オビツキ村⑭ 社宅


「ぐわぁああ――!!」


 坂下から採掘場を臨める位置にある木造二階建ての社宅から野太い男の声が上がった。

 ちょうど外階段に足を掛けたばかりの二人は声のあった部屋へと急いだ。


中津なかつ、何があった!? ここを開けてくれ! 中津!」


 どうやら耕太さんの言う新たな協力者が住んでいるらしい部屋の扉を叩きつつ、何度も呼び掛けるが中からはまったく反応がない。

 不用心にも扉横にある台所の窓が開いており、雨戸やカーテンを閉め切った薄暗い部屋を覗くことができた。


 熱気がこもった暗闇の奥からは不気味な風切り音が絶え間なく聞こえ、ぼんやりとした青い光が時折明滅した。


「くそっ! ドアを破るぞ――!」

「待ってください! 何か、言ってませんか?」


 言葉を受け踏み止まった彼は、彼女と同様に窓に近づき耳を澄ませる。

 姿こそ見えないものの、確かに中の住人が発する呼吸や微かに動く音が聞こえてくる。ブツブツと呟く声もうわ言のように不明瞭なものではなかった。


「くそぉ……結局、俺は誰も救えなかった。コナーも、大佐も、ベラルも……そして、レイナも……」


 畳の上に座していたらしい中津なる男の半身が現れる。

 剥き出た脛は見すぼらしく疎らな毛に覆われ、薄くよれた下着のみが着用されている。


「みんな、みんな助けられなかった! ちきしょう……情けねぇよな……ちきしょう……」


 疲れ切った声を絞り出した中津の足が力なく畳に落ちた。程なくしてすすり泣く音が部屋に響き、光源らしい青い光が不意に途絶える。


「中津――!?」

「ハルミぃいいいっ!!」


 奇声と共に起立したことで中津の全容が明らかとなった。

 薄汚れた白いランニングシャツに頭部から耳にかけて厳ついヘッドホンを装着した彼はしばらくの間、窓からの視線すら気付かぬまま恍惚と天井を仰ぎ見た。

 黒いヘッドホンやコードと一体化した髭を掻きむしった彼は再び奥に浮かぶ青い光へと返った。


 ドッ、ガシャンッ!


「何事!?」

 耕太さん渾身の体当たりを受けた扉は軽快な破壊音と共に中津のいる六畳間へと吹き飛んだ。

 これには爆音を耳に当てていた彼もさすがに驚きの声を上げた。盛大に凹んだ扉らしき物が衝撃と伴にいきなり生活スペースに飛び込んできたのだから、その驚きようといったらない。扉の後からやってきた二人に対して思わずといった具合に会釈をした程である。


 彼の足元には今日日見ることのなくなったCRTモニタが凄まじい熱気を上げながら鎮座していた。画面には味のあるドット絵で表現された異国風の女性が二人映っている。


「中津、久しぶりだな。朝っぱらから何やってるんだ」

「……お前、耕太か? 何って、見ての通りゲームだが……どういう状況なんだ?」


 驚愕の余り我を忘れていた中津は突然の来訪者が旧友であることに気付き、その後に続いて来ていた多嬉ちゃんが視界に入るや否や畳に転がった衣服を即座にまとった。


「女子がいるなら先に言え……! しかし何かの襲撃かと思ったぞ」

「すまん。他に頼れそうな奴がいなかったものでな」


 色々と文句がありそうな彼だが、耕太さんの言葉に満更でもない表情を浮かべながら閉め切っていた雨戸を一気に開放する。

 途端、薄暗い部屋へと一斉に朝日が差し込み、中にいる者たちの視界を眩ませた。


「中津は基本的にゲームにしか興味がないだろ? だから情報が漏れる心配もないし適任だと思ったんだ。変わり者だしな」

「まったくその通りなんだが、一度殴らせろ? それよりどうすんだよこれ。直してけよなぁ」


 中津は見事に中央部の窪みを見せる扉を起こし、自身ごと染みの目立つ壁にもたれ掛かった。


「取り敢えずダンボールで我慢してくれ。ところで今日は非番か?」

「ああ、祭りじゃなくても近頃持て余してるよ。一応給金は出てるが長くは持たんだろ――。で、目的はなんだ?」

「テープレコーダーを貸してほしい。他にも協力してほしいことが山ほどある」

「待て待て。こう見えて俺は忙しいんだ」


 部屋の隅に畳まれていたダンボールに手を掛けた耕太さんが玄関へと追いやられる。頼られるだけで一切の見返りもないと踏んだのか、二人に対する中津の態度が急に威圧的なものに変わった。

 早く出て行けと言わんばかりに拾い上げたダンボールを盾にして徐々に二人の進路を塞いでいった。


「まぁ、タダとは言わん。話だけでも聞いてくれ」

「嫌だ! いきなり扉を壊した奴など信用できるか! レコーダーまで壊されたらたまったもんじゃねぇよ!」

「レコーダーを使うのは俺じゃない。そこの木滝だ」

「……使い方は分かるのか?」

「は、はい! 祖母が使っているのを何となく見たことがあります! こう、カチャッとやってギュイーンと回してました!」

「よし、帰ってくれ」


 呆れ顔の中津はついに本気で二人を追い出しに掛かった。

 しかし再びダンボールの盾に追い立てられた二人だが、扉のなくなった壁を背にどうにか踏み止まった。


「往生際が悪いぞ! 俺はもう誰も信じないからな!」

「――まぁ待て、中津。これをやるから話を聞いてくれ」


 フニャフニャになったダンボールと薄い壁に挟まれた耕太さんは軽く中津を押し返し、パーカーのポケットからA4サイズ程の箱を取り出して見せた。

 表面には謎の機械を背景にしてじっと正面を見据える女性の絵が描かれている。


「お前がこれを欲していることはすでに調査済みだ。まだ未開封の新品だが、どうする?」

「『スターシップランデヴー』だと……!?」


 ジャンルはサイバーパンクだろうか、どうやら古いゲームらしいパッケージをチラつかせた途端に中津の様子が一変した。

 ごくりとつばを飲み込んだ彼の両手は徐に耕太さんへと伸ばされ、恭しくそれを受け取った。


「何故俺が『もう一つ』欲しいと分かった?」

「お前は後々、それがフロッピーディスクであることに強い不安を覚えるだろう。一度開封した物には常に外気やホコリによるリスクに晒されてしまう、だろ?」

「ああ。当時金欠だった俺は昼飯を抜いてつくったなけなしの金でこれを買ったんだ。しばらくしてから保存用を買うつもりでいたんだが、実を言うと今まで忘れていた。しかし、まさかお前がそいつを用意するとはな」


 早速受け取った箱を押し入れの棚に収納した中津は、整然と置かれたプラスチックケースに背表紙たちが並ぶのを満足そうに眺めた。


「テープレコーダーだったか。机から適当に持って行ってくれ」

 何だかよく分からない機械やコード類が散乱した机からそれらしい物が取り出される。蔵から持ち出したカセットテープが本体に挿入され、『再生』ボタンと共にゆっくりとテープが回り出す。


『……ザザッ、ザッ……』

 スピーカーから微かに掠れたようなノイズ音が聞こえてくる。しばらくノイズが続いた後『サー……』というほぼ無音の状態となり、やがて再生が終わった。

 ちなみにテープのパッケージにはラベルもなく一切の情報も得られていない。


 寝転びながら様子を見ていた中津はむくりと起き上がり耕太さんからレコーダーを引っ手繰った。レコーダーからテープを引き出し反転させ再生を試みたが、結果は先の無音の状態と変わりなかった。


「テープがダメなのか、そもそも何も録られていないのか」

「……いや。A面には確かに何かが記録されていた。少し借りるぞ」

 中津は手近に転がっていたコードを拾い上げ、先程ゲームに使用していたパソコンの本体へと差し込んだ。それから机に置かれていたレコーダーよりも大きな箱をコードに接続し、カセットテープを挿入、再生した。


『……ピ――――ガガ――――……』


 小さな方のレコーダーよりは軽快であるものの、やはりノイズのみが聞こえてくる。しかしどういう訳か、仏頂面でモニタを確認していた中津の表情が若干晴れたように見えた。


「ダメか?」

「いいや、中に何かある。どこから持ち出したかは知らんが、このな黒いパッケージを見る限り裏物の線が濃厚だな」

「……中津、これは――」


 多嬉ちゃんは何かを言いかけた耕太さんの袖を引き首を横に振った。

 この御櫃家から持ち出したカビ臭いカセットテープを都合よく「裏物」か何かと勘違いした彼を止めてはならない。勝手に調子付いた彼には申し訳ない気もするが、両者ともにテープの中身について何も知らないのだからお互い様である。


「ああー、こりゃ相当掛かりそうだな……っと。そういや、丈士じょうじさんが帰ってきたのは知ってるか?」

「ジョージさん……? 安戸先輩のことか?」

「そうそう。つい先月くらいかな、三木屋商店近くの空き家があっただろ? そこにラーメン屋を出したんだ。替え玉の無料券をやるから一度行ってみろ」

「どんなラーメンなんですか!?」

「お、おう。鶏白湯に魚介と甲殻類を合わせた濃厚スープ、麵は太麺だ。おすすめは断然つけ麺だな」


 ラーメンと聞いた途端に食いつてきた彼女にたじろぎながら、中津は財布から二枚の替え玉券を取り出し彼女に託した。

 しかし思いの外大喜びの彼女とは裏腹に、耕太さんはじっと思案顔のまま朝日が差し込む窓の外を眺めている。


「麺は嫌いか?」

「そうじゃない。ただ、この期に及んで何故こんな村に戻ってきたのか疑問だっただけだ」

「ジョージさんというのは、耕太さん宅に近い安戸家の息子さんで合ってますか?」

「……ああ。俺よりもずっと前にこの村を離れた人だ。そして『』はいなかった人でもある」


 先月の七月、この村にラーメン店を出店したらしい安戸丈士さんは、現在多嬉ちゃんが居候としてお世話になっている安戸ご夫妻のご子息であり、耕太さんの話によれば最後のお祭りのあったこの村をその十年前に去っている。

 更には「現実」の村においてラーメン店が出店された歴史は無く、耕太さんが前回経験した村においてもそんな出来事はなかった。

 つまり、丈士さんは僕らと何らかの共通点を持って村を訪れた可能性が高い。

 しかしどう考えても分からないのは、年々村民が減少し続け廃村は免れないであろう村にわざわざ店を出したことである。


 元より、仮に僕らと同じ時代から来たとすればこの村はすでに「廃村」となっていたはずだ。年齢から言って五十代は下らないであろう丈士さんが今になって廃屋ばかりの村に戻ってきた意味も分からない。


「もう一つ考えられるのは『当時まだ三十代だった彼が戻ってきた』ということだ。俺たちがいる現実では帰ってこなかった彼が、この幻では戻ってきたことになっている可能性がある。辛うじて村人が残っているこの時期の村でなら出店も有り得ないことではない」

「お前たちはさっきから何を言ってるんだ……?」

「中津さんがラーメン店で会われた丈士さんはどちらに見えましたか」


 先から脈絡もない話を平然と続ける二人を前に戸惑いを隠せない中津だが、先月再会した丈士さんが「驚くほど老けていた」ことを口にした。


「俺たちより五年くらいしか変わらん歳なのに、バンダナからはみ出た髪は白髪混じり、顔とか手のシワが少し気になったな。もう五十代、いや六十代といってもいいくらいだったよ。話をするまで別人かと思ってたくらいだ。相当苦労したんだろうなぁ……」

「少し出てくる。読み取ったデータは残しておいてくれ」

「おい、まだ九時にもなってないぞ! 店は十一時からだ!」


 中津の言によれば丈士さんは僕らと同じ時代、もしくはそれよりも前後する「未来」からやってきたことになる。それが確かであれば、彼もこの「幻」を知っていた。でなければ「ラーメン店を出す」という奇行すら思い立たないはずだ。


 まさかの協力者を得られるかもしれないチャンスを逃す訳にはいかない。事件の真相を掴むためにもできるだけ多くの情報を集めておきたい――。

 その一心で走り出したであろう耕太さんの脚力は尋常ではなく、中津のいる社宅の階段から一目散に落ちてから瞬く間に姿が見えなくなった。

 陸上部員も顔負けの多嬉ちゃんですら追いつけず、辛うじて見えた人影を辿っている始末である。


 そんな具合にあっと言う間に僕の前には誰もいなくなった。

 多嬉ちゃんが安戸さんからもらった地図の曖昧な記憶を頼りに情けなく両手を振り回す僕。「空き家」の方はてんで分からないが、「三木屋商店」ならば確か安戸さん宅から交番寄りに一本曲がった道にあったはずだ。

 不足の物があれば必ず行くだろうと彼女が印を残したことをよく覚えている。


 しかし行けど向かえど、もどかしいほどに進まない「体」は生身だった頃の僕自身を体現し、一向に彼女との距離が縮まらない。

 段々と意識が遠退いているのも恐らく気のせいじゃない。もはや真夏の熱気とは無縁であるから、きっと「一キロ」という制約がそうさせるのだろう。


 ――多嬉ちゃん、ラーメン好きだったのか……


 薄れ行く意識の中、この期に及んで知った新事実をしみじみと噛み締める。

 だが、だからこそこんなところで挫けている訳にはいかなくなった。


 器用にラーメンをすする彼女の姿を眼に焼き付けたい。そんなスケベ心にも似た強い思いが、ひたすら僕を果てしなく続く荒野へと駆り立てた。



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