第8話 はじめてのせんとう

「……ここ、どこだろう?」


 ラケルはあたりを見回した。……どこもなにも、ダンジョンの中に決まっている。


「さっきの場所から、そんなに離れてはいないはずだけれど……」


 いくらラケルがだとはいっても、自分がどっちの方向から来たのか、どっちの方向が入口なのかぐらいはわかっている。……少なくとも、ここから一つ目の分岐点までは。


「……戻るしかないかな」


 薄暗い洞窟の中、足元に気を付けながら歩みを進める。ここでまた別のスライムにでも出会おうものなら、それこそ命取りになりかねない。


 


「……あ」


 いた、スライムだ。やはり戦いは避けられないのか。


 ラケルは身構えた。足がすくみ、体が強張る。


 逃げられない、命を懸けた戦い……冒険者として、怖いなんて言っていられない。


 ……立派な覚悟ではある。


 ただ、ずりずり進んでいるスライムの前で、立ちすくむ冒険者……それは、絵面としてはどうなのだろうか?




「……ぉーぃ……」


 ラケルの耳に、早くも聞きなれた声が聞こえてきた。トロイである。


 スライムの、さらにその向こうからトロイがぴょんぴょん飛び跳ねながらやってくる。


「わしを置いていくなぁ!」


 ぴょん、ぴょん、ぴょん……ぶぢゅっ……。


「……あ」




 ……ラケルとトロイ、名もなき凸凹コンビパーティの初勝利の瞬間であった。


「いくらなんでも、それはないんじゃないかなぁ?」


「……ん?何がじゃ?」


 ラケルの疲れた声に、目の前までやってきたトロイが疑問の声を返す。


「それ……」


 ラケルの指さした先をそって、振り返ったぐりんと回転したトロイ。そして、またラケルに向き直るぐりんと元に戻る


「……そこの、ぴくぴくしている死に掛けのスライムが何か?」


「うわ、自分で何したかすら自覚してないよ、この鎧」


「ん?……わし何かしたか?」


「トロイはさ……もうちょっと、空気を読む、ってことを覚えた方が良いと思うよ?」


「ふむ、空気を読む、とは興味深い。わしほどの魔導士でもそんな魔法は初耳じゃぞ。それは……たとえば、空気中を漂うマナ魔法の力の源を検出するようなものか?」


「……そういえば、あなた魔導士って触れ込みでしたね……肉弾戦で敵を倒してどうするの……」


「……ん?」


 ラケルは何かを振り払うように頭を振った。


「トロイには、空気を読む、という高等技術はまだ難しそうだなぁ、って」


「うむ、わしほどの魔導士でも、いや、だからこそ日々研鑽が必要、だということじゃな」


「……うん……まぁ……そういうことで」




「……で」


 ラケルはまたあたりを見渡した。


「僕たちの次のミッションは、このダンジョンから無事に脱出できるか、ということになるわけだけど」


「いや、わしらそんな奥まで入り込んでない……」


「なんとか脱出しなくてはいけないわけだけど!」


 ラケルがトロイの言葉を遮るように語気を強めた。


「出口までの安全をどうやって確保するかが問題なわけで!……またモンスターが出てきたら僕泣くよ?」


 本当に、ラケルの声に泣きが半分入っている。……情けない。


「んじゃ、とりあえずわし着とく?あ、ほら、もうわし、風呂入ったし……」


「うん、着る……」


 背に腹は代えられない、ということか。あれだけ渋っていたにも関わらず急展開である。




「よしっ!そういうことなら早速っ。いちいち鎧をつけるのは面倒だから、もうすぽっと頭から被ろう。……ラケル、そのまま両手をあげてみてくれんか」


「え、えーと……こう?」


「剣は置いてから!……それだと、わし、串刺しになってしまうじゃろうが!」


「そのままって言ってたよ?……それに、僕だって身を守らないと」


「常識で考えんかぁ!何から身を守るつもりじゃあっ!」


「……常識的な鎧って何?」


 常識的なふるまいをする鎧を想像しようとして……自身の限界を知るトロイだった。


 ……うん、その前に別のところで限界を知った方が良いと思うよ。




 ともあれ、ラケルは剣を地面に置き、両手をあげた。それに対して、トロイがぴょーんと高く飛び上がり、鎧の下に両手と頭が通る。そして、すとんっ、とラケルにかぶさったトロイから、腕と頭が出た瞬間のこと。


「♪デケデケデケデケデンッ!♪」


 静寂の中、不吉なメロディーが奏でられる。


「ほら、呪われたぁ……やっぱり、ノロイはヨロイのトロイじゃないかぁ……」


「……えーと、ラケルさん、順番間違ってませんかね?」


「どうでも良いよ……好きに入れ替えて……」


「……じゃあ、『トロイはノロイのヨロイじゃないか』でどうでしょう?」


「はい正解」


 ……緊張感の続かない奴らである。


「まあ、僕には別に失うものもないしね。いまさら多少呪われたって……そういえば、これってどういう呪いなの?」


「あー、それなんだが、別におぬし、呪われておらんぞ?」


「え、だって、さっき……」


「わしは口真似が得意でな……ちょっとした演出じゃ」


「……やって良いことと悪いことの区別ぐらいつけようね!」




 さすがのラケルも『口もないのに口真似』とかツッコんでいる余裕はなかったようである。


「……はぁ、これだから、最近の非常識な鎧は……」


「なんかそれだと以前の鎧はみんな常識的だったように聞こえるが?」


 ラケルは常識的なふるまいの鎧を想像しようとして……どこかでこういうことあったような、と既視感デジャヴに陥った。


 ……うん、三歩以上前のことは忘れよう、と思うラケルであったが、実はさっきより一歩も動いていなかったりする。




 そうこうしているうちに、ラケルは何かズボンのあたりに何かひんやりとした違和感を覚えた。


「……さっきまでは特に何ともなかったはずなんだけどな……」


 そろそろと手をトロイの下に持っていくと、指先に何かぬとっとしたものが上から垂れてきた。


「ひっ!」


 慌てて手を引っ込めた。


「……トロイ?」


「ん?何じゃ?……どうじゃ、わしの装着感は?何か強くなったような気がするじゃろ?」


「……さっき、お風呂入ってたよね?」


「ああ、だから今は綺麗なもんじゃろ?……ん?洗い立てのシーツにくるまれたような感じか?」


 ラケルはおそるおそるさきほどの指先を胸の前にかざす。


「……これは何?」


「これは……なんじゃろうな?……なんか、まるでスライムの粘液のような……」


「トロイ、さっきスライムを上から押しつぶしてた……よ、ね?」


「ん?そうじゃったか?」


 泣いてよいのか、怒ってよいのか、判断に迷うラケルだった。


 とりあえず叫んでおく。


「台無しだよ!」

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