5.リリィ
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プシュが店を持った。「リリィ」という名だ。自身の好きな花に由来するらしい。プシュはいつか自らの店を開くことを目標としていた。早々に達成できたというわけだ。まだ二十歳なのだから大したものだ。手を貸したのはスーザン。なにかの折のために貯めていた金をプシュの支援に使った。しかしそれだけではとても足りないので、セスもこっそり――ごっそり金を出した。有意義な使い道だったと、セスは内心、嬉しく思っている。
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その日の昼間、セスはスーザンの美容室「ダリア」を訪れた。ちょうど手が空いていたらしいスーザンは二階に案内してくれて、紅茶を振る舞ってくれた。心遣いが身に沁みた。
小さな丸いテーブルを挟んだ向こうにいるスーザンはそれなりに真面目な顔をして、「それで、あんたがこの街を去った理由はなんだったんだい?」と訊いてきた。
あんたが思っているとおりだ。
セスはそうとだけ答えた。
「だとすると――そうかい。やっぱり例の件かい」スーザンは表情を曇らせた。「当時、『ロホ・ファミリア』の暴力は、この界隈に住むニンゲンにとって当たり前になりつつあった。でもだ、セス、あんたにとっては当り前じゃなかった。とことんニンゲンくさいってことなんだろうね。だからやがては、あたしたちが虐げられることが許せなくなった……そうなんだろう?」
問い詰めるようなスーザンの目、口調。
セスは無言――。
「あんたの仕事を知っているニンゲンは限られてるさね。あたしは知ってる立場のニンゲンだ。どうしてそんなふうになっちまったのかまではわからない。だけど、なにがあっても、あたしはあんたの味方さね」
スーザンは微笑んだ。そこにあるのはたしかな包容力。ずいぶんと気に入られているものだなと思う。悪い気はしない。むしろ、理解してもらえているようで、ありがたい。
――ほんの少しの興味だが、セスはスーザンに訊いてみたいことがあった。プシュのことだ。若くして店を持つようになったのだ。依然としてとても熱心に仕事に励んでいることは否が応でもわかる。知りたいのは交友関係――なぜだろう。その点について、把握したいと考えている自分がいる。
「要するに、恋人のことかい?」と、スーザン。「たとえば、ミゲルってのがいる。紹介してもらったよ。てっきりあんたも会ったもんだと思ってた」
名は知っているが会ってはいないと、セスは答えた。
「資産家の息子殿だ。肩書きほどしょうもない男でもない。実業家としてきちんとやってるそうだ。プシュは仲良しだって話してた。実際、いい仲なんだろうさ。でも、じつは仲良しが何人もいる可能性だってある。プシュはモテるからね。綺麗な顔をしてるし、身体だってグラマーだ。殊の外、性格がいいことは言うまでもないさね」
綺麗な顔。
グラマーな身体。
性格がいい。
――どれも認める。
「なんだい? プシュが親離れしちまうと寂しいのかい?」
からかうような、スーザンの笑み。
親離れが寂しい?
そんなわけ、あろうはずもない。
子離れできない愚かな父でもあるまいし。
「ただ――プシュはほんとうにどこぞの誰かとくっつくつもりなのかねぇ」
腕を組み、首を傾げ、スーザンはそんなふうに――。
なにを言わんとしているのかわからず、セスは眉をひそめる。
「女の勘ってやつさね」
口元を笑みのかたちにした、スーザン。
ますます意味がわからなかった。
*****
プシュが「髪を切ってあげる!」などと言いだした。セス自身、散髪の必要性を感じることなどまずなく、それでも長くなりすぎると邪魔なので、その場合に限り近所のどうでもいい理髪店で切ってもらっていたのだが、それでぜんぜんかまわないのだが、プシュはどうしても「切らせてほしい」らしい。なんだかとても面倒に感じられたのだが、言うことを聞こうと決めた。
くだんの「リリィ」、プシュの店だ。
若くして手にした、プシュの宝物だ。
白いカットクロスをつけ、茶色のスタイリングチェアに座っているセスのことを、前から横から後ろからと観察したプシュは、腰に巻いたシザーバッグから鋏を取り出した。「じっとしててね?」と微笑する。「わかってる」と彼もほんの少し笑った――自然と笑えるようになったのは、なにを隠そう、プシュのおかげだ。
ちょきちょきちょきと軽快に鋏を動かす、プシュ。「短くするね?」とのこと。ヘアスタイルなんてどうだっていい。鼻歌交じりに手を動かすものだから――また切らせてやろうと考える。喜んでもらえるのであれば、結構なことではないか。
――終わったらしい。「満足っ」と鏡の中のプシュは笑った。ずいぶんとさっぱりしたなと感じた。洗髪するのは楽だろう。助かると言えば助かる。
プシュが後ろから、セスの首に両腕を巻きつけてきた。「どうしたんだ?」と訊ねた。温もりを感じさせる「ありがとう」が返ってきた。セスは右手を使い、小さな頭を撫でてやる。「おまえは幸せになっていい」と伝えると、「もう幸せだよ?」とプシュは言った。
おれの役目はもう終わる。
きっとそうだと、セスは思う。
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