第14話『急な訪問を失礼。私はヴェルクモント王立学院で魔術について研究をしているテオドールという者だ』

温かい空気の流れる昼下がり、私はイービルサイド家の中庭で程よいサイズの狼になったジェイドさんと、子犬の姿になったコゼットちゃんやリゼットちゃんと日向ぼっこをしていた。


「いい天気ですねぇ」


独り言のように呟いた言葉にジェイドさんは欠伸をして、コゼットちゃんとリゼットちゃんは寝ころんでいる私の近くでコロコロと転がっていた。


なんて穏やかな時間なのだろう。


以前お茶会で話した時から怖い事は何も起こっておらず、ただただ静かな時間が流れていた。


今はお父様とアリスちゃんが王都に出かけているので、お留守番の私は家で過ごさなくてはいけないのだけれど、ジェイドさん達もいるし、少し離れた所から微笑ましい物を見るような目で私たちを見ているメイドさん達もいる。


世界は今とても平和に……。


「お、お嬢様ー!! 大変でございます!!」


「どうしたんですか!?」


ポヤポヤとした空気の中、突然響いたメイドさんの叫びに私は一気に体を起こして、メイドさんの方へ向く。


しかし、ちょうど私の体に頭を乗せていたリゼットちゃんがひっくり返ってしまい、私はごめんねと謝りながら抱きしめつつ立ち上がるのだった。


そして、走るメイドさんを追い越して、空を飛んでくる人を私はジッと見つめる。


どこかアルバート様に似た雰囲気のその男性を。


「急な訪問を失礼。私はヴェルクモント王立学院で魔術について研究をしているテオドールという者だ。この家にエリカという女性は居るだろうか」


「エリカは私ですが」


「おぉ、そうか。君が救国の聖女か」


「う」


「どうした?」


「あ、いえ。その名前はあまり慣れていないので、普通にエリカと呼んでいただけるとありがたいです」


「そうか。承知した。エリカ嬢。これで良いかな?」


「はい。助かります」


「ふむ。そういう事であれば私の事もテオドールと呼んでくれ。最近は妙な呼ばれ方をされていてな。少々困っているのだ」


「……もしかして、帰ってきた英雄という呼び方ですか?」


「うっ」


テオドール様は胸を押さえながら一歩二歩と後ろに下がった。


どうやらかなりダメージを受けているらしい。


「そ、その名前は許して欲しい」


「申し訳ございません。テオドール様とお呼びしても問題ないでしょうか」


「あぁ。そちらで頼む。英雄などという器では無いのだ私は。どちらかと言えば日陰に生きて、誰にも知られず消えていく方がそれらしい」


「それは……少し寂しいですね」


「そうか?」


「はい。独りぼっちでは、悲しい時にもっと悲しくなっちゃいます」


「そうか」


「あっ、あの。申し訳ございません。分かったような事を言ってしまって」


「いや構わない。分かった様な事と言うが、それは君が知っている事なのだろう? ならば、私もちゃんと受け止めるさ」


テオドール様は落ち着いた笑顔で私を真っすぐに見ながら穏やかに頷いた。


なんだろうか。


凄く落ち着く雰囲気なのに、どこか落ち着かない気持ちだ。


不思議な感じ。


しかしそんな緩んだ空気の中で、私は焦った顔で私を見ているメイドさんを見つけ、そう言えば緊急事態だった事を思い出した。


「あの、不躾なことをお聞きしますが、本日はどの様なご用件でいらっしゃったのでしょうか」


「おぉ! 大事な用事を忘れていた。実はな。今日は君を攫いに来たんだ」


「……え? あの、聞き間違いでしょうか。あの今、攫うと」


「あぁ、攫いに来た」


「……申し訳ございません。事情をお聞きしてもよろしいでしょうか」


「俺の後ろに隠れてな!! エリカ!」


「ジェイドさん!?」


「おぉ、人間になった。君は獣人か。獣人は人と獣の両方の特性を持ち、それらを意識的に変化させ見た目や能力を変える事が出来ると聞いているぞ。ただし、その力を得る代償なのか精霊契約を行う事が出来ないという事だったな。しかし、たった今見せてくれた能力を見るに、そこまで精霊契約が重要とも思えん。先ほどまでは完全な獣の姿であったというのに、今は完全な人の姿……いや違うな。一部だけ獣の特性を使っているのか。これは面白い。君、名前はなんと言うのかな。良ければ私と共にその特性について研究しないか?」


「うるせぇ! 何言ってんのか分かんねぇんだよ! 俺たちから離れろ!」


「これは失礼した。簡潔に説明する様に努力はしているのだがな、結果が出ていないのが現状だ。申し訳なく思うよ」


「あの、ジェイドさん。多分なんですけど、悪い人じゃなさそうなので、お話だけ聞いても大丈夫ですか?」


「……エリカがそう言うのなら、良いけどよ」


ジェイドさんはいつもの様にしょうがねぇなと言いながら頷いてくれた。


そして私の後ろへ移動しつつ、テオドール様に脅しの言葉を投げかける。


「おい。分かってんだろうな! エリカに手を出そうとしたら、食っちまうからな!」


「ふむ。人間の姿になっていても人を喰えるのか。興味深いな。君は普段は人間を食べているのか?」


「食うか!!!!」


「あの、テオドール様、先ほどの話に戻ってもよろしいでしょうか」


「おぉ、すまない。そうだった。えっと、君の力を研究したいという話だったか?」


「いえ。そのお話は初耳です」


「そうか。では忘れてくれ。これは君には内緒で進めようと思っていた事なんだ」


「そう言われると忘れるのは難しいですけどね!?」


「そうか?」


「そうです!」


「そうか。それはすまない事をした」


とてもいい人で話しやすい雰囲気、しかも楽しい。けれど、何だろうか。


何とも難しい会話をする人だ。


別にそれが嫌だという事では無いのだけれども。


「実はな。先ほど王都にて現国王が、君を妻に迎えるつもりだと、正式に貴族たちの前で発言したのだ」


「っ!」


「君にとっては信じられない様な話かもしれないが、かの王はそういう男でね。そして君を手に入れる為ならばどの様な手段も取るだろう。例えばイービルサイド家の者を反逆者として捕らえ処刑するという事すらあり得る」


「そんな!! そんな事になるくらいなら」


「君が王のモノになると? そんな事になればいよいよこの国はおしまいだ。民は君の悲しみを見て、怒りのままに反乱を起こすだろう。そして王都では多くの血が流れ、これ幸いと周辺諸国が攻め込んでくるだろうさ。聖女を救わんとする民の為という旗を掲げてね」


「では、どうすれば……」


「そこで私の出番という訳さ」


「テオドール様の?」


「そう。私はこれでも公爵家の人間でね。この国では二番目に偉い家だ。そして、王が敵対する事の出来ない数少ない家なのさ。父は多くの民に慕われているからね。父を排除すればどうなるか、流石の王も分かるというものだ」


「……」


話がよく分からない。


しかし私はテオドール様の言葉を一つたりとも逃すまいといつも以上に集中して話を聞くのだった。


「おっと、話が長くなってすまないね。簡潔に。そう。簡潔に話そう。エリカ嬢。君を我が、デルリック公爵家で引き取ろうと思う。対外的な扱いとしては私の妹という事になるのかな」


「え」


「どうだろうか。エリカ嬢。悪くない話だとは思うのだが。あぁ、心配している事があるのは分かる。無論我が家に迎え入れたとしても、悪い様にはしない。イービルサイド伯爵や令嬢ともいつでも会える様にしよう。まぁ、護衛は付けてもらうがね」


「それは、はい。嬉しいです。でも、テオドール様たちにはどの様な利点があるのでしょうか」


「利点か。利点。まぁ、父上の利点は非常に分かりやすく現国王に対して嫌がらせが出来るという点だろうな。あの人は現国王を酷く嫌っていてね。そして、私の利点は……うむ、そうだな。しいて言うなら、君はかなり頭が良いみたいだから、話し相手が出来て嬉しいという所かな」


「……申し出は凄く嬉しいです。ですが、お話をお受けする前に一つだけ我儘を良いでしょうか」


「あぁ、構わないよ。何せ未来の妹だ。兄ならば、妹のお願いは聞くものだろうしね」


「ありがとうございます。では、公爵家にお邪魔させていただいてから、何かお仕事をいただけないでしょうか」


「仕事?」


「はい。ただ、与えられるというのは私も心苦しい物ですから。何かお手伝い出来る事があればと」


「そうか。であれば、私の願い事を聞いてもらおうかな」


「はい! ありがとうございます!!」


「そう逸るな。最後まで聞いたら嫌だなと感じるかもしれないぞ」


「そんな事は」


「同じ事をもう一度言わせるつもりかな?」


「いえ、大丈夫です」


「うむ。ではちゃんと聞いてから返事をする事だ。別に私の頼み事など聞かなくても良いのだからな」


「……はい」


「では話そう。私の頼み事だがな。最初に会った時も言ったが、私は王立学院で魔術について研究をしていてね。研究の助手が欲しいのだ」


「助手、ですか」


「そう。会話が成り立つだけの頭があり、人の意見を素直に聞ける性格。そして意見もハッキリと言える。それなりに頭も回るようだし。これ以上の逸材は中々居ないだろう。私としても喉から手が出る程欲しいんだ。君が」


「……」


アリスちゃんが言うような姉としての私でもなく、お父様が言うような娘としての私でも無く。


私が偶然手に入れた誰かを癒す力でもなく。


私が私としてあるモノを欲しいという。


それは、何だか……。


「返事はどうかな。エリカ嬢」


「……ぇぅ、その、はい。私で良ければ」


「そうか。良かった。では早速王都へ行って、話を進めようじゃないか」


私は熱くなった頬に手を当て、息を吐く。


そして熱に浮かされた様な気持ちで、魔術を発動しようとしているテオドール様を見るのだった。

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