オビツキ村⑩ 闖入


 二人で今後の動向をまとめている内に気付けば時刻は二十三時を回ろうとしていた。

 安戸家に居候させてもらっている身として奥さんに断りを入れる機を逸した彼女は刹那の逡巡の末、完全に開き直った。

 幸いバケモノの出現まで一時間以上の猶予がある。人目をはばかることは夜の内にやっておくのが吉だろう――との考えに基づき動き出したのも束の間。


 ザリッ、ザリッ、ザリッ――


「……メイミィ……ケサシィ……」


「……なんで……!?」


 御櫃邸手前の小さな交差点、外灯の下を例の巨体が行ったり来たりしていた。

 時刻は二十三時半、引間家を出てから寄り道もせず真っ直ぐに来たため時間的余裕もまだあったはず。

 近くの茂みからアレを観察していると、心なしか初めて出会った昨晩よりも複数本ある手足の動きが機敏に見える。と言うより、どこか焦っているかのようにやたらと忙しく動き回っている。


 すかさず耕太さんは多嬉ちゃんに身振りで『静かに、かつ迅速に裏手に回る』ことを提案した。

 御櫃家の間取りを知っているからか彼の判断は的確で、確かに裏の勝手口側の木塀にはもう一つ門戸があるのを僕も確認している。正直に表から侵入する理由もなく、使用人部屋の位置を考慮しても裏手から入るべきだろう。


 ピーヨンピーヨンピーヨンピーヨン――!


 突如、どこからともなく音が鳴り出す。どこか聞き覚えのある音に「はっ」とした彼女はリュックの脇を握りしめ、一も二もなく前を行く耕太さんの背を押し一目散に裏口へと走った。


「なっ――!? いったいどういうことなんだ!?」

「『ばけたん』です! たぶんアレに反応しちゃいました!」


 案の定アレの気を引いた二人は背後に息が迫るのを感じながら両手を振り乱し、必死に門戸を目指す。

 振り向いてみれば一〇〇メートル以上あった距離はあっという間に縮まり、薙ぎ倒された木々の枝が触れそうな位置まで来ていた。


「悠くん、ごめんっ!」


 彼女は掛け声と共にリュックからそれを取り出し背後へと投擲した。

 見事に巨体の真後ろの方へとそれは転がり、赤々とランプを点滅させながら警告音を発し続けた。


 その名も『ばけたん(税込1980円)』。設定によって一〇に一回の自動探知機能を搭載したそれは、なんと周囲に存在するオバケを手軽に探知できてしまう優れものである。本体内蔵のピエゾなんちゃらが周囲の環境ノイズをキャッチして光る。

 ノイズのパターンによって青、水、緑、黄、赤色に光り、警告音で探索者にオバケの存在を知らせてくれる。彼女のばけたんは元々ストラップが付いているタイプだったが、持ち運びの利便性を精査した結果ストラップ部は机の引き出しに、持ち運ばれるのは本体のみとなったのだ。


 巨体が転がるばけたんに飛び付いた隙に二人は裏口へと急いだ。

 さらば『ばけたん』。恐らく味覚すらなさそうなバケモノにそれは食い散らかされ、無惨にゴミと化すのだろう。


 思えばあれを彼女にプレゼントしたのは高校生に上がってすぐの誕生日でのこと。毎年の事ではあるが、三か月も前から散々悩んだ挙句に選んだのが『ばけたん』だった。

 何につけても完璧、品行方正、才色兼備の彼女に相応しい物を考えに考え抜いた僕はついに考えることを放棄した。

『誕生日なら多嬉ちゃんの好きな物をあげればいいじゃないか!』

 それが分からないから考えていたことも忘れてしまった僕は、やむなく禁忌に手を染めてしまった。オカルト好きの彼女ならきっと喜んでくれる、そうでなくとも冗談の一つでも言って優しく突き返してくれるだろうと踏んだのだ。

 結果、むちゃくちゃ喜んでくれた。むしろ今までプレゼントしたどの物よりも良い反応だった。ばけたんを渡した直後、急に饒舌になった彼女によると僕が選んだものは『ばけたん』の中でも初代のもので、今となっては前身のゴーストレーダーを含め八世代目となる『ばけたん』シリーズの中でも最も入手が困難とされる代物だったらしい。

 当時の僕は十数年間暮らした田舎の小さなおもちゃ屋さんに深く感謝し、明らかに売れ残りの、埃さえ被っていたパッケージを歓喜の表情で見詰める彼女に対する自責の念に押し潰されそうになったことをよく覚えている。


 ピーヨンピーヨンピーヨン――パキッ……


 そんな思い出の品がいとも容易く見知らぬバケモノに踏みにじられた。

 多数の腕の内一本が地面に転がる、変わり果てた姿のばけたんを拾い上げ口へと放り込んだ。

 僕は途端にアレを掴みに掛かったが、やめた。そもそも話の通じない相手に対峙したところで無意味であるし、何より刺激してしまうことによってどんな害を被るか分かったものではないからだ。


 二人はの姿は見えなくなった。音もなくうまく裏手に回り込めたらしい。

 尊い犠牲を払ってしまったが、多嬉ちゃんの身を守れたのなら『ばけたん』も本望だったろう。


 ――さようなら。ありがとう、イカたん(白いカラーリングに三角頭の造形から僕がそう名付けた)。


「……イヤ……タスケ……」


 一瞬イカたんが喋ったのかと驚いてみたものの、どうもアレがブツブツと呟いているだけだった。「嫌、助けて」と言いたいのだろうか。その場でフラフラと足踏みする仕草も相まって、まるで発する言葉に意味があるかのように錯覚させられる。

 ――しかし気のせいだったか。アレに飲まれる寸前に見えた『ばけたん』は青く光っているように見えた。赤の点灯は危険な状態を、青の場合は安全かつ好ましい存在がそばにいることを意味したはずだ。


 ちなみに彼女の部屋には『ばけたん』シリーズがすべて揃っているどころか、これまで販売されてきたすべてのカラーリングもコンプリートしている。

 よって、イカたんがなくなったところで彼女の心に深刻なダメージが及ぶことはないだろう。


 巨体のバケモノが御櫃家から遠のいていくのを確認し、僕も二人の後を追い裏口へと回る。

 閂が掛けられた門戸は開かれていない。木塀に忍び返しが付いていないことから、塀は難なくよじ登って越えたと見える。

 ジャンプで天辺に手を掛けようやくよじ登れたところで向こうを見遣れば、二人は勝手口の前で立ち往生していた。


「この辺りは夏場も戸を閉め切るものなんですか?」

「いや、そんなことはない。しかし裏手の縁ですら雨戸を閉め切っていることからして、他の窓が開いているとは考えにくいな」

「……トイレはどうですか」

「確か上部に小窓があったが、人が通れる大きさではない」


 しばしの相談の末、奥の書斎と正面口から突き当りにある納戸の探索に専念することが決まり、やはり勝手口側からの侵入がベストであるという結論に至った。


「どうせどこかの扉を外すしかないんだ。勝手口を破壊して一気に行くか」

「ちょっと待ってください……! そんなことをしたら清代さんが飛んできてしまいます」


 彼女の言う通り大きな物音を立ててしまえば、たとえ裏手であっても音に対して過敏になっている清代さんに見つかることはまず間違いない。それだけならまだいいが、最悪の場合旦那さんに見つかり警察に突き出されでもしたら不法侵入かつ器物破損の罪は免れないだろう。


「ここは一つ、私に任せてください」


 勝手口の扉をじっくり観察した彼女は引き戸タイプのそれに両手を掛け、徐に上下左右に振動させ始めた。この技法は昼間の学校で出会った葵ちゃんの手際が記憶に新しく、実践するにはいい機会かもしれない。

 ただし、勝手口の鍵は捻締錠だけではないことは僕の探索で確認済みである。

 この引き戸には捻締錠の他に木製の閂錠が付いている。つまり、捻締錠に対して有効な「ガタガタ技法」では閂を外すことはできない。仮に捻締錠だけであったとしても今の慎重なガタガタでは長時間の経過が見込まれてしまう。


「懐かしいな。どれ、貸してみろ」

 彼女と交代した耕太さんは両手を戸の端に掛け上半身を戸に密着させるや否や、扉どころか家全体が揺れそうなほどに激しく揺さ振り、辺りに盛大な物音が響き渡った。


 ガタンッ、ガタンッ、ガタンッ、ガタンッ!


「ちょっと耕太さん!? さすがにそれはマズいですって……!」

 指摘されるも後の祭り。激しい物音の元凶を辿って家人が勝手口の方へと駆けてきた。

「こんな夜更けにどちらさまでしょうか……?」

 手近の植え込みに身を隠して戸口の様子を窺っていると、勝手口が開きすっと寝間着姿の清代さんが大きな懐中電灯を前にして現れた。それから頻りに戸口の周りをライトで照らし周囲の様子を見ていたが、やがて何もないことを確認し戸口へと戻って行った。


「……あら……」

 そのまま引き戸を閉めて去るかと思い仕方なくその背後にぴったり付いた僕をよそに、清代さんは再び植え込みの一部を照らしてポツリと声を漏らした。


 頭隠して尻隠さずとはまさにこのこと。植え込みの切れ目からしっかりと多嬉ちゃんのリュックが覗いていた。


 ススッ、トンッ……


 てっきり彼女に声を掛けるかと思いきや、清代さんはすぐに戸に手を掛け後ろ手に閉めてしまった。

 咄嗟に対応できなかった僕は中に入ることがかなわず外に締め出された。

 だが、まだ慌てる時ではない。先程の清代さんの反応を見る限り、植え込みに隠れている者の正体はすでに割れている。黒と蛍光オレンジといった配色は村では中々見掛ける機会もなく、見ればすぐに彼女のものと知れる。

 暗闇なら尚更懐中電灯の光に映えたことだろう。


『――今夜は旦那様の具合もよろしいようですから、お声も掛からずぐっすり眠れるかしらね』

 引き戸越しに植え込みに潜む多嬉ちゃんまでしっかり聞こえる独り言を呟いた清代さんはそのまま戸締りもせずに奥の方へと下がって行った。


「清代さん、ありがとう……」


 植え込みから這い出した二人は清代さんの粋な計らいによって難なく御櫃邸に侵入することができた。


 土間に入るとすぐに点いたままの懐中電灯が上がり框に置かれ、踏み石より下を照らしているのが分かった。出発前にいつ充電したかも定かでないタクティカルライトの使用を控えたい今はこれが大変有難い。まさに至れり尽くせりである。

 御櫃家にとって招かれざる客である二人の足元さえ気遣ってくれる清代さんの優しさが胸にしみる。


 あるいはこの家の問題を解決してくれるかもしれないとの微かな望みを彼女らに託したのかもしれない。


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