絶望の先にあるもの

「なんてことをしてくれた!!」

 

 煌々と輝くシャンデリアの下で、私はバシン!っと頬を叩かれ、勢いよく床に倒れ込んだ。

 園遊会を主催したオールナードの領主である叔父のザクセン・ノルディン男爵は、私を見下ろし肩を震わせる。


「折角ヴランディ公爵もお見えになったのに、お前が魔物を仕留めそこねた所為で台無しになったんだぞ!!」


 事情は説明したのに叔父の怒りは収まらない。

 でもこれ以上刺激したらもっとやられてしまう。

 身体に蹴りを入れられても、私は声を上げないようグッと我慢した。

 

「もう止めなさいよぉ。 傷でもできたらどうするのよぉ」


 すると隣にいるザクセン夫人が制止の声をかけた。

 でも薄ら笑いを浮かべて傍観してるだけで事態は何も変わらない。

 叔父はイライラした面持ちで私の髪を掴み、ぐいと持ち上げた。

 

「おぉ、そうだったな。 こいつの顔をみるとどうもアイツの顔がちらついてな」


 叔父のザクセンは私の父ルカスの実兄にあたる。

 二人は昔から反りが合わず、父は早々に家を出て騎士の道へと進んだ。

 そこで頭角を表した父はあっという間に名声を上げ、騎士団の精鋭部隊の一員になった。

 そして子爵令嬢だった母カーナ・アルバートと出会い、婿養子になって実家との縁を完全に断ち切ったのだった。

 それが兄のザクセンには気に入らなかった。

 男爵家の次男という立場を捨てて家を出た筈なのに、いつの間にか自分よりも上をゆく存在になった弟。

 その劣等感と憎しみを、父の代わりに娘の私にぶつけることにしたのだ。


 七年前の厄災で私は母を病で亡くし、戦場に向かった父も戦死した為、孤児になった。

 するとそれまで疎遠だった伯父が突然訪ねてきて、身勝手な復讐の為に私を引き取ったのだ。


 魔法が使えない私に幾度と暴力を振るい、私が剣を使えると分かると己の領地へ放り込み、魔物の討伐を命じた。

 拒否すれば捨てられるか殺される。

 まだ十歳だった私は、従うしか他に道がなかった。


「この赤い髪も緑の瞳もルカスに見えて腹が立つ。 出来るなら切り刻んでやりたいぐらいだ」


 叔父は髪を掴んでいた手を振り下ろし、私の頭をガン、と床に打ち付けた。

 衝撃で目の前がくらくらする。


「もうお前は用済みだ。 明日にでも娼館に行ってもらう」


「え……」


「今回はヴランディ公爵にも、我が園遊会は安全で素晴らしい社交の場だと知らしめる絶好の機会だったんだぞ! それを無駄にしおって……」


「でもぉ、本当に娼館に売っても大丈夫なのぉ? そんな事したらこの子がアルバート家の子爵令嬢だってバレるんじゃなぁい?」


「あれから七年も経つんだ。 アルバート家のことなんぞ誰も覚えちゃいないさ。 裏にいい取引先があるから安心しろ」


「そう、なら大丈夫ねぇ」


 ザクセン夫人はほくそ笑み、私の背中を蹴った。

 靴底が木製なのか、木剣で殴られた様に鋭い痛みが奔る。

 私が小さく呻くと、頭上から叔父の厭らしい笑い声が聞こえた。


「丁度アルバート家の財産も尽きた所だ。 ルカスの娘は死んだと届ければアルバート家の爵位は確実に消失する。 俺の復讐も完了だ!」


 そして高々と笑い、何度も何度も私の体を痛めつけた。

 両親が残してくれたものが奪われていくのに何も出来ないなんて。

 理不尽に勝てない無力な自分に涙が出る。

 

 すると今度は部屋にあった金庫から、小さな銀細工の首飾りを私の前にちらつかせた。


「そうそう、これも必要なくなるから俺が貰っといてやる。 中々美しいデザインだし、高値がつくかも知れんしな」


「お願い! それだけは取り上げないで!!」


 それは両親が私の為にと送ってくれた唯一の宝物。

 私が逃げ出さないよう担保にされていた物だった。

 でも叔父は無情にも必死に伸ばした私の手を蹴飛ばし、そのまま胸ポケットへしまった。


「どうせ娼館に行けばその店のものになる。 それなら俺の懐に入れてやるよ。 ほら、地下室に行くぞ」


 叔父はブツブツ愚痴を零しながら私を後ろ手に縛り、口に布を噛ませた。

   

「今だけはお前がルカスに似ていて良かったよ。 最後にその絶望した顔が見れたしな」 


 口を弓形に歪めて私を見下ろす叔父が、人の皮を被った魔物に見えた。

 もうどうすることもできない。

 ううん、もうどうでもいい。

 明日からは名を持たない、只のセロとして生きるのだから。


(お父様……、お母様……)


 早くそっちに逝きたい。

 そう祈りながら、私は意識を手放した。



 ◇◇◇◇



「ロゼ! さっさと起きな!」

 

 魔物か何かが飛び込んで来たのかと思った。

 バン!!っと勢いよく扉が開いた音で飛び起きると、ザクセン夫人が大股でツカツカと部屋に入ってきた。 

 

 そして噛まされていた布を外すと、ニタリと不気味な笑みを浮かべた。


「ほらほら、お前を買いにお客様がいらしたんだよ。 さっさとおし!」


 うそ、早すぎる!

 でも全身が痛くて抵抗できず、私はズルズルと応接間へと連れて行かれた。


「まさかあの御方がまた来て下さるなんて思わなかったわぁ。 しっかり奉仕してくるんだよ!」


 浮足立つザクセン夫人を見ていると、よほどの上客なんだ。

 応接間の扉を軽快に叩く音からもそれが伝わってくる。


「大変お待たせ致しましたぁ!」


「おぉ! 待っていたぞ!」


 出迎えた伯父の声も大層嬉しそうだ。


「公爵様! こちらの娘でございます!」


 伯父は私の頭を掴み、無理矢理顔を上げさせた。

 その視線の先にいたのは、思いも寄らない人だった。


「キアノス……公爵様……?」


 黒の革張りの椅子に腰掛け、ジッと私を見つめる紺青の瞳。

 けれどそこに光はなく、視線はまるで刃物のように鋭い。


 その隣りでは傷を治してくれたユーリ様も、冷たい眼差しでこっちを見てる。

 間違いない、昨日の二人だ。


 叔父は公爵様の前で私を押さえつけ跪かせた。


「お前を是非ともと言っておいで下さったんだよ。 ほら、よく顔を見てもらいなさい」


 そう言って私の顎を掴みぐいと持ち上げた。

 一瞬公爵様と目が合ったけど、私は直ぐ様目を背けた。

 セロを買うんだから、騎士団の団長と言っても本質はきっと叔父と同じ。

 優しくされて舞い上がってた自分が馬鹿馬鹿しく思えた。


「この娘はセロですが、剣の腕は確かです。 もし兵力にもならないようでしたら、側室にでもいかがでしょう。 身なりはこんなですが顔は整ってますし、しっかり躾けておりますので公爵様のお好きな様に……」


「少し黙ってくれ」


「ヒィッ!」


 公爵様の冷ややかな声色に叔父は怯えた声を上げた。

 全身を刺すようなおぞましい殺気。

 『冷血の貴公子』なんてレベルじゃない。

 本物の魔物みたいだ。


「本人も来たことだし、話を進めようか」


 公爵様が長い脚を組み替えただけで、部屋中が緊張感で張り詰める。

 公爵様が右手を上げると、ユーリ様は足元に置いてあったトランクを開き一枚の紙を叔父に手渡した。

 すると叔父は落ちくぼんで小さくなった目を、これでもかと大きく見開いた。


「セ、セロをこ、こんな額で……?!」


「それで良ければ早く署名を」


「か、畏まりましたぁっ!!」


 叔父は迷うこと無く机上に置いてあったペンを手に取った。

 興奮状態の夫を見て、夫人も慌てて駆け寄る。

 そして恍惚とした表情で肩を震わせた。

 

 公爵様は叔父から受け取った書面に目を通すと、そのまま自分の胸ポケットにしまった。

 途端に公爵様の殺気も治まった。


「これで取引成立だ。 彼女をこちらへ」


「はいぃ!!」


 夫人は嬉々として私の縄をナイフで切り、揚々と私を突き出した。  

 今なら動ける!

 私は夫人の持っていたナイフを奪い、剣先を自分に向けた。


  

  

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