹操に一礼する。


「これは、ご丁寧にどうも」


 曹操も返礼すると、曹操は劉表に向き直った。


「景升殿。袁術から話を聞いているだろう。どうか、通行を許可して貰えないだろうか」


 曹操は世間話も回りくどい言い回し等もしないで直球で本題に入った。


「……ふむ。話は聞いている。しかし、私は袁術と仲が悪い袁紹殿と親しくしているのでな。もし、通せば袁紹殿が何を言うか分からんのだ」


 これは、遠回しに通行を許可しないと言っている様な物だが、曹操は特に何とも思わない顔をしていた。


「ふむ。私は袁術とも袁紹とも親しくしている。だから」


 曹操は懐に手を入れて手紙を出した。


「お主の手からこの手紙を袁紹に届けてくれないだろうか。これを袁紹が読めば間違いなく私を信用してくれるだろう」


「……ふむ」


 曹操がそこまで言うので、その手紙には何かしらの大事な事が書かれているのだろうと劉表は察した。


 その手紙を含めて曹操をどうするべきか考えていると。


「殿。少々、お耳を」


 蒯越が劉表の下に近付き小声で何事か話をした。


 その話を聞いて劉表は何度か頷き、そして考えた。


「……良かろう。その手紙を私の手で届けよう」


「それは助かる。だが、という事は」


「うむ。通行を許可しよう」


 劉表の口から通行を許可してくれたので、曹操は安堵の息を漏らした。


「では、お頼み申す」


 曹操は一礼した。




 曹操達は政庁を出て護衛の兵達と合流すると、馬に跨り城外に待たせている夏候惇達に合流する為に馬を進ませる。


「上手くいきましたね」


「だな」


 馬を進ませながら曹操達は並びながら話をしていた。


「劉表はあの手紙を読むであろうか?」


「まず間違いなく読むでしょうね」


「ふふふ、劉表はあの手紙の内容を見て喜ぶであろうな」


 曹操はほくそ笑んだ。


 手紙には、袁術に姻戚の関係を結ぶ事が書かれていた。


 だが、それだけでは無く袁術が、これからも何かしらの行動を取る時は、その情報を袁紹に送ると書いてあったのだ。


 友好関係である袁紹に利する事が書かれているので、劉表も喜んで手紙を送ると思われた。


「手紙にはそう書きましたが、情報を送るのは時々で良いと思います」


「袁術の情報を袁紹に流して信用を勝ち取り、その信用で袁紹の情報も得て袁術にも情報を流すか。まるで、二人を両天秤に掛けているようだな」


「悲しい事ですが、僕達の勢力はまだまだ弱小勢力です。袁紹と袁術のどちらかに誼を通じて、攻撃されない様にしないといけません」


「確かにな。私達が拠点にしている河内郡は董卓の勢力に近い所にあるからな。袁紹達と揉めている時に、董卓に攻められては目も当てられないからな」


 そういう事は起こらないだろうと思うが、曹昂は何も言わなかった。


「お前はどこら辺で別行動を取る?」


「そうですね。襄陽で別れて良いですか?」


「……そうだな。護衛は選抜した者達を連れて行けよ」


「分かりました」


 曹操達が城外に着くと曹昂は貂蝉、董白、練師と護衛の兵十名程連れて曹操達と別行動を取った。

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