オビツキ村⑲ 神輿様
天気雨の中を駆け出す。
前方には古びた民家が疎らに並び、右や左の至る所に木々や雑草が繁茂している。光り輝く水溜まりが飛沫を上げる度、それらが一斉に揺れ動いてみせる。
やや上に視線を向ければ、先まで散々ここいらを騒がせた入道雲が小高い神社の向こう側へと流れていくのが見えた。
ふと前に目を戻すと、交番前の道、お祭り期間に通行止めとなる区間の終わりに一人のお婆さんが傘も差さずに佇んでいた。
「こんにちは。すごい雨でしたね」
「ええ、本当に。さっきは買いに来てくれてありがとうね」
雨に濡れることなど意にも介さず、疑問符を浮かべる多嬉ちゃんを満面の笑みで見詰めた。
「ここのところ、うちのお爺さんも歳でね。品出しも億劫になってるみたいなの。あんな品を売りつけてしまって本当にごめんなさい」
「い、いえいえ! 好きで買わせてもらってますので」
見るからに人の好さそうなお婆さんは、若干曲がった腰を持ち上げ再び「ありがとう」と言った。
話を聞く内に、どうやらお婆さんは三木屋商店にいた店主の奥さんであることが分かった。多嬉ちゃんが来店した際も店の奥で二人のやり取りを見ていたらしい。
「近頃は見当違いの答えが返ってくることも多くなったわ。耳が遠いせいか無視されることもあってね……」
お婆さんは寂し気に笑う。「ところで」とこちらに視線を向けた瞬間、僕は咄嗟に近くの茂みに隠れてしまった。
「今のはどちら様?」
「いま……? 交番でお話ししたのは安戸さんという方ですが」
微妙に話がかみ合わない二人は見つめ合い、互いに首を傾げた。
「てっきりお嬢さんの好い人かと思っていたわ」
「ご冗談を! 彼には大事な奥さんがいますから!」
「――驚いた。まだお若いのに、ずいぶんしっかりしているのね」
雨に湿った草木を隔てた先でいつの間にか所帯持ちになった僕は、再び道へ這い出す機会を窺った。彼女は「それでは」と話を切り上げ、すぐに雨の上がった道を駆けて行った。
「すみません、急に隠れちゃったりして」
「あらまぁ。あの子ならもう行きましたよ。何か事情でもあるのかしら?」
「はい。お恥ずかしながら、彼女とは今ちょっとした行き違いがありまして――。ところで、三木屋さんはこちらで何かお考え事をされていたようでしたが」
お婆さんは少しの間何か言いたそうに僕を見詰めていたが、やがて赤いコーンとトラバーで区切られた道に目を向け徐に口を開いた。
「ちょっと前から、いなくなった子がいてねぇ」
「……その子は、どんな子ですか?」
「いつも髪を二つに結んだ可愛らしい子だよ。歳は十くらいかしらね。お祭りが開けてすぐにいなくなってしまって……。うちの常連さんだったのよ」
その子は毎日のように三木屋商店に通い、お菓子を買ったりお婆さんとお話をしていたらしい。商店に来る友達ともよく遊び、よく笑う快活な子だったと。それがある日を境にぱたりと来なくなってしまった。
「あんないい子が『神隠し』に遭うなんて……」
「その子がいなくなる前に何か変わったことはありませんでしたか? 些細なことでも何でも構いません」
「……そうねぇ。『
「『神輿様』とはなんでしょうか。担ぐお神輿と関係ありますか?」
「ええ。お祭りのときにお神輿に乗った子供たちを村では『神輿様』と呼んでるの。神楽舞が始まるまで村中を回る大事なお役目なのよ」
「ということは今年も神輿様は見れますかね」
「いいえ。もう来年からお神輿が村を回ることはないそうよ。御神楽も続けばいいけれど……。そう言えば、どうしてこの道はいつまでも通せんぼのままなのかしらね」
お婆さんは封鎖された五〇メートルほどの道と、端の地面に突き刺さった大幣を指して言った。神楽殿が修復中だった五十年ほど前に一度、それから「今回」、計二回だけこの辺りで神楽舞いが披露されたらしい。
「なぜ神輿様はやらなくなるのでしょう?」
「私も詳しいことは分からないけれど、お神輿が壊れてしまったのが原因って聞いたわ」
「……そうですか。その子は、いついなくなったか覚えていますか?」
「十三日よ。今日みたいな変わった天気の日。その前日までうちに遊びに来ていたんだもの、よく覚えているわ」
「あれ、今日って何日でしたっけ?」
とぼけた声を上げる僕に、心優しいお婆さんは丁寧に「今日」の日付を教えてくれる。
「九月二十五日」。ここまで聞いた僕は年数を聞くなど野暮なことはせずに、お礼を言ってお婆さんに別れを告げた。
「もし、また彼女に会うことがあれば『神輿様』について話してあげてください」
「ええ。ここで祈ることしかできない婆さんですもの。少しでもあの子のためになるといいわ。でもね、お兄さん。ちゃんと仲直りはしておいで。いつまでも同じように会えるとは限らないんですもの。こうして年老いてくると、そういうことがしみじみと分かってくるものよ」
道の窪みにできた水溜まりにお婆さんの姿はなかった。しかし僕は確かに今、微笑みながら小さく手を振る彼女の姿を見ている。
1992年8月。夏真っ盛りの昼下がり。ミンミンゼミのせわしい声が濃い影を落とした森に民家に響き渡っている。
三木屋のお婆さんも僕らと同じく今の村とは異なる時間軸からやって来たのだろう。あるいは失踪した女の子と、たった一人商店に残された旦那さんを思う気持ちだけが彼女をこの地に留めているのかもしれない。
神輿様となった子供が後の神隠しにつながっている。お神輿が「壊れた」というのが本当ならば、また別の方法で誰かが被害に遭わないとも限らない。被害の全容が定かでない以上何とも言えないが、お祭りの催し物すべてを警戒すべきだろう。
先の全裸警官に偽のアリバイ証明を求めた人物らの動向が何かしら掴めるかもしれない。
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