オビツキ村④ 御櫃家


 静かな校内に予鈴の音が響き渡る。

 図書室で少女と別れた後も多嬉ちゃんはどうしても諦め切れず葵ちゃんの姿を探し続けた。校庭から見上げる時計はすでに十一時半を回っている。

「おーい!」

 いつの間に仲良くなったのか、先程彼女から逃げた子供たちが一斉に遊具の方から駆け寄ってきた。

「お姉さん午後は野球しようよ! お昼食べたら校庭集合ね!」

「ごめんね。午後はやることがあるんだ」

 意気揚々と遊びの誘いを入れてきた比較的年長の男の子は見るからに残念そうに肩を落とした。「明日なら」と提案するも、明日は朝からお祭りの準備があるため遊べないと逆に断れてしまった。


「ところで、6年2組の勝呂葵ちゃんって知ってる?」


 一人、二人と家へと帰っていく子供たちを見送りながら、最後の方に残った先の男子やその同級生と思われる男女に図書室の少女について尋ねた。子供たちは互いに顔を見合わせ一様に多嬉ちゃんの言葉に首を捻ってみせた。


「うちの学校に6年生はいないよ。勝呂さんなら知ってるけど」

「この村に勝呂さんってお家はたくさんある?」

「ううん。勝呂さんはバスのおじさんだけだよ。今は一人で住んでるみたい」


 子供たちの話によると、この平岡小学校には現在十五名の児童が通っており、三、四年生のクラスだけが残っているとのことだ。二年前にはまだ三十人以上であったらしいが、「ジギョウテッタイ」により家族と共に他の市町に引っ越してしまったそうである。


「俺の父ちゃんもテンキンらしいから、もうすぐ転校なんだ」

「へぇ、お父さんは何のお仕事してるの?」

「サイクツギョウって言ってた。昔は金とかも採れてサカエテタんだって」


 村の現状をよく理解していない少年は聞きかじった情報を音で教えてくれる。廃れ行く村よりも今の「遊び」に夢中であることは子供として当然のことなのだろう。文明の進んだ新たな地へ移ることに前向きな彼らにとっては「もったいない」と思ってしまう僕らの憂いなど無用の長物であり、むしろ移転することが最良とも言える。人の生活とは時間の経過と共に環境の変化に従って変容して行くものなのだ。


 子供たちと別れ一旦安戸さん宅に戻るため帰路につく。

 なだらかな坂道を下り、家へと続く道との交差点付近で不意に多嬉ちゃんが立ち止まった。


 少し先の道端には半袖のブラウスに紺の吊りスカートといった装いの女の子が脇見をしながらフラフラと歩いているのが分かる。時折ケンケンしながらショートカットの髪をユラユラ揺らし、衣服から生えた真っ白い手足を危な気に動かしている。

 多嬉ちゃん一筋の僕から見ても可愛らしいと思える女の子だった。見た感じでは小学校三年生くらいだろうか。


 しかし問題なのはその少女のことではない。先から道の片側に続く林の方を凝視している多嬉ちゃんの目線を追えばその問題が自ずと分かる。


「……はぁ、はぁ……」

 木の陰から少女へと熱い視線を送る謎の人物は真横の位置にいる僕らにまったく気付いていないのか、灰色のフードの下で息を荒げながら時折全身を震わせた。


「こんにちは!」

 とにかく少女の身の安全を確保しに掛かった多嬉ちゃんは急いで少女に駆け寄り辺りに響くほどの大声で挨拶した。僕はすぐさま足元に落ちている小石を拾い上げフード野郎に向けて力の限りに投擲した。


 ガサガサガサガサッ――……


 フード男もこれには堪らず一目散に茂みを掻き分け森の奥へと逃げていった。僕が投げた小石は直接男には当たらず、ちょうど男のいた辺りの木から跳ね返った。これはもちろん狙い通りであり、警告のためとは言え男に怪我をさせるまではないという配慮に基づくものである。

 決して外したわけではない。


 無事少女と合流した多嬉ちゃんは少女とケンケンパをして遊んでいる。

 無邪気な少女は相打ちになった彼女に抱きつきとても楽しそうに笑う。一段落して帰ることを思い出した二人は手をつなぎ、少女の案内に従って村の奥の方へと歩き出した。


「サチちゃんのお家はまだ先なのかな?」

「うん! 一番端っこの方!」


 安戸さん宅を通り過ぎた辺りで少女に待ったをかけた彼女は庭先から顔を出し、居間にいる奥さんに断りを入れる。

「あらサチちゃん、また勝手に出ちゃったの? スミヨさんが心配するじゃない」

 多嬉ちゃんの背に張り付いた少女に逸早く気付いた奥さんは慌てた様子で外履きをつっかけ庭へと降りてきた。


「今からこの子のお家まで送ってきます」

「お願いね。私からも電話しておくわ」


 少女の前でしゃがんだ奥さんがその小さな頬にそっと手を伸ばすも少女は更に身を縮めて拒み、頑なに多嬉ちゃんの足にしがみついた。

 真新しいブラウスの胸に付いた新品の名札には綺麗な楷書で『御櫃おびつ沙智さち』とある。

 皺一つない真っ白なシャツから伸びた生白い腕や小さな手は小刻みに震え、より一層儚げに見えた。


「沙智ちゃん、お家の人に『いってきます』したの?」

「うん。スミヨさんが遊んでいいよって言った」


 聞く限りではどうやら沙智ちゃんは御櫃家のお手伝いさんである清代すみよさんなる女性に昼食までの間外出を許可されていたらしい。また、安戸さんを警戒していたのは以前で外出した際に保護してもらった経緯があり、迷惑をかけてしまったとの罪悪感が少女にあのような態度をとらせたようだった。


「清代さんのことは好き?」

「……ううん。いつも『お外はいけません』って怒るの。でも今日は特別だからって」

「特別?」

「『お外でみんなと遊んできなさい』って。でも公園に行っても誰もいないから、学校に行ってみたの。でもね、知らないお友達ばっかりだから仲間外れになっちゃった――それでお姉さんに会ったの!」

「沙智ちゃんは三年生だよね。知ってる子いなかったの?」

「うん。もう忘れちゃった」


 じりじりと照り付ける日差しによく手入れされた人形のような髪が映える。慣れない暑さに青白い肌を汗に濡らし楽し気に彼女の手を引く様は、紛れもなく少女の時を謳歌していた。


 一般的な木造家屋の一画を抜けると、先の方に背の高い木塀がぐるりと囲った広い屋敷が見えてくる。数寄屋門の前には着物に白い割烹着をまとった六十代くらいの女性が立っている。


「ご足労いただき誠にありがとうございました。私当家の使用人をしております甼田清代まちたすみよと申します。この度は木滝様に大変ご迷惑をお掛けいたしまして、申し開きのしようもございません」

「いえいえ、私はたまたま居合わせただけですから」


 深々と腰を折って謝る清代さんに事情を説明し頭を上げさせた多嬉ちゃんだが、それならばと強く勧められるお茶を無下に断ることもできず御櫃家に上がる運びとなった。


 門を潜ると木塀や広々とした敷地のせいか外に響く蝉の喧騒が和らぎ、どことなく別の空間に入り込んだかのような感覚を覚えた。よく手入れの行き届いた庭園には小川がせせらぎ、太鼓橋の向こうに黄菖蒲が顔を覗かせる。


「菖蒲が咲くんですね」

「ええ。この辺りは麓より幾分か涼しいものですから、今の時期にも咲くものがあるんです」


 多嬉ちゃんの来訪にはしゃいでいるのか、門を越えてから飛ぶようにして敷石を駆ける少女を僕らは追った。日除けのためにどうしても沙智ちゃんに被せたかった帽子はついに清代さんの手から離れることはなかった。

 病弱な沙智ちゃんが今日ほど元気な姿を見せることは稀だという。


「なにか持病でもあるのでしょうか?」

「いえ。よく熱を出されますが、持病などは特にございません」


 先んじて引き戸を開いた清代さんに促され僕らは母屋へと入った。

 夏の陽に慣れ切った視界が次第に内部に馴染むにつれ、この御櫃邸が他の民家と一線を画したものであることが確信できた。間口の広い玄関からして至る所が念入りに磨かれており、華美ではないものの配置された調度品からは底知れぬ品が感じられる。

 衝立で仕切られた先には観音開きの納戸らしき扉があり、その手前を左に廊下が続いている。


「こちらで少々お待ちください。昼餉の支度をして参ります」

「いえいえ本当にお構いなく、お願いします」

「では素麵などはいかがでしょうか。お付き合いいただけますと、きっとお嬢様もお喜びになられます」

「あ、はい……では、有難く頂戴いたします」


 清代さんは彼女の返答に満足そうに頷き足早に居間を後にした。


 ――タタタタタタッ


 襖を隔てた隣室から軽快な足音が微かに響いてくる。

 はしゃいだ沙智ちゃんが走り回っているのだろうか。足音は襖の手前で不意に止まり、僅かに開いた隙間から小さな視線が注がれる。


「悪い子はどこかな~?」

 お道化た声を出しながら取っ手に手を掛けた彼女は間髪入れず一気に襖を開いた。


 タタタタタ――……


 襖の向こうは初めに通された居間と同様の空間が広がっていた。遠ざかった足音を辿ると一瞬だけ右の方へと白い裾が流れていくのが見えた。

 隣室の右側は更に襖で仕切られており、開けば母屋の裏側に当たる縁側へと抜けられる。表ほど広くはないが、裏側にも丁寧に配置された砂利や樹木が目を楽しませた。廊下を曲がった先には厠と思われる木戸があり、そのすぐ手前に踏石が配され裏庭へと飛石が続いている。


「何してるの?」

 先の居間から顔を出した沙智ちゃんがさも不思議そうに辺りを見回す多嬉ちゃんを見詰めた。


「じゃあさっきのは妹さん?」

「ん? お姉ちゃんなら神社にいるよ?」


 お互いに首を捻った二人はすぐに考えるのをやめ、涼し気な藍色のワンピースに着替えた沙智ちゃんに招かれ居間へと戻った。

 母屋の裏側を厠とは逆の方に目をやると、小さな蔵のような建物が母屋の一部とつながっているのが見える。位置的には恐らく玄関から見えた納戸から続いているようだった。


 ――多嬉ちゃん、ここは思った以上にまずいかもよ?


 居間から聞こえてくる無邪気な笑い声とは裏腹に僕は思わず身震いした。

 若干陰の掛かった裏手から心なしか感じられた違和感と視線のようなものがしばらく脳裏から離れなかった。



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