3 合理性――Are you right? ――(3)
「さて、それでは、これから得られた食糧を合理的に配分しよう」
セールたちの隣の席の男が、彼の家族に向けて提案した。
残りの椅子には、彼の妻とおぼしき女性と、およそ7才前後の少年、そして、やつれた老人が腰かけていた。
「まずは条件を検討しましょう。私たちが今日、摂取可能な食事はこの一回のみ。そして、あなたが一日に必要なカロリー摂取量は、虫の漁に出て激しい運動をするため2500カロリー、私は女性でかつデスクワークであることを考慮に入れると1750カロリー、息子はあなたの漁の手伝いで運動をするから1900カロリー、お義父さんは家にいて、運動はしないから2150カロリー。合計して、8300カロリー。目の前にある食糧の総カロリーはおおよそ、6000カロリー。どう見ても、全員が満足な栄養を摂取するには足りないわね」
女性が淡々と事実を列挙する。
「ここは、均等に4人で1500カロリーずつ、分ければいいんじゃなかろうか」
老人がふやけた声で言った。
「ふむ。その提案は合理的だろうか。母さん」
男性は微動だにしないまま、女性に話を振った。
「いいえ。それぞれ必要なカロリー量が違うのだから、単純平均ではなく、比率による案分が合理的だと私は思うわ」
女性も男性の方に顔を向けることもなく答えた。
「確かにデータ上はそれが合理的だということになる。しかし、真の合理性を判断するには今だけではなく、将来のことも考慮するべきだと僕は考える」
「結論を」
女性が急かした。
「私が2000カロリー、母さんが1750カロリー、息子が1900カロリー、お父さんは350カロリー」
男性が即答する。
「その根拠は?」
老人が問うた、自分の取り分が少なくなる提案だったが、特に責めるニュアンスはなく、時間を惜しんでいるようだった。
「母さんは将来的に生産維持人口を堅持するためにもう一人子どもを産む予定がある。栄養の蓄積が必要だ。また、息子は現在成長期であることを考慮するとこの時期に十分なカロリーを摂取させることが、効率的な投資になる。故に規定のカロリー満額を与える。私は肉体労働に従事するために本来なら、満額のカロリーを摂取する必要があるが、割り当てられた作業量は同一にも関わらず、今日は息子の助力が望める。息子はすでに簡易な作業なら可能なので、その分私のカロリーは節約されるはずだ。故にいつもより500カロリー少ない。父さんのカロリーは、最低限、口に物を入れて、臓器を活動させることが生命維持に有用だと考えた」
男性は舌を噛みそうな長台詞を一息で言い切った。
「いや、間違っておる」
老人がきっぱりと口を開いた。
「どうしてですか? お父さん」
「わしは現在、街の発展にも、家族の家計にも全く寄与しておらん。わしに割り当てられるカロリーは不要であり、他の三人が満額のカロリーを摂取できた上で余剰があった場合にのみ割り当てられるべきものだと考える」
老人が滔々と述べた。
「なるほど」
女性が同意する。
「確かに父さんの言う通りだ。では、父さんの分のカロリーを私に配分し、私が2350カロリー、おまえが1750カロリー、息子が1900カロリーとしよう。素晴らしい合理的決定ができた」
男性が満足そうに深く頷く。
「……そんなの、かわいそうだよ」
するとその時、それまで一言も発しなかった少年が、消え入りそうな声で呟いた。
「かわいそう、とは? 息子よ。どうしてこの状況がかわいそうなんだい? 論理的に説明しなさい」
「だって、こんなのいじめじゃないか」
少年は憤然と家族の顔を順々に見遣る。
「いじめというのは、誰かが優越的な状況を盾に不合理な被害を相手に与えることだ。今の話し合いのどこにそのような要素があった? 我々はエゴに囚われず、それぞれが対等かつ客観的な立場で意見を出し合い、協同して一つの結論を導き出した。いじめは、合理性を尊ばない、非合理な野蛮人の所業。合理的な我々とはもっとも縁遠い行為だよ」
政敵に反駁するような調子で男性が言う。
「でも……でも」
少年は反論しようとしてか、口をぱくぱくさせていたが、言葉が見つからなかったようで、しょんぼりと俯いてしまう。
「じゃあ……僕、今日はお家で勉強しているよ。そうすれば、僕はお腹がへりにくくなるから、その分をおじいちゃんにあげられるでしょう?」
少年はポンっと手を叩き、名案を思い付いたとでも言いたげな明るい顔になった。
「それは非合理だぞ。息子よ。私が働ける間に、なるべく早くお前に漁のやり方を伝え、お前がそれを覚えるのが、お前が稼ぐ手段を得るにも、我が家の遺伝子を残すためにも、この街のためにも合理的なことだ」
「そうね。もし、あなたがこれから勉強を続けたとしても、デスクワーク的職業に付ける確率は限りなく低いわ。私と父さんの知能面での遺伝、また、さらにもっと早くから勉強に手をつけている同年代がいることから考えてね」
男性と女性が、左右から少年を諭した。
「……今、孫に合理性を言い聞かせるのは不合理だ。彼はまだ、ココノテに処置を施してもらっていないのだから。前から十年経つ。そろそろ、ココノテが現れてもおかしくない。処置さえすれば、孫も理解できるようになるだろう」
老人がたしなめる。
「そうだね。非合理的だった。反省しよう」
男性は自身を戒めるように目を瞑った。
「それでは、食事にしましょう」
女性がきっぱりと言って、話題を打ち切る。
男性と女性は、平らに盛り付けたコガネムシの幼虫の山を円グラフのように区切って取り分けた。
少年は唇を噛みしめながら緩慢な動作で、両親に従う。
「ちょっと、いいだろうか」
やおら、セールは隣の男性に話しかける。
「何かな、旅人さん」
「パンフレットを読んだものの、疑問に対する解答が載っていないので教えて頂きたいのだが」
セールは椅子から立ち上がると、きちんと家族の方に向き直った。
それから、深く頭を下げて頼み込む。
「いいでしょう。旅人さんに親切にすることは、我が国の評判を向上させ、商人を呼び込み、ひいては経済を活性化させますから。食事しながらでも問題ないですか?」
「ああ」
セールは頷いた。
女性と老人が、黙々と食事を始める。
少年も慌ててそれに倣った。
「質問をどうぞ」
「このパンフレットには、この国の食糧問題は解決したと書いてある。なのに、今、あなた方は十分な食料を確保できていないようだ。それはなぜか?」
男性は質問に答えず、食事に手をつけた。
代わりに、すぐに自身の分を食べ終えた老人が口を開いた。
「急に湖に集まる虫たちが大量に変死し始め、虫獲量が激減したからだ」
老人は一カロリーも無駄にしたくないとでも言うように、だらしなく椅子に身体を預けて言った。
「それは一時的なものですか?」
「不明だ。確かにたまに、こういう現象は発生する。異常気象による水温の変化等が原因だ。しかし、今年は特にそういった異常はない。にも関わらず、虫が大量死している。学者の研究によれば、虫が水を通じて摂取する砂糖の成分変化が原因であるということだが、確証はない」
老人の声は小さくかすれていたが、セールの耳は何とかそれを聞き取った。
心臓が高鳴るかのような錯覚を覚える。
湖が砂糖水で満たされているということは知っていた。
なら、その元になる砂糖はどこからくる?
そして、エイクはなにをした?
いや、しかし、それは考え過ぎかもしれない。
いくらなんでも、砂漠に撒いた少量の毒薬がここまで風で運ばれてくるとは考えにくい。
仮に運ばれてきたとしても、一かけらか二かけらがせいぜい。
その程度何とかするくらいの自浄作用は湖にもあるだろう。
「質問は終わりかな?」
「あ、ああ……そうだ!」
そこで、セールは自分が彼らに話しかけた本来の目的を思い出した。
「情報には対価が必要だろう」
セールは小さな袋から、カップケーキを取り出して、老人の手に握らせた。
少年がもそもそと虫を頬張る手を止め、輝いた目でこちらを見つめている。
セールは左手の親指を挙げ、少年だけに見えるように応えた。
「これは?」
ちょうど、女性と同時に食事を終えた男性が問うた。
「俺は今得た情報の対価に値する知識を持ち合わせていない。だから、現物で代価を払おう」
「ありがとう。旅人さん。あなたは善き合理人だわ」
女性は手にしたナイフとフォークを皿に重ねて、やはりセールの方を見ないまま言った。
誉められたセールは照れたように頭を掻く。
「申し訳ないけれど、セールにその権利はないわ」
食事を終えたエイクが、セールの肩越しに顔を出した。
セールが横目で見れば、エイクは澄ました顔で口についた緑色の液体を手の甲で拭っている。
「それは、私が正当な交渉によって手に入れた、私に所有権が属する物。勝手に処分されては困るわね」
エイクは責めるように言って、セールを睨み付けてきた。
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