ゴールド・プシュケ

@XI-01

1.少女

*****


 セスはヒトを殺した帰りだった。斬り捌いた数は忘れた。カタナを持つのが至極当然のことであるものだからつかを握る感触は両手が常に覚えている。染みついたその感覚はこの先もずっと消えることなどないのだろう。それでいい。知らず知らずのうちに選んでしまった外道から逸れるつもりは、今のところ、ない。


 甲高い女の悲鳴が轟いた。恐らく若い女だ。関係ない。他者とは極力、付き合いたくない――脳に焼きつき、全身に行き渡っている信念にも似たその考えは今夜も揺るがない。


 揺るがないはずだった――。


 自らが起こした行動について、セスはつい舌を打つ。得体の知れない義務感に背を押されるようにして悲鳴がしたほうに向かって駆け出してしまった。車一台がやっと通れそうな路地。街頭があってまるきり闇ということはない。真っ白なワンピースを着た――まだ少女だろう。仰向けに抑え込まれている。その頼りない身体に大柄な男がのしかからんとしている。三人組。こんなところで輪姦か。豪胆、あるいは向こう見ずな連中だ。冷える夜だというのに。


 セスは現場へと歩みを進める。それに気づいたらしい男がいきなり拳銃を向けてきた。逸早く危機を察知したのだ。勘のいい奴だ。悪さを働いていることに自覚的だから気配に敏感なのだろう。セスは素早く接近し、銃を握る男の右手――その手首を、左の腰に携えているカタナを抜き払って斬った――下から刎ねた。醜く響く男の声。「痛い痛い!」と叫びコンクリートに転がったところで喉を一刺し、絶命させた――すぐさま「次」に取り掛かる。そいつは逃げようとした。だから後ろから大きく斬った。「あぎゃあっ!」と素っ頓狂な声を上げて前に倒れた。ほうっておいても死ぬだろうが、背中をざくざく突いてとどめを刺した。騒がれていいことなど一つもない。最後の一人――少女に覆いかぶさらんとしていたでかい男がいよいよ立ち上がった。ばんざいをして見せる。ズボンも下着も下げているものだから――そういうことなのだが、この状況にあって見事に屹立している様は賞賛に値するかもしれない。


「く、くれてやるよ。あんたもそうなんだろ? ヤりたいんだろ?」


 男の言葉など無視して、セスはカタナを振りかぶる。


「ややっ、やめろぉっ!」


 左肩から右の脇腹にかけ、一息に両断した。


 カタナを鞘に納めつつ、セスは少女に近づいた。見下ろす。艶やかで繊細な金色こんじきの長い髪が著しく目を引き、その神秘さに背筋が凍る思いがした。空恐ろしさを覚えた。まだあどけなさが残るか細い少女にとって、この美しい金髪は象徴的なものではないだろうか。


 膝を折り、少女と目を合わせた。上半身を起こしている少女に頷いてみせる。「だいじょうぶだ」と伝えた。しかし、明らかに怯え、目に涙を溜めている少女はガチガチと歯を鳴らし――。舌を噛むつもりなのだろうと思い、セスは少女の口に右手の人差し指を突っ込んだ。思い切りのいい噛み方だったので、ほんとうに死ぬつもりだったらしいと知る。そのうち落ち着いたようで、だから指を抜いてやった。少女は「ごめんなさい……」と心底申し訳なさそうに小さな声で言った。口元を右手で押さえ、嗚咽を堪える少女。ずっとここにいてもいいことなどないと思い、セスは少女を連れての帰宅を考える。少女は薄手のワンピース一枚で、おまけに裸足なのだ。ワケアリなのは明らかだ。セスは少女の右のふくらはぎに手を添え、足の裏を確認した。案の定、砂利やガラスの破片のせいでズタズタだった。


 セスは少女に背を向ける。


「助けてくれるの……?」


 少女に問われ、セスは「そのつもりだ」と答えた。


 おずおずとではあるものの、背に身体を預けてきた。怖かったのだろう。心細かったのだろう。目の前で人殺しを働いた男を頼る。いま、少女には、それしか選択肢がないのだ。



*****


 セスは跪き、ソファには少女。セスは少女の足の裏を傷つけた砂利やらガラス破片やらを丁寧に取り除いてやっている。ピンセットでもあればよかったのだが、その日暮らしの男の家には、あいにくとそんなものはない。時折、少女は「痛いっ」と声を上げる。無視して続ける。そのうち作業は完了した。洗面器の水に両足を順番に浸してやり――包帯くらいはあったので、足の甲から足の裏にかけてぐるぐる巻きにしてやった。


 少女の隣に腰掛け、セスは「なにがあった?」と短く訊ねた。セス自身、気まぐれなものだなと思った。特段、興味なんてないくせにどうして経緯を知ろうなどとするのか――。


「パパがね? 散弾銃で、ママを撃ったの……」


 そこにどんな理由があれど、ありがちな話ではある。


「だから、わたしは逃げ出したの」


 当然の行動だ。


 少女はぎゅっと肩をすぼめ、身を小さくして、ぽろぽろと泣き出した。


「わたしは逃げたの。ママを置いて、逃げてきちゃったの……」


 悔しそうな、自分を責めるような、そんな言い方。


 できることなら人非人にんぴにんを貫きたい。そうでなくとも不器用極まりないので、少女を慰める言葉なんて持ち合わせていない。


 少女が見上げてくる。深く澄んだグリーンの瞳――横から抱きついてきた。思いの外、強い力。寂しさと悲しさの合わせ技だろう。女に触れる機会なんてめったにないものだから、どう接したものかと悩ましく思う。ただ、頭を撫でてやるくらいはした――とても柔らかな髪は、わるくない感触だった。


 名前は?

 セスは少女にそう訊いた。


「プシュケ……」


 綺麗な名前だと感じさせられた。

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