第12話 笹鳴き山の交番①
その「交番」は、びっくりするほど貧相だった。
ひとことで言うと、掘っ立て小屋。
木漏れ日に警察章がきらめいていなければ、バスの待合所か物置だと思っただろう。
窓にはアクリル板がはまっているものの戸口にはドアもなく、風雨にさらされた床板が今にもはがれそうに波打っている。
軒下に並んでいるのは雪かきスコップ、シャベルと鍬。バケツ。
制服のおまわりさんがひとり、小さな机に向かっているのが、むしろシュールに見えた。
「なにしてる。早く行けよ」
小さい破壊神が、頭の横でせかす。
しかしメイは大きな樹の幹に隠れたまま動けず、緊張に拳を握りしめる。
「だって……だ、だって、おまわりさんに話しかけるなんて、生まれて初めてで」
零課の研修では制服を着た職員には会わなかったので、なんとかなったけれど……。
「それがどうした。おまえにはあれが、近づくと噛みつく生き物にでも見えるのか」
「そ……そんなことはないですけど……」
「だったらさっさと行けっ」
スサノオの高まるいらだちがチリチリと肌を刺す。今にも後ろ頭を蹴られそう。
メイは観念して、道へと踏み出した。
周囲を林に囲まれた、車一台通るのがやっとの狭い道だ。
ガードレールもなく、路上は小石だらけ。歩くとじゃりじゃり音がするので、
「お」
おまわりさんはすぐ、メイの接近に気づいて顔をあげた。
悪いこともしていないのに反射的に身をすくめてしまうメイをよそに、ぱっと顔を輝かせ、いそいそと外に出て来る。
「零課の人だね? せっかくの日曜に、こんな田舎まで来てもらって悪いねえ」
思ったよりずっと気さくなおまわりさんの声音と身ぶりに助けられ、メイはかろうじてぴょこん、と頭をさげることに成功した。
「あ、あの……あの……ぜ……零課の
挨拶の声は震えて細く、しりつぼみ。しかもやりすぎなほど深くお辞儀しながらもごもご言うのだから、相手には半分も聞き取れなかったにちがいない。
おまわりさんは吹き出した。
「きみ、そんなものすごい神様連れてるのに、もしかして妖怪より人間が苦手なの」
「いっ……いえ、そんなことは……」
あ、このおまわりさん、「見え」る人なんだ?
少しだけ気が楽になる。
「いちおう、身分証を拝見」
「あ、はい」
あわてて警察手帳を渡して確認してもらいながら、メイは心配事を口にする。
「すみません、あの……今日はこちらの交番を、その、い、一日あずかるようにと言われて、その……来た……んですけど……わた……わたし、こんなかっこうで……」
服装は学校の制服で可、という指示に従っただけなのに、いざセーラー服でこの場に立ってみるとやはり、場違いすぎて動転してしまう。
(やっぱり、なにかの間違いなんじゃ……わたし、まだ高一だし、警察学校行ってないし、交番業務ってなにすればいいかも知らないし……なのに係の人、いいから行きなさい、って……)
なんにも聞いてくれなかった、と思い出すだけで泣けてきてしまう。
うつむいたきりなにも言えないメイを前に、おまわりさんがはたと、膝を打った。
「おっとしまった! 悪い悪い、先にこいつを渡さないと」
胸もとからなにかをはずす仕草をするが、なにをいじっているかは見えない──と思ううちに、「それ」がはずれると──
「!」
唐突に「おまわりさん」は腰の曲がった、小柄なおじいさんに変わった。
警察官の制服制帽姿だと思ったのに、今はセーターの上に仕事着っぽいカーキ色のジャンパーを着こみ、毛糸の帽子をかぶっている。
ぽかんとしているメイに、おじいさんは安全ピンつきのビニール名札を差し出した。
「これ、服につけといてください。どこでもいいから」
という声も、さっきよりずっとしわがれ、お年寄りっぽい。
受け取ったビニール名札には、幼児みたいなたどたどしい字で〈おまわりさん〉と手書きした紙が入っていた。戸惑うメイに、おじいさんは顔をしわくちゃにして笑う。
「この名札つけてりゃ、他の人にはちゃあんと〈おまわりさん〉に見えっから。安心して」
「わ、わたしでも? ほんとうに……?」
「ホント、ホント。さっきまでアタシもちゃあんと、おまわりさんに見えてたでしょ」
「はい。ただそのもっと……お若い方かと」
「ハハァ、そりゃまあ普通の警察官は、この歳ならとっくに現役引退だから。そのへん、うまいことごまかしてくれんのが、この名札のすごいとこな」
「なるほど……」
半信半疑で安全ピンを制服の胸に留めつける。
「神納さんはまだ学生さんだから、それつければ年上の、おとなの婦警さんに見えるようになるはず……あ、婦警さんになった、なったよ! 鏡、見るかい?」
交番の中に戻って、壁にヒモでぶらさげてあった小さな手鏡を持ってきてくれた。
もしかするとこのために、常備してあるのかもしれない。
渡された手鏡をおそるおそるのぞきこんで、メイは目を丸くする。
ほんとうに婦警さんだ!
髪の質も顔だちも基本はメイのままだけれど、すっかりおとなになっている。
眼鏡はかけていない。長い髪もおさげに編んで左右で輪にする代わり、凝った編みこみでアップにしていて……とても落ちついた女性に見えた。
鏡を動かして確認すると、当然背ものびている。
バストも「お母さんほどはいらないけど、せめてこれぐらいは……」とふだん夢見ているぐらいには育っていて、婦警さんの制服がりりしい。
「わあ……!」
理想の未来を見るようで、ついつい手鏡に見入ってしまうメイに、若いおまわりさん……に「化けて」いたおじいさんがまた、吹き出した。
「わかるわかる、おもしろいよねえ。けど、そろそろ仕事の話していいかい」
「あ……は、はいっ。すみません」
赤くなって恐縮し、あわてて手鏡を返すメイの横で小さな破壊神がふん、と鼻で笑う。
「いったいどんな姿に見えたってんだ? そんなに見とれるほどか」
「えっ? スサノオにはわたし、いつもと同じに見えてるんですか?」
言いながら自分の服装を確かめると……
「?」
着て来たままのセーラー服しか見えなかった。
長袖の冬服と、ちょっと肌寒いからとはおってきた、学校指定のカーディガン。制服の胸に〈おまわりさん〉と手書きされたビニール名札が留めてあるだけ。
「言ったでしょう、『他の人には』おまわりさんに見えるよ、って」
言われてやっと、メイも仕組みを理解する。
「あ! 自分の目には、自分のままに見えるんですね!」
「背丈や腕の長さが自分でわかんなくなると、動きづらいでしょう。名札が見えなくなっちゃったら、はずすのもひと苦労だしサ」
「そ、それは……そうですね」
「ちなみに、そっちの神さまみたいな、人じゃない方々にホントの姿がそのまま見えるようになってるのは、もののけさん相手に姿を偽ると、信用されないから」
「もののけ……さん」
聞き慣れない言い回しについ復唱してしまうメイに、おじいさんはうなずいた。
「この交番は、言ってみればまあ、もののけさんのための交番なんですわ。人間もまあ、たまぁには来るけど、せいぜい年にひとりかふたり、道を聞きに寄るていどです」
「え? え?」
「あ、道案内用の地図は壁の釘にかかってっから、それ見て適当に教えてやってください。そんな顔しないでも大丈夫! 資格なんかなくっても、誰でもできますって」
軽い調子で請け合って、交番の陰から原付を引き出すと、ヘルメットをかぶる。
今にも行ってしまいそうなおじいさんに、メイはあわてた。
「って、あの、でも、も、もののけさんが来たら、わ、わたしはなにをすれば……」
「んー、世間話の相手かなあ」
「せ……世間話……?」
「聞き流しといてください。それに、もののけさんだって週にふたりも来れば多い方だしね」
「えっ……」
「ま、たいてい誰も来ないってこと! ここ、びっくりするほどヒマだから安心して」
続けて、お手洗いは建物の裏、電気は来てるからお湯がほしかったら電気ポット置いてあるんで、自由に使ってください──などと、腕時計を気にしながらてきぱき説明していく。
口をはさむひまもない。
「あ、最後にひとつ。なにかの用でここを離れなくちゃならなくなった時には、この〈巡回中〉の札を入り口の釘にぶらさげてから、出かけてください。以上!」
よっこらしょと原付にまたがりエンジンを点火、バイク用の手袋をはめる。
「あの、あのあの、ここを留守にする時、戸締まりとかは……」
心細さのあまり少しでもひきとめようとするメイに、おじいさんはぶはっ、と吹き出した。
「と、戸締まりってきみ、ここはほら、そもそもドアついてないし」
「そ……そうですね……」
「カギかかるとこ、ひとっつもないから安心して。あ、そうそう、お財布とかスマホとか、貴重品は身につけといてな。置きっぱなしはダメだよー」
「は……はい」
「んじゃあ十八時までには戻りますんで、一日よろしくお願いしますわ」
さっ、と、本物っぽい手慣れた敬礼をすると原付をスタート、すぐにカーブを曲がって見えなくなる。のどかなエンジン音もたちまち遠ざかり……
あたりはもとどおり、しんと静まりかえった。
小さい破壊神がメイの前に降りてきて、ビニール名札をしげしげとのぞきこむ。
「目くらましの札か。人間の術じゃあなさそうだが」
「そうなんですか? じゃあこれ……妖怪さんがつくった札を、人間が名札ケースに入れて安全ピンで服につけられるようにした……ってことでしょうか」
どんな妖怪とどんな人が協力したのだろう? わからないけれど、想像するだけでなんだか心温まる心地がして、メイはそっと名札にふれる。
こうして、笹鳴山の交番の一日が、はじまった。
笹鳴き山の交番②へ続く
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